密書 その1
「ハンディペン最高司祭が来られて面会を希望されていると?」
思わずといった感じでアッシュは秘書に聞き返す。
「はい。至急話したいことがあると」
「ふむ……」
息を吐いてアッシュは考え込む。
ハンディペン最高司祭と会ったのは、もう5年以上前になる。
あの時はまた王位継承権は低かった為に注目度は低く、王家の行事の中で自分に対して教会関係者の誰もが挨拶程度で済ましていた。
要は、他の王位継承権を持つ者達の方に忙しかったのだ。
しかし、そんな中、彼だけは他の王位継承権の者達と変らず、いやそれ以上に自分に楽し気に話し込んでいたのを思い出す。。
そう言えば、当時はまた彼も最高司祭ではなく司祭であったな。
懐かしい記憶に、思わず苦笑が漏れる。
まぁ、先見の明があったのか、或いはただの哀れみかは知らないが、教会関係者の中で一番親近感が湧く人物であることに変わりはない。
そんな人物がいつの間にか、最高司祭となり、そして至急の用事といって訪ねてきたのだ。
会って損はないだろう。
それに、教会関係者とのツテの再確認も兼ねておくか。
そう考えて、アッシュは思考をまとめて下に向いていた視線を上げる。
少し怪訝そうな婚約者の顔に、アッシュは笑いかけた。
その表情は、秘書ではなく、婚約者として心配している顔だ。
「大丈夫だよ。昔のことを思い出していただけだ」
そう言った後、表情を引き締めて聞く。
「で、彼の身辺の方は?」
急に王位継承権が高くなり、すり寄ってくる人間が一気に増えた為、最近はエリザベートの実家の力を借りて関わり合いになりそうな人物の身辺調査が進んでいる。
だから聞いたのである。
「彼に関しては、基本は白です。ただ、交友関係はかなり広いようですね」
エリザベートの言葉に、アッシュはなるほどと思う。
要は、彼自身は白でも、周りにはいろんな者達が関わっており、その中には、黒の者や反王家の者、他国の宗教関係者等いる為に、基本白といったのだろう。
それ故に判断は、自分に任せるといったニュアンスなのだろう。
「ありがとう。会ってみるよ。時間的にどうかな?」
連盟との戦争が始まってからは、フソウ連合や共和国とのパイプ役であるアッシュの周りは忙しくなっていた。
現に、朝一からさっきまでフソウ連合から派遣された支援物資と支援艦艇を中心とした輸送船団の件で海軍関係者と話し合っていたばかりであった。
「次の会議には30分程度の余裕はありますが、まだ食事もされていませんし……」
そう言われて、朝食から後は何も食べていなかったことを思い出す。
すでに時間は、15時時近い。
「道理で腹がすいたと思ったんだ」
アッシュはそう言って笑った。
「ただ、至急というのか気になる。頼むよ」
「ですが……」
「本当に頼むよ」
そう言われてエリザベートは苦笑した。
「わかりました。時間はこっちで何とか調整します」
「ああ、助かるよ」
そう言って、エリザベートの側に近寄るとキスをする。
「もう……」
顔を赤らめてエリザベートは少し怒った格好をしたが顔は笑っていた。
「キスして誤魔化す気なんでしょう。でも、食事はきちんとしてもらいますからね」
最近、仕事で食事を抜くことが多くなっている事もあり、エリザベートははっきりと言い切る。
その言葉に、アッシュは笑って答える。
「勿論だよ。我が愛しい人」
「調子がいいんだから……」
そう言いつつも、エリザベートは機嫌よく退室していく。
訪問者にアッシュが合う事を伝え、時間調整をする為に。
そして、退室していくエリザベートの後姿を見送った後、アッシュは表情を引き締める。
「しかし、何の用でわざわざ来たんだ?」
そんな呟きが口から洩れていた。
「これはこれは、今回は時間を作っていただきありがとうございます」
そう言って客室に待っていた人物は立ち上がって頭を下げた。
