マル・ゼ
連盟海軍が動く。
それは予想できたことであったし、共和国から提供される物資と艦艇の動きの情報からも読み取れた。
それに遺恨返しとばかりに、恐らく数少ない可動している共和国の主港への攻撃も予想できる。
だが、それでも予想できない事があった。
敵がどこを狙うかである。
今まで得られた情報から、毛利中将は敵が目標としている主港を二つまでにすることは出来た。
一つは、共和国東部にあるヨルンファンナ港で、ここはどちらかというと民間船が多く、最近イムサの支部が出来るまでは、軍関係の艦船は船団護衛の艦船以外はここを利用していないし、海軍関係の支部も連絡所と補給の為の小さな施設があるのみだ。
だから、連盟の潜水艦による港封鎖作戦の対象外となっていたのである。
また、最近は、連盟の港封鎖作戦によって多くの港が封鎖された為、この港の重要度が増し、植民地や他国からの輸送や支援物資はここに運ばれることが多くなっていたのである。
そして、もう一つは、首都に最も近く軍事拠点の一つでもある半軍半民の港であるルルンパーア主港である。
多くの軍港が連盟の潜水艦の封鎖作戦によって機雷によって封鎖された中、ここは侵入しかけた潜水艦を偶々訓練後に入港していた装甲巡洋艦が発見して対応した結果、封鎖を免れた幸運の港でもあった。
そして、他の多くの軍港が封鎖された結果、ここは共和国海軍の主港としてもっとも多く利用されるようになっていたのである。
恐らく連中は共和国の息の根を止め、遺恨返しの為にどちらかを攻撃してくるだろう。
毛利中将はそこまでは確信があった。
しかし、二つのうちどちらかを決めるには、より確実な情報がなければ難しい。
何故なら、二つの主港の位置が離れているからである。
片方に戦力を回した場合、もしそれが外れれば、間違いなく間に合わない。
また、二つ同時にというわけにはいかない。
恐らく、共和国領海に展開する連盟海軍の総戦力に近い戦力がこの作戦には参加すると予想されていたし、情報からもそれがわかっていたから、いくらこっちの戦力を相手が完全に把握していない上に艦艇性能がこっちらの方が高いとはいえ、戦力の分散はもっとも愚策といえた。
何か決定的な情報がないか。
毛利中将は、ビルスキーア総司令官により情報を求める。
些細な事でいい。
より多くの情報をと……。
彼はわかっていたのである。
この戦いが今後の流れを決定づけることを。
それ故により確実にするため、何度も、何度も要望した。
もう時間はないと判っていたから。
そして、その要望を受け、ビルスキーア総司令官も毛利中将の心情を察していた。
だから、すぐに手を打った。
共和国各地に散らばる諜報関係に些細な事でもいいから情報を集める様にと。
そして、数多くの情報が集められた。
そして、その多くは大したことではなかったり、噂でしかなかったり、偽情報であった。
まさに玉石混交と言っていいだろう。
そんな中、共和国諜報部だけでなく、アリシアの裏の組織も総動員して選別された。
そして、その努力は遂に実る。
ほとんどゴミと呼べる石の中から、宝石とも呼べる僅かな情報を手にしたのであった。
軍関係の施設の側には多くの人々が集まる。
それは、軍人だけでなく、施設に関わる多くの人々を対象にしてだ。
そして、必ずと言っていいものが存在した。
酒場を始めとする慰問施設だ。
それも海軍の施設がある港には多くの慰問施設が立ち並ぶ。
それは仕方ないのかもしれない。
何週間も、下手したら何か月も軍務や関係の仕事に着く為、どうしてもストレス発散する為には、そう言った施設が必要であったし、海軍の兵士達は陸軍の兵よりも気前がいいものが多かった。
それはそうだろう。
任務で海で出たらかなりの期間、そう言った事は出来ないのである。
だから、遊べるときには思いっきり遊ぶ。
思いっきり羽を伸ばして次の任務に備える。
だから、そんな思考になるのは当たり前と言えただろう。
また、酒場のほとんどは、実は娼婦宿を兼ねるものも多かった。
勿論、きちんと娼婦宿として独立したものもあったが、次に飲めるのがわからない海軍の兵達はべろんべろんに酔うまで飲んだ。
その結果、飲んだ後に娼婦宿に行くというのは誰もがめんどくさがってしまい、いつしか海軍の施設の近くにある酒場は娼婦宿を兼ねてと言うものが主流になっていったのである。
それは、連盟に占領された軍港も変わりはない。
