作戦開始前
作戦会議の終わった後、部隊に戻る途中で副官が声をかけてくる。
「アベリッツ様、あれでよかったのですか?」
その声かけに、共和国侵攻軍団の一角を担うテォドーロ・アベリッツ少将は難しい顔をして副官の方に視線を向けた。
その視線は非難めいた色をしている。
「では、どうすればいいというのかな?」
その皮肉めいた口調に副官は黙り込む。
現状を考えれば、あの作戦提案は実に魅力的だあった。
敵の後方に少数の部隊を送り込み、後方かく乱させて一気に防衛ラインを突破するという作戦は。
そして、それが可能だという。
実際、偵察部隊がそれを可能な事を確認したという事らしい。
そして、その証拠に一部とはいえ、敵の防御ラインの配置を提出してきた。
最初、まさかという表情のものがほとんどであったが、数日かけて実際にその配置の確認をする為にちょっかいをかけた結果、それは限りなく正しいという事がわかったのである。
そうなると、ぜひ作戦を行うべきだという流れに一気に傾いた。
誰もがここで足止めを喰らうのはうんざりしていたし、補給が滞り始めていた事、兵士の士気の低下と不満が大きくなっているのがわかっていたためである。
要は、一気にケリをつけて、首都を攻略して共和国との戦争を終わらせたいと思っていたからだ。
実際、多くのものは最初の快進撃の事があり、年内に共和国は降服すると思っていた。
だが、目の前に広がる防衛ラインによってそれは崩れ去ろうとしている。
そんな中で今回の作戦提案は、神によって差し出された希望の光のように誰もが思えたのである。
だが、一部の者達にはそう思っても素直に賛同できないでいた。
アベリッツ少将を中心とした派閥の者達である。
共和国侵攻部隊は、大きく3つの派閥に分かれていた。
トラッヒ総統に絶対の服従を誓う親衛隊、元々軍部で幅を利かせていたアベリッツ少将を中心とした旧軍派、そして、トラッヒ総統の改革によって軍に所属するようになった元商人や傭兵団を中心とした新興派である。
そして、今回の作戦提案は、新興派から提案されているのだ。
その為、旧軍派はその情報が正しいか確認をしなければならないと言いがかりをつけていろいろ手を回して妨害してきたのだ。
だが、今回の敵の防御ラインの配置が、かなり正確であるという事が証明され、アベリッツ少将は作戦に対して合意するしかなかったのである。
「ともかくだ。我々は我々で打開策を考えねばならない。幕僚達に何か手はないか考えておくように指示を出しておけ」
その言葉に、副官は少し考えた後、口を開く。
「それならば、いっその事、我々は後方に位置して戦力温存に徹してはどうでしょうか?」
その提案にアベリッツ少将は眉を顰める。
それはそうだろう。
作戦提案だけでなく、前線の手柄も連中に取られてしまうのは面白くない。
それに共和国を占領後の利権争いでさえも後手後手に回る恐れがある為だ。
アベリッツ少将の表情からそれがわかったのだろう。
副官が言葉を続ける。
「この作戦、必ず成功するとは限りません。それに、成功したとしても前線で手柄を得る代わりに、損害は大きいと思われます。ですので……」
そこまで言われ、副官が何を言いたいのかわかったのだろう。
アベリッツ少将はニタリと笑みを浮かべる。
「つまり、防衛ラインを突破した後、一気に前に出て、疲弊しきった新興派の連中を出し抜こうというのだな」
「はい。その通りでございます。防衛ラインを突破という功績は大きいでしょうが、首都を陥落させたという功績の方がはるかに大きいと私は思っておりますので」
その言葉に、アベリッツ少将は頷く。
しかし、すぐに表情を曇らせた。
「しかし、そうそううまくいくとは思えん」
「ですが、新興派をまとめるヴァスコ少将は元傭兵団上がりという事もあり、無理な進撃はさせないかと。それに……」
そこまで言って周りを見渡すとアベリッツ少将の耳元に口を寄せて小声で伝える。
「連中の補給を担う部隊の部隊長は我々と同じ旧軍派のものです。ですので、すでに何かあれば理由をつけて補給を滞らせるように指示を出しております」
その言葉にアベリッツ少将は驚くと同時に楽しげに笑った。
「なるほどな。貴官の言う通りだ。今は我慢の時というのだな」
「はい。そうすべきかと」
その言葉に、アベリッツ少将は満足げな表情で頷くのであった。
やっとか……。
クラブス大尉は、心の中でそう呟き、上官から手渡された命令書を受け取った。
上官から作戦実施の指示が出たのは、敵の防衛ライン後方に回り込めるルートを発見したと報告してから実に10日が過ぎていた。
今やちらつく程度だった雪は深々と降り始めており、少数とはいえ、秘密裏に進軍するにはかなり厳しい条件になりつつある。
なんせ、進軍中、特に敵地や敵地に近い場所では火が起こせないのだから。
その為、クラブス大尉は徹底的な防寒の為の装備を申請した。
最初は渋っていた上官だったが、あくまでも少数という事、それに彼らが陽動に失敗すれば作戦は失敗するという事もあり、出来る限りはやってやると約束を取り付けた。
その結果、クラブス大尉の部隊と、彼に賛同する部隊の混成で編成された三百名の兵士達には、他の部隊にはあり得ないほど破格の装備が用意された。
特に、火が使えない時の為に携帯食には最近開発された缶詰が用意されてたし、寒さに対しても将校が使う様なきっちりとした防寒着やコートが支給された。
