老人と副官
ギルドから戻ってきたラチスールプ公爵は手にしていた魔道書をデスクの上に置いた。
二冊の書『グナイゼナウ』、『シャルンホルスト』を横目に見ながら椅子に座ると力を抜く。
ふーっ…。
口から息が吐き出し、同時に身体中の力も抜いてぐったりと椅子に身体を任せながら考える。
もし召喚するとしても召喚のための触媒や資材の準備に一月はかかるだろう。
それに召喚してすぐに使えるとは限らない。
前回のビスマルク、テルピッツでの経験からあんなにも時間はかからないと思われるが、それでも即戦力とはならないだろう。
艦について熟知する必要がある
だからこそ、どうすべきか…。
もしするのではあれば、迅速に準備を始めなければならぬ。
しかし、それはかなりの負担を国にかけることになる。
傀儡のためにと担いだあの男は、今や浪費するだけの塊となってしまっており、それを望み、そうなるように仕向けたとは言えあまりにも早すぎた。
その為、影の連中の報告では皇帝を倒そうと狙っているものも大勢いるようだ。
だから、それを目立たぬように狩っているのだが、そういう人物に限って有能なものが多い。
いや、有能だけに今の状態に納得できないのだろう。
こうして必要な人材は足りなくなってしまう。
早く魔術師ギルド以外にも何とか賛同者を見つけなければならぬな…。
そんな事を考えていると激しくドアを叩く音がした。
この激しさは、あの女か…。
それ以外にこんなノックをするものをラチスールプ公爵は知らない。
こんな時に会いたくはなかったが、身体に力を入れていつもの宰相という表情を作り声をかける。
「どなたじゃな?入りたまえ…」
わかりきっているものの、一応そう声をかける。
「失礼するぞ、公爵」
ドアが激しく開けられ、金髪の女性が銀髪の女性副官を連れて入室してきた。
そういえば、副官連れは初めてではないだろうか。
そんな事を思いつつ、声をかける
「これはこれは。アデリナ姫、いやフセヴォロドヴィチ海軍中央艦隊司令長官とお呼びすればよろしいですかな?」
「アデリナでも司令官でも好きな方でいいわよ、公爵」
心底どちらでも言いといった感じの表情でそう言うと、ずかずかとラチスールプ公爵のいるデスクの前に来た。
そしてばんっとデスクを両手で叩く。
相変わらず気性が激しいお方のようだ。
そんな事を思いつつ、宰相の仮面をしっかりとはめ直す。
「今日はね、聞きたい事があるのよ」
「ほほう、なんでしょう?」
ぱんっ。
再度デスクを叩き、まるで威嚇するかのように言う。
「新造戦艦の事よ。なぜ、あのビスマルク級を量産しないのかっ。その理由を知りたいのよ」
ラチスールプ公爵はまたかと心の中でうんざりする。
今回を含めて、もう五回は繰り返された話だからだ。
その度に、あれは巨大すぎてそう何隻も造れるものではないと説明し続けている。
確かにあれらは強力だが、造るだけでなく維持するにも金がかかるとわかっているのだろうか、この脳筋女はっ…。
それとも鳥頭だから、何度言ってもわからないとでも言うのだろうか。
しかし、今やこの女がいなくては帝国の防衛はなんともならないのだから、余計に始末が悪い。
有能で、出世欲もなく、使いやすい駒と思って重宝してきたが、そろそろ後の事を考えねばならない時期かもしれん。
そんな事を考える。
だが、それは今すぐと言うわけではない。
フソウの魔女どもを潰し、王国を疲弊させてしまえば、残りの国はこの女がいなくても何とかなるだろう。
だから、しばらくは我慢だ。
自分にそう言い聞かせて、ラチスールプ公爵は何とか笑顔を作る。
「以前もそれはお伝えしたはずですじゃ。予算がないのですよ。知っておいでですか?軍の占める国家予算の割合を…」
「そ、それは…」
言葉が止まり、あたふたとするアデリナ。
やっぱり知らなかったか、この脳筋女め。
心の中で笑いつつ、舌を出す。
そんな優越感に浸りかけていたラチスールプ公爵だったが、それは長く続かなかった。
「確か22.56パーセントだったと記憶しております」
そう言いつつ、隣にいた銀髪の副官が会話に割り込んできたからだ。
「そうそう。そうよ。それくらいよ」
せっかく静かになりかけていたのに、息を吹き返しやがった。
そういや、前まではこの副官はいなかったからな。
意外と曲者かも知れんぞ、この女は…。
ラチスールプ公爵は心の中で警戒し気を引き締めなおす。
「よくご存知ですな。それで?」
「えっと…それでね…」
アデリナが何か言いかけだが、ラチスールプ公爵は無視して副官である銀髪女、ノンナに顔を向ける。
ノンナの方も自分の主人は戦場では頼りになるが、こういう話し合いでは癖が強すぎて役に立たないとわかっているのだろう。