お相手が、共和国軍人から、連盟軍人に変わっただけである。
だが、違う点がある。
それは、どの酒場も連盟軍人に対しては、かなりの金額を吹っ掛けていたのだ。
大体相場の二倍から三倍は当たり前で、高い所になると五倍以上いうところもあった。
そして、酒場も大きく二つに分かれた。
一般の兵が主流となる低価格のものと、将校や幹部といった階級の高い者が利用する高級のものと。
そして、今や連盟海軍の共和国侵攻艦隊第一艦隊の駐在する港の近辺の中でも一際人気の店があった。
『甘い吐息の時間』という名前の酒場だ。
高級酒場という部類の一店で、ここは以前の六倍近い値段設定をしていたが、その酒場の女性の質の高さと扱う酒のうまさ、そしてダンスショーやストリップショーといったエンターテインメントの質の高さで人気だった。
ある意味、価格の高さとここでしか味わえない楽しみが、連盟海軍の軍人の中でのプレミア感をより持ち上げたと言っていいだろう。
そんな中でも特に人気がある女性がいた。
この酒場のダンサーでもあり、ストリッパーでもあり、歌手でもあるマルガリータ・ヘラザンナ・ゼフである。
艶のある褐色肌に、神秘的な黒い瞳と腰まであるかのような長い黒髪。
すらりと伸びた手足と豊満な胸と恐らくダンスをしている為だろう、きゅっと引き締まった身体。
そして異国風の魅惑的な化粧ときわどい衣装。
まさに絶世の美女である。
その結果、彼女は多くの男達からマル・ゼと呼ばれ、その寵愛を受けた。
もちろん、港は今や連盟海軍が牛耳っている為、今のところはその多くは連盟海軍の上級将校や幹部となる。
彼らは、マル・ゼとの関係を得る為、あらゆることをした。
金だけではない。
彼女の気を引くために本当に何でもしたのだ。
そんな彼女を、後の歴史家は彼女が側室や愛人として皇室にでも入れば傾国の美女となったであろうと評価する。
まさにそう評価するにふさわしい美女であった。
だが、それと同時に、彼女は祖国愛の強い人でもあった。
だから、祖国を踏み潰す連盟軍に嫌悪感すら抱いていた。
しかし、それでも彼女は自分に出来る事をする為、心を奮い立たせ、実施していった。
そう、彼女はスパイとして活躍していたのだ。
夜の男女の秘め事の際に、少しずつ聞き出していく。
男を夢中にさせ、狂わせながら。
そして、その日もお客が帰った後、彼女は雇っている小間使いの男を呼び寄せる。
「ねぇ、そろそろいつもの食べたいわ。買ってくてくれない?」
彼女は、パナワンサと呼ばれる異国の菓子が大好きだった。
そして、それを扱う店舗は、近場には一軒しかない。
本当ならもっと食べたいが、プロポーション維持の為にたまに思い出したように買ってくるように頼むのだ。
そう、誰もが思っていた。
勿論、店の者達も。
しかし、小間使いの男性とマル・ゼのみが知っている。
その菓子店は、実はアリシアの私設諜報組織の息がかかっており、マル・ゼは得られた情報を届けさせていたのだ。
「わかりました。では、いつものでよろしゅうございますね?」
「ええ」
そう言って財布を手渡した後、少し考えこんで言葉を続ける。
「いえ、多めがいいかな。そう伝えて」
「わかりました」
小間使いの男はそう答える。
ここで言う「多め」とは、一人からではなく、多くの者達から得られた情報であるという事を示していた。
それはより確実な情報だという事である。
「しっかりお願いね」
マル・ゼはそういうと気怠そうに自室に戻ろうとする。
恐らく今から眠るのだろう。
小間使いの男が聞く。
「お休みですか?」
「ええ。昨日のお客がしつこくてね。ほんと、うんざりしちゃう」
彼女はそう言うと欠伸をした後、ドアを閉めようとした。
そして思い出したように言う。
「そうそう、他の子にもお菓子を配っておいてね。みんな甘いのには飢えているだろうから」
「わかりました。貴方様の分はいつも通りで?」
「ええ。そうしておいてね」
マル・ゼはそういうとドアを閉める。
そして、手渡された財布を大事そうに持って、小間使いの男は菓子店に向かう。
表向きは菓子を買うために。
そして本当は、財布に入っている得られた情報を書き留めたメモを手渡す為に。
翌日、その情報は、アリシアの元に届けられる。
手渡されたボートに挟められた紙には短くこう書かれていた。
『連盟海軍が、ルルンパーア主港をねらっている』と。




