日誌 第七十三日目 その2
「なぜ、そんな事を聞く?」
少し苦笑気味な表情で斎賀露伴はそう言うと、僕の方をじっと見る。
その目を見返しながら僕は口を開く。
「あなたがフソウ連合という国を、そして民を裏切った事には変わりません。でも、その理由が知りたいんですよ」
淡々と話す僕の言葉に、斎賀露伴は少し驚いた顔をしたもののすぐにニタリと笑う。
「理由を聞いてどうする?」
「どうもしません。でも、僕には貴方が国や民を裏切るとは思えないんですよ」
「それは貴方の見込み違いかもしれませんよ」
斎賀露伴は楽しそうにそう言ってクククと笑う。
その様子は僕には自暴自棄のように見えた。
だがすぐに笑いは止まり、じっと僕を見る。
その瞳には何の色も浮かんでいない。
あれが無心というやつなのだろうか。
ふとそんな事を思ってしまうような瞳だった。
「国の為に…といったら信じますか?」
「どうでしょうね。それだけだと…何も…」
「貴方は正直な方の様だ。誰もがそんな事だけを言われたら笑うか、疑うでしょうね。責任逃れだとか言われるのがオチですよ」
そう言って苦笑したあと、無表情になって言葉を続ける。
「ですが、それが私の答えです」
僕が黙って話を聞くつもりだとわかったのだろう。
彼は「貴方も物好きですね」といった後、話し始めた。
ここまでに至った流れを…。
それは十年前の事だった。
トモクマ地区のとある島に一隻の船が流れ着いた。
その船は嵐の結界でかなりの損傷を受けていたが、結界を抜けてなんとかフソウ連合にたどり着いた。
当時、トモクマ地区は斎賀露伴の父、斎賀帰心が責任者をしていた。
彼はこの遭難した船の人々を救助し、手厚くもてなした。
当時、まだ外から入り込んでくる事はかなりの困難で、フソウ連合周辺の海域は船を沈める魔の海域として恐れられていた。
そんな中、航路を間違えて結界に入り込み、トモマク地区にその船は迷い込んだのだ。
その船は軍船ではなく商船だったが、かなり豪華なつくりの船だった。
斎賀帰心は、船員達をもてなした。
特に、船に乗っていた人物の一人ととても仲良くなった。
まさに親友と言ってもいいほどの関係になった。
しかし、すぐに別れの時は来る。
船の修復が出来たのだ。
もちろん、船員達の指導を受けての代理部品での修復だが、それでも何とか航行できるまでになっていた。
別れ際、親友になった男が言う。
「この恩は絶対返す」と…。
しかし、斎賀帰心は言葉を返す。
「もうここには来るな。ここは呪われた地なんだ。君は君の世界で幸せに暮らせ」
だが、一年後、彼は戻ってきた。
ウェセックス王国の使者として…。
そう、彼はウェセックス王国の王族に連なるものだったのだ。
戻ってきた男は、斎賀帰心に言う。
「私に何かできることはないか」と…。
すると斎賀帰心は言った。
「息子に世界を見せてやってくれ」
それは、息子にいろんな経験をさせたいという親心だったのだろう。
その言葉に、「お安い御用だ」と彼はいい、帰心の息子である斎賀露伴を連れて世界を周る旅に出た。
こうして斎賀露伴は色々な経験を積み、世界を知ることとなる。
力が全てであり、弱肉強食の世界を…。
そして、さらに一年後、斎賀露伴はフソウ連合に帰って来た。
一隻の船と一緒に。
その船は彼が斎賀帰心に贈ったものであり、当時最先端の技術で造られていて結界を突破する能力があった。
そして、世界を見てきた息子は父に言う。
「このままでは、フソウ連合は滅びるか、どこかの植民地になってしまい、民は死ぬような目に会う」
最初、父である斎賀帰心は本気にしなかった。
しかし、斎賀露伴の持ち帰った資料を読み、そして、彼の親友の手紙を見てそれが事実であると認識した。
そして、そうならないように手を尽くす事を決意する。
また、王国とは、秘密裏に交流を持ち続けた。
一年に数回のわずかな、まさに蜘蛛の糸と言っていいほどの細い交流だった。
そして、五年前、父である斎賀帰心は亡くなった。
原因は、無理をしすぎた為の疲労と心臓の病であった。
その地位とその思いを斎賀露伴は受け継ぐ。
父ができなかった事を成し遂げようと。
父は国を愛していた。
父は民を愛していた。
父のようになりたいという斎賀露伴自身の思いもあった。
彼は誓う。
フソウ連合という国を…。民を救うことを。
しかし、その思いに現実は厳しかった。
その頃になると世界の状況はより悪化していたのだ。
