混乱
12月24日。
その日はちらちらと雪が舞う静かな一日であった。
あと一週間もすれば年が変わる。
そして、雪の量が増え、当たりを真っ白に染め上げていく。
それに合わせるかのように連盟の攻撃の回数は減っていき、にらみ合いのような状況が出来上がりつつあった。
また、連盟の補給が滞り始めているという話も届いていた。
その結果、共和国の兵士達の多くはこのまま春先まで膠着状態が続くと思っていたほどである。
しかし、その思いは破られる。
朝8時。
それは銃声から始まった。
不意を突いた敵の攻撃かと思ったが、砲撃の音ではなく銃声だけという事もあり、後方に待機していた火砲陣の兵達はそれほど危機感を持っていなかった。
恐らく見つからないように接近した敵と味方の最前線の防御ラインが戦闘に入ったのだろうと。
そうなると火砲の援護は難しい。
その上、多くの兵が朝食をとっているという事とここまで攻撃が届くことなどないという安心が隊長の判断を鈍らせた。
だが、その代価は高くついた。
パンパンという数回の銃声の後、彼らを襲う多数の銃弾。
次々と倒されていく兵士達。
ここにいたって自分達が戦闘に巻き込まれていることに気が付く兵士達。
慌てて指揮を求めたが、最初の攻撃で隊長は狙撃されており、混乱状態になっていた。
もっとも数人が反撃しょうとしていたが、それも空しく次々と倒されていく。
そして、遂に火砲の後ろに山積みだった砲弾と弾薬に火が付く。
どんっ。大きな爆発音が辺りに響き、火の粉がありに飛び散る。
弾薬庫の近くにいた兵士達が吹き飛び、肉片と化す。
だが、それで終わらない。
飛び散った火の粉は、他の弾薬や砲弾に引火していく。
次々と爆発が続き、火砲を兵士を吹き飛ばし、陣を破壊していく。
それが益々火砲陣にいた兵士達を混乱させ、それによって生じた混戦は他の共和国の防御ラインへと伝染していく。
共和国の絶対的な防御ラインは、今や混乱状態に包まれ始めていた。
その状況は、すぐ様防御ラインの統括指揮官であり、前線の作戦司令部で指揮を執っているリクラベン・マクトーラ中将の元に届く。
「どういうことかっ」
「はっ。ナリマナク防御ラインのもっとも後方に位置する火砲陣にて混乱が生じています。弾薬などに引火し、それが次々と爆発を生み被害は拡大。その為、兵達はパニックになっており、また火災や引火の対応も重なり収集がつかなくなってしまっています」
報告を聞き、リクラベン中将は舌打ちすると朝食をすぐに取りやめ司令部に向かう事を告げる。
それと同時に「防衛ラインの警戒を急がせろ。それと同時に爆発と火災の原因をすぐに調べさせろ。あと、予備兵力をすぐに動けるように準備させておけ」と命令する。
構築された防御ラインはは完璧であると思っていたしまさかという思いが強かったが、それでもここを抜かれれば首都まで一気に攻められる可能性が高いのだ。
念には念を入れなければならない。
我々の後ろには、もう後はないのだから。
その思いが、リクラベン中将をより慎重にさせたのである。
そして、その判断は正しかったことをリクラベン中将は後に知る事となる。
「うまくいきましたな」
副官にそう言われ、クラブス大尉はニタリと笑みを浮かべる。
「ああ。ここまでうまくいくとはな」
敵は混乱してろくに反撃できない有様で、さらに弾薬や砲弾への引火によって被害は拡大し、その対応に追われている。
「まぁ、信号弾上げなくてもわかるだろうが……」
そう言って苦笑しつつも言葉を続ける。
「念のために信号弾を打ち上げろ」
「ですが、この爆発と爆煙の中では……」
そう言われて、確かにと思ったのだろう。
「よしっ。一旦引いて別の陣への攻撃の為に体勢を立て直す。ある程度部隊か別の場所に移動が終わってから殿に信号弾を上げさせよ」
クラブス大尉の言葉に副官が聞き返す。
「少し遅れますが、いいのですか?」
「構うものか。それにだ。敵にこっちの所在地を知らせることになりかねんからな」
確かに。
信号弾を上げるという事は、自分らの居場所を教えるようなものである。
「了解しました」
敬礼してそう言うと、副官は部隊に命令を伝える為に走り出す。
その後ろ姿を見つつ、クラブス大尉は呟く。
「ここまでお膳立てしたんだからな、しっかりやってくれよ」
それは自分達の努力を無駄らしないでくれという思いと、勝利をという願いの為に出た言葉であった。
「敵の後方の火砲陣に爆発を確認。さらに引火し、ナリマクラの防御ラインは混乱状態のようです」
その報告に、連盟の共和国侵攻軍の上層部は色めきだった。
それはそうだろう。
話半分程度の期待していなかったのだ。
うまくいけばもうけ程度だったところに、大当たりが出たのである。
「よしっ。遊撃部隊の連中め、うまくやったようだな」
「本当に。まさかここまでとは……」
「しかし、これで一気に突破できますな」
「ああ、そのとおりですな」
それぞれ好き勝手に言ってざわめく中、命令が下された。
「各部隊に連絡っ。敵の一角が混乱の今こそ総攻撃のチャンスである。一気に敵の防御ラインを突破するぞ」
その命令を受け、連盟の共和国侵攻軍は、戦力をナリマクラ地区に向ける。
後方からの砲撃の援護がなく、また完全に混乱が収まっていない中での攻撃で、防御ラインはまるで紙でも切り裂くように次々と突破されていく。
