亡命 その2
路地での出来事から二時間後、亀谷兵曹長と赤間三等兵曹の二人は、アンパカドル・ベースの建物の一室にいた。
その部屋は、それほど大きくない部屋で、中央にテーブルと4つのソファがある以外は何もなかった。
ただの会議室のような部屋ではあったが、異常さを感じさせる部屋だ。
その部屋には窓がなかったのである。
この部屋は、諜報部が使う専用の部屋であり、壁の間には呪符によって結界が張られ、誰も覗き込むことも外部に音を漏らすこともない特別な部屋であった。
そんな中、亀谷兵曹長と赤間三等兵曹の前には二人の男がソファに座っており、亀谷兵曹長の話を聞いている。
二人共階級章を外してある軍服を着こんでおり、階級章の部分は、紫に塗り潰されている。
一人はアンパカドル・ベースの諜報部門の関係者であり、かなり上位の者らしかったが名前は紹介されなかった。
もちろん、もう一人も紹介されなかったが、亀谷兵曹長はその男を知っていた。
真島東吉。
三島本家の分家に当たる真島家の関係者で、亀谷兵曹長とは顔見知りであった為である。
一通り、事の発端と結果を話した後、亀谷兵曹長はふうとため息を吐き出した。
その様子に真島は苦笑した。
亀谷兵曹長は家を継がなかったが、魔術の鍛錬は軍務につくまできちんとやっており、その度に悪運とも呼んでおかしくないような運の強さを示していたのを思い出したからである。
「相変わらずといったところか」
思わずそんな言葉が漏れる。
その言葉に、亀谷兵曹長は苦笑して言い返す。
「そう言ってくれるな。俺自身がそう思っている事をここ最近何度も体験しているからな」
その会話に、諜報部の、恐らく真島の上司に当たる人物は聞く。
「どうやら、知り合いのようだな」
「ええ。こいつの事はよく知っていますよ。だから、間違いなく言い切れます。こいつは本当の事しか言ってませんよ」
その言葉に、上司はふむと言った後、少し考えこんでいる。
その様子を見て、真島は言葉を続ける。
「それに、私もあの人物からは魔法の力を感じました。それに持っている呪物も確認しましたが、間違いありません」
そこで一度言葉を切り、そしてはっきりと言い切った。
「間違いなく、魔術師です。それも帝国の……」
「しかし、帝国の魔術師のほとんどは、例の件でいなくなったと聞いているが……」
上司の言葉に真島は答える。
「確かに例の件で壊滅したと言われています。しかし、それはあくまでもあの塔にいた連中が、です。塔から離反した者、独自に動いていた者、それらがいる可能性はゼロではありません。実際、こいつは魔術が行われた痕跡を感知し、その証拠の写真を撮ってきたのですから」
上司は考え込む。
すでに亀谷兵曹長のカメラの中にあったフィルムは現像され、それを上司も見ている。
「ふむ。確かにな。貴官の言う通りだ」
上司はそう言うと頷く。
「では?」
真島がそう聞くと上司は頷き言う。
「あの男も明日の朝一番の便でフソウ連合本国に送還する」
「了解しました」
そして、上司は亀谷兵曹長と赤間三等兵曹に対して労いの言葉をかけると退室していった。
「ふう……緊張したぜぇ……」
上司が退室した後、亀谷兵曹長はそう呟き息を吐き出す。
その横では、赤間三等兵曹がぐにゃりと身体中の力が抜けてソファの上にへたり込んでいた。
その様子を見て真島は楽しげに笑う。
それを恨めし気に見て亀谷兵曹長は言う。
「そんなに笑うなよ」
「すまん、すまん。しかし、いい判断だったな。助かるよ」
「そう思うなら、ちゃんと何かで返してくれ」
その言葉に、真島はニヤリと笑った。
「いいだろう。お前の実家に今回の活躍を伝えておく。それと山猫酒造の特級酒を後で送ってやる」
「ほう。それはありがたいな。だが、俺だけではなく、相棒にも頼むぞ」
亀谷兵曹長がそう言うと、真島は益々楽しげに笑う。
「わかった。お前さんの相棒にも、山猫酒造の特級酒を送ってやる。それでいいな?」
「ああ。それで十分だ」
そんな二人の会話を黙って聞いていた赤間三等兵曹が亀谷兵曹長に聞く。
