ノスタルジック・ウィッチクラフト
《序章》
――――夢を見ていた。どこか懐かしくて、哀しくなるような夢を。
「おはようございます、ノルジア。また、夢を?」
「そうだね、また、だ。おはようターナ。今日も良い朝だよ」
私がターナとそう呼んだ黒髪の彼女は私のベッドサイドで同意を示すように首肯した。今日の朝もいつものように静かに、穏やかな光が私の寝室に射し込んでいる。家の周りの林で鳥が鳴いていた。代わり映えのしない、それでいて愛すべき平穏が今日も始まる。
お先に、とターナが寝室を出てから少し遅れて、ジュウジュウと何かの焼ける音が聞こえてきた。どうやら朝食の準備に取り掛かってくれているようだ。私も移動しなくてはね。クローゼットから藍色のブラウスと新緑色のロング丈のフレアスカートを引っ張り出してそれに着替える。サニタリーに移動して顔を洗い、歯を磨けば身支度は終わりだ。さて、リビングに行こうかな。ターナがしてくれている朝ご飯の準備もそろそろ終わった頃合いだろう。
カウンターキッチンに並ぶように置かれたダイニングテーブルには、丁度対面になるようにしてトーストとハムエッグ、それからサラダが纏めて乗せられた皿が二つ置かれている。椅子を引いて席に着く。ターナは、キッチンの奥でサイフォンに向かっていたけれど、それも終わったようだ。珈琲のカップを二つ持ってきて私の向かい側に座った。
「「いただきます」」
どちらからともなく食前の挨拶をし、朝ご飯に手を付ける。暫しの沈黙の後で、先に口を開いたのはターナだ。
「ノルジア、今日の予定は? 薬草の調合? それとも町へ出ますか? 実は食材がそろそろ足りなくなってきたころで」
「んー、じゃあ町に降りよっか。買い出しだ」
「ええ。了解です」
町から程よく離れた私の家は、木々に囲まれた湖の畔にある。湖に張り出したウッドデッキ、キッチンのあるリビングと、二人分の私室、それからサニタリー。それから工房と硝子の温室を併設したログハウスだ。町までは歩いて二十分程。湖の横の砂利道を通り、林の合間の獣道を通る。道なりに行けば町までは迷うこともない。
石造りの家が並ぶここはオルデン。北欧の片田舎の小さな町。まあ、小さくとも不便を感じることはあるまい。肉屋、八百屋、パン屋、酒屋……その他諸々の生活に必要な店が揃っている。内陸部にあるので魚屋小さかったけど。
「よお、ノルジアの嬢ちゃん。それとターナさんも。前に買わせて貰った薬、随分とよく効いてなあ。腰痛もすっきりだ。また頼むぜ」
「あ、雑貨屋の。薬、効いたんだね。良かった良かった。でも今日は持ってきてないからさ、また今度」
店を見て回っているときに声を掛けてきたのは前回来た時に薬を売りつけた雑貨屋の店主だった。腰痛が酷いというので私の調合した薬を渡した。一応薬師みたいなことを私はやっているのだ。この町の住人にしか売ってないけど。他の町は歩きで行くにはだいぶ遠い。少し話をして、彼とは別れた。今日は雑貨は必要ない。帰ろうかと思ったけど……そうだ。
「ねえ、ターナ。帰る前にちょっと一杯引っ掛けに行かない? 偶にはお酒を飲みたくなるんだ」
「あの……ノルジア。その容姿で酒場に入るのは矢張り無理があるかと。酒屋でワインを買ってきますので、せめて家で飲みましょう」
湿度の高い目で私を見てくるターナを見上げる。さほど背が高いわけではない彼女と私には頭一つ分くらいの違いがあった。仕方がないか。
「うーん。これもいいお酒だけどさ、やっぱり雰囲気ってものがね。お店とはやっぱり違うな」
目の前でワインを呷ったターナが再び湿度の高い視線を私に向けた。
「ええ確かにあなたは成人年齢に達しています、しかし少なくとも外見はせいぜいティーンエイジャーがいいところでしょう。酒瓶を持つよりジュブナイルでも読んでたほうがお似合いな、ね。その見た目で酒盛りをすれば事情を知らない方々がどんな反応をするかなんて考えるまでもないのでは?」
理解していた。自分の容姿が年齢にそぐわないものであることも、目の前のターナ以外の人間はみな私が容姿相応の年齢であると思っていることも。そりゃ酒場は無理だよね。
