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春と桜と約束と  作者: きやま
1/1

少年は何を思うのか

数年前まで書いていたロックパーティーという作品を改めて書き直してみました。

 「私と、バンドしませんか!」

 いつも通り消費されていくはずだった6月のある日。彼女は突然俺にそう言った。目を合わせなくても感じる程、彼女の視線は俺に食い付いて離れる気配がない。

 放課後の廊下。グラウンドの運動部員達の喧騒と、どこからともなく響いてくる楽器の音。その中で、ここにいる俺達だけが世間から切り離されてしまったかのような、そんな錯覚を覚えた。

 ――――…なぜ。

 そう、なぜ。どうしてこうなったのか。

 首筋を伝う汗が湿った風を受けて徐々に存在感を増していくのを感じながら、俺はこの状況に至るまでの事のあらましを必死に思い出そうとしていた。



   1



 人間、15年も生きれば自分がこの先どんな人生を歩んでいくのか、自ずと分かってくるものだ。

 無難に学び、無難に働き、無難に余生を生き、無難に死んでいく。

 そういう人生が、俺こと小鳥遊春斗たかなしはるとという人間には相応しい。目立たず、驕らず、大層な理想を抱く必要もない。

 どうせ理想や夢なんて、抱いたところで到底叶えられるものではないのだから。

 …と、なぜ俺がこんなことを思ったのかと言うと、それは今現在目の前に据えられた一枚の紙に全ての原因がある。もちろん紙自体には特になんの変哲もありはしない。どこにでもある、A4サイズの再生紙である。ただし、なんの変哲はなくともなんの意味もない訳ではない。要するに紙がそこにあるということではなく、紙そのものが持つ意味にこそ、先程の思考の原因が潜んでいるということだ。

 では、その意味とは何か。これに関してはさして難しい問題ではない。そもそも紙が意味を持つような瞬間など紙に何かを書いたときか、紙で何かを工作したときくらいのものだ。そして、目前の紙が特に工作されていない以上、紙に書かれた何かに意味があるのは明白である。……なんだか少量のジュースを水で嵩増ししているような、道に迷ったフリをしながらわざわざ遠回りしているような、そんな説明をしてしまったが、そうやって現実逃避をしたくなる程、これは俺にとって面倒なことなのだ。

 「…いいから早く書きなよ。それ。」

 と、まるで今までの俺の思考を読み透かしているかのようなタイミングで声がかかった。

 声の主を探す。までもなく、それは俺の正面に鎮座していた。……というか、先程からずっとそこにいたわけだが。声の主――東谷冬樹が、それと表現したもの。言うまでもなく件の紙だ。紙にはこう書かれている。


 『進路希望調査票』


 「そんなに時間がかかるようなものじゃないよね?」

 冬樹の問いに、俺は不機嫌さを隠さずに答える。

 「ああ、全くもって俺もそう思う。」

 「だったらなおさら、」

 「再提出。」

 「え?」

 「……再提出しろってさ。」

 そこまで聞いて、冬樹は失笑を禁じ得ないといった様子だ。

 「高1の進路希望で、一体何を書いたら再提出なんてくらうわけ?」

 「…………。」

 別に、特別なことを書いたわけじゃない。他の多くの同級生がそうするように、自分の進みたい進路…俺の場合は進学先の希望を書いただけだ。本当に、他の生徒と何の差異もない。

 希望理由の欄に「家から近くて、簡単に合格できるから」と書いたこと以外は。

 「それじゃん…。」

 再提出の理由を知った冬樹は呆れたように肩をがっくり落としている。

 ちなみに、他の生徒が(本音はどうあれ)いかにも立派な理由をでっちあげて書いていることや、俺のクラスの担任教師がやっつけで書いた希望理由を許容できないタイプの教師であることを知ったのは、再提出を命じられた後のことだった。……正直者が損をする世界だと思う。

 「というか、俺以外にも適当な理由を書いたやつはいただろうに。なぜこの教室には俺とお前しかいないんだ?」

 「それは、ほら。みんな僕らと違って暇じゃないのさ。」

 冬樹はそう言うと得意気に両手を広げ、やや大袈裟で芝居がかった口調で言葉を継ぐ。

 「なんといっても我らが陸崎高校は、全体のおよそ99%にも及ぶ生徒が部活動に参加しているのだから!」

 「………………。」

 「……あー、ちなみに言わせてもらうと、そもそもハルト以外の生徒で再提出をくらった子はいないと思うよ?」

 「な、」

 俺は思わず絶句してしまった。そんな不公平な話があっていいのか!?

