調査 その2
最初はほんの微かにしか感じなかった臭いが、港から街に近づくにつれて強くなっていく。
それは、死臭と腐敗臭だ。
胸糞悪くなる臭い。
その臭いが強くなるにつれて鼻の奥まで入り込み、不快な気分を増長させていく。
もちろん、それだけではない。
嫌悪感は増し、吐き気が強くなっていく。
だが、それをぐっと抑え込むと、亀谷兵曹長は護身用の拳銃を構えて警戒しつつ魔力の残滓が強い方向に進んでいく。
くそっ。軍刀も持ってくるべきだったか……。
右手の中にある拳銃をちらりと見てそう考えてしまう。
コルトM1903。
フソウ連合海軍のパイロットの護身用として普及している三種類の拳銃のうちの一つである。
装弾数8+1発。予備のマガジンが二つだから合計25発。
射撃は、普段から練習はしているからそう悪くはないと思う。
だが、ライフルやマシンガンに比べれば豆鉄砲だ。
それに撃ち尽くしたらただの鉄の塊にしかならない。
それに比べれば、軍刀は、接近戦でしか威力を発揮しないが、刃こぼれしたとしてもまだ使える。
それに剣術もかじったことがある為、銃よりも安心感が全然違っていた。
しかし、時間が制限されている以上、取りに戻るという訳にはいかない。
そんな事を考えていたせいだろうか。
きつくなっていく臭いの中でも、なんとか行動できている。
嫌なことをするときは、頭を空っぽにしてするか、別の事を考えていればいい。
そんな事を言っていた友人がいたな。
彼の言葉は正しかったみたいだな。
そんな事を思いつつも集中力を切らさないように足を進めていく。
道端に転がるかって人であったものは、すでに腐敗していたが、それでも人の形を何とか保っていた。
それでもいくつかは変な形やバラバラになっているものもある。
どうやら、動物や鳥によって捕食されていたようだ。
そう言えば、カラスが多いな。
ちらちらと視界の隅にカラスが入る。
それはつまり、そういう事なのだろう。
襲ってくるなよ。
ふと、そんな事を思ってしまう。
カラスは、頭もよくそのくちばしや爪は結構鋭い。
これだけのカラスに襲われたらたまったものではないな。
なるべく音をたてないようにしないとな。
カラスを刺激しない為、そして敵がもしいたら発見されないために。
そうこうしているうちに、魔力の残滓がより強い場所がわかってきた。
頭の中に入っているこの街の地図から考えられるに造船所のようだ。
造船所。
やはりそういう事か。
どうやら召喚が実行されたらしい。
そして、この街の住人の魂は、その生贄に捧げられたのだ。
本当に気分が悪い。
確かにフソウ連合の魔術でも似たようなことは行われている。
なんせ、等価交換の法則があるからだ。
それ故に対価が必要となる。
魔術師の家系に属するものとして、それは知っている。
しかし、人の魂まで捧げて行われてはいない。
フソウ連合では、自然に流れるマナを集め貯め込んで行われる。
そこに人の命という糧は必要としていない。
勿論、それが絶対正しいとは思わないし、それが出来ない場所もある。
しかしだ。
人の魂さえも贄に捧げるのは邪道ではないか。
彼は今まで学んだ事からそう思った。
それ故に気分が悪くなり、怒りがわいてくるのである。
そして、ついに亀谷兵曹長は最も強い残滓の漂う場所に辿り着いた。
造船所の一番大きなドック。
そして周りに無造作に散らばっている素材の数々。
そして、消えかかっているとはいえ、特殊なペンキで書かれた魔法陣が目に入る。
どうやら完全に消さなかったのだろう。
いや、或いは消せなかったのかもしれない。
なんせ、ドックの周りにも素材と一緒に人だったものが散乱していたからだ。
確かに今みたいに死臭や腐敗臭はなかっただろうが、バタバタと魂を抜かれて崩れ落ち、人ではなく、人だったものになっていく過程を見せつけられたのだ。
普通の精神なら、さっさとこの場を離れたいと思うだろう。
そんな事を思いつつ、魔法陣や、状況をカメラに収めていく。
詳しくはわからないが、恐らく艦船召喚が行われたという事なのだ。
それは、つまり今のサネホーンには知られていない強力な艦艇が存在するという事である。
そう言えば、近々サネホーンが動くという話を聞いている。
ならば、急いでこの情報を祖国に知らせなければ。
亀谷兵曹長はすばやく写真をその場に収めると、短く祈り、そして戻る為に駆け出したのであった。
「あと5分ですか……」
もう何度目かになる腕時計を見て時間を確認するといった動作をしつつ、赤間三等兵曹はそう呟く。
もちろん、周りの警戒は行っているし、エンジンは直ぐにでもかけられ離陸できるようにしている。
