交渉 その3
一週間後の十一月四日、ウェセックス王国は再度フソウ連合を訪れた。
あの同盟締結の後、戦艦引渡しと訓練の為の乗組員を連れてくるためだ。
事前にタイエット国の軍港イーハンにある程度の人数は準備しておいたらしい。
再度訪国の際は、高速戦艦アクシュールツと輸送艦三隻、それに護衛の装甲巡洋艦が二隻の計六隻の艦隊となっていた。
人員は、合計で千名ほどで、彼らが基礎となり二週間徹底的にしごかれる事となる。
彼らの滞在場所は、現在、学生街を建造中のドサ島で、まだ一部の建物だけだが機能し始めていた為、そこが選ばれた。
さすがにマシナガ本島でやるには機密保持や諸々の諸事情により難しい為である。
その分、学生街のあるドサ島やその隣の島で貿易経済の中心地になる予定のネシマ島、外交関係の窓口になるナワオキ島の三つの島の開発が急ピッチで進められた。
特に力が入れられたのは、王国の外交駐在関係の滞在地となるナワオキ島で、ただの古びた漁村しかなかったナワオキ島は今やフソウ連合の玄関口と言われても恥ずかしくないものになりつつある。
三島を順に案内して説明した後、王国の艦隊と練習巡洋艦香取はドサ島の湾岸施設に停泊していた。
輸送船に乗っていた乗組員候補生、それに視察を希望したカッシュ中尉は、指導員の案内ですでに宿舎の方に移動しており、この停泊施設に留まっているのはミッキーとイターソン大尉などの交渉に関わったものと各艦の乗組員だけだ。
そして、本当なら、候補生の上陸が終わったら、本国に帰国の予定だった。
しかし、今、香取の賓客対応の部屋で鍋島長官とミッキーとイターソン大尉の三人は茶会を楽しんでいる。
「おおおっ、これこれ、これだよ」
ミッキーが紅茶を口にして言う。
「これ?」
「ああ、失礼。アッシュがサダミチに譲ってもらった紅茶を飲ませてもらった事があってね」
「そうか。アッシュはこの紅茶を愛飲してくれているのか…」
少し懐かしい顔でそういうサダミチ。
多分、アッシュと過ごした時を思い出しているのだろう。
ミッキーがうれしそうに返事を返す。
「もちろんだとも。もう茶葉が少ないって嘆いていたな」
「なら、帰国の際は茶葉を用意しておこう。もちろん、今度の分は代価はいただきますよ」
「ええ。支払いますとも。なんせ払うのはアッシュですからね」
二人はそんな会話をして笑いあう。
あの交渉の席での抱きつき事件以来、ミッキーと鍋島長官は個人的に付き合いのときは名前で呼び合うようになっていた。
その様子は、まるで会ってまだほんの短時間とは思えないほどの親密さが感じられる。
しかし、その反面、ミッキーとは反対に頑なにきちんとした対応をし続けたのはイターソン大尉だった。
友人として認めていただけるのはすごくありがたいですが、国益が絡む以上、ある一定の距離を維持させていただきます。
彼は最初、律儀にもそう言って頭を下げたのだ。
多分だが、ミッキーとのバランスをとる為にあえてそうしたのだろうと推測できる。
どちらかがストッパーとしての役割をする必要があると…。
そういうことから彼は失礼ではあるがあえてああいう態度をとったのだとサダミチは思っていた。
だから、それを快く受け入れ、彼も茶会に呼んだのだ。
「イターソン大尉、どうですか?」
「ええ。楽しませていただいております。ふむ…」
そう言って紅茶の香りを楽しみつつ、口に含む。
そして、苦笑しつつ「出来れば私も個人的に少し購入していきたいのですが、よろしいでしようか?」と返事を返す。
どうやら用意した紅茶は、十分すぎるほどに彼の態度を解した様だった。
「もちろんですとも」
サダミチはそう笑い、ゆったりとした時間が過ぎていく。
しかし、帰国を延ばしてただぼんやりとお茶会していたわけではない。
彼らは待っているのだ。