「あーあ。魔女になんてなるんじゃなかったなあ。もうなんで魔女になったかなんてのも忘れちゃったけどさ。まさか不老不死になるなんて思ってなかっただろうし、まして成長が止まるなんてふつう思わないでしょ」
いいや酒でも飲んで忘れよ。あーおさけおいし。
「わたしには知る由もないことですが……どうしても魔女にならないといけない理由があったんでしょう。ところで――急に飲みすぎでは?」
ほへ?うやーまだまだぜんぜんだって、えーと?いちにーさん……あといっぱい!おさけはおいしーなあ。もっとのめるまだのめる。んー?ターナなんでそんなかおしてんのー?なになにためいきなんてついてるとしあわせがにげちゃうぞお。ほっぺをつまんでぐにぐにぐにぐに。そうだついでに。
「しっかり酔っぱらってるじゃないですか! むぐっ! ちょ、ノルジア! ストップストップ! 私そんなに飲めませんからぁ! く、力強い!」
ほらほらーあばれるなってー。のめーもっとのめー。
「うえ、もう、むりで、す……」
なんだなんだもうだうんか。よるはこれからだぞー。
その夜の記憶は、無い。
あいたたたた……。ま、眩しい……。いつの間にか床で寝ていたらしい私は異様な気配を感じて宿酔に痛む頭を押さえながら起き上がって後ろを向いてみれば羅刹がいた。いや、後ろにいたのはほんとの羅刹ではなくターナで、ものの喩えではあるけど。まずい。間違っても、なになにー?どして怒ってんの?みゃは☆なんてノリで誤魔化すわけにはいかなそうだしそもそもやりたくない。
「あー、えーと、その、ね、ごめんなさい?」
「なぜ疑問符が付いたかについては追及しないことにしますがあなたはその酒癖の悪さを反省して改善してください。もう何回言ったかも忘れましたが」
「ところで朝ご飯は?」
「まっっったく反省してないじゃないですか! 周りを見てくださいよ。ほら、あなたの空けた空き瓶空き瓶空き瓶……。朝食はあなたがそれを自分で片してからです!」
「ええ、頼むよ。これだけあると片付けるの大変でしょ? ほら、ターナって私の使用人みたいなものじゃない?」
私たちのことを知らない人は不思議に思うだろうこの奇妙な同棲関係、もうずっと前に始まったこの関係は友人だ何だというよりは主人と使用人の関係に近しいものがあった。
「あくまでみたいななんですよ? 自分の不始末のツケぐらい自分で片付けてください。ほら、早く」
ちくしょうこういうところ厳しいんだよなあターナは。ガチャガチャ音を鳴らしながら瓶とグラスとそれからあれやこれやのゴミを片す。私が片付けだしたのを見てターナは朝食の準備を始めた。
テーブルに並んだメニューは昨日のものと変わらない。トーストとハムエッグ、それからサラダ。飲み物は珈琲。うん美味しい。
「そういえばターナ、今日はメンテナンス日だったよね? カレンダーにも書いてあるし」
「あれ、そうでしたっけ。最近めっきりと日時感覚が……」
「まあそうなるよね。私も印付けてないとわかんなくなっちゃう。じゃあ朝ご飯食べたら工房で」
「わかりました」
工房の灯りに魔力を通す。中央にあるのは人ひとり寝られるようなサイズの作業台。そこにメンテナンスのための道具を出していく。メスと魔力で編んだ特製の糸、針、それと保存の魔法術式を刻んだ宝石を幾つか。あとは魔法術式を刻むための特別な万年筆。
道具を並べて朝ご飯の片づけをしてくれているターナを待つ。
「お待たせしました、ノルジア」
「来たね。そいじゃ、服脱いでそこの作業台に寝て」
私がいかがわしい命令をしているように聞こえるが断じてそんな意図はない。メンテナンスだメンテナンス。彼女はアンドロイド、とはちょっと違うね。魔法によって生命維持をしているだけの人、不死者と呼ばれる類の代物だった。
別に私は死霊術師じゃないぞ。あんな死者の冒涜じみたことをしている輩と一緒にされては困る。ターナを不死者にしたのには理由があった。
あれは何年、いや、もう百年以上前のことになるかな。
――――一度目の世界大戦、その最中だった筈だ。その当時からターナは私と同居していて、まだ普通の人間だった彼女は当然の如く私より年下の癖に私より身長があってそれから……これ以上は精神衛生に良くないので深く語ることはしない。当時ターナは先生、先生と呼んで慕ってくれてたのに今ではねえ……距離が縮まったのは良かったんだろうけど。話を戻そうか。
