反撃の始まり……
3月3日早朝。
その日は、冬の寒さも一段落となり、肌寒いものの、段々と温かさを感じるような一日となるはずであった。
前線で警戒に当たる連盟の兵士達は、眠い目を擦りつつ、大半の者達は間もなく交代の後に食べる朝食のことを考えていた。
だが、その静けさを切り裂くように響くエンジン音。
周りを見回し、そしてその音が上から響くことに気が付き兵士の誰もが青ざめた。
『サイレンの悪魔』
いつしかそう呼ばれるようになったフソウ連合の航空攻撃である。
今や、週に数回、天候のいい時に行われている攻撃だが、兵士の誰もが恐怖に何もできないでいる。
何回か勇気ある者達が小銃を手に立ち向かったが、小銃一丁で何とかなる相手ではない。
大抵は、落とした爆弾の爆風に巻き込まれ、あるいは機銃掃射によって、その勇気ある行動の代償を払うことになった。
それを散々見せつけられたのだ。
抵抗しても無駄なら、巻き込まれず息を潜めている方がマシという判断をするのは当然といったところか。
だから、誰もが塹壕の中に飛び込み、怯えるように上空を見上げる。
雲の合間に見えたいくつもの点が、段々と大きくなり、それに合わせて響くエンジン音と独特の甲高いサイレン。
キイィィィィィィィィィィィィィンッ。
響く恐怖の音。
ガタガタと震える兵士達。
彼らにとって、飛行機という存在は、自分らの無力さを痛感させ、恐怖を増幅させていくまさに悪魔と呼んでいい存在なのかもしれない。
どんっ。どんっ。
落とされた爆弾が次々と爆発し、塹壕や見張り台を吹き飛ばしていく。
運悪く巻き込まれた兵士の身体が肉片となって舞い散り、兵士の頭の上に血の雨と一緒になって降り注ぐ。
「もう嫌だぁぁぁぁぁっ」
錯乱した兵士が塹壕から飛び出すが、誰も止めない。
それどころか、静かに周りから離れようとする。
なぜなら、飛び出した者が目標となり、その周辺には兵が隠れている可能性が高いと次の爆弾や機銃掃射が始まるからだ。
まさに地獄。
最悪だ。
こんな朝っぱらから攻撃されるなんて。
そして、誰もがそう思っていた。
早く終わってくれ。
そうすれば駐屯地に帰って温かい食事と睡眠が待っている。
もう疲れきった肉体と精神は、夢を見る余裕さえ与えてくれないだろう。
だが、その方が彼らにとってありがたかった。
なぜなら、夢を見るとすれば悪夢以外ありえないのだから。
だが、この日は、それで終わらなかった。
何回も行われた航空攻撃。
それがやっと終わった瞬間、続けて砲撃が鳴り響く。
それは、冬の間は大人しく防御に徹していると思われていた共和国軍の攻撃であった。
次々と陣に降り注ぐ砲弾。
破壊されていく塹壕。
撃ち返そうにも、先ほどの航空攻撃で野戦砲陣はかなりの被害を受けており、その反撃は余りにも少ない。
そして、ある程度の砲撃の後、兵士の突撃の声の代わりに響くキュラキュラという独特の音。
敵陣から鉄の塊がいくつも姿を現す。
鉄で覆われた背高い車。
丸っこいボディに台をのせたようなデザイン。
その台には砲身らしきものがあった。
それは、ある程度進むと一旦停止しては上に取り付けてある砲台らしきところから砲撃を行い、再び動き出す。
それを繰り返しながら進んでくる。
それはフソウ連合から提供された兵器の一つであるM4中戦車、通称シャーマン。
高い機動性と火力を誇り、その生産性の高さで第二次世界大戦においてアメリカ陸軍の主力となった戦車だ。
それがある程度まとまって前進してくる。
その動きは、クルーがまだ不慣れということもあるだろうが、砲撃であいた穴や塹壕の名残があるデコボコの地面の為、決して早くない。
しかし、それがかえって恐怖を強める。
