フソウ連合海軍第一海兵隊、西へ その1
王国のフソウ連合海軍基地に近いフラベーラ海岸の沖合。
そこには数隻の一等輸送艦と二等輸送艦が展開していた。
上陸作戦の訓練中のようである。
「おらおらっ、ちんたらやってんじゃねぇ。上陸戦は時間との戦いなんだっ。もっとスピート上げろっ」
一等輸送船から下ろされて海上を滑るように突き進む大発動艇。
荒れた海の上をもうスピードで進む為、大発動艇略して大発はとんでもなく揺れているが、そんな中、笑いつつそう言っているのは新しく編成されたフソウ連合海軍海兵隊の第一海兵隊の指揮官である杵島少佐である。
なお、陸戦隊から海兵隊に編成され直した結果、陸戦隊の規模はより大きくなり、多くの人員が昇進した。
勿論、杵島大尉も昇進した。
いややっと昇進したというべきなのかもしれない。
元々昇進していてもおかしくない人材なのだが、本人がかなりごね、現場指揮もしていいというとやっと渋々応じたという現場志向主義のゴリゴリマッチョだったのである。
「わははははっ。いいぞっ。もっと飛ばせっ」
超ご機嫌な彼と違い、大発に乗り込んでいる他の者達はただ黙って耐え忍んでいた。
でかい図体の男達が青い顔をして、何かに耐えている様子だ。
多分、そのうちの何人かは吐き気と戦っているに違いない。
そんな中、例外もある。
筆頭が、杵島少佐の隣にいる金髪の女性だ。
年の頃は三十前半といったところか。
かなり体を鍛えているのか、軍服から出ている腕には、しっかりとある程度の筋肉が付いている。
だが、軍服を身にまとい鉄帽をかぶっているが、どう考えても場違い感がとてつもなく強い。
そう、彼女は杵島少佐に付けられた通訳であった。
そして、彼女は杵島少佐の言葉を必死になって共和国語で通訳して叫んでいる。
普通の通訳なら、元々の声が大きくても叫ぶ必要はないだろう。
だが、荒波と大発の発動機の音で、叫ばないと聞こえないのである。
必死になって悲鳴に近い声で通訳している辺り、プロ意識がとてつもなく高いと言えるだろう。
そんな姿を見せられて、兵士達は弱音を吐けない、みっともないところを見せられないと必死になって耐えているというのが現状であった。
そして、通訳が終わって、必死になって柱の一つにつかる。
何度も海面に叩きつけられ家のように揺れ、その度に身体が跳ね、お尻をしたたかに打ち付ける。
悲鳴が漏れそうになったが、元々負けん気が強い性格の為、悲鳴なんか上げてやるものかと必死になって歯を食いしばって閉じる。
ちらりと見ると、実に楽し気な杵島少佐の笑顔。
もういや~っ。
あーんっ、なんでこんな事に……。
後悔がいつものごとく頭の中を染めていく。
しかし、途中で逃げたくないっ。負けてたまるかっ。
そんな思いだけで、彼女、フランチェスカ・ランファーナはその日もなんとか仕事を終えたのであった。
フランチェスカは元々は軍人ではなく軍属にはなるが民間人扱いであった。
仕事は通訳であり、専攻はアルンカス王国やフソウ連合のある共和国曰くアバハートラ東部地域といわれるあたりだ。
言語だけでなくその地域の文化なども精通しており、フソウ連合が開国後は、その知識よりフソウ連合に関する情報の整理や翻訳を任されていた。
勿論、担当者は彼女一人ではないが、そんな中でも彼女は特に優秀といった部類に入るだろう。
そして、フソウ連合と条約を結んだぐらいまでは良かった。
忙しいもののこんな訓練に参加する必要はなかったのだから。
だが、連盟の戦争が始まってから忙しさが倍増した。
フソウ連合からの支援が増えたのが原因である。
もちろん、物資の支援だけなら、まだ何とかなっただろう。
だが、物資の支援だけではない。
技術や武器の支援などの専門的な支援も増加したのである。
特に、今まで共和国で使っていなかった兵器や装備が一気に増えた。
対潜水艦装備やフソウ連合製の新造艦、そして陸上兵器。
その種類は多彩だ。
もちろん、フソウ連合側も支援の為に技術者や経験者、指導員を派遣している。
だが、どうしてもならないものがあった。
