密書 その5
合衆国のフソウ連合の大使館を出て車に乗り込んだ合衆国副大統領であるデービット・ハートマンは頭を抱えていた。
隣に乗り込んでいるのは、フソウ連合駐在大使ではあったが、急遽本国に戻る様に言われてそのまま足止めを喰らって大統領補佐官みたいな仕事を押し付けられてしまっているアーサー・E・アンブレラで、彼も深刻な表情をしている。
彼らにもたらされたのは、ドクトルト教の決起に関しての情報だ。
以前のドクトルト教による世界統一の時は、合衆国は蚊帳の外であった。
それは移民してきた者と原住民との争いが激しかった為、それどころではなかった為である。
だが、それ故に他国のように同国民同士で血で血を争う戦いにはならなかった。
当時の合衆国移民者は、原住民を自国の住民と考えていなかった為だ。
その結果、別の意味で血が流れはしたが……。
ともかくだ、その結果、宗教による混乱はなかったものの、原住民との対立は未だに強く残っている。
実際、今回のクーデター騒ぎに合わせたかのようにちょこちょこした動きがあり、大統領府の人間が大事にならないように動き回っているのだ。
その結果、本当なら他国と同様に連盟を弾圧し、共和国に全面協力したいのだが、動けないという現状が出来上がってしまっている。
「本当に、どうしたものか……」
デービットはそう呟くと頭を掻きむしる。
最近薄くなってきた髪の毛が、益々薄くなるのではないかと思ってしまうほど搔きむしっている。
「ほどほどにしておけよ。益々薄くなるぞ」
見かねてアーサーがそう言うと、「ほっとけ」と言い返すデービット。
その言葉に、アーサーはニタリと笑った。
「その様子じゃ、大統領府に戻ってもろくなことにはならん。ちょっとうちに寄っていけ」
アーサーは、そう言うと運転手に行き先の変更を指示する。
「お前の家にか?」
「ああ。素面じゃやってられんだろう?」
ニマリと笑ってそう言われ、「まったくだ」とデービットは言い返す。
本当に酒でも飲まなきゃやってられん。
デービットの本心であった。
20分もしないうちにアーサーの家についてデービットは驚く。
ちょっとした屋敷であった。
「お前、アパートじゃなかったか?」
思わずといった声で聞く。
「ああ、以前はな。祖父の遺産を受け継いだんだ。その一部さ」
アーサーはつまらなさそうに言う。
そして呟く。
「おかげで自由を失ったよ。フソウ連合にまた行きたいものだ」
だが、その呟きは、デービットには聞こえなかったようだ。
「ともかく中に入ろう」
アーサーはそう言うと、屋敷に入ってそのまま客間に移動する。
「ほれ、麦酒でも飲めば少しはすっきりするかもな」
そう言ってアーサーはデービットにビールを瓶ごと渡す。
それを受け取り、二人は瓶を重ねた。
ガラスの音が響き、二人は言う。
「合衆国の為に」
その後、ビールを口に運ぶ。
そして半分ほど一気に飲んだ後、ぷはーっと息を吐き出した。
「やっぱり、職務中に飲む酒は最高だ」
デービットがやっと浮かんだ笑顔で言う。
「だな」
そう言った後、アーサーは表情を引き締める。
「今回の件、どう思った?」
その問いに、デービットは不貞腐れた表情をして答える。
「いい加減にしてくれと思ったよ。合衆国の現状では手が打てない。なんせ、誰が味方か、誰が敵か見分けがつかんからな」
そう言った後、続けて呟く。
「まぁ、こっちの対応次第では、騒ぎの大きさは少しは違ってくるとは思うんだがな」
「確かにな」
アーサーはそう言った後、少し考えて聞く。
「で、今回の件、大統領には言うのか?」
「言わなきゃならんだろう。事が事だけにな」
そのデービットの答えに、アーサーは言い返す。
「大統領には報告しない方がよくないか?」
予想外の言葉に、デービットは驚いて聞き返す。
「どういう意味だ?彼はドクトルト教を信仰しているが、どちらかと言うとリアリストで責任感が強い。この情報にしてもきちんと対応してくれるはずだ。それに、この国のトップだ。知っておく必要があるのだはないか?」
その言葉に、アーサーは頷く。
「ああ、その通りだ。だが、考えてもみたまえ。フソウ連合は、なぜ我々二人だけをわざわざ指名して呼び出したかを」
その言葉の意味に、デービットは気が付く。
フソウ連合側も今回の情報は漏洩したら拙いと思って機密性を重視して今回のようなことをやったのだという事を。
「つまりだ。今回の件、フソウ連合もかなり気を使っているということか」
「ああ。彼らも我らの状況を考えての行動だろう。ほんとうにありがたいことに涙が出るね」
そう言いつつも、アーサーの表情は渋いものだ。
つまり、それだけ合衆国の国内の現状が把握されているという事であり、反対にこっちはフソウ連合の国内の事はまったく把握しきれていない現状にイラつきさえ感じているのだ。
一方的な気配りは、度を越えると時折相手を馬鹿にしているかのように感じさせるか、慢心を増長させる傾向がある。
