ヒュンゲルトの森攻防戦 その1
「あれが敵の新兵器か……」
そう言いつつ、望遠鏡でゆっくりと前進する戦車を先頭に進む共和国軍を見て、アベリッツ少将が呟いた。
「そろそろ戻りましょう。もし発見されて攻撃されれば……」
後ろについている副官が青ざめた顔でそう言った。
ここはヒュンゲルトの森の入り口付近であり、アベリッツ少将の部隊は、ここに陣を敷いて待ち構えていたのだ。
副官の言葉を無視するかのように、アベリッツ少将は黙り込んで考え込む。
しばしの沈黙が流れる。
流石に我慢できなくなったのか、副官が再び口を開こうとした時であった。
「よしっ。作戦は決まったぞ。本部に戻るぞ」
その言葉に、副官はようやくほっとした表情になった。
戻りつつ、アベリッツ少将は副官に尋ねる。
「君はあの共和国の新兵器、どう見た?」
副官は少し考えてから口を開いた。
「そうですね。厄介な兵器だと思いました。強力な装甲に、機動力、それに搭載されている砲による火力……。こう言っては何ですが、戦いたくありませんよ」
その表情には、心底嫌だという感情が滲み出ていた。
あまりにも正直な反応に、アベリッツ少将は苦笑した。
もっとも、そういう性格も気に入っているのだが。
素直で正直な感想は、縦社会の軍隊ではとてつもなく貴重な意見だと彼は思っていたのである。
「確かにな。あれはよくできた兵器だと思う。その上、歩兵との連携もうまくやっている。あそこまでうまく連携が取られると、本当にやりづらいな」
そう言いつつも、アベリッツ少将は意地悪そうな笑みを浮かべた。
副官は苦笑する。
上官がそんな表情をするときは、大抵悪知恵が浮かんだ時だと分かっていたからである。
そして、少し敵に同情するのであった。
ヒュンゲルトの森。
そこはランドチェイラ地区の中央に広がる大きな森である。
北上する場合、森を迂回するか、森の中央部を通る街道を使うしかない。
また迂回するにしても周りは山脈に囲まれ、道はいくつかあるものの、いずれも細く行軍には向いていなかった。
そのため、共和国軍は北上するため、ヒュンゲルトの森の中央の街道を使わざるを得なかったのである。
「各員、警戒して進め」
第三師団第七大隊を指揮するアンカー・ケッペテラ中佐はそう命令し、部隊をゆっくりと移動させていた。
まだ戦車搭乗員が兵器に慣れていないためと、歩兵との連携を考慮してのことである。
先頭は三両の戦車、その後ろに20名程度の歩兵が続く隊列を3つ並べた形で、今のところ大きな問題はない。
あえて挙げるなら、燃料の消費が激しいことだ。
低速で進むため、余計に燃料を食っている印象である。
だが、速度を上げると歩兵が付いていけなくなる。
戦車の後ろをトラックや馬車で補助する手もあるが、最前線を突破してそれほど距離が離れていないため、どこで敵と遭遇するか分からない。
警戒しつつ進むしかないのだ。
「そろそろ、ヒュンゲルトの森の街道に入ります」
先行した騎兵の報告に、部隊の進軍を一旦停止させた。
「よし、今のうちに燃料補給をさせておけ。それと兵士たちも食事と休息を取らせるように」
ケッペテラ中佐はそう命令し、地図を広げた。
そして自分が敵ならどこで待ち伏せするかを考える。
恐らく、街道の入り口と、途中の曲がりくねった二か所あたりか。
そう考えつつ、副官に尋ねた。
「そう言えば、トラブルで後方に回してある戦車の調子はどうか?」
「はい。三両のうち二両はあと三、四時間もすれば復帰するそうです。ただ、例の一両は……」
この調子の悪い三両は、敵の最前線突破の際に攻撃を受けた車両であった。