今まで全く進めなかったのが嘘のようであり、その崩壊した一角から周りの防御ラインへと崩壊は広がり続いていく。
今までの鬱憤を晴らすかのように連盟軍は共和国軍を圧倒していった。
幾重にも重ね合わせ準備されていた鉄壁の防御ラインも、結局は運用する人次第という事である。
そして勢いづく連盟軍は益々攻撃を激しくさせていく。
「いけーっ。一気に敵の防御ラインを崩壊させよ。ここを完全に突破すれば、後は首都だっ。あの鼻持ちならない共和国が我々の手に堕ちるぞっ!!」
最前線で新興派のヴァスコ少将がそう叫び兵を鼓舞する。
「司令官っ。狙撃される可能性もありますから、どうか後方にお下がりくださいっ」
副官が懸命に諫めようとしているが、その言葉にヴァスコ少将は笑った。
「心配するな。敵は混乱して組織的な抵抗が出来ない有様だ。そんな中、狙撃してくるやつなど普通はいない」
「しかしっ、万が一という事もあります。今、司令官に何かあれば、あなたについて来ている多くの者達が困る事になりかねません」
そこまで言われ、ヴァスコ少将は仕方ないといった表情を浮かべた。
「わかった。貴官が言うとおりにするぞ。ただし、各部隊の隊長に命令せよ。恐らく敵は間もなく混乱を抑え、組織的に反撃してくるようになるだろう。だが、躊躇せず攻撃を続けろと。今日一日で敵のこの防御ラインを突破するのだ。完全に突破してしまえば、敵は崩壊するとな」
「はっ。了解しました」
副官は命令を受け駆け出していく。
そしてヴァスコ少将は後方の自分の司令部へ戻る。
この調子なら、今日の夕方には完全に敵の防御ラインは食い破れると確信して。
防衛ラインが突破されようとしているという報告は、すぐに首都に送られた。
その報告を聞き、ビルスキーア最高司令官は、まさかという思いに捕らわれたものの、眉間に深い皺を浮かべすぐに対応に動いた。
首都近辺の部隊に防衛ラインの後方に集結する事と首都防衛陣の構築を急がせる命じたのである。
もちろん、ある程度の準備はしていた。
だが、防衛ライン構築を最優先で進めた為、あまり進んではいないし、追加の軍を動かすには時間がかかる。
それも大部隊ならなおさらだ。
恐らく防衛ラインはこのままでは今日中には突破される可能性が高い。
そうなると間に合わない可能性が高い。
もっと敏速に動ける部隊はないか。
もっと他に他になにか手はないか。
そう思っていた彼の脳裏に浮かぶものがあった。
「確か『バントコラ軍港攻略作戦』の作戦展開は、明日であったな?」
その言葉に、副官が頷く。
「はっ。予定より準備が進んでおり、すでに艦隊は各待機地点で待機していると聞きます」
「よしっ。ならば、すぐに作戦指揮官の毛利中将に連絡だ。作戦をすぐに開始してくれと。それともう一つ頼んで欲しい」
その命令を聞き、副官が聞き返す。
「しかし、いいのですか?」
「仕方あるまい。ここで防御ラインが突破されれば後がないのだ。やるしかないんだ」
その言葉を聞き、副官は頷くと敬礼した。
「了解しました。すぐに毛利中将に伝えます」
「頼むぞ」
そしてビルスキーアは立ち上がると部屋を出る。
アリシアに報告するためである。
すでに情報を知っているのだろう。
ビルスキーアが入室してくるとアリシアはビルスキーアに視線を向けて聞いてくる。
「聞いているわ。で、対策は?」
「すぐに手を打っております。かなり苦しい現状ですが、何とかして見せます」
本当なら、そう言い切れない。
思った通りに動かない可能性だってある。
そうなればなんとかならない。
いや、現状は何とかならない可能性がとてつもなく高い。
だが、涼しげな顔でそうビルスキーアは言い切った。
ハッタリである。
だが、ここでおろおろして見せても慌てて見せてもマイナスにしか働かない。
かれはそれを知っているからだ。
だからこそ、言い切ったのである。
その様子をアリシアはじっと見ている。
心の奥底までのぞき込まれるかのような視線だ。
それはかっての主人であったノンナと同じだとビルスキーアは思う。
どうやら、私は女上司に扱き使われる運命にあるらしいな。
そんな事さえ考えてしまう。
だからだろうか。
苦笑が浮かんでいた。
それに気が付くとアリシアも苦笑する。
「いいわ。今は騙されてあげる。で、対策としては何をするの?」
そう聞かれ、ビルスキーアは打った対策を説明していく。
その対策のほとんどをアリシアは黙って聞いていたが、『バントコラ軍港攻略作戦』の前倒しと毛利中将に頼んだ件に関しては驚いた。
「ああ、そう言う手があるわね」
「ええ。後方が混乱すると前線も浮つくというのは万国共通ですから」
今自分達が置かれている立場を皮肉ってそういうビルスキーア。
アリシアはその様子に、この男の図太さとしたたかさを感じた。
本当にいい買い物したわ。
この男は使えるわ、本当に。
アリシアは内心そう思いつつ言う。
「後は、神のみぞ知るって奴かしら」
「そうですな。ぜひうまくいって欲しいものですな」
ビルスキーアはそう答える。
他人任せのように見えるが、それはすでに打てる手はすべて打ったという事だろう。
その態度から、アリシアにはそれがはっきりわかった。




