二人の決断
「ど、どうしましょう……」
今、目の前で繰り広げられた状況に、ガタガタと震えがら真っ青な顔で赤間三等兵曹が呟くように言う。
それはこっちの台詞だ。
思わずそう言い返したくなって声の方向に視線を向けかけたが、真っ青で震えている赤間三等兵曹が目に入ると亀谷兵曹長はその言葉を飲み込んだ。
抑えろ。
こんな時に自分まで混乱してどうする。
今は無人とはいえ、ここ敵地だ。
ちょっとしたミスが命取りになりかねない。
こんな所で死んでたまるか。
そして、混乱している自分に言い聞かせる。
落ち着け、落ち着け、きちんと状況を把握するんだ。
その事で、さっきまでの慌てて混乱していた思考が少し落ち着き始める。
「まずは落ち着け。まだ沈められたとは限らん」
「しかし、あんな激しい攻撃……」
まずは、おろおろしつつも必死な形相でしがみ付いてくる赤間三等兵曹を落ち着かせるのが先決だ。
「ともかく、今できる事を少しでもやって生き延びる確率を高めるのが先決だろうがっ。しっかりしろ」
そう言って背中をバシッと叩く。
その痛みと剣幕にハッとした表情になる赤間三等兵曹。
それを見て、亀谷兵曹長はニタリと笑う。
「どうだ?」
「痛いですよ、亀谷さんっ」
そう言いつつわざと痛がる素振りを見せる赤間三等兵曹。
いや、本当に痛かったのかもしれない。
加減に気を付ける余裕は亀谷兵曹長にもなかったし、かなりいい音が響いたからだ。
ともかく、いつもの調子を取り戻したことで、亀谷兵曹長は内心ほっとする。
「それでだ。これからの事を考えたいと思う。いいな?」
「はっ、はい」
「いい返事だ。俺は選択肢としては二つ考えている」
その亀谷兵曹長の言葉に、赤間三等兵曹は頷くる
「一つは、このままここで別部隊の救援を待つという選択だ」
その言葉に、赤間三等兵曹は驚いた表情になった。
自分達の母艦である伊ー13が健在であるというニュアンスが含まれていないためである。
だが、すぐにその表情も仕方なしかといった感じの表情に変化する。
それほどまでに先ほどの攻撃は激しかった。
それに最悪の事態を想定して動く方がいいとも判断したのである。
赤間三等兵曹の表情が落ち着くと亀谷兵曹長は言葉を続けた。
「もう一つは、救援地点で救援を待つという選択だ」
「救援地点って……。もしかして、あの島ですか?」
「ああ。あの島だ」
潜水艦搭載の機体による作戦にあたり、各地域ごとに潜水艦と合流できなかった場合の艦載機の避難場所の無人島が設定されている。
その場所の事を言っているのだ。
確かに母艦とはぐれた時はその選択がいいだろう。
しかし、母艦は撃沈された可能性が高く、別部隊の救援を待つのなら、下手に動かない方がいいのではないだろうか。
そんな気持ちが湧き上がってくる。
だが、すぐに別の思考も生まれた。
確かに、今はこの街は無人だ。
物資も豊富で、長く待つとしたらその方がいいのかもしれない。
だけど、いつ敵が現れるかわからない。
もしかしたら、現れないかもしれないし、現れるかもしれない。
そんな中で長期滞在は無理がある。
ならば……。
赤間三等兵曹はそう思考をまとめると口を開く。
「自分は、後者の方がいいと思います」
その言葉に亀谷兵曹長は満足げに頷く。
恐らく亀谷兵曹長もそう考えていたのだろう。
最も上官として命令する事は出来たはずだ。
だが、敢えて意見を聞いたのだ。
それは、ただ自分の意見を裏付ける為だっただけかもしれない。
しかし、そうだとしても相談されたという事実に赤間三等兵曹はうれしくなった。
「それでどうしましょう?」
「そうだな。移動するとなるとまずは燃料だな。詰めるだけ積んでおこう。それと食糧なんかも必要だな」
「それ以外にも、いろいろあった方がいいかもしれません」
「確かにな。で、どうする?」