一両は手榴弾で、もう一両は地雷を踏んでキャタピラを破損し、慣れないキャタピラの交換作業に手間取って遅れていた。
「例の一両というと、あれか……」
「はい……」
ケッペテラ中佐が渋い顔になる。
その一両は、塹壕を乗り越える際に横向きになってしまい、大きく傾いて横転してしまったのである。
何とか元に戻そうとしたが、30トンもの重量を持ち上げる機材は現場になく、戦車で引きずることも試したがうまくいかなかった。
仕方なく足場を掘り起こして元に戻そうとしている最中である。
「ふう……」
ケッペテラ中佐の口からため息が漏れる。
トラックや小型車両なら人力で起こせるが、あんな鉄の塊は無理だ。
確かに戦車は強力だが、絶対最強ではなく、搭乗員もまだ未熟である。
突発的な状況でパニックになれば、ヘマをする可能性は十分にあった。
「と、なると九両でやるしかないか。よし。隊列はこのまま維持。兵士たちには十分警戒させろ。後方の補給部隊は最後尾でゆっくり進め」
燃料補給と兵士の休息が終了し、ケッペテラ隊はゆっくりと森の中央を突っ切る街道に入ろうとしていた。
「各自、待ち伏せの可能性が高い。十分に警戒せよ」
その命令を受け、先頭を進む三両の戦車を指揮するリシュアン・アルノー少尉は、キューポラから少しだけ顔を出して警戒する。
左右の二両も同じように戦車長が顔を出している。
戦車の後ろには二十名程度の兵士が、周囲を警戒しつつ続いていた。
ゆっくりと街道に入り、前後以外は森という状況になりつつある。
攻撃を仕掛けるならそろそろだ。
より警戒する。
だが、絶好の攻撃地点と思われていた街道入り口では攻撃を受けず、何事もなく通過できてしまった。
実に拍子抜けである。
「おいおい、敵は無能か?」
その呟きは他の搭乗員には聞こえないが、後方の歩兵たちも似たような思考になっているはずだ。
誰もが唖然としていたからである。
「まさか、敵は逃げ出したのか?」
休憩時、味方の動きを聞いた際に小耳に挟んだのである。
ろくに戦わず後退したとか、簡単に降伏したとかいう話をだ。
だが、アルノー少尉は頭を振ってその思考を追い出す。
油断させるための可能性もあるのだ。
事前の打ち合わせでは、途中に二か所ほど待ち伏せに適した場所がある。
そこで待ち伏せしている可能性が高いと判断したのだ。
携帯無線を使って指示を出す。
「各自、警戒を続けろ。油断させるため敢えてスルーしたのかもしれん。途中二か所ほど危険ポイントがある。死にたくなかったらしっかりやれ」
その指示で、少し緩んでいた思考が再び引き締まる。
だが、危険と思われていた二か所のポイントも何事もなく通過していく。
「本当に敵がいるのか?」
「戦車の恐ろしさに後退したのか?」
過度な自信と慢心、油断が増大していく。
街道に入った頃の警戒はもうない。
恐らく敵は、森を抜けた先の街で待ち伏せしているに違いない。
誰もがそう思った。いや、誘導されたと言っていいだろう。
そして、間もなく森を抜ける。
戦車の燃料は残り少なく、兵士たちも疲れ切っている。
森を抜ければ一旦止まって補給や休憩が入るはずだ。
そう誰もが思ったその時であった。
前方を進む三両のシャーマン戦車がいきなり前方に大きく傾く。
落とし穴に突っ込んだのである。
頭から落ちて身動きが取れなくなる先頭の三両。
その落とし穴は絶妙な大きさで、長すぎず短すぎずに計算されていた。
抜け出そうともがく戦車。
だが未熟な搭乗員の慌てぶりや、車高の高さもあってか、右の車両が横向きになり横転する。
その車両が中央のアルノー少尉の車両に引っかかり、二台とも動けなくなった。
さらに、斜め前の左右に偽装されて隠されていた連盟軍の野砲が砲撃を開始する。