世界は、支配するものとされるもの。
その両極端になってしまっていたのだ。
斎賀露伴は悩んだ。
どうすれば、わが祖国を、民を守れるだろうかと…。
そして、斎賀露伴は最高の選択ではなく、その時の時点で最適な選択をする。
他の強国に支配されて植民地になるくらいなら、まだわずかではあるものの交流がある王国に支配された方がはるかにマシであると…。
それは、間違いなくその時点での最適な選択であった。
その後、フソウ連合海軍なる軍と鍋島貞道という一人の男が現れるまでは…。
そして、それによって斎賀露伴が望んでいた未来はあっけないほど簡単に崩されていった。
それは、まるで、最高の選択をしなかった彼を罰するかのような出来事だった。
それでも何とかしようと斎賀露伴は動き回った。
彼は必死だった。
しかし、彼を嘲り笑うかのようにそのすべてが何者かの手によって防がれ、そして昨日、彼が王国と交流を持つ唯一の手段であった船がフソウ連合海軍南方方面艦隊に拿捕されたのである。
ついに最後の蜘蛛の糸が切れた…。
彼は悟った。
あの男が…。
フソウ連合海軍総司令長官鍋島貞道が全ての元凶だと…。
斎賀露伴は一気にそこまで話した後、僕を見て言う。
「さぞ面白かったろうな。無能な男が必死になっても何も出来ない様は…」
そんな彼の皮肉に僕は答えない。
ただ黙って彼を見ているだけだ。
だから痺れを切らしたのだろう。
「で、私はどうなるんだ?死刑か?それとも追放か?」
そう言った後、今度は苦笑気味に顔を歪めて言葉を続けた。
「まぁ、貴方のおかげで私の愛するこの国と民は守られるだろうという事がわかったから、どんな罰でも受けるつもりですがね」
その言葉に、僕は呟くように言う。
「それでいいのか」と…。
その言葉に、彼の顔に浮かんでいた表情が一気に崩れた。
いや、崩壊したといっていいのかもしれない。
それは、憎しみと悔しさと後悔が入り混じった顔だった。
「あんたさえいなければっ、そうすればっ、そうすればっ…」
しかし、もし彼が思うとおりになったとしても、今より悪い結果にしかならないとわかっている。
だから、それ以上は言葉にならなかった。
そして、肩を震わせ顔を伏せる。
テーブルに滴り落ちるいくつもの水滴が、彼の無念さを現していた。
それを見て、僕は決めた。
ちらりと川見中佐を見る。
彼は苦笑し、肩をすくめた。
それは長官が好きなようにというジェスチャーだった。
だから、僕はそれに甘える事にした。
「では、斎賀露伴殿。これより、貴方の地区責任者の地位をきちんと貴方が託せると思う人物に譲渡してきてください」
僕の言葉に斎賀露伴の肩の振るえが止まる。
「譲渡?」
呟くような声が漏れるが、僕は聞かなかったことにして言葉を続けた。
「地区に戻ってその手続きが済んだ後、再度、こちらに戻ってきてください。全ての地位を手放した後、あなたを王国駐在大使として任命したいと思います」
沈黙がその場を支配した。
斎賀露伴の顔がゆっくりと上がっていく。
真っ赤に泣きはらした目が、くしゃくしゃになった顔が、僕を見た。
「それは…どういう…」
「僕は貴方の言った『国の為』という言葉を信じる事にしました。そして、王国と同盟を結んだ以上、王国に駐在大使を置く必要があります。そして、僕の知る限り、そのもっとも適任者は貴方しかいないと思ったんですよ」
僕はそう言って笑う。
「確かに、貴方のやった事は国家転覆や国家反逆に近いものでしょう。でも、それは国を、民を思っての行動だった。それを知った以上、何も言えなくなりましたよ。それにこの事を知っているのは、我々とごく一部のみです。何とか誤魔化せますよ」
止まっていた斎賀露伴の涙が再び滴り落ちる。
しかし、今の彼に浮かぶのは喜びの色だ。
「こんな私でも…いいのですか?」
「違いますよ、露伴殿。貴方しかいないんです。どうか、フソウ連合の為、まだがんばって欲しい…」
僕の言葉に、斎賀露伴は座り込み、地面に頭を擦り付けるように下げる。
「鍋島殿。私は軍属ではない。しかし…、私は、私は…あなたに絶対の忠誠を尽くす事を誓う。だから、どうかフソウ連合を頼みます」
何とか立たせようと思ったが、川見中佐が首を横に振る。
つまりは、受け入れろということらしい。
だから、僕は言った。
「わかった。これからよろしく頼む」
こうして、トモマク地区責任者斎賀露伴は職を辞して、王国駐在大使として王国に向かう事となったのである。