少し考えた後、赤間三等兵曹は提案した。
「では、自分がここを見張っている間、亀谷さんは燃料と食料の調達を御願いします」
その提案に、亀谷兵曹長は頷く。
「その後は交代してそのほかの必要そうな物資をお前が調達に行くってことだな?」
「はい。その通りです」
本当なら二人同時でやった方が早く終わる。
ましてやこの街は今無人なのだ。
機体を奪われる恐れはないと言っていいだろう。
しかし、それでもまだ捨てきれていない隠れた選択肢がある。
それは、伊-13が無事で、連絡してくるという限りなく低いながらももっともそうなって欲しいという望みが。
だからこそ、その方法を提案し、その方法を選択したのだ。
それがとてつもなく難しい事だとわかっていても。
「では、行ってくる」
亀谷兵曹長はそう言うと街の方に戻っていく。
ただ、先ほどと違い、彼は港の方を重点に回るようなコースをとっていた。
ここらあたりには飛行場はない。
ならば、水上機が運用されているはずだ。
そうなるとその手の機体の整備や補給は港にある可能性が高く、また、保存のきく食糧なんかも艦艇への補給で港の倉庫にある可能性が高いと踏んだのだ。
そして、その予想は当たっていた。
一時間もしないうちに亀谷兵曹長が戻ってきた。
トラックに乗って。
荷台には、かなりのものが載っている。
「大量だったぞ。それにほれ、燃料もたっぷりだ」
トラックを止めると荷台のいくつもあるジェリカンの一つを持ち上げる。
荷台に乗っている燃料の入ったジェリカンと携帯保存用の食糧のはいっている木箱の量に圧倒されつつ、亀谷兵曹長の得意顔に向かって赤間三等兵曹は言い返す。
「そんなにあっても乗りませんよ」
「わかっているって。だからさ、いいのを選ぶんだよ。どうせお前さんが集めに行っている間は時間があるからよ」
確かに載せられる量が決まっているのなら、いいものを選ばなくてはならない。選択する余裕があるというのはいい事なのだ。
「確かにそうですね。でもしっかり見ておいてくださいよ」
「勿論だとも」
そう言いつつ、荷物を下ろし始める亀谷兵曹長をちらりと見た後、燃料と食糧以外の物資の調達に赤間三等兵曹は向かったのであった。
そして、時間は過ぎ、陽は沈み、段々と周りは暗くなっていく。
すでに零式小型水偵に載せる物資の厳選と燃料の補給は終わっていた。
二人は、食事を済ませるとトラックから幌を広げて簡易テントらしきものを作り、今日の寝床とした。
その中にまずは亀谷兵曹長が寝袋と共に入り込む。
一応警戒して交代で睡眠をとる事にしたのだ。
無人とは言え敵地であり、何が起こるかわからないための用心である。
恐らく港の警備とかで使われていたであろう簡易暖炉みたいなやつの前で余った木箱を椅子代わりにして座り、薄いコーヒーをすする赤間三等兵曹。
ただだまって座っている。
そんな赤間三等兵曹にテントの中から声が掛けられた。
「なんとかなるかな?」
それは余りにも小さな声であり、ふと口から出た言葉だったのだろう。
本人は言うつもりはなかったが、こぼれ出たというところだろうか。
その言葉に、赤間三等兵曹は笑って返答する。
「何とかなりますって」
そして、ニタリと笑うとお道化て言葉を続ける。
「それに亀谷さんには麦酒をおごってもらわないといけませんから」
その言葉に、亀谷兵曹長は笑って言い返す。
「覚えてやがったか」
「勿論ですとも」
そして、いったん言葉を切るとしみじみといった感じて言う。
「だから、何としても生き延びましょう」
「ああ。その通りだな」
こうして、敵地での夜は過ぎ、翌朝、二人は港から飛び立つ。
救援地点である無人島に向かって。
そして行きがけのさい、戦闘のあった海域の上空を飛ぶ。
すでに時間が経ったためだろうか。
その海面には、撃沈したと思われる形跡は微塵も残っていなかった。