年の頃は、六十代のはずだが、まだ若々しく四十後半に見えなくもない感じの男性で、金の刺繍が入った白い法衣を身に着けている。
もっとも、デザインは普通の司祭のものとほとんど変わらず、首元と袖の部分にある金の刺繍がなければ区別は難しいだろう。
ドクトルト教王国最高司祭イヴァン・ラプト・ハンディペン。
もっとも、ドクトルト教といっても、教国のドクトルト教のやり方に異を唱えた為、王国のドクトルト教は異教徒扱いになってしまっている。
それから時間が経ったとはいえ教国の反発は今でも強く、ドクトルト教の王国派は教国及び教国関係の力が強い場所は立ち入りが禁じられているほどである。
つまり、同じドクトルト教でも、別物といっていいのである。
もっとも、完全に切れている訳ではなく、個人的な付き合いや交流は本国の目をかすめて行われているらしい。
「こちらこそご無沙汰しております」
アッシュもそういって頭を下げて近づく。
「いえいえ。こちらこそ急な面会を求めてしまって申し訳ありませんな。この大切な時期に……」
どうやら、こっちがとてつもなく忙しいのはわかっていたのだろう。
だが、それでも伝えたいこと。
さて、なんだ?
アッシュはそう考えつつ、椅子を薦め、自分も椅子に座る。
すぐにエリザベートがアッシュの分とハンディペン最高司祭の紅茶の替えを用意する。
そして、準備が終わると一礼を退室した。
「あの方が婚約者の方ですな」
目を細めてハンディペン最高司祭は退室する彼女を見送った後、視線をアッシュに戻して言う。
「ええ。そうそう結婚式の時はよろしくお願いいたします。もっとも、いつになるかは今の所は何とも言えませんが……」
アッシュが苦笑をしてそう言い返す。
何気ない会話だが、訪問理由をどう切り出して聞こうかといった感じがあった。
それを感じたのだろう。
「このご時世ですからな。ですが、その際はお任せください」
そう言った後、ハンディペン最高司祭は表情を引き締めて言葉を続けた。
「それと、今は殿下の貴重な時間を無駄にするのもなんなので要件をお伝えいたします」
そう言った後、ハンディペン最高司祭は懐から一通の封筒を取り出す。
少し厚めのもので上質な紙で作られており、教会関係のものだと判る様に封筒にはドクトルト教の文様が入っている。
そして、今は開けられているが、蝋印で封がされており、アッシュの左の腕輪がチリチリと刺激を与える。
要は魔法の痕跡があるという事だ。
恐らく、関係者以外が開封すれば、燃え尽きる様にでも仕掛けがされていたようだ。
また、郵便関係の印がない事から、通常の郵便で送られたものではなく使者が直接渡すものであり、つまり重要書類関係のものという事になる。
「よろしいのですかな?」
「ええ。構いません。残滓はありますがもう魔術も解除されておりますから」
そう言われて、アッシュは封筒から折りたたまれた何枚もの紙の束を取り出すと目を通し始めた。
段々と読み進めていくうちにアッシュの眉の間に皺が寄って険しいものになっていく。
その様子を見ながら、ハンディペン最高司祭は淡々という。
「教国のドクトルト教団から、各国の重要な司祭や関係者に送られたものです。勿論、王国にはこの通知は届いていません。この封筒は合衆国のとある司祭に送られたものですが、内容が内容だけに私に知らせてくれたのですよ」
その表情に浮かぶのは、またかという感情とやるせなさだ。
封筒に入っていたもの。
それはあくまでもこうして欲しいという嘆願書に近いものであったが、それは文面だけ見ればというべきだろう。
自分らの信仰する神を司る総本山がこうやってくれという願いは、従うものにとっては命令に近い。
ましてや、文章の端々に神の意向や信仰心の高さを求められるといった言葉を使ってあり、信仰者にとって圧力が半ばないだろう。