だが、時間はもうあと5分しかない。
『一時間待っても戻って来ない時は、離脱し母艦に向かえ』
亀谷兵曹長の言葉には従わねばならない。
これは命令だからだ。
だが、それでも残るべきではないかという思考が決意を揺らす。
恐らく敵はいない。
警戒しつつ彼はそう判断した。
だから、敵と遭遇したという心配はしなくてもいい。
実際、銃撃といった音がすることはなく、ただ、風と波の音だけが辺りを支配していたから。
しかし、それで心配がなくなったわけではない。
もしかしたら迷ってしまったのではないか。
トラブルに巻き込まれてしまい遅れてしまう、或いは怪我して動けなくなっていないか。
そんな事ばかり考えてしまうのだ。
そして、もしそんな状況だったら、そんな亀谷兵曹長を見捨てて離脱していいのだろうか。
亀谷兵曹長は、赤間三等兵曹にとって、少々頭が古く頑固者ではあったが、良い上官であり、仲間であり、友人でもあった。
やはり、一緒に母艦に帰投したい。
だが……。
そんな堂々めくりをしている間も、時間は刻々と過ぎていく。
残り時間が削れるように減っていき、遂にあと2分を切った時であった。
港の入り口付近で動くものがあった。
警戒の為、銃を構えつつ手前にあるロープを左手に持つ。
そのロープは、国籍マークを隠している防水シーツに繋がっており、とっさに引っ張るとずり落ちる様にしている。
そして、素早く操縦席に移ろうとする。
だが、視線はちらちらと人影らしきものを見ていたが、すぐに赤間三等兵曹はもっていたロープから手を離し、拳銃をホルダーに戻した。
人影。
それは、彼が待っていた人物。
亀谷兵曹長であった。
「亀谷さんっ」
思わずといった感じで声をあげて手を振る。
それを受けて亀谷兵曹長も手を振り返す。
死者しかいない場所から、生者のいる場所に戻った。
それも信頼できる部下でもあり、仲間でもあり、友人でもある人物の側に。
それで一気に張り詰めていたものが切れたのだろう。
「赤谷っ、すまんっ。遅くなったっ」
そう言いつつ駆けてきた亀谷兵曹長は荒い息を吐きつつ、行く前のような張りつめた緊張感はなくてほっとした表情になっていた。
その表情を見て、赤間三等兵曹もほっとした表情で言う。
「よかった。あと二分でしたよ。本当に心配かけないでくださいよ」
「すまん、すまん」
「で、どうだったんですか?」
そう聞いてくる赤間三等兵曹の言葉に、亀谷兵曹長の表情が険しいものになった。
「やっぱりだったよ」
そして、沖合に視線を送る。
艦影は見えないが、恐らく母艦もそろそろ回収の為、こっちに向かっているはずだ。
「そうですか……」
「ともかくだ。今は急いで母艦に戻るぞ。下手するととんでもない事になるかもしれん」
亀谷兵曹長がそう言った時であった。
沖合いの島影からゆっくりと艦影が姿を現したのである。
大きさはおよそ重巡洋艦クラス。
この世界の軍艦らしくない細く尖った印象の艦体、そして艦上にはいくつもの筒のようなものが斜めに傾いた感じで並び、派手な髪飾りの様に突起物がある大きな艦橋らしきものが見える。
「亀谷さんっ。あれ……」
赤間三等兵曹も気が付いたのかね唖然とした表情でその艦を見ていた。
「ああ……」
そう返事をしつつ、亀谷兵曹長は無意識的にわかった。
あれだ。あれが召喚されたんだと……。
そして、亀谷兵曹長はもっていたカメラで夢中でその艦を撮る。
そんな中、その艦は次々と海面に向かって何やら発射していた。
発射式爆雷か、或いは対潜ロケット弾といったところだろうか。
「まさか……」
フイルムがなくなり、カメラを下ろした亀谷兵曹長が呟く。
その顔色は真っ青だった。
額には汗が浮かんでいる。
「どうしたんです?」
唖然としていた赤間三等兵曹がその言葉に我に返って聞き返す。
「今、沖合にいるのは……」
それで赤間三等兵曹も彼が予想したことがわかったのだろう。
一気に顔色が真っ青になる。
そう、彼らは悟ったのだ。
謎の軍艦が攻撃しているのが何なのかを。
そんな二人に関係なく、謎の艦による攻撃が暫く続き、そして遂に一際大きな水柱が立つ。
それはかなりの規模のものであった。
そして、謎の艦は、暫くその場を動いた後、離れていく。
それは、役割を達成し、離脱していくかのようだ。
すでに陽は傾き、辺りは暗くなりつつある。
そして、亀谷兵曹長と赤間三等兵曹はただ海面を見ていた。
自分達の考えが違っていることを祈って。
しかし、彼らの恐れは、現実となった。
なぜなら、いくら待っても、いくら無線を送っても、彼らの母艦である伊-13から連絡が来ることはなかったのである。