通訳不足である。
元々最近までフソウ連合は鎖国していたために、互いの言語に詳しいものが少ないのだ。
その結果、共和国側の通訳の仕事量がとんでもない事になる。
まさに寝る間も惜しんで言う有様である。
そんな中、彼女の元に吉報と思われるものが届いた。
フソウ連合の海兵隊が共和国に上陸作戦の指導をする事になった。
その専属の通訳が必要というのである。
一ヶ月程度の間だが、その専属として仕事当たれるという事は、その仕事だけをしておけばいいという事でもある。
そして、もう一つ、彼女が今回の仕事に志願した理由がある。
彼女は、筋肉質の男が大好きなのだ。
もっとも、表立って言えるわけがない。
マッチョなイケメン大好きとか……。
ともかくだ。
専属になったら、その仕事だけすればいいという事と派遣された指揮官がマッチョで東洋風イケメンらしいという事を聞いて彼女は飛びついたのである。
指令官付きなら前線なんていかないで済むし、悠々自適とまではいかないものの、のんびりできると思っていた。
だが、初日から現実は甘くないと知らされた。
それから一週間が経ったが、現状は変わらない。
五時間後……。
無事訓練は終わり、隊の軍用車でフランチェスカは隊舎に送迎された。
だが、その姿は悲惨である。
髪はボサボサ、目の下にはうっすらとクマがあり、それが益々疲れ切った表情を強調させている。
車から降りる身体はゆらゆらと揺れ、まだ海の上にいるかのようだ。
その様子から、今日もとんでもなく大変だったのがよくわかる。
唯一の救いは、帰宅する時間がきちんと今の所夕方だという事だけだろう。
「ご苦労だったな、お嬢さん」
杵島少佐は降りて隊舎に戻っていくそう声をかける。
その表情は明るく、あの厳しい訓練中も浮かべていた微笑みを今も浮かべている。
共和国の強者たちでさえ、今日の訓練では、そのほとんどが最後はぶっ倒れてしまったというのに。
なのにこの人は余裕綽々といった感じて、もう一度やれと言われたら、多分笑いつつやってしまうだろう。
そんな事を思わせる笑顔と態度だった。
この人、化け物だ。
本当に、人間なの?!
そう思いつつ恨めしそうな表情を浮かべて、フランチェスカは杵島少佐を見る。
確かにマッチョな東洋風イケメンに見えなくもない人物だ。
筋肉は文句はないし、顔の造詣も悪くない。
共和国や王国の男とは違う味のある顔だし、結構好みである。
しかしだ。
ないわ~。
これはないわ~っ。
本当にないわ~。
結構スポーツで身体も鍛えてきたし、予備役の訓練も参加してこなしてきたからそこそこ自信もあったはずである。
しかし、それは初日に木っ端みじんに吹き飛ばされ、日に日に追い詰められていく感が強い。
こんな生活が、これが後三週間も続くのか……。
絶望しかない。
この話を聞いて、参加を希望するあの時の自分を殴り飛ばしたい衝動に駆られそうになった。
もっとも、過去の自分をどうこうできないのでどうしょうもなかったが。
「大丈夫か?」
杵島少佐が覗き込む感じでこっちを見て言ってくる。
「大丈夫のように見えますか?」
思わずそんなことを言うと、杵島少佐は笑って言い返してくる。
「大丈夫のように見えないな」
思わず怒鳴り返そうかと思ったものの、そんな気力はもうなかった。
「もういいです……」
ため息を吐き出して隊舎に向けて歩き出す。
そんなフランチェスカを杵島少佐は再度呼び止めた。
「もう、なんですか?」
そう言いかけたフランチェスカに紙袋が手渡された。
「疲れた時は、風呂に入って、さっさと寝ろよ」
そう言うと杵島少佐は車に戻る。
車はドアが閉まってすぐ動き出し、隊舎から離れていく。
あっという間の出来事に、フランチェスカは紙袋を持ったままその場に取り残された。
「もう、なんなのよ」
思わずそう叫んだが、その叫び声は、車には届くはずはなかった。
「隊長、また例のやつですか?」
笑いつつ車を運転している副長の東芝がそう声をかけてくる。
その言葉に、杵島少佐は頷いて言う。
「ああ、彼女は頑張っていたからな。ああいうがんばっているのをみるとついな」