彼女が不死者になったその日は、とうとう戦火が国の端っこにある私たちの所まで届いてきた夏の日のことだった。何処の国だったかは忘れたけれど、進軍してきた陸軍の歩兵隊が私たちの家を見つけてしまったんだ。その時に隊を指揮していた将校曰く、戦争におけるイレギュラーとなりかねない魔女を殺しに来たという話だったけれど、単騎で盤面をひっくり返せる(と想定している)相手にせいぜい一個大隊程度の戦力で来るのは甘いんじゃないかなとは思ったね。一応誤魔化そうとはしてみたけど、私が魔女だということに全く疑念を抱いていないようで、将校は私に銃を向けるよう指示してたよ。まあ銃弾程度ならいちいち危惧することもなかった。私は死を超越した魔女だからね。適当に食らって見せて、死んだふりでもしとけば帰るだろうと思っていたんだ。直るには暫くかかるだろうけど問題ないし、と。大誤算だったのはその後だった。私の後ろに控えていたターナが、私を庇った。一瞬、頭が真っ白になった。何をしている?撃たれたら死ぬ人の身で?不老不死である私を?そんな疑問が脳裏を駆け巡って、そして気付いた。気付いてしまった。彼女は私が不死であることを知らなかったんだろうってね。魔女は魔法が使えるだけのただの人間だと、そう考えていたんだろうって。そうでなかったら庇うなんて無駄なことはしないでしょ?でも、予想に反して銃弾の雨を受けた彼女はこう言ったんだ。
「せんせ、い。だいじょうぶ、です、か? しなない、のは、けがをして、いいりゆうには、なりませ、ん、よ? それに、その、ふし、せいが、えいきゅ、う、のものとは、かぎら、な、いでしょう?」
そうして、無事で良かったと、そう微笑んで息を引き取ったよ。滅茶苦茶だよね。意味が分からなかった。死なないと、分かっていたのにね。
「総員。再度掃射せよ。魔女を殺せ」
将校は再び私に銃を向けさせた。ああ、この野郎。こんなにいい子を殺しやがって、ってね。頭が沸騰したよ。その時にはもう、理性は何処かに飛んで行っていた。私は魔法の【ことば】を口から紡いだ。
「【木漏れ日射し込め闇を祓え。害為す者を灼き祓え】」
ぼとり、ごとり、がちゃり。降り注ぐ光芒によって焼き切られた腕と、銃とが落ちる音が連続した。人の肉の焼けた臭いが漂った。悲鳴が上がった。逃げ出そうとする者が現れた。逃がす筈はなかったけどね。
「【風よ。渦巻け。切り裂け。嬲れ。躙れ。そして殺せ。不埒者には死の報いを】」
私の生み出した風が竜巻になって彼らを呑み込んで、その体を切り裂いていった。少しずつ竜巻が朱色に染まり、悲鳴が聞こえなくなって、それから私は風を止めた。装備の破片と肉片が地面に散乱していた。いや、そんなことを気にしている場合ではなかったよ。遺体の損壊が進む前にターナをどうにかしなきゃと焦ってた。ひいこらひいこら言いながら工房まで運んで、保存の魔法を掛けてね。集めてた魔導書を漁って、蘇生の魔法を調べて。結局蘇生の魔法は前提条件が厳しすぎてさ。魔法刻印をした宝石を使う死霊術を使うことにしたんだ。今でもそれで良かったのかは分からないね。そのまま死なせてあげていたほうが良かったのかも。ターナはこれでよかったって言ってくれてるけど。メンテナンスを受けてくれてるうちは大丈夫、かな。
メスでターナの体の各部に切り込みを入れ、宝石を入れ替えていく。刻んだ魔法回路の接続が途切れる度に体が小さく跳ねるのが艶めかしい。一応言っておくけど私にそっちの気はないよ。メンテナンスと大仰に言っておいてなんだがさほど時間はかからない。過剰な負荷を掛けるようなことをしたなら話はまた違ってくるけどね。日常生活を送っている分には宝石の入れ替えだけでメンテナンスは終わりだ。切り込みを入れた場所を縫合してはいおしまい。
「オッケー終わったよ。お疲れ様」
服と下着を纏めてターナに投げ渡す。身を起こした彼女が服を身に着けている間に片付けを進める。ふんふふふーんと鼻歌を歌いながら片付けをしていると、着替えを終えたターナが話しかけてきた。
「ノルジア。私の体はあとどれ程もちそうでしょうか?」
私は今笑顔を崩さなかったかな?