「えっと、貰えるものは喜んでもらいますが、その特級酒って何なんです?」
その疑問に、亀谷兵曹長はニタリと言い返す。
「三島本家の関連企業で作っている酒だ。とても貴重なやつでな。確か、俺らの給料の一~二ヶ月分ぐらいはするはずだ」
予想もしなかった価格に、赤間三等兵曹が目を白黒させている。
「そ、そんな……高級酒なんですかっ」
「ああ。そうだぞ。ほとんど、三島の関係者と一部の政治関係者で消費されていて、市場にはわずかしか出回っていない」
「ごくっ。それ……本当ですか?」
「ああ。本当だ」
赤間三等兵曹はその言葉に笑うしかなかった。
「まぁ、すぐには無理だが、楽しみに待っていたまえ。それと、もうそろそろ用意された部屋で休むといい。明日は早いぞ」
真島はそう言うと、二人を下がらせる。
そして、天井を見上げると息を吐き出した。
「やはり、帝国の魔術師の生き残りが暗躍しているか……」
そう呟くと立ち上がる。
そして、自分の執務室に向かったのであった。
「以上がペギタント・リスペラードの調書です」
その報告を受け取り、真島は目を通していく。
そしてすべてに目を通したのだろう。
「ふむ。つまり、帝国とは違う組織にいたという事か」
「はっ。サネホーンとも違うようです」
帝国でもサネホーンでもない組織の存在。
新しい術式を用いた魔法陣の写真。
そして、恐らくそれに関係しているであろう人物。
魔術師であり、諜報部門の人間として、実に興味をそそられる。
しかし、その思考を止める。
この調書と共に、写真も、人物も本国に送還されるのである。
まぁ、写真は焼きまわしして手元に残せるし、調書も写せばいい。
しかし、肝心の人物はコピーすることも出来ないし、ここに残せはしない。
ましてや、より重要な情報を引き出す時間もない。
勿論、短時間で聞きだす方法はある。
だが、その場合、恐らくこの人物、ペギタント・リスペラードは死んでしまうか、廃人となってしまう。
そうなれば、とんでもない事になる。
フソウ連合の軍、諜報部だけでなく、フソウ連合の魔術師をまとめる三島本家を敵にまわす行為となるだろう。
真島は首のまわりが冷たくなっていくのを感じた。
だから、これ以上興味を持たない方が良い。
そう判断し、思考を停止する。
そして、命じる。
「お客さんは、予定通り、明日の朝一番の便で本国行きだ。後は、本国の連中に任せるさ」
真島の言葉に、報告してきた部下が苦笑する。
「そうなりますかね」
「ああ。そうなるさ。ところで……」
そこで真島は話題を変える。
「お客さんを探していた連中がいたらしいな」
「はっ。その通りであります」
「なら、俺らはそっちを当たろうじゃないか」
その真島の言葉に、報告者はニタリと笑う。
「そう言われると思い、すでに手を広げておきました」
真島もニタリと笑った。
「わかっているじゃないか」
報告者は笑みを浮かべつつ言う。
「伊達に五年も貴方の部下やってませんから」
「それは頼もしいな。期待しておくぞ」
「勿論です。しばしお待ちください」
そう言うと報告者は退室していく。
それを見送った後、真島は窓の方に移動する。
窓の先には、アルンカス王国の首都の灯りが見えていた。
フソウ連合本国と違い、アルンカス王国を始め、各国への諜報機関はまだまだ準備不足であると言える。
だが、それは裏を返せば、好きなように出来、自分の実力を示すことが出来る場でもあった。
「さて、たっぷりと楽しませてもらうとするか」
真島はそう呟くと、デスクに戻っていく。
今後の事を考えながら。
翌日の早朝。
一機の二式大艇がアンパカドル・ベースから出発した。
定期的にフソウ連合とアルンカス王国を結ぶ便の始発であり、珍しいことではない。
しかし、その機体には、少し眠そうな亀谷兵曹長と赤間三等兵曹、それにペギタント・リスペラードの三人と亀谷兵曹長の撮影したフィルムと現像された写真と報告書が載せられており、それらは搭載名簿に記載されることはなく最重要機密扱いとなっていた。




