救出
「そろそろ時間だな」
伊-19の付喪神の言葉に、副長が同意を示す。
「そうですね。では、いつも通りに?」
「ああ」
その言葉を受け、副長は命令を出す。
「潜望鏡深度まで浮上」
その命令を受けて伊-19が浮上し始める。
もっとも、海面に出るわけではないから、その動きはゆっくりだ。
そして、予定の深度に到着したのだろう。
動きが止まった。
「潜望鏡深度に到着しました」
「よしっ。通信ブイを上げろ」
艦橋に設置されていた通信ブイの固定が解放され、ブイが海面に浮きあがる。
それと同時に潜望鏡を伸ばして海面から出すと周りを確認する。
遠くに島が一つ見えるだけでそれ以外は特に何も見たらない。
それでも警戒を続ける。
サネホーンは航空機を所有している以上、特に注意しておかなければならない。
「ふむ。それで時間は?」
潜望鏡で警戒しつつ、伊-19が副長にそう聞く。
「あと、一分といったところでしょうか」
「そうか。緊急潜航の準備だけはしておけよ?」
「勿論です」
そういった後、副長は秒読みを始める。
三十から始まった秒読みは、すぐに一桁となり、そしてゼロとなった。
通信ブイを通してフソウ連合の定期連絡用の信号を出す。
そして、沈黙が艦内を満たしていく。
だが、それを伊-19の声が破った。
「反応は?」
その問いに副長が残念そうに答える。
「ありません」
その言葉に、伊-19が深いため息を吐き出した、
四ヶ所設定されている緊急避難所のうち、この島は三つ目になる。
最後の定期報告から一番近い島だったから期待していたんだがな……。
伊-19はそんな事を思いつつ、警戒を続ける。
すでにマニュアルで決められている遭難時に救難信号を出す12時から数分が過ぎようとしていた。
何も言わない伊-19に副長が聞く。
「どうされますか?」
その問いに、伊-19は短く答える。
「敵影も見当たらんし、次の定時救難信号発信時間の18時まで時間があるからな。一応、水上機であの島の周辺を調査しておくぞ」
つまり、あと6時間は緊急避難所であるあの島周辺に展開するという事だ。
それをうけ、副長は少しほっとした表情になった。
避難時に無線機がない場合もあり得るし、水上機で上空を飛べば、それに気が付いて何か合図があるかもしれない。
もし、脱出の際に救難パックを持っていれば信号弾が入っているし、それがなくても合図する方法はいくらでもあるからだ。
「では、浮上と水上機発艦の準備の指示を出しておきます」
「ああ、頼むぞ」
伊-19がそういった時だった。
通信兵が声を上げる。
「返信ありっ。救難信号受信」
「間違いないかっ」
「はっ。間違いありません。救難信号と共に、伊-13の所属コードも発信されています」
その報告に、艦内に歓声が沸き上がる。
それはそうだろう。
一か所、二ヶ所と反応がなく、捜索も空振りに終わっていたのだ。
そして、最有力候補のここも駄目だったらという思いが強くなった矢先という事もある。
仲間の無事に誰もが喜びの声を上げたくなるだろう。
そんな様子を潜望鏡から目を離して見回した後、伊-19は咳払いをして言う。
「盛り上がっているところ悪いが、どうせなら、仲間を救出してからの方がよくないか?」
その提案に、乗組員達は笑って同意したのであった。
「よしっ、艦を浮上させる。いいな、遭難者が見ているかもしれんからな。無様な格好は見せられんぞ」
伊-19の言葉に、乗組員達は笑ったものの、すぐにその表情は真剣なものになった。
潜望鏡と通信ブイが回収され、艦が浮上の為に再び動き出す。
そして、伊-19の艦体が海面に姿を現したのであった。
「そろそろ時間のはずだ。始めろ」
亀谷兵曹長が時計を確認してそう言うと、赤間三等兵曹が無線機のツイッチを入れた。
そして救難信号を出す。
もっとも、難しい操作はない。
ただ、救難信号のレバーを動かすだけだ。
それだけで救難信号は発せられる。
暫く沈黙が続く。
「ふーっ。今日も外れか……」
亀谷兵曹長がため息を吐き出してぼそりと呟く。
「そろそろ電源を切れ。電気がもったいないからな」
いつ味方が来るかわからない以上、無駄な電気の消耗は抑えなければならない。
そう言われ、電源を切ろうとした瞬間であった。
無線機に味方識別の定期連絡用の信号が入る。
それを確認し、二人は顔を合わせた。
その表情は笑顔で満ち満ちていた。
もっとも、二人共髭ぼうぼうのむさ苦しい顔だったが。
「おいっ。今のはっ……」
「味方ですよ、味方っ」
互いにそう言った後、抱き合うと声を上げた。