「ああ、まだまだ大丈夫だよ。宝石はお金で買える。メンテさえ怠らなければ問題ないさ」
うん。嘘ですごめんなさい。まだまだ大丈夫とは言ってもせいぜいあと数年の話なのだ。メンテの度に一時的に回路が途切れるんだけどね?その時に少しずつ劣化が進んでいっててさ。どうしても死体は劣化が早い。結局私はターナを見送る羽目になるってわけ。悲しいことにね。誰かを見送ったことは数知れず、それでも知り合いとなればどうしても慣れない。多分いっぱい泣くんだと思う。
いっぱい泣いて、塞ぎ込んで、そうして悲しみも思い出も一切合切を時の流砂と一緒に流して忘れる。人であることを辞めた魔女でも脳の記憶容量には限界がある。昔のことは忘れていって、死人は人から数字になる。
それはある種不老不死の代償と言えるのかもしれない。古今東西数多の人間が願う欲望の極致にして、私を蝕む最低最悪の呪詛。年は取らず、肉体は朽ちない。羨ましいって?人間に与えられた最後の安息を奪われたことが?死なないんじゃない、死ねないんだぞ。
《断章》
「ノルジア。私の体はあとどれ程もちそうでしょうか?」
「ああ、まだまだ大丈夫だよ。宝石はお金で買える。メンテさえ怠らなければ問題ないさ」
ああ、あなたは本当に嘘が下手だ。今答えるまでの逡巡を、すぐに笑顔を作ったものの、一瞬浮かべた沈痛な表情を、長く一緒に過ごしてきた私が見逃す筈もない。どれくらいなのかは分からないが、さほど長くはもたないのだろう、きっと。全く。あなたは下らないところで気を遣う。出会ったころからずっと。
――――初めて出会った時、ノルジアと私は敵、ではないにしても仲間と呼ぶには少々腹に一物抱えた関係だった。彼女は既に魔女としての存在を確立しており、私は魔女の暴走を懸念する国から派遣された二代目の監視員だった。前任者は天命を全うして亡くなったと聞かされた。しかし、前代が安全に任を果たしたとはいえ命の保証がない仕事でもある。暴走の予兆ありと上が判断すれば、最も近くにいる手駒として勝ち目の皆無な戦闘を開始しなければならないし、もし敵前逃亡を図ろうとすれば体内に仕込まれた高性能爆弾が遠隔起動されて監視員ごと魔女を吹き飛ばす。裏切りなんてもってのほかだ。
「初めまして、ノルジアさん。魔法が使えると聞きました。私の母が病気なんです。今は父が看病してくれているんですが、何時容体が変化してもおかしくない状況で。どうにか病気を治す方法を教えて頂けないでしょうか」
国に指示されたとおりの文言で、白髪の魔女に接触する。治癒系の秘術は使えないという話だったが、魔女は人情に篤く、それを解決するために手を尽くすだろう、そして一先ず解決までは頼めば置いてくれる筈だからその間に取り入っておけ、という話だった。
「んー。私はそっちのほうには疎いからさ。でも切羽詰まってるみたいだしね。よし、何とかならないか頑張ってみるから手伝ってくれる? 私の家にしばらく住み込みでさ」
随分と容易く入れてくれるものだな、というのが正直な感想だった。甘っちょろいのか何なのか。都合が良いことに変わりはなかったが。
――――因みに病気の母、というのは全くの嘘だ。私は孤児だった。
結局、数ヶ月が経過したところで治療薬らしきものは完成した。持って帰る振りをして国から派遣されてきた人間に渡し、魔女の家に戻った私は両親が死んでしまっていたと伝えた。魔女はいもしない私の両親の死を悼んだ。傷心私を見て魔女は同居の続行を提案した。なんて都合のいい。
魔女との関係に変化が生じたのは、私が一度死んだ戦争中のある日だ。敵国の部隊が魔女を殺しに来たあの日。魔女が毀傷されて、暴走するようなことになってはならんと上に言い含められていた私は魔女に迫る銃弾の前に身を投げ出した。不死である魔女を有限の命しか持たない人間が庇うなんて我ながら滑稽だったが、上にとってみれば魔女が暴走するリスクと替えの利く監視員の命、天秤に掛けたときに重いのはリスクのほうであったのだろう。激痛に身を悶えさせながら困惑した表情を浮かべる魔女に言った。
「せんせ、い。だいじょうぶ、です、か? しなない、のは、けがをして、いいりゆうには、なりませ、ん、よ? それに、その、ふし、せいが、えいきゅ、う、のものとは、かぎら、な、いでしょう?」
それからにっこりと微笑んで、私は死んだ……筈だった。目を覚ましてみればぼろぼろ泣きながら作業台に寝転ぶ私を抱きしめる魔女がいた。
「おはよ、ターナ。……良かった」
ぐしゃぐしゃの顔でそう言った魔女を見た。理解出来なかった。
後から私が死んだ後の顛末を聞いた。自分が死んだ後の話を聞く、というのは不思議な表現だが実際そうなのだから仕方がない。まず攻めてきた兵士は皆殺し。その後死んだ私を抱えて戻った魔女は私の体に保存の魔法をかけ、止まった心臓の代わりに魔力を通して――詳しい話は分からなかったが――兎に角私も人を辞めてしまったらしい。それともう一つ。