ここ一週間の間、実施された訓練は、確かにきつい。
たが、参加している共和国の陸戦隊は、プロだ。
それ故に付いてくるのは当たり前だと思っている。
だが、彼女は違った。
軍属とはいえ通訳だ。
それも女性である。
文句や拒否されればつれて行くつもりはなかった。
しかし、彼女は、自分の仕事に対してプロフェッショナルだった。
どんな状況も弱音を吐かずに食らいついてきた。
こういうタイプは、杵島少佐は大好きだった。
だから、だろうか。
「がんばっているものは、それをちゃんと見てるぞってご褒美やって教えてやらないとな」
杵島少佐はそう言った笑った。
「懐かしいですな」
副官の東芝がそう言って笑う。
そう、彼も、いや、彼の子飼いの部下達は全員が杵島少佐の差し入れをもらい、感動して今に至ったのだ。
そして、ふと思う。
まさか……。
一瞬浮かんだ考えを彼は頭を振って追い出す。
そんな事ある訳ないかと……。
フランチェスカは自分にあてがわれた個室に入ると鍵を閉めて、紙袋をテーブルの上に置くとベッドに崩れる様に倒れ込んだ。
しかし、すぐに最後の力を振り絞り、立ち上がるとシャワー室に向かう。
このままではそのまま寝てしまうそうだったからだ。
ふらふらと動き、シャワー室に向かって歩きつつ服を脱いでいく。
ともかく汗を流して、夕食食べて寝よう。
料理する気力はないから、買い置きのパンとチーズでいいか……。
ハムは今朝食べきってしまっていたな。
仕方ない。
また買っとかなきゃ……。
そんな事を考えつつ、シャワー室に辿り着くと熱いシャワーを浴びる。
全身があったまり、汗が流されていく。
それと同時に疲れも少しではあったが流されたかのようだ。
ふー。
少し余裕が出来た。
全身が痛いのは相変わらずだが、精神的に余裕が出来たせいだろう。
軽く体をふくとバスローブを羽織って出てくる。
そして、パンとチーズ、それにコーヒーを用意してテーブルに置いた。
自然とテーブル上に置いた紙袋に目がいく。
そういや何をくれたんだろう?
そんな事思いつつ中身を出す。
中身は、透明な液体の入った封のされたコップのような瓶が二つと缶詰が三個。
「これって……清酒?それにこっちの缶詰、うまいって評判のフソウ連合海軍レーションの奴じゃないのっ」
張られているラベルを見て、フランチェスカは驚く。
フソウ連合と交流が増え、支援物資だけでなく、文化もかなり共和国内に入り込んでいる。
特に、料理や映画と言われるものは大人気だ。
映画の方は、連盟の侵攻によって上映されなくなってしまったが、最近もアルンカス王国のお姫様と軍人の物語である『南の国で……』が大ヒットしていたし、料理もフソウ連合式の食事を出すところも多くなっている。
それに、フランチェスカは東部地域の文化に大いに興味がある。
だから、思いもしなかったプレゼントに驚くしかない。
缶詰は、沢庵と言われる漬物と鯨肉の甘辛煮、イワシのかば焼きのようだ。
パンとチーズだけだった食事に、一気におかず三品と酒が増えて華やかなものになった気がした。
まぁ、見た目は地味だけど……。
そんな事を思ってふと笑ってしまった。
ともかく頂こう。
そう思って缶詰を開けていく。
湯煎した方がいいと聞いたことがあるが、今は食欲優先だ。
そして、缶詰を開けたあと、コップの封を外す。
ふわっと独特の香りが鼻の奥をくすぐる。
あ……いいかも。
ちょっと口に含む。
口の中に独特の風味と澄み切った味が広がっていく。
おいしい……。
でも結構強いかな。
普段は軽めのワインを少し食前酒に飲むくらいなのだ。
これを二杯も飲んだら、明日の朝起きれるかしら?
ふとそんな事を思ったが、明日は明日でいいか。
そう考えをまとめると贅沢になった夕食を食べ始める。
実に美味しかった。
清酒も缶詰も……。
そして、食事を終えるとフランチェスカは眠りに入った。
また明日も大変なんだろうなと思いつつも、それでもまた頑張ろうと思ってしまっている現金な自分がいる事に苦笑しつつ。




