調査 その1
「亀谷さん、こりゃおかしくないですか?」
そう言って声をかけたのは、後部座席で地上の様子を観察しつつ写真を撮っていた赤間三郎三等兵曹だ。
その言葉に、前に乗って零式小型水上偵察機を操っている亀谷春樹兵曹長が聞き返す。
「何がだ?造船所はあるが、それほどデカい街でもないぞ。そこいらにある中、小規模の街だと思うが……」
「いや、確かにそうなんですけど……」
まずそう言った後、赤間三等兵曹は言葉を続ける。
「ですが、そんな街なのに人の生活している様子がないなと……」
そう言われ、亀谷兵曹長は言い返す。
「高度が高いからな。だからそう感じるのかもしれんぞ」
「しかしね道端に動く人影も車もないんですよ。それに煙突からは煙も出ていないし……」
その言葉に、亀谷兵曹長は確認するためだろう、機体をより傾けた。
「あわわわ。写真撮ってるんですよ。急に傾けないでくださいよぉ」
非難の声が後部座席からするものの、それを気にせず亀谷兵曹長は、言われたことを確認する。
確かにその通りだ。
道に動くものはなく、工場らしき建物の煙突だけでなく、家々にある煙突さえも煙は出ていない。
それは活動していないという証拠でもある。
「確かにおかしいな」
そう呟き、事前に情報部から得ていた情報を思い出す。
確かこの街は、軍は駐在していないものの、小規模ではあるが造船所もあり、活気があるという話だった。
しかし、今眼下に広がるのは、生活感のないまるでミニチュアのような街だ。
「でしょう?今まで何か所か街の調査してきましたけど、こんなのは初めてですよ」
「ああ。お前の言う通りだ。確かにおかしい」
そう言って、亀谷兵曹長は考える。
彼の所属する伊-13潜水艦の任務は、サネホーンの南側にある地形や街などの情報収集だ。
情報は諜報部が入手はしていたものの、それが正しいかどうかは確認する必要性があった。
情報は、裏付けがなければ本当かどうかはわからない。
間違った情報は、全てを狂わせる大きな原因の一つでもあったからだ。
それ故に、フソウ連合は、サネホーン南部に数隻の潜水艦を派遣し、秘密裏に調査を進めていたのである。
ならば、やってみるか。
そう決断し、赤間三等兵曹に確認させる。
「確か近くにサネホーンの航空基地はなかったよな?」
「ええ。南側は、どちらかと言うと港ばかりですね。それにあったとしても警戒用の小規模のものばかりですからね。やはり南からの侵攻を警戒していないからでしょう」
実際、サネホーンはかなりの戦力を北部に集中させていた。
そういう形になっていたのは、三つの要因があった。
一つ目は、今まで南から攻められたことがない事。
二つ目は、潜水艦という秘密裏に北部の警戒を躱して南側に回り込める兵器の存在がなかった事。
三つ目は、サネホーン保有の航空機自体が少なく、またその多くは水上機で、それ以外は空母用の艦載機ばかりで陸上に機体を余り回せていない事がある。
実際、陸上機として運用されている機体は、首都のある北部に優先的のまわされており、索敵だけなら水上機で事足りる故に、空港は余り作られていないのだ。
ならいけるか……。
その言葉を聞き亀谷兵曹長は決断した。
「よし。これから高度を落として再度確認するぞ」
その言葉に、赤間三等兵曹は驚きの声をあげる。
それはそうだ。
隠密で情報収集が任務なのだ。
高度を避けるという事は、こちらの存在を知らしめることになってしまう。
「ヤバいですよ、亀谷さんっ」
「だが、確認する必要があるんじゃないか?」
「ですが……」
「ともかくだ。まずは母艦に無線で連絡しろ。『情報収集対象の街に人影なく、異常。より接近しての調査が必要と思われる』だ」
そう言われ、赤間三等兵曹は渋々といった感じて頷く。
「わかりました」
そう言って無線機に手を伸ばす。
母艦が許可を下ろさないことを祈りつつ。
そして数分後、赤間三等兵曹の望みとは逆に許可が下りる。
どうやら近くに航空基地がないのが大きいのだろう。
「許可が出ました……」
嫌々そうにそういう赤間三等兵曹に亀谷兵曹長は苦笑する。
「そうむくれるな。作戦がひと段落したら、麦酒をおごってやる」
そう言って、亀谷兵曹長は、機体を操り高度を下げていく。
「絶対ですからね」
「ああ、わかってるって。それよりも今は……」
「わかってます」
赤間三等兵曹はそう言ってカメラを構える。
建物の形がよりはっきりとしていき、道路に点在する点状であったものが段々と大きくなって形になっていく。