「ついでに埋め込まれてたあれ。爆弾も外しといたから」
私がここにいなければならない理由の一つは、如何やら私が死んでいる間に外されたらしい。私のものと思しき肉片の付いた小型爆弾が床に落ちていた。
「ねえ、きみはどうする? 監視役」
背中に氷を流し込まれたような気がした。ばれていたのか。いつからだ。演技力には自信があった。死ぬまで嘘を貫き通せるつもりでいた。
「……いつから。いつから、お気づきに」
「ん? 最初っから。きみが私を訪ねてきたその日から」
自分の未熟さを恨んだ。ばれてしまった以上このどこかぬるま湯のような監視役とその対象の関係はもう終わりだった。
「……あの」
私の言葉を遮るように魔女は言った。
「でもさ、多分きみがここに留まり続ける必要はなくなったと思うんだよね。もう私の監視役から逃げても遠隔爆破でズドン、なんてことにはならない筈だし。もし逃げたいってきみが言うなら……亡命に助力するのも吝かではないよ」
「何故私を助けるんですか。私は先生を騙してきたというのに。良心に付け込んで、先生の首筋にナイフを添えるような真似をしてきたというのに」
魔女は笑顔だった。
「きみは私を、庇ってくれたからね。それが命令でも、嬉しかったんだ」
何故このタイミングで監視役であることに気づいていたことを伝えたのかとついでに訊いた。もしばれていることを私の上が気付けば、人間爆弾としてその場で使われる可能性があったからだと魔女は答えた。襲撃で確かに私は一度死んでおり、監視の目が解けたこのタイミングでと思ったらしい。普通監視役の身の安全なんて考慮しないだろうに。気を遣うところがおかしいと思ったものだ。
と、まあその後の話は割愛するが大体私とノルジアの関係はそんな感じで始まったのだ。亡命しなかったのかという疑問には答える必要はないだろう。だって私は今もノルジアの隣にいるのだから。
いつからノルジアと呼ぶようになったか?
……忘れたけれど、多分思い出す必要はない。
嘘でメッキを掛けた関係の呼び方より、今のほうが随分と良いからだ。
因みに今ノルジアが薬師なんてやっているのは私のために作った沢山の試薬を金に換えようとした結果だった。割と稼げるので生活レベルが向上した。最初は野生動物の肉やら野草やらを食べる生活だったから……。
《転章》
魔女と言っても毎日のように攻撃魔法を使ったり物騒な薬を生産したりしているわけじゃない。攻撃魔法はよっぽどじゃなければ使わないし普通に治療薬としての薬も作る。つまりは基本的に普通の人間と大差のない日常を送っているってわけだ。薬を売ったり、薬を作ったり、酒に溺れたり、(私の)悪酔いに付き合わされたターナにガチギレされたりしながら数ヶ月が過ぎて……。ある晴れた日に、そいつは唐突にやって来た。
「森の奥の魔女というのは貴女のことかしら? 初めまして、殺しに来てさしあげましたわ」
腰まで伸びる金色の長髪を両の手で流
「そんな二つ名に聞き覚えはないけどさ、きみがそう思うなら多分そうなんじゃない? でも、殺しに来たって本気? 私きみと初対面の筈なんだけどさ」
「ええ、勿論本気ですわよ。魔女はみんな殺しますわ。そのお仲間もね。それではさようなら! ――――【機関砲・完全被甲弾・十門】」
金髪の後ろに十の魔法陣が横一列に浮かび上がり、その中から銃口が覗く。
「ノルジア、お客様で――」
不味い。扉を開けて出てきたターナの言葉を遮って叫ぶ。
「伏せて!」
銃弾を食らっても、私は死にはしない筈だが……嫌な予感がして私も伏せる。
少し遅れたせいで左肩を銃弾が貫通した。大丈夫、すぐ再生が始まる筈。痛みもすぐに引く。その筈だったのに。
「再生しないでしょう? 魔女との戦闘は初めてかしら。わたくしが良いことを教えて差し上げますわ。魔女は、魔女を殺せるんですの。魔女の攻撃による傷には、魔女の不死性は働きませんわ」
「……ッ。何故魔女を殺す。きみだって魔女じゃないか。いわば仲間みたいなものだ。仲間を殺す理由は」
かぶりを振って金髪は言った。
「貴女にはなくても、わたくしにはありますの。説明したところで貴女には決して理解できませんわよ。そんな無駄なことに時間を割くぐらいなら――さっさと殺したほうが効率的ですわ。【機関砲・ダムダム弾・二十門】」
魔法陣が再び金髪の後ろに浮かび上がる。今の二倍!?不味い不味い不味い不味い不味い!射線から逃げるように横に走りながら魔法を使う。
「ターナ逃げて! 【大地よ目覚めよ起き上がれ。壁となって――】」
発動が、間に合わなかった。体を引き裂かれるような激痛が走る。
――――ああああああああッッッ!