初めて見る兵器、それがじわじわと忍び寄ってくるという感じに兵士達は動揺してしまっていた。
ただでさえ航空攻撃で恐怖と不安にさらされた直後ということもあり、なおさらである。
だが、それでも反撃を試みた者達もいた。
ただ、小銃の弾丸では戦車に歯が立つわけもなく、生き残った野戦砲も、敵陣に合わせて調節してあったため、動く戦車に合わせるのには時間がかかる。
その間にも戦車は砲撃し、銃撃して歯向かうものに鉄槌を加えつつ近づいてくる。
荒れた地面も塹壕も戦車を止める術にはならず、次々と乗り越えてくる。
残された兵士の戦う術は手榴弾のみだが、それさえも普通に投げただけでは戦車の動きを止められない。
さらに、戦車の後ろには完全武装した共和国兵士が続いているため、手榴弾を投げる際に後方に待機している兵士達に狙われ、そのまま手榴弾を投げることなく自陣の塹壕に倒れ込み、自爆という事さえ起きていた。
もちろん、運よくキャタピラ破壊に成功したり、塹壕にハマって動けなくなったりした車両もあったが、それでも数両にすぎず、全体の進撃を止める術にはならない。
こうして、もともと大して準備が出来ていなかったという事もあり、あっけないほど連盟軍の前線の警戒陣は簡単に突破され崩壊してしまったのであった。
前線の警戒陣の崩壊と共和国軍の進撃の報は、すぐに前線の各部隊に伝えられた。
その報を聞いた連盟軍の指揮官の反応は、大きく二つに分かれた。
自分達が攻める側だと思い込み、敵からの反抗を考えず混乱して何もできない者。
あるいは「遂に来たか」と部隊に檄を飛ばし、自分の駐屯地周辺の防御ラインの警戒を強める者。
もちろん、この反撃を予想して防衛の為に合流していたヴァスコ少将とアベリッツ少将は後者である。
彼らは冬の間、少しずつではあったが自分達が駐屯する都市周辺に防御ラインを敷き、少しでも多くの弾薬と食糧を備蓄して要塞化を進めていたのである。
「思った通りになってしまったな」
思わずといった感じでそう言うアベリッツ少将に、ヴァスコ少将は苦笑する。
「外れて欲しいと願いましたが、どうやらそれは適わなかったようですな」
軽口で返され、アベリッツ少将も苦笑した。
だが直ぐに真顔になると聞き返す。
「それで、どうしますか?」
「今は時間を稼ぐため、少しでも長く戦線を維持するしかありませんな」
「ふむ。そうするしかないか」
そして言葉を続けた。
「では、我々がまずは森の防御ラインで敵を迎え撃ちましょう。敵の装甲車のようなやつは森の中では小回りもきかず、付け込む隙はあるでしょうな」
そのアベリッツ少将の言葉に、ヴァスコ少将は少し驚いて聞き返す。
「いいのですか?」
「何を言うんですか。この街はあなたの駐屯地でしょう? ならあなたの部隊がきちんと把握しておくべきだ」
その迷いのない言葉に、ヴァスコ少将はニタリと笑った。
「では、私はこの街の防御ラインをよりしっかりしておきましょう」
そして、じっとアベリッツ少将を見て真剣な表情で言う。
「少しでも無理だと感じたら、即時この街まで戻ってきてください」
その言葉には心底心配する感情が見える。
それを見て、アベリッツ少将は楽しげに笑った。
「いやはや、大攻勢が失敗してロクな事はないと思っていましたが、唯一、あなたのような友人を得られたことだけは共和国軍に感謝しかないですな」
その言葉に、ヴァスコ少将も笑った。
「確かに。まさかここまで仲が良くなるとは思ってもみませんでした。それだけは共和国軍様様ですな」
二人は楽しげに笑い合った。
そして、自然と二人の笑いが止まり、互いに敬礼を交わす。
「では、後をお願いします」
「はっ。ご無事の帰還を」