「おいおい。こんないい服は初めてだよ。すげぇ温かけぇ」
「ああ。本当だ。これなら少々の寒さも大丈夫だな。それはそうと、服もだけどあの缶詰ってやつ、あれすごいな。調理しなくてもうまいぞあれ」
「おう。試食という事で食わせてもらったが、火を通さなくてもうまいよな」
支給されたものは全て兵士達にはとても好評だ。
特に、火が起こせない場合、どうしても食事は制限されてしまう為、缶詰の支給はとてもありがたかった。
下手したら、重いし破損の恐れが高いが瓶詰を用意してもらうしかないかと思っていたクラブス大尉は上官の手配に感謝した。
もっとも、上官としても、今回の作戦が成功するかしないかで今後の出世が大きく変わってくる以上、かなり本気でやっているのだろう。
普段からこういうことはもっとやってくれてもいいのにな。
兵達が嬉しそうに支給された防寒具や装備などを確認しているのを見つつ、思わぬ嬉しい誤算にクラブス大尉は苦笑していた。
「よしっ。各自、支給された装備の確認をきちんとしておけ。明日には出発するからな」
そう言った後、クラブス大尉はニヤリと笑って言葉を続ける。
「あと、寒さ対策として少量ではあるが酒の携帯も許可する。各自用意しておけ」
その言葉に、兵士達から喜びの声が上がる。
その兵士たちの様子に笑いながら、クラブス大尉は言う。
「ただし、余りにも度を超えた量を持ってきた者は没収だ。いいな?」
兵士達の笑い声が響く。
まるで遠足のような雰囲気だが、クラブス大尉も兵士達も今回の作戦が困難なものになるのは理解していた。
だからこそ、今だけはという気持ちであった。
「では、各自解散」
そう言うとクラブス大尉はあてがわれた部屋に戻る。
そこには同行する二人の部隊長が待っていた。
「どうだったね?」
部隊長の一人にそう聞かれ、クラブス大尉は笑う。
「いや、完全に遠足でも行くかのような雰囲気だったよ」
その言葉に、部隊長の二人は笑った。
その様子から、恐らく二人の部隊でも似たような状況だったのがクラブス大尉にも判った。
そして共に笑った後、クラブス大尉は呟くように言う。
「本当に気のいい連中だ。なんとか作戦を成功させ、彼らを死なせないようにしなくてはな」
その言葉に、二人の部隊長も頷く。
「ああ。その通りだ」
「絶対成功させよう」
三人は大きく頷き合うと、作戦の工程の確認と、明日以降の準備を始めるのであった。
王国と共和国の間にある無人島。
ナッカーラーザに停泊していた艦船が錨を上げて出港準備を始めている。
『バントコラ軍港攻略作戦』が開始されたためだ。
その様子を艦橋の窓越しに見ていた毛利中将はため息を吐き出した。
副官の浜辺大尉がそれに気付き、声をかける。
「どうされたのですか?」
その言葉に、毛利中将が苦笑した。
「いやなに、なんかこう深みにはまっているというのを痛感してな」
「深み……ですか?」
そう聞かれて毛利中将が苦笑を浮かべる。
「ほんの数年前は、まさか自分が外国の艦隊を含めた大艦隊を指揮するとは思ってもみなかったからな」
「確かにそうですね」
その言葉に、毛利中将は、ひしっと浜辺大尉の両肩をしっかりと握って言う。
「そうなんだよ。なのに、段々と階級は上がるわ、責任は重くなっていくわで、胃に穴があきそうなんだよ」
その表情は真剣だ。
その様子に引きつつ浜辺大尉は「大丈夫ですか?」と聞く。
「大丈夫なわけないだろうがっ。大体だ。鍋島長官が元凶なんだよ。あの人、人畜無害のような顔をしていて、気が付くとこんなに状況に追い込んでるんだもんなぁ。絶対、腹黒だっ」
一気にまくしたてるように言う毛利中将に、浜辺大尉は心の中で苦笑する。
いや、期待され、それに十二分に答えている中将も原因かと。
思わずそう言いたかったが、なんとかその言葉を飲み込む。
「まぁ、まぁ……」
そういうと、毛利中将が愚痴を早口で言っている。
それを聞き流しながら、浜辺大尉は周りの様子をうかがう。
艦橋にいるスタッフは、必死に笑いを押さえているらしく、視線を合わせないようにしたり、肩を震わせていたりしていた。
彼らにとって、毛利中将の愚痴はいつものことであり、副官がきちんと収めるだろうと判っているからである。
その様子から、副官は心の中で苦笑する。
作戦前だというのにみんな落ち着いているな。
これなら安心だ。
そう思うと、ふーと息を吐き出して魔法の言葉を口にする。
毛利中将にのみ通用する特別な魔法の言葉である。
「真奈美ちゃん、きっと喜びますよ。『外国の艦隊も指揮するお父さんってすごくかっこいいし、誇らしいな』って」
その言葉に、毛利中将の愚痴が止まる。
「そう思うか?」
「はい。そう思います」
「そうか……」
毛利中将は黙ったまま静かに視線を天井に向けた。
すーっと息を吸うと吐き出した後、パンパンと自らの頬を軽く叩く。
そして、表情を引き締める。
「よしっ。さっさと連盟の連中を追い出すぞ」
なお、浜辺大尉や艦橋にいるスタッフには、その言葉に続く毛利中将の心の言葉が頭の中で再生された。
『そして、娘にお父さんがどれだけすごい事をしたかを話さないといかんな!』と。
彼らは、毛利中将がとてつもなく娘を愛して大事に思っているかをよく知っている。
その為、そんな事を思っているに違いないと確信していたのであった。