どうもアーサーとしては、今や合衆国が格下という感覚があり、フソウ連合とは同格でありたいという思いがあるのだろう。
その様子に、デービットは苦笑する。
相変わらずだと。
「で、大統領になぜ知らせない方がいいのか、理由を教えてくれ」
「忘れたのか?あいつの奥さんは、とんでもない熱心なドクトルト教信者だぞ」
そう言われて、デービットも思い出す。
そうだった。
奥方は、教国の司祭に知り合いのいるほどの熱心な信者だったことを。
「不味いな……」
デービットの口から言葉が漏れた。
アルフォードは恐妻家だ。
そうなると……。
「そう言う事だ」
ふたりはため息を吐き出した。
しばしの沈黙。
そして諦めたようにデービットは口を開く。
「ならどうするよ?」
「まず、誰が味方で誰が敵かを見極めないといかんな」
「その目安はあるのか?」
そう聞かれ、アーサーは言い切った。
「あるじゃないか」
そう言って出したのは、渡された束縛非対象者リストだ。
「なるほど。これらの人物は、間違いなくこっち側と思っていいか」
「ああ。ただ、鵜呑みには出来ないから調査したうえでという事になる。諜報部で信頼出来る者はいるか?」
「ああ、従弟で信頼出来る奴がいる。そいつを使おうと思う」
「それでやってくれ。で、少しずつ増やしていこう」
アーサーの言葉に、デービットは少しほっとしたものの、すぐに不安そうな顔になった。
「しかし、間に合うのか?」
「やるだけのことをするだけだ」
「そうだな。後はどうすべきだと思う?」
そう聞かれ、アーサーは考える。
「そうだな。大きく表で動くことは難しい。特に副大統領なんて役職だとな」
そう言われて、デービットは苦笑して言う。
「なら代わってくれるか?いつでもいいぞ、お前なら」
「冗談はやめてくれ。私はさっさとフソウ連合の駐在大使の仕事に戻りたいのに、お前らが無理やり大統領府に足止めしたんだろうが」
そう言われてデービットは益々苦笑した。
「そうだったな。すまんすまん」
そう言いつつも、すぐに言葉を続けた。
「だが、お前がいてよかったと思うよ。それで、お前さんはどう動く?」
「そうだな。気は進まんが、知り合いに手を借りようと思っている」
「知り合い?信用できるのか?」
「信用出来るさ。祖父の友人達なんだ」
「なら、大丈夫だな」
デビットはそう言って、再び麦酒を飲む。
あっという間に空になった。
新しいビールの瓶を渡しつつ、アーサーは言う。
「ああ、大丈夫だとは思う。ただ、あまり深く関わりたいとは思わないな」
思わず出た言葉に、デービットは聞き返す。
「いいのか?」
それは親友は心配しての言葉だった。
「ああ。大丈夫だ。こっちの拘りがちょっとあるだけだからな。向こうは喜んで協力してくれるだろう」
「そうかそれならいいけどな」
そう言ってデービットは二本目の麦酒を煽るように飲み切ると立ち上がった。
「美味かったよ。新しい情報や進展があったらまた寄らせてもらうよ」
「ああ。そうしてくれ」
アーサーはそう言ってデービットを送った後、執務室行くとデスクの鈴を鳴らす。
するとドアが叩かれ、一人の女性が執務室に入室してきた。
メイドの服装をしているものの、その動きに無駄はなく、まるで機械が動いているかのようだ。
アイン・シャトラトス。
合衆国のかって魔術師だった者達によって作られた秘密結社の一員であり、彼らとの連絡員である。
「お呼びでしょうか、アーサー様」
その言葉に、少し拗ねたような響きがある。
まぁ、引き継いだ屋敷のことを任せて、主人であるアーサーはフソウ連合駐在大使として長い間不在であったのだ。
その上、国に帰って来てからも屋敷に来ることは稀で、大統領府に入りっぱなしとなればそう言う態度を取りたくもなるだろう。
「すまん、すまん」
アーサーは苦笑して言う。
「別に怒ってなどいません。何か疚しいことでもあるのでしょうか?」
皮肉めいた口調でそう言われる。
あー、かなり怒っているな。
そう判断する。
だが、今は少しでも時間が惜しい。
「すまないが、会合に参加させてもらいたいんだが……」
その言葉に、アインの眉がピクリと動いた。
「お急ぎでしょうか?」
「出来る限り急ぎたいね」
「では、今夜、時間を作って招集をかけます」
その言葉に、アーサーは慌てる。
「ち、ちょっと、招集って……」
慌てるアーサーを見てアインはクスクスと笑った。
「お急ぎなんでしょう?」
「その通りだが、しかし……」
するとアインはため息を吐き出した。
「アーサー様、あなたは自分の立場をもっと理解してください。あなたは、『E』の称号を受け継ぐ者なのですよ。それをしっかりわかっていただかねば困ります」
そう言われ、アーサーはため息を吐き出した。
「わかっているから、あんまり行使したくないんだけどなぁ……」
自分が秘密結社の中核の人物の一人だと自覚したくないささやかな抵抗である。
そう呟くように言うと、アーサーはため息を吐き出した。
あー、早くフソウ連合駐在大使として、フソウ連合に戻りたい。
そう思いつつ。