 「だってそうだろう?先生の立場から見れば、ハルトはこの学校にたったの1%しかいない、世にも珍しい帰宅部なんだぜ?そんな生徒が自分の進路すらいい加減に考えてると分かれば、教育者としては放っておく方が無理って話だよ。」

 ……言いたいことは分かる。分かるけれど、全くもって共感はできない。

 「そんなもん、教師のエゴじゃないか。」

 俺がそう言うと、堪らずといった感じで大笑した。

 「いい表現だね。聖職者の熱意をエゴ呼ばわりするなんて、この学校じゃハルトくらいのもんじゃないか?」

 「お前な、」

 「でも、その意見には僕も同感だよ。近頃は子供に対して“そうあれかし”と役割を与え、“こう進むべし”と導きたがる大人のなんと多いことか!」

 冬樹の口調がまた芝居がかった感じになってしまっているし、世代ごとの大人の子供に対するスタンスの変遷など知る由もないことだけれど、その主張に納得する部分は大いにある。自分に再提出をお見舞いしたあの教師には確かにそういった節が感じられた。なるほど確かにその視点に立ってみれば、エゴというのは我ながら言い得て妙であったと思える。まあ、冬樹は口で言うほどそんな“近頃の大人”のことを嘆いてはいないようだが。

 「…ただ、理由は他にもあるよ。むしろこっちの方が大きくて、エゴとしての側面が強いかも……と、これは言うべきじゃないかな。」

 そう言うと、こちらの様子を伺うかのように押し黙った。面白がっているようで、どこかこちらを気遣っているような表情をしている。……どうやってしてるんだその顔。

 「……なんだよ、らしくもない。言えばいいだろ?」

 冬樹とは小学生からの腐れ縁だ。今更お互いに気を遣い合う必要もないだろうに、何をそんなに躊躇うことがあるのだろうか。……あまり良い予感はしないが、なにはともあれ冬樹の次の言葉を待った。そして冬樹は一瞬肩をすくめると、「それじゃあ、遠慮なく」と前置きをした上で話し出した。

 「ハルトだけが再提出を言われたのは、他でもない君自身が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だからさ。」

 ふと、頬だか耳だかの辺りの筋肉がぴくりと動くのを感じた。

 「……俺、あの教師にそんなこと教えてないと思うんだが。」

 「わざわざ君から言わなくたって知ってるさ。数年前の話とはいえ、ハルトは一時は有名人だったんだから。テレビにだって出たろ?」

 「だからって、俺の進路にとやかく言ってきたりするか?普通。」

 「するさ。普通に。要はハルトに期待しているのさ。」

 「期待、ね。」

 俺はおもむろに自分の両手に視線を落とした。

 ……期待。数年前、俺が冬樹が言うところの“有名人”であった頃。その言葉を嫌というほど聞いた。というか、実際に嫌だった。そんなものを求めてはいなかったし、もっと言えば目標も目的もありはしなかった。ただ一つ。いや、たった一人。“あの人”に褒めて貰えればそれだけで良かった。それだけで、どこまでも上にいけると思った。……俺にとってはもう、昔の話である。

 「もう2年は経つかな。ずっと叩いてないんだろ?」

 「ああ。そうだな。」

 「これからも?」

 「………ああ。」

 「………そっか。」

 沈黙。数秒か数十秒か正確には分からないけれど、体感としては数分にも数十分にも感じるほどの時間を経て、俺はようやく声を出す。

 「どれだけ期待をされても、やっぱり俺がドラムをもう一度叩くことはない。……もう必要ないんだ。今の俺には。」

 その時、少し肩の力が抜ける感覚がしたことで、俺は自分の身体が強張っていたのを自覚した。“あの頃”のことを思い出してしまったからだろうか。もう随分と前のことだと頭では思っていたのだが、実際のところ体や心には今でも鮮明に記録されているのだという事実に、呆れて苦笑が漏れそうになった。そんな俺の心情を知ってか知らずか、冬樹は何かを諦めたかのように息を吐き、微笑を浮かべながら言った。

 「ま、ハルトがそこまで言うなら、“僕は”何も言わないけどね。…それはそうと、結局その紙にはなんて書くつもりなんだい?」

 ……そういえばそうだった。視界にはずっと入っていたはずなのに、すっかり失念していた。だが冬樹と話したことで気分転換がされたのだろうか。先程よりは面倒ではないような気がする。

 「ふむ…。志望校は別段変える必要はないだろうから、問題は理由だな。」

 俺は、教室の窓から見えるオレンジがかった空を眺めつつしばらく考え込んだ後、すらすらとペンを走らせた。やがて必要事項を記入し終えると、紙の横にややわざとらしく音を立てながらペンを置く。それを見た冬樹が書かれた内容を確かめるべく紙を覗き込んだ。その紙の希望理由の欄にはこう書かれていた。

 “自身の教養を深めつつ、地域社会へと貢献するため。”

 「……それらしいと言えばそれらしいけど、大丈夫かい?他のみんなと同じタイミングならまだしも、再提出である以上理由の掘り下げは避けられないと思うけど。その辺りの対策はできてるのかい?」

 冬樹の懸念はもっともだ。確かにその手の追及は逃れられるものではないだろう。しかし、である。

 「そういう理屈を考えるなら、お前の方が得意だろう?」

 自分の表情を自分で言い表すのは難しいと思うが、多分、今の俺は相当いたずらっぽい笑みを浮かべていることだろう。そんな俺に冬樹は呆れた様子を隠しもせず、ため息交じりに呟いた。

 「分かったよ…、色々と面白がらせてもらったからね。そのくらいは考えてあげるよ。哀れなハルト君のためにね。」

 そして冬樹もまた、いたずらっぽく笑うのだった。

春斗の回想はもうちょっとつづく…。

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