ヒュンゲルトの森攻防戦 その3
三月十日。
反抗作戦が開始してから一週間が経つ。
その間の共和国の侵攻の勢いはすさまじいものであった。
当初の予定以上のスピードで領土を奪還していったのである。
それは、計画と準備の周到性、戦車を始めとする新兵器の投入という要因は大きかったが、なにより連盟軍の醜態が大きかった。
ろくに戦わないで降伏したり撤退したりする部隊が続出し、抵抗した部隊も防御陣がろくに構築されない上に、補給が滞っているための物資不足と互いの部隊の連携が取れておらず、それによって各個撃破されてしまっていた。
そのスピードは、連盟が共和国を侵攻したスピードよりも速かった。
僅か一週間のうちに、占領地の三分の一を失ったのである。
まさに電撃戦と言える戦いだった。
だが、そんな中、一部、足止めを喰らい侵攻が止まっている地域がある。
第三師団第七大隊が担当するランドチェイラ地区もその一つであった。
最初の侵攻の失敗以降、ここには第七大隊だけでなく、いくつかの部隊が増援として集められ、その戦力は実に第三師団(総戦力18800名)の2割近い3200名となっている。
また、戦車も最初に離脱していて復帰した三両と第七大隊の生き残り四両と他の部隊のものも追加され、実に稼働可能な戦車は二十一両、トラックなどの車両も五十台近い。
だが、それでも攻めあぐねていた。
連盟軍は、森を巧みに使って徹底的に防御ラインを構築しており、地の利を生かして戦っているためである。
また、敵を叩き潰す必要はなく、ただ出来る限り敵を疲弊し被害を出させて足止めをするという戦法を徹底させていた。
その上、惜しげもなく野砲を使い捨てるといった今までの戦いの常識を覆すやり方に共和国側は戸惑ってしまった部分もある。
だが、もし共和国側がそう言うなら、「お前らもだろうが」と連盟側は言うだろう。
なんせ、戦車という新兵器の投入で、今までの塹壕の戦いから一気に電撃戦に戦いの流れを変えてしまったのだから。
だから、いくら連盟側が強固な陣を作ろうとも、ここまで足止めを喰らうはずもないと思われるかもしれない。
だが、ならなぜ共和国側が足止めを喰らい続けるのか。
それは、戦車が動ける場所が限定されてしまっており、その真価を発揮できないでいたからだ。
戦車が動ける場所、それは街道と森の外側だけで、森の中に入っていくのは歩兵だけとなり、森の中にトラップを用意して偽装して攻撃を繰り返す連盟側に被害は増えていくばかりであった。
「畜生めっ。まるで底なし沼に足を踏み込んだみたいな感覚だ」
第七大隊の指揮を執るアンカー・ケッペテラ中佐は、そう吐き捨てるとテーブルの上に載っている地図をどんっと叩く。
完全に手詰まりという状態だ。
その上、他の方面は順調すぎる進行状況が焦りとイライラを増幅させる。
「焦っても仕方ないと思うがね」
増援で合流した第五大隊のフルクト・トバンシー中佐がなだめるように言う。
彼とてイライラはしているのだ。
なんせ、増援としてここに来てしまった以上、このままでは手柄を立てる事は出来ないのだから。
だが、彼は手柄よりもいかに味方の被害を抑えるかという事を念頭に置いていたから、それゆえの発言である。
「その通りだ。焦っても被害が拡大するばかりだ。それに将軍はどうやらベントンラドツ地区を侵攻する部隊に命じて、ここを迂回して背後を抑えるつもりのようだぞ」
そう言ったのは、増援の第三大隊を率いるクラッヒ・アカントス中佐だ。
この三人は年齢こそバラバラだが士官学校の同期であり、現場でも友であった。
まさに戦友と言っていい間柄であり、それ故にパラトルモン将軍はこの二人なら階級とか関係なく協力して対応できると考えて増援として派遣したのである。
「それは本当か?」
ケッペテラ中佐が驚いた顔で聞き返す。
「ああ。そうらしい。きちんとした命令はまだだが、グラアハントのやつがこっそりとこっちに知らせてきやがったよ。あいつらしいと言えばらしいが……」
アカントス中佐が苦笑して答える。
