交渉 その2
部屋の中を完全な沈黙が支配していた。
だが、そういう風になるのは仕方ないと言うべきかもしれない。
さっきまでの鍋島長官の口調は間違いなく理解を示す口調であり、フソウ連合側も、王国側も、条約はもう確実に結ばれると思ったからだ。
しかし、その後に長官の口から出た言葉は否定だった。
「り、理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
沈黙の中、搾り出すようになんとかミッキーはそれだけを口にする。
「理由ですか?」
「ええ。理由をお願いしたい。本国に報告する為に…。せめて…それぐらいは…」
そう言われて鍋島長官は少し考えた後に口を開いた。
「理由としてはいくつかあるが、まず一つ目は、帝国にその大型戦艦が存在しているという情報が原因ですね」
「それはどういう…」
「帝国にそんな大型戦艦があるとわかった以上、わが国の戦艦を譲渡は出来ませんよ。いつ、こっちに向ってくるかもしれないのに、なぜ戦えるかもしれない戦力を本国から外すことが出来ますか?」
その言葉は、実に納得できる答えだ。
確かに巨大戦艦の脅威は今は王国に向いているが、帝国はフソウ連合とも戦っているという情報を掴んでおり、初戦はフソウ連合の圧勝だと聞いている。
なら、戦局をひっくり返す為に大型戦艦をこっちに回す可能性は高い。
なら、大きく戦力ダウンする事は悪手にしかならない。
素直にこっちの事情を話した事が仇となってしまったか…。
ミッキーは自分の不甲斐無さに地団駄を踏む。
しかし、言った言葉はもう無かった事にはできない。
特にそれが重要な情報ならなおさらだ。
「王国側が全てを話してくれたからこちらも胸襟を開かせていただきます。二つ目は、お恥ずかしい話ですが、今の海軍力と政治体制では本国だけで手一杯で、植民地といったところまで手が回る余裕がまったくありません。ですから、植民地の譲渡はあまり魅力を感じませんし、それになにより、私は植民地体制をあまり快く思っていないんですよ」
こちらがもっとも魅力的と思った譲渡を、フソウ連合側はあまり魅力的ではないと判断したのだ。
それどころか、植民地体制に対して不快に思っている相手に、不快な事をさせようとしているということになる。
つまりは、この譲渡はまったく意味がなくなってしまったということだ。
それどころか、根本的な価値観の違いを実感させられ、ことごとく裏目となってしまい、ミッキーはがくりと身体中の力が抜けてしまう。
魂が抜け出るという感覚はこんな状態を言うのではないだろうか。
ふと昔読んだ身体から魂が抜けてしまう御伽噺を思い出す。
だが、そんなミッキーをよそに鍋島長官の話は続く。
「三つ目ですが、これはわが軍の機密に関する事になる為、詳しくは話せませんが、現在竣工している艦は全て譲渡する事はできません」
そして、そこまで言った後、ふうと息を吐き出して「まぁ、大きな理由はそんなものですかね…」と鍋島長官は言った。
だがそれで終わりではなかった。
ニヤリと笑って言葉を付け加える。
「あ、それともっとも大きな理由がありました」
そう言って笑う。
「友好国が困っている時に、いろいろ言わずに出来る限りではあるが手を貸すのが対等の同盟の証だと思うので、このような譲渡は必要ありません」
力が抜けて思考が止まりかけたミッキーの耳から入った鍋島長官の言葉が、まるで染み入るように思考に入り込んでいく。
止まりかけていた思考が動き始める。
そして、あることに気がついてミッキーはゆっくりと口を開いて聞き返す。
「えっ…手を貸すのに譲渡は必要ありませんって…それはどういう…」
ミッキーの言葉に、鍋島長官は笑い、そして言う。
「榛名を初めとするもう竣工した戦艦は引き渡せませんが、今から竣工する戦艦を譲渡しましょう。帝国の戦艦にどれだけ対抗できるかわかりませんが、今なら二隻用意できます。」
「それって…」
「戦艦だけの譲渡になりますから、乗組員はそちらで用意してください。あと、乗組員は少なくとも二週間はわが国で訓練の為に滞在してもらう必要性がありますがね…」
そう言って笑う鍋島長官。
その姿がぼやける。
どうやら私は泣いているようだとミッキーは自覚する。
しかし、そんな事は些細な事で構わなかった。
今はこの湧き上がった感情に全てを委ねたい。
その一心だけであった。
だから、ミッキーはいきなり立ち上がると鍋島長官の方に走り寄る。
いきなりの予測不能な行動に、その場にいた警備の兵士達やフソウ連合側の人員が驚き、鍋島長官を守ろうと動き出す。
しかし、ミッキーの動きの方が早かった。
躊躇なく鍋島長官に飛び込むように抱きついたのだ。
そして、呪文のように「ありがとう」と言う言葉を何度もつぶやく。
最初こそ驚いたものの、鍋島長官は周りのみんなに大丈夫だとゼスチャーしてすぐにミッキーを抱き返して背中をやさしく癒すようにポンポンと叩く。
その様子に、その部屋にいたほとんどの者がほっとして暖かい視線を送ったが、一人だけは違っていた。
只一人、東郷大尉だけがむすっとした表情をしていたのだった。
ミッキーの暴走に一時中断したものの、一時間後に交渉は再開された。
しかし、大まかな事が決まった後は、今までのトラブルが嘘のように細かな調整が次々に決められていく。
そして、あっという間に話はまとまった。
その結果、ウェセックス王国とフソウ連合は講和を結び、また対等の軍事同盟を締結する事となったのである。
両国にそれぞれの大使館と連絡員を置く事が決められ、軍事だけでなく、貿易、文化などの相互協力をする事が決められた。
また、同盟締結にあたり、両国間にそれぞれ譲渡及び提供されるものは以下のようになった。
ウェセックス王国は、王国と王国植民地の国の港の使用許可と自由貿易の許可の権利をフソウ連合側に提供し、そして、フソウ連合側は、王国に大型戦艦二隻を無償で提供し、二週間に及ぶ乗組員の訓練と指導を行う事となったのである。
また、二隻以降の戦闘艦や引き渡した戦闘艦のメンテや補給に関しては有料で対応するということが契約書に纏められた。
そして、その日のうちに条件はきちんと文章化され、その書類に両国が調印して交換する事で、二国間同盟は正式に結ばれることとなった。
その条約、同盟の正式名称は「ウェセックス王国フソウ連合二国間総合条約及び軍事同盟」と言うが、揺るがないその同盟の強さから、いつの間にか血の盟約を結んだんじゃないかと言われるほどになり、いつしか「血盟同盟」といわれるようになるのである。




