挨拶
珈琲特有の微かに酸っぱい香りが部屋を満たす。ヴェダはマグカップを両手で包み、目の前に座るカルマに目を向ける。
MPはまだスキルを発動させるには心許ない程度しか回復していないので、珈琲を一口啜る。
やけに疲れた体に、珈琲はよく染み渡る。一人であればきっと椅子を並べて横になっていただろう。
ほう、と思わず息を吐くと、カルマが頬を赤らめ、目を逸らす。
流石に、気を抜きすぎた。ヴェダは軽く咳払いをし、改めてカルマに目を向けた。
「皇太子殿下」
「皇太子はやめてください」
「…カルマ殿下」
「殿下も」
「カルマ様」
「もっとフランクに」
中々、距離を縮めてくる。
ヴェダは思わず半笑いして、小首を傾げてしまう。
「では、カルマさんと?」
「呼び捨てでも構いませんがね」
手を握られ、甲にそっと唇が触れた。
相手の方が一枚上手の様だ。ヴェダは今更、すっぴんだと言う事を思い出したが仕方がない。
「後々不敬だとか言わないで下さいね」
「勿論ですよ、ヴェダ」
肩を竦めて見せると、カルマは機嫌が良さそうに目を細める。
まるで猫の様だ。ゴロゴロと喉が鳴る音が聞こえそうな程。
「ヴェダ・アストと申します。先代宰相は私の父にございます」
机に額が付くほど頭を下げると、気遣わしげに肩に手が触れた。
そっと顔を上げる。カルマは穏やかな顔をしている。てっきり今まで隠していた事を叱責されるかと思っていたのだが。
「ヴェダ、私は貴方に詫びなければならない」
カルマの顔に、苦悶が滲む。
肩を掴まれた手に、力が籠った。
「先代宰相、マッティ・アストは私を庇い命を落とした」
「誰のせいでもありません。強いて言うなら運命だったのでしょう」
ヴェダは、物心ついた時から母と二人で森の奥に住んでいた。
稀有な瞳の色を持ってしまった娘を、政治から遠ざける為に、人目につかぬ様に。
母は父を愛していた。時折、父の安否を憂い泪を零す程に。
母から受け継いだ変身のスキルを使い方を叩き込まれ、常日頃からスキルを使う様に言われた。
全ては、ヴェダを守るために。
父が命を落としたと訃報が入る頃、母も病に罹った。付いて逝ったのだろう。
ヴェダはその時、まだ四歳だった。その歳にして、天涯孤独となった。
誰かを恨む話ではない。
父は守りたくて守ったのだろうし、母はヴェダを真摯に愛してくれた。
同時期に命を落としたのも、運命だった。それだけだ。
「宰相には興味がありませんし、出来ることならば武器屋の雇われ店員のままでいたいのですが」
きっと、今現在、街にヴェダの正体は知れ渡っている事だろう。
王国から正式に手紙が届けば、この立ち位置のままと言う訳にはいかないはずだ。
カルマもそれを分かって、小さく頭を振った。
「数日後に、正式に王宮に招かれる事になると思います」
「そうですよね」
断れる筈無かった。
珈琲を一口飲み、ヴェダはカルマに微笑む。話は終わり、という合図を込めて。
「それで、目的は?」
武器でも探しに?とヴェダが問うと、カルマは小さく頷いた。
持っている武器は手入れがされているとは言え、朽ちかけているのが妙に気になっていた。
騒いでいたとは言え、瞬時に助けが来るとは思えなかったのだ。つまり、元々武器屋に用事があり、偶然暴漢に襲われているところに遭遇し助けられたと考えるのが一番筋が通る。
武器屋の店員であるヴェダはずっとそれが聞きたくてうずうずしていたのだった。
本当は武器屋ではなくブティックで働きたかった少女のコメディの予定だったんですけど手癖でシリアスな話になりました。
まともな話の構成考える前に書くからですね。