「そうか。そう言う事なら、無理して歩兵を森に進める必要はないな。少し下がって戦車を軸に防衛ラインを構築して、森からの奇襲に備える準備をした方がいい」
実際、夜襲が数回行われ被害が出ており、士気が心配されていたからである。
「そうだな。お前らの言う通りだ。ここは腰を据えてやるしかないな」
ケッペテラ中佐はそう言って二人に頭を下げると今後の部隊展開と防衛ラインの事で相談し始めたのであった。
「敵、後退していきます」
その報告にアベリッツ少将は舌打ちをする。
「連中め、持久戦に入るつもりだな」
展開する共和国軍の動きからそう判断する。
「どうします?」
副官が心配そうに聞いてくる。
「どうするも何も、こっちからはどうこう出来ないしな」
実際、闇夜に紛れ夜襲を行うのが精一杯であり、それも距離を置かれればうまくいかないだろう。
そして、遠距離からの攻撃に関しても、すでに用意していた野砲の半分近くは失われてしまっていた。
勿論、使い捨てという使い方をしなければもっと温存できたかもしれないが、それでは敵戦車十一両、トラックを始めとする車両二十二台の戦果は生まれなかっただろう。
「当面は様子見だな。見張りと警戒は継続だが連中が少し引くのであればこっちも体勢を立て直す。あと、森の入り口辺りにたっぷりとトラップを用意しておけよ」
「了解しました。トラップの方は徹底的にやっておきますよ」
少し笑うと副官がそう言って作戦本部となっている偽装テントから指示を伝えるために外に出ていく。
その後姿を見送った後、アベリッツ少将はテーブルに載っている周辺地図へと視線を落とした。
その地図には偽装された野砲や戦力の書き込みが多数あり、そのいくつかは×印が付けられている。
要は、破壊され失われたという意味だ。
どうこう言いつつも、敵の被害の方が大きく、侵攻を抑えきっているとはいえ、自軍の損害もバカにならなくなってきていたのだ。
敵が一息入れるのなら、こっちも一息入れて次に備えるべきだな。
その時は、そう考えていたのである。
だが、数日後、アベリッツ少将は慌てる事となる。
回り込んだ別部隊が、後方からヴァスコ少将の守る街の方へ向かったという情報を入手したのだ。
だが、その情報は、ヴァスコ少将も入手しており、アベリッツ少将の元へすぐに伝令が伝えられた。
『敵の動きは我々も把握している。だが、心配するな。戦いに対して十分な準備をしてきたのは貴官だけではない。我々もだ。だから、後方の事は心配せず、前の敵に専念せよ』
伝令が持ってきた手紙にはそう書かれていた。
そして、間を開けて小さく文字が書いてある。
『あと、無事生き残った際には、例のワインを共に楽しもう』と。
例のワイン。
それは、アベリッツ少将が以前の駐屯地で手に入れたかなり年季の入ったワインで、手土産にヴァスコ少将に譲ったものである。
そして、そのワインのラベルには共和国語で『勝利』という文字が印刷されている。
つまり、かなり縁起のいい名前のワインであり、生き残って共に勝利の美酒を味わおうという計らいであった。
「あいつらしいな……」
ぽつりと言葉がそう漏れ、ぐっとアベリッツ少将は手を握り締める。
ヴァスコ少将の絶対に死守する決心を感じたのだ。
「わかった。彼に伝えてくれ。友と酒を交わす日を楽しみにしていると」
その言葉を聞き、伝令の兵は、ぐっと表情を引き締める。
手紙を読んでいないし、詳しい二人の関係もわからない。
だが、何となくだが、雰囲気から二人の関係がわかったのだ。
「必ず伝えます」
そう返事を返すと、伝令の兵は退出していった。
こうして、共和国軍によって、ランドチェイラ周辺は孤立する。
そして前後からじわじわと真綿で首を絞めつける様に、ベントンラドツ地区から回り込んだ共和国軍第三師団第八大隊と第十中隊は、後方からランドチェイラへ攻撃を開始した。
その数こそアベリッツ少将の敵対する戦力より少ないものの、森という偽装もなく、また上空からのフソウ連合海軍艦載機による爆撃が加わり、戦いは大きく不利な状況へと傾くのであった。