激痛に耐え切れず、叫んだ筈だった。声は出なかった。傷口が痛む。瞬間的な痛みには慣れていたつもりだったけど、即座に再生するのに慣れきってしまっていた体には、持続する痛みは余りにも異質だ。
「終わりかしら? 意外とあっさり済みましたわね。わたくし、嬲る趣味はありませんの。ですので、とどめはきっちり刺させていただきますわ。【銃砲召喚・回転式拳銃】」
わざわざご丁寧に距離を詰めて来るとは。くそ、何故だ。何故折角の他の魔女との邂逅がこんなのなんだ。金髪は私に跨り拳銃を虚空から取り出して、うつ伏せに倒れた私の側頭部に押し当てた。
「さあ、遺言はありますかしら? 一言ぐらいなら最後に発言を許して差し上げますわよ」
魔法を使おうとすれば即座に私の眉間を撃ち抜くだろう。私の魔法は殆どが発動までに少し時間を要するものだ。たった一つを除いて。しかしそれを使うなら、目の前の金髪を殺す以外の選択肢はもうなくなる。少し逡巡したけれど――目を彷徨わせた先に、倒れるターナが映って――もう覚悟は決まった。
「……あのさ、【郷愁幻想街】って、知ってるかな?」
他愛ない問いかけに偽装した魔法のことば。私と金髪の下に魔法陣が広がり、金髪が撃鉄を起こした音が聞こえたがもう遅い。既に魔法は、完成している。
「動けませんわ! 一体何を!?」
「さあ、幻想の故郷へご招待だ――――」
「**【***】!」
ごとりと音がした後、金髪が何か口走った。
光が私たちを包んで、一瞬の後、私たちはどこかの街の路上に立っていた。
「なんなんですの!? ここは何処ですの!?」
戸惑っている金髪の顔を思いっきり殴りつける。金髪はよろめいて尻もちをついた。
「え? へ、え?何故ですの? なんで貴女傷が治っているのかしら?」
状況が理解できていない金髪の顔にもう一発。
「くっ、【散弾銃】! って、で、出ない!?」
流石に反撃を仕掛けてきたけど、無駄だね。
「この世界は私の魔法によって作られた世界。ルールは四つ。この世界で何年過ごしたとしても現実世界ではゼロコンマ一秒にも満たない時間しか経過しないこと。現実世界の体の変化は反映されないこと。こちらの世界での体の変化は全て現実に反映されること。そして……魔法は全て無効化されること」
「ふ、ふふ、ふふふふ。なるほどですの。そういうからくりでしたのね。そして貴女に魔法を解く気がない以上わたくしがここから出たければ貴女を殺すしかない、と」
魔女の魔法は行使者が死ねば全て解ける。
「随分と察しがいいみたいだね。でも、最後は違うよ。死ぬのはきみだ」
もう一度拳を振りかぶる。金髪の選んだ行動は――逃走だった。
闇雲に追っても金髪を殺す決定打がない現状では余り意味がない……ので準備をする。ついでにこの〝箱庭〟の話をしようか。
ここが何処の風景を映し出しているのかは何度か来ている私にも実のところ分からない。分かるのはここが寂れた港町であることぐらいだ。知らない街なのに何故か故郷にいるような懐かしさを覚えるのは魔法の特性だろう。なんせ郷愁と言うぐらいなのだから。故郷のことなんて忘れてしまった私だから、この感覚が本当に正しいものなのかは分からないけど。
そうだ。この世界の脱出条件についての話があった。一つは、私の死亡。もう一つは、私以外でこの世界に入った全員の死亡。そのどちらかの条件が満たされたとき、この世界は崩壊して、元の世界に戻る。……何度か来ている、と言ったね?普通の人間相手ならこの世界を使うまでもない。つまり、この魔法世界で殺したのは魔女だ。別に、金髪が初めてではなかったのだ。
先ずは駐在所に向かう。人影一つないこの街でも、人がいないだけで道具類は存在する。普通の町で見つけられて、尚且つ使いやすく、殺傷力の高い道具と言えば矢張り拳銃。確実に確保しておきたいところだった。
今いる海沿いの舗装された道から、市街地へと向かう。岬の先には塗装の禿げた灯台が寂しげに佇んでいた。