よくこれを異教徒扱いの王国最高司祭に知らせたな。
思わずそう思う。
そんなアッシュの考えがわかったのか、ハンディペン最高司祭は苦笑する。
「全員が全員、あの時の教国の強行を受け入れた訳ではありませんよ。ただ、国の派閥ごと反対してのが我々だっただけで」
あの時の強行。
当時の教皇が宗教による世界の統一を打ち出して強行し、世界中を混乱させたことだ。
あの時は、反対派の一派がその教皇を座から引きずり下ろし、何とかおさまった。
「つまり、あの時の恐れが再び出てきたと?」
「ええ。可能性は高まっているそうです。現教皇は姿を見せなくなり、一部の派閥が強行して、他の派閥を圧していると聞いています。本国の内情はあの時に近い有様で逼迫しているとか」
それが本当なら由々しき問題になる。
教国のドクトルト教とは完全に切れている王国や宗教制限がある帝国、それにフソウ連合やアルンカス王国辺りはそれほど問題ないだろう。
ただ、合衆国や共和国、それに各国の植民地には多くのドクトルト教徒がいる。
それが動いたら……。
背筋に寒気が走り、冷たい汗で濡れた。
確かに、これは至急手を打たなければならない事だ。
アッシュはそう思考するとハンディペン最高司祭に頭を下げる。
「ありがたい。確かに至急の要件ですな。この手紙は預かっても?」
「構いませんが、出所は……」
そう言われて、アッシュは頷く。
「勿論です。秘密裏にいたします」
その言葉に、ハンディペン最高司祭は頷くと口を開いた。
「それと、正式に公表するのは、教国が動いた後になりますが、今の時点で今回もドクトルト教の王国派は、政治に口を出さないことを宣言させていただきます」
はっきりとした口調でそう言い切る。
それを受け、アッシュは頷く。
「わかりました。助かります」
しかし、ハンディペン最高司祭の言葉はそれで止まらなかった。
「それで、実はお願いがあるのです」
「お願いですか?」
「はい。恐らく殿下は、合衆国や共和国へ知らせられると思いますが、それは秘密裏にお願いいたします。それと……」
歯切れの悪い口調にアッシュは言葉を促す。
「私でよければ、出来る限りの協力をさせていただきます」
その言葉にほっとした表情を見せるハンディペン最高司祭。
恐らくその言葉を待っていたのだろう。
すぐに口を開く。
「実は、これらの人々を摘発から外してほしいのです」
そして、懐から厚めの紙の束を出す。
その紙には、びっしりと国と住所、氏名が書き記されていた。
「これは?」
「今回の件に反対している者達です。ただ、圧がある為、表立って動けないといったところでしょうか」
なるほど。
ハンディペン最高司祭の協力者といったところか。
或いは、この封筒を送ってきた者以外にも相談を受けたのかもしれない。
ともかくだ、ここで拒否するのは悪手といえるだろう。
ここで断れば、今後の協力が得られないかもしれない。
だから、こう答える。
「わかりました。ですが、国内の事は間違いなくお約束できますが、国外の事は……」
「わかっております。出来る限りでいいので」
そう言われて、アッシュは返事を返す。
「わかりました。出来る限りのことはさせていただきます。各国へ働きかけておきましょう」
その言葉にハンディペン最高司祭はほっとした表情になった。
彼とて絶対の約束を期待していたわけではないのだろう。
だが、友人や頼られた以上、出来る限りはしたいと思っているのだ。
「流石は次期国王といわれだけありますな」
そんな言葉がハンディペン最高司祭の口から洩れる。
そして、言葉を続ける。
「我らドクトルト教王国派は、これからも王家、いえ殿下を支持し支えていきたいと思っております」
言い終わるとハンディペン最高司祭は深々と頭を下げた。
それを受け、答えた言葉の通りに出来る限りのことはしなければとアッシュは思うのであった。