この島に来るはずのものを…。
だからこそ、楽しくのんびりと過ごしている割にミッキーもイターソン大尉もさっきから時間を気にしている。
「あははは。時間通りに来ると思いますから、もう少し落ち着いてください」
サダミチがそう言って笑う。
「いやいや、お恥ずかしい。ですが、すごくワクワクしているのですよ」
「ええ。海軍軍人としてやはり気になるところですな」
ミッキーとイターソン大尉が待っているもの。
それは、王国に譲渡される大型戦艦だ。
楽しみが減るからと言って、事前に渡した写真とスペック、戦闘の際の注意点をまとめたマニュアルはテーブルの上に開かれずに置かれたままだ。
そのマニュアルには、王国の文字で大きくこう書かれていた。
『ネルソン級戦艦』と…。
そして、到着予定時間の十五分前ぐらいになると東郷大尉が報告に来た。
「では、見に行きましようか…」
そうサダミチに促され、二人は香取の艦橋の方に案内された。
練習巡洋艦として、また外国での活動を考えられて造られた香取の艦橋は大きめに設定されており、軽巡洋艦クラスながら実に余裕がある。
その余裕のある艦橋で、サダミチは二人に海側の方を指差す。
そこにあるのは、小さな小さな点だ。
しかし、最初は小さな点だったが、「どうぞお使いください」と言われて双眼鏡を手渡されてからは完全に双眼鏡は顔から離れないまま、まさにミッキーとイターソン大尉は近づいてくる戦艦を食い入るように見ていた。
ネルソン級戦艦
排水量 基準:33,313トン
全長 216.4m
全幅32.3m
機関 重油専焼三胴型水管缶8基+ギヤード・タービン2基2軸推進
最大速力 23.0ノット
主兵装 40.6センチ三連装砲三基、15.2センチ連装速射砲六基、12cm単装高角砲六基
イギリスのワシントン海軍軍縮条約期間中に製造された唯一の戦艦で、イギリスが建造した唯一の四十センチクラスの三連装主砲を搭載する超弩級戦艦である。
しかし、前面に主砲三基を集中配置するという独特のデザインや装甲、機関等の問題でいくつかの障害が出てしまい、決して評価の高い艦ではない。
だが、弩級戦艦のまだ出現していない前弩級戦艦相手ならかなり有利に戦える戦力を有していたし、その独特のデザインと大きさはこの世界の相手を威嚇するには十分過ぎるものであった。
「すごい…。こんな形の戦艦は始めてみるぞ。それに思った以上にでかい…」
ミッキーが驚きの声を上げる。
「ええ。こいつは…すごいとしか言いようがありませんな」
イターソン大尉の声も興奮気味だ。
「排水量三万トンクラスの戦艦ですからね。全長は二百メートルほどですから、王国の高速巡洋艦アクシュールツの二倍程度になりますね。主砲は…」
横でにこやかにサダミチが説明をしている。
もっとも二人の耳にはあまり入っていない様子に、サダミチは苦笑した。
「あれを…、あの艦を…王国に譲渡していただけるのですか?」
「ネルソン級、一番艦、ネルソン、二番艦ロドニー。二週間の乗組員研修訓練終了後は、間違いなく王国にお引渡しいたします」
サダミチの両手をミッキーの両手がそれぞれ掴むとぎゅっと握り締める。
「ありがとう。ありがとう…。これで胸を張って報告できます」
「ええ。アッシュによろしくお伝えください」
こうして、戦艦ネルソンとロドニーを確認し、王国艦隊は帰途に着く。
最高の報告を持って…。
そして、この報告により王国ではアッシュの王位継承権が上げられ、アーリッシュ派の力が増すこととなったのである。
だが、いい事ばかりではない。
この同盟締結と戦艦譲渡の事実はあっという間に世界各国に知れ渡る事となり、まだフソウ連合にコンタクトを取るかどうか迷っていた六強の内のいくつかの国にフソウ連合との接触を決意させるのに十分なものであった。