ラチスールプ公爵の視線を受け止めて口を開く。
「確かに宰相殿の言われるようにあのサイズの大型艦がどれだけ予算が必要なのかは想像がつきません。現に維持費だけで予想ですが、通常の重戦艦の十隻近くは間違いなくかかっていると思っています」
ほほう…。この女、なかなかわかっているではないか。
大体、ビスマルク級一隻で通常の重戦艦の九~十隻程度の維持費がかかっている。
つまり、二隻で重戦艦、二十隻分に近い維持費は最低でもかかるわけで、これは帝国の一個艦隊の主力艦艇の維持費に近い。
帝国の場合、一個艦隊の主力艦艇の編成は、重戦艦五~三、戦艦十~十五、装甲巡洋艦二十~二十五となっている。
先ほどの王国艦隊との戦いでの活躍があったからこそ、廃艦にして通常の艦隊の充実に予算を回せという話はぱったりとなくなったが、それ以前は頻繁に議論にでるほどだった。
多分、そういう経過もこの銀髪の女はわかっているのだろう。
ラチスールプ公爵は、無表情の中にぎらりと切れ味の鋭い刃を感じながらもそう判断する。
「確かに、その通りじゃ。優秀なようじゃのう」
「いえ、まだまだ非才の身であります。ですが、言わせていただけないでしょうか?」
「ふむ。構わんぞ。だがのう…。まさかとは思うが、今建造中の通常艦の建造を中止してビスマルク級だけ造ればいいとか言わないじゃろうな?」
そう言いつつ、ラチスールプ公爵はちらりとアデリナの方を見る。
ノンナもその仕草で誰がそんな事をいい出したのかわかったようだ。
はぁ…。
深々とため息を吐き出すと「まさか、そんな非常識な事は申しませんよ」と言ってのける。
これはこれはなかなかの肝の据わり方だな。
ラチスールプ公爵は感心し、もう少し腹を割って話してもよいかと思う。
隣でなにやら金髪女が言っているようだが、そんな事はどうでもいい。
今のわしの相手はこの銀髪女だ。
「なら、何を提案するつもりじゃ?」
「はい。はっきり言いますとビスマルク級に匹敵する艦を後、一、二隻製造して欲しいのです」
その言葉を聞いた瞬間、ラチスールプ公爵は少しは期待した自分が馬鹿だったと判断した。
上官も上官なら、部下も部下だったか…。
失望感に苛まれながら口を開く。
「話にならんな…。さっさと帰るといい」
ここで話は終わりとばかりに手を振り、退室を促す。
しかし、ノンナは落ち着き払い、言葉を続けた。
「それだけ造れとは申しませんし、ビスマルク級をそのまま作れとも申しません。ただ、ビスマルク級に近いものでいいのです。それを後一、二隻だけ追加で製造していただきたい。そうすれば、王国は簡単に跪くでしょう」
退室を促すように動いていた手が止まり、ぴくりとラチスールプ公爵の眉が釣りあがる。
「何が言いたいのじゃ?」
「今、ビスマルクとテルピッツは修理補強の為、三ヶ月は動けません。しかし、もしあと二隻でも同程度の艦があれば今頃は王国の残り二つの主力艦隊を潰し、完全に制海権を手にしていたという事です。そうすれば、王国の持っている植民地や利権をそのまま手にする事もできたと思われます。しかし、現実はどうですか?追加の二隻がない今、帝国海軍は動けません。その間に、王国海軍も復旧を急ぐでしょう。そうなるとまた同じことの繰り返しではないでしょうか…」
「つまり、もっと海軍に投資しろということじゃな?」
「はい。このような好機を生かせるような戦力が必要なのです。この現状を破る為に…」
静かに淡々と語っているはずなのに、ラチスールプ公爵には、銀髪の女の心に燃える熱い炎を身に纏っているかのように感じていた。
「ふむ。確かに言われるとおりじゃ。メンテナンスや修理のローテーションを考えれば、二隻では難しいよのう」
そう言って考える。
そして銀髪の女を正面から見据えて言う。
「わかった。前向きに検討してみるとしょう」
「ありがとうございます」
そう言って頭を下げる銀髪の女。
それに釣られるかのように頭を下げる金髪女。
「えっと…上手くいったの?」
「ええ。検討はしてみると…」
「それだけ?」
「今はそれだけでいいんですよ、お嬢様」
そういう会話をしつつ、主人を引きずるかのように引っ張って退室する為に銀髪女がドアを開けた時、ラチスールプ公爵が口を開いた。
「そういえば貴行の名前を知らなかったのう…」
すーっと綺麗な姿勢で立ち直して敬礼する。
「自分は、海軍中央艦隊司令長官直属のノンナ・エザヴェータ少佐であります」
「うむ。覚えておこう。また相談があるときは来るといい…」
「光栄です」
「うむ…」
「失礼しました」
そうして二人は退室する。
ふーっ。
息を吐き出す。
そして、デスクにある二冊の本に視線を向ける。
やはり…やらなければならないようだ…。
そう、思いながら…。