馬車や車、そして、それより小さな点は……。
「か、亀谷さんっ。あれ……」
赤間三等兵曹が悲鳴のような声をあげる。
それを聞きつつ、亀谷兵曹長は口の中にたまった唾を飲み込んだ。
味などしないはずなのに、まるで苦々しい果物を食べたかのような感じだった。
それでも亀谷兵曹長は呟くように言う。
「ああ、ありゃ、人だな……」
そう、道端に点在する小さな点、それは間違いなく人の形をしていた。
それも立っているものではない。
全てが倒れ込んでいた。
大小あるのは、大人や子供といった体格の差だろう。
バタバタと倒れているのだ。
それを高高度では、点と誤認したのである。
「何が起こってやがんだっ」
亀谷兵曹長は機体の高度をより下げる。
間違いなく人だ。
そして、そんな死体と思しき人がいくつも転がる無人の街。
あまりにも不気味であった。
ゾクリっ。
亀谷兵曹長の背筋に寒気が走った。
それは幼い時に感じたものと同じだった。
まさか……。
そんな中、写真を撮りつつ赤間三等兵曹が言う。
「疫病ですかね?」
その問いに、額に脂汗を浮かべつつ亀谷兵曹長は言い返す。
「疫病にしちゃおかしいだろうが」
その通りだ。
疫病なら、この街をそのまま放置するわけがない。
隔離し、死体を焼却するなり処分をしなければならない。
それに、街は閉鎖されなければならないが、その様子はなかった。
ならば、やはり……。
一つの仮説が頭に浮かぶ。
それは、魔術によって引き起こされたという仮説だ。
亀谷兵曹長の実家は、三島家の分家に当たる家で、そこで長男として彼は生まれた。
本来ならば、当主として魔術師になっていたはずであったが、彼に魔術師としての才は余りにもなかった。
しかし、彼は家の教えに忠実だった。
魔術師の家系の家ならば、まず最初に叩き込まれるのは、フソウ連合という国を支える礎になるという事だ。
それは、才能ある故に我らに与えられた義務という形で教え込まれる。
力があるからこそ、責任と義務がある。
そして、彼も素質はなかったものの、その教えを叩きこまれていたのだ。
それ故に、才能がある次男に家を譲り、彼は軍人として国に尽くそう。
そう思って志願してパイロットとなったのである。
それ故に、わずかに残った魔術の残滓に気が付いたのだ。
魔術の残滓。
それは術の規模が大きければ大きいほど長い間残りやすいし、感じやすい。
魔術師の才はほとんどないと言っても過言ではない自分の力で感じ取れるという事は……。
先ほどから感じていた寒気の理由がわかる。
なら、後はやるだけだ。
魔術師の血筋である自分の義務を。
そう決心すると亀谷兵曹長は赤間三等兵曹に命じる。
「すぐに母艦に連絡だ。『魔術を行使した痕跡あり。現地に入り調査必要。なお、人影なく無人の模様』以上だ」
「まさか……」
「ああ。そのまさかだ。降りて調査する必要性がかなり高い」
「しかし……」
そんな声をあげる赤間三等兵曹に亀谷兵曹長は笑いかける。
「心配するな。行くのは俺だけだ。お前は機体を守っていろ。一時間しても戻って来ないか、敵が来た時は俺に構わず離水して母艦に向かえ。これは命令だ」
その笑顔とは裏腹の余りにも真剣な口調の言葉に、赤間三等兵曹は驚き抗議の声をあげようと一瞬考えたものの、亀谷兵曹長の声色からその重大さを感じ取って命じられるまま母艦に無線で報告した。
そして、返信がくる。
『無理せず帰還を優先するなら許可する。一時間半後、帰還せよ』
それを受けて、二人を乗せた零式小型水偵は港の方に機首を向けたのであった。
機体が着水し、港の端に近づく。
そして機体を埠頭に寄せた。
「いいか、言ったとおりにやれよ」
亀谷兵曹長はそう言うと赤間三等兵曹からカメラを受け取る。
すでにカメラは新しいフィルムに入れ替えている。
「気を付けて」
心配そうに言う赤間三等兵曹。
「ああ、まだ死にたくないからな。それに、お前に麦酒をおごらないといかんしな」
笑ってそう言う亀谷兵曹長に、つられて赤間三等兵曹は笑って言い返す。
「せめて、女の為にとか、国の為にとか言えばかっこが付くのに」
その言葉に、亀谷兵曹長はますます笑う。
「女はいないし、国の為っていうのは今に始まった事ではないからな。それにだ。お前に麦酒をおごるくらいが肩がこらなくて楽だしな」
そう言うと、亀谷兵曹長は、カメラを首に下げると、護身用の拳銃を手に物陰に隠れつつ街の方に走り出す。
そして、赤