「よっしゃーっ」
「やりましたねっ」
だがすぐに我に返ると亀谷兵曹長が赤間三等兵曹を引っぺがして言う。
「おいっ、返信だっ。返信急げっ」
そう言われて、赤間三等兵曹も我に返って慌てて返信を送る準備をし始める。
「そ、そうでしたっ」
もし遅れたら、助かるものも助からない。
そんな事になったらとんでもなく後悔する。
慌てて返信として救難信号を再度発信し、それに部隊所属のコードを付ける。
頼む。間に合っててくれ。
二人はそんな事を思いつつ、無線機をじーっと見ている。
しかし、返信はない。
おい……こりゃ……まさか……。
嫌な予想が二人の頭の中に浮かび上がってくる。
だが、二人は気が付く。
二人のいる島の近くの海から巨大な艦影が浮上していくのを……。
そう、返信は間に合ったのだ。
二人は浮上して水上機発信準備をする様子を見て、再び抱き合った。
自分達は助かったのだと実感して。
8時間後、救出された亀谷兵曹長と赤間三等兵曹の二人は、艦内唯一の個室である艦長室で報告をしていた。
個室とはいえ、そのスペースは狭く、伊-19の付喪神と副長、それに二人が入るとぎゅうぎゅうである。
それに音も漏れているだろうから、ある意味、艦内のどこで話しても内容は直ぐに皆が知ることになるだろう。
だが、それでも艦長室という個室で当人たちだけで話し合いが行われたというのが重要であった。
つまり、機密であり、かってに口にしていい内容ではないという事を示すことが出来るからである。
そして、全ての報告が終わると伊-19は二人を退室させ休むように言う。
それを受け、二人は敬礼した後、部屋の外に待っていた水兵に案内されていった。
二人が退出した後、伊-19はふーとため息を吐き出す。
「で、どう思ったね?」
隣で記録をとっていた副長にそう聞く。
記録をまとめつつ、副長が答える。
「謎の魔法陣とその魔法の行使によって街一つが無人となっている事。そして謎の大型艦の出現とその攻撃によって伊-13が撃沈されてしまったという事。どちらにしても我々だけで判断できないものですね」
「確かにな……」
伊-19はそう言うと壁に広げられている海図を見る。
作戦行動をおこなう海域の海図だが、もしかしたらこのどこかに伊-13を撃沈した艦艇がいるかもしれないのだ。
サネホーンには潜水艦は存在せず、本艦的な対潜戦闘が出来る艦艇も皆無だと思っていた。
だが、今の報告が間違いなければ、とんでもなく強力な対潜戦闘が出来る艦艇が存在する事となる。
それは、本艦だけでなく、サネホーンの周辺海域で活動する味方潜水艦にとって最大の脅威となるだろう。
「はぁ……」
ため息が漏れる。
そんな伊-19を見て副長は慰めるように言う。
「我々は我々のできる範囲内でやっていくしかありませんよ」
その言葉に、伊-19は苦笑した。
「確かにな。それで伊-24には連絡は終わったのか?」
「はい。18時の定時報告で生存者の救助とアルマツチェスラに向かう事とは伝えました。向こうも向かうとありましたから、アルマツチェスラで合流する事になるかと」
「そうか。それで、アルマツチェスラの大鯨にも連絡は入れているな?」
「勿論です。アルンカス王国から二式大艇を派遣して待機させておくとのことです」
その報告に、伊-19は少しほっとした表情になった。
「そうか。なら、我々はあの二人とこいつを無事にアルマツチェスラまで送り届けなくてはな」
そう言って伊-19はテーブルに乗せられている一台のカメラに視線を落とす。
そう、そのカメラは、亀谷兵曹長のカメラであり、その中のフイルムには、無人になった街の様子と魔法陣、そして、伊-13を攻撃した敵艦艇の姿が写っているのだ。
それはとんでもない証拠であり、情報なのだ。
「艦内で現像しますか?」
副長の言葉に、伊-19は苦笑する。
「おいおい、現像出来る場所って言ったらここしかねぇじゃないか。その上、現像失敗したらとんでもない事になりかねない。そんな危ない目はごめんだ。大鯨の野郎にでも任せるさ」
そう言われ、副長も苦笑する。
「その通りですね。知らない方がいい事もありますからな」
「そういう事だ。ただ、情報は鮮度が重要だ。ともかく急がせろよ?」
「はっ。了解しました」
しかし、彼らは知らない。
すでに第二次アルンカス王国攻防戦は始まっており、伊-19がアルマツチェスラに到着する頃には、その謎の艦艇であるミサイル巡洋艦モスクワ率いる艦隊とフソウ連合の第一機動艦隊との戦闘が始まってしまっていることを。