シャッターの下りた商店街。古びた木造の学校。裏山。神社に続く石段。赤鳥居。蝉時雨。入道雲。潮騒。うみねこの鳴き声。木漏れ日。円柱型の赤い郵便ポスト。踏切。朽ちた枕木。ガタの来た駅舎。少し濁った川。ゆったりと泳ぐ鯉。
ノスタルジックを体現するような建物その他いろいろ。感情を揺さぶる郷愁の遺物。青春の幻想。
――――赤色灯の付いた建物。
駐在所を見つけた。中に入って机やらを適当に漁ってみれば意外とあっさり拳銃と予備弾倉も手に入った。弾を込めて準備はOK。後は金髪を殺すだけ。
いつも通りに。
金髪は容易く見つかった。刃物店で包丁を見繕っているその背中に店の外から鉛玉をプレゼント。運がいいのか勘がいいのか金髪が動き、心臓を貫通とはいかなかったがヒットしてれば問題ないだろう。店に乗り込み、右肩から血を流す金髪に狙いを定める。
「な、なんで、貴女が銃を」
「普通の町にも一ヶ所ぐらいは武器が置いてあるところってあるんだよね。それに生憎ここで魔女と戦うのは初めてじゃないんだ」
怯えを見せる金髪の左胸に照準を合わせ撃鉄を起こす。
――――タン。
引き金は余りにも軽かった。狙いを正確に突き抜けた銃弾が深紅を散らす。
段々引き金に掛かる重みが減っている気もする。それが慣れってことなんだと思う。人を殺すことを楽しんでいるわけじゃない。人殺しを楽しむようになるのは自分に残る微かな人間性を放棄することに等しいから。
店から出て、光の塵になっていく幻想世界を見る。金髪を殺したことで崩壊が始まったのだ。ここが完全に崩壊するまでは数分の猶予がある。戻ったらターナの体を修復しなくちゃ。街並みと一緒に自分の体をゆっくりと光の塵に変じさせながら思う。逆転勝利を収めて最初に考えることがそれか。
私も甘いなあ、と苦笑する。
『傍若無人に振舞う者の多い魔女の癖に、何故人間に肩入れするんですか?』
何時のことだったか。ターナにされた質問をふと思い出した。私はなんて答えたかな。ああ、そうだ。
『少しでも人間らしさを保っていたいんだよね』
私は同族が危機に瀕していて、自分にそれを解決する能力があるなら助けてやるのが人間らしさだと信じていた。人間なんてそんな立派なもんじゃないですよ、とターナに言われたけど。それが私の理想の人間像だったから。いつの間にか胸の中にあった、人間の形はそれだった。
現実世界に戻ってきた。
安全ピンの外れた手榴弾が目の前に浮かんでいた。
嘘だろ?魔女の魔法は行使者が死ねば消える筈。何故?召喚までが魔法だから召喚されたものは残る?まさか。
体積を膨張させていく手榴弾。
幻想空間の解除条件は死亡ではなかった?しかし今までにあの空間から戻ってきてから生きていた者なんていなかった。死亡の基準。死亡。脳死。心停止。心肺停止から人間が死ぬまでのタイムラグ。確か細胞がダメになるまでに数分。人が死ぬのは脳と心臓が停止してから。それまではあくまで死んではいない。
爆発の熱により赤色に染まっていく手榴弾。
どうする。金髪はほっておけば勝手に死ぬだろうけどこのままじゃ私が吹き飛ばされるほうが早い。咄嗟の判断だった。私の背中に圧し掛かっている金髪の体を私の頭に被せるように引きずり込む。目を固く瞑った。
炸裂音。爆風。激痛。
キィーン、という耳鳴りが治まって、目を開いた。私は生き残った。
動かない金髪の体を押しのけ、寝返りをうって空を見上げた。
硝煙のたちこめる中で見えたのは、雲一つない青空だった。
《終章》
まず最初にしなければいけないことは分かり切っている。自分の傷は金髪の死によって再生が始まっている以上、次に心配すべきはターナの身だ。爆発点が離れていたのは幸いだった。倒れ伏したままのターナのもとへ向かう。
ターナは無事だった。体には幾つも弾痕が刻まれていたけど、そんなものは直してしまえばいい。まずは生きていること。それが重要だ。
「ノルジア。無事でしたか。――――ねえ、泣いているんですか?」
ターナに言われて、頬に手を当てる。確かに頬を水滴が伝っていた。