こうして二人はそれぞれの役割を果たす為、行動を開始した。
だが、この二人のように動けたのはほんの一握りでしかなかった。
大抵の部隊は越冬で精一杯であり、攻められるとは考えていなかったのだ。
慌てて防衛の為の塹壕や陣地の準備に入ったものの、間に合うはずもない。
また、始まったのは前面からの攻撃だけではなかった。
秘密の洞窟を使ったルートから結構な部隊が動き、秘密裏に前線部隊の後方に回り込んで攻撃を開始したのである。
もちろん戦車などはなかったものの、油断と敵を甘く見ていたためだろうか、後方からの攻撃によって前線部隊の大半は大混乱に陥っていた。
中には戦わずに物資や装備を放り出して後退してしまったり、退路を塞がれたと思い込んでろくに戦わず降伏する部隊さえあった。
「酷いものだな……」
共和国の前線から侵攻するいくつかの軍団の一つである第三軍団を指揮するラゼンド・パラトルモン将軍は、その敵軍の有様に天幕の中で地図を見つつ苦笑を浮かべた。
「仕方ないかと。連中、我々を散々舐めていましたからな」
幕僚の一人の声に、パラトルモン将軍は苦笑を浮かべるしかない。
「まぁ、そうだな。その通りではあるが、そう言ってやるな」
パラトルモン将軍としては、敵の大攻勢の戦いについてはかなり評価していたのである。
実際、首都近辺で反攻戦の準備と訓練をしていた時に起こった敵の大攻勢の際は、防御ラインは突破されると考えて、いち早く首都の前方に部隊を展開し対応していたのである。
そういう事があったために、このままでは終わらないと思っていたのである。
そして、それが当たったかのように報告が入った。
「ランドチェイラ攻略に向かっていた部隊が、足止めを食らっているようです」
「ほう。どこの隊が向かっていた?」
「ケッペテラの部隊ですな」
将軍の言葉に、幕僚の一人がすぐに答える。
「ケッペテラのやつが手こずる相手か……」
ケッペテラ隊とは、第三旅団に属する第7大隊のことで、総戦力は890名。
新型の戦車12両が配備され、それに合わせて新型のトラックや装備を優先的に回されている部隊であり、指揮しているアンカー・ケッペテラ中佐もかなりのベテラン指揮官である。
要は、第三軍団の中でもかなり強力な部隊なのだ。
だが、その部隊が足止めを食らっている。
パラトルモン将軍はニタリと笑った。
「どうやら、骨のありそうな奴がいるぞ」
その表情は、ワクワクした餓鬼大将のようだ。
幕僚の一人が困ったような顔をして言う。
「閣下、ここは……」
その言葉に、将軍は舌打ちをしたが、仕方なしに指示を出した。
「トバンシーとアカントスの部隊を回せ。それ以外はそのまま進めるだけ進んでしまえ。いいな?」
そう言った後、将軍は立ち上がった。
その行動に副官が釘を刺すように言う。
「閣下、総大将というものは、時にはどっしり構えておく必要があると小官は考えます」
見透かしたような副官の言葉に、また舌打ちをすると立ち上がった将軍は再び座った。
それを見て、副官は自分の考えが正しかったと判断した。
また全体の指揮を幕僚達に丸投げして、その手強い敵のいるところに行こうとしていたのだと。
「ふーっ。さっさと副官交代を進言せねばいかんな」
皮肉っぽくそう言い返す将軍に、副官が言い返す。
「残念ながら、人事の方からしっかり手綱を握っていてくれと言われておりますので、それは難しいかと……」
その言葉に、将軍は「糞ったれがっ」と吐き捨てる。
その掛け合いに幕僚達は苦笑したが、同時に安心もしていた。
この副官がいれば安心できると。
そして、この副官を将軍の補佐に付けた人事の人間に感謝さえしたのであった。