確かに戦車の装甲は厚く、頑丈ではあったが、近距離の野砲の砲撃で無傷では済まない。
どんっ。
三両の内、横転して腹を見せていた一両が吹っ飛び、内部の弾薬に引火したのだろう。
次々と爆発が起こる。
次々と飛び散る火花と破片。
それが後方に続いていた兵士達を襲う。
悲鳴と叫びが辺りを満たし、血と肉が辺りの地面を濡らしていく。
その光景に、第二陣以降の隊列の動きが止まる。
その瞬間を待っていたかのように、左右の森の中から射撃が始まった。
休みなく響く銃撃音。
遮蔽物もなく、なす術もなく共和国兵士が次々と倒される。
「糞ったれ。こんなところで待ち伏せだとっ!」
第二列の戦車三両を指揮していたトリスタン・バイイ少尉は慌てて左右に展開する車両に命令を下す。
「いいかっ。壁を作れ。歩兵を守るんだっ!」
その指示で左右に展開していた車両が動き、コの字型の陣形を作ると中央部分に歩兵を誘導した。
要は戦車を壁にするようにしたのである。
街道のど真ん中、遮蔽物のない場所にいた歩兵たちは、慌てて指示通りに戦車の陰に隠れ、そしてやっと反撃を開始する。
第二列の左右のシャーマン戦車の砲塔が動き、隠された連盟軍の野砲を砲撃する。
近距離のため外すことはない。
どんっ。どんっ。
砲撃の結果、偽装されていた数門の野砲が吹き飛ぶ。
しかし、誘爆する事もなければ、飛び出す砲兵もいない。
要は、最初の攻撃が終わったら離脱せよ、という命令を受けていたということだろう。
「糞っ。野砲を使い捨てやがったな」
バイイ少尉は吐き捨てるように言う。
野砲は、陸軍が運用する兵器の中でも特に高価な兵器だ。
だからこそ、こういった使い捨てで使う事はない。
だが、敵はその常識を捨ててやりやがった。
その発想に驚愕する。
そんな敵相手に、我々はハメられたと。
そして、すぐに敵が狙っている事も気がつく。
「いいかっ。できるだけ身を隠しつつ反撃しろっ。だが、無駄弾を撃つなっ。連中、こっちが弾切れでじり貧になるのを狙っているぞ」
そう、激を飛ばして、キュポーラの上に搭載している機銃を森の中に向けて射撃を開始する。
だが、向こうからは丸見えなのに、こっちは敵の位置も状況も正確に把握できない。
ジリジリと兵士達の顔に焦りと不安の色が浮かび始めるのにそう時間はかからなかった。
そんな混乱の中、先頭の戦車の後ろについていた兵士の生き残りが地面に伏せて這いずりながら転倒しただけのまだ無傷の戦車の陰に入る。
ふう。なんとかなったか……。
安堵の息が漏れるが、周りを見渡すと自分以外の味方はいない。
「糞ったれがっ」
思わず吐き捨てた言葉。
その言葉に反応するかのように、戦車のハッチの一つが開く。
ちらりと見える搭乗員の顔。
その顔には、額を切ったのか、血が流れている。
「どうやら、生きているようだな」
「ああ、何とか。だが負傷者がいる」
「なら、しばらくそのままでいたほうがいい」
そう言うと、兵士は困ったような表情をする。
「ああ。今出るのは危険だな」
そんな会話をしている間も、銃撃音が辺りを埋め尽くし、その合間には悲鳴と苦しみの声が響く。
「まぁ、どれくらいで落ち着くかわからねえが、間違いなく『今は』出ない方がいい」
歩兵のその言葉に、搭乗員は苦笑を返したのであった。
こうして、ヒュンゲルトの森を抜ける直前で、第三師団第七大隊は先頭を潰され足止めを食らう。
その報告は、すぐ様第三師団に報告され、増援が向けられた。
のちにこの戦いは『ヒュンゲルトの森攻防戦』と呼ばれることとなる。
そして、この戦いは、初めて戦車を撃破した戦いとしても記憶される事となるのであった。