何故泣いているかは分からない。久々に出会った魔女を殺してしまった悲しみかもしれないし、ターナが生きていてくれて嬉しかったからかもしれない。涙を流すことができるくらいには人間性が残っていたことに安堵し、涙の理由すらはっきりとさせられないくらいに人間性を失っていることに恐怖した。
首を傾げるターナを見て、安心してもらえるようににっこりと笑って言った。
「ターナが生きていてくれて嬉しかったんだよ」
別に嘘じゃない。これだって私の本心なんだから。
ターナの体を修復した後、金髪の死体を魔法で土中に飲み込んで、今回の事件は幕を引いた。ターナはその死体の上に桜の苗木を植えた。初めて魔女を殺した時にターナが言い出した儀礼のようなものだ。曰く、人間の死体の上に植えた桜でさえ美しいのだから魔女の死体ならもっと綺麗なものが、ということらしい。カジ……なんとかとかいう東国の作家の小説に影響を受けたと聞いたので私も読んでみたけれど作者の趣旨とはあんまりにもずれていることが発覚しただけだった。それに死体が何か影響を与えるにしても魔女の死体がいい影響をもたらす筈もないだろ。
まあ春に咲く花自体は綺麗なんだから悪いことでもあるまい。今は夏だけど。
そうして、私とターナは普段通りの生活を取り戻した。薬を売ったり、薬を作ったり、酒に溺れたり、(私の)悪酔いに付き合わされたターナに(私が)ガチギレされたりする生活を。
――――夢を見ていた。どこか懐かしくて、哀しくなるような夢を。
少女が小さな村の小さな家の中で両親と慎ましく暮らしていた。
少女の母親は、お前は魔女だと村の自警団に連行された。
少女の母親は裁判という名の出来レースに掛けられた。
少女は幸福を忘れた。
少女の父親は怒りのままに包丁を持って裁判官に襲い掛かった。
少女の父親は魔女に操られた狂人だとして、監禁された。
少女の父親は獄中で失意のままに自死を選んだと少女は人伝に聞いた。
少女の髪は肉親を失った悲しみで真っ白に変色した。
少女の目の前で、少女の母親は拷問の後焚刑に処せられた。
少女は絶望して、負の感情に蓋をした。
少女もまた裁判に掛けられ、焚刑が決定した。
少女は柱に括り付けられ、火に掛けられた。
少女が蓋をしていた負の感情が暴走した。
少女は火の中で何事か呟いた。
【**********】
少女を包み込もうとしていた火が、少女に降り注いだ水で消えた。
少女はまた呟いた。
【**************】
少女の村が極大の炎に飲み込まれた。
少女の無意識下の魔法行使だった。
少女は、行使者には害を為さないという魔法の特性により無傷だった。
少女は暫く昏睡状態に落ちた。
少女が目を覚ました。
目を覚ますと、ターナが横に立っていた。
「おはようございます、ノルジア。うなされていたようですが」
「そう? いつも通りのいい目覚めだよ、ターナ」
「それなら結構です。それではお先に」
ベッドから体を起こして窓の外を見る。今日もいい天気で穏やかな光が差し込み、周りの林からは鳥の鳴き声が聞こえてきた。いつもと同じ一日の始まり。
でも、今日はいつもと少し違う。八月三十一日。今日を示すカレンダーには花丸が打ってあり、『ターナ誕生日』と書いてある。
今年もお祝いしてあげなくちゃあ。ターナ、まさか忘れてなんていやしないよね?チェストから白と水色のボーダー半袖Tシャツとブラウンのホットパンツ。クローゼットから淡い黄緑色の半袖シャツを引っ張り出してTシャツの上に羽織る。サニタリーで顔を洗って歯を磨きリビングに向かう。キッチンから朝食の匂いが漂ってくる。
「「いただきます」」
手を合わせて朝食を食べ始めた。さて、いつも通りターナが今日の予定を訊いてくるだろう。折角だ。偶には昼は外食しよう。そうだなあ、本をいくらか買ってやっても良いかも知れない。ターナには給金の形で生活費以外にもお金を渡しているけど、私の財布から。ついでにケーキも買って。夜は私秘蔵のワインを空けようか。ああ、今から楽しみだ。
「ノルジア、今日の予定は?」
「そうだね今日は――――」
予定を話した後、ターナは顔を綻ばせてこう言った。
「ええ! 了解です!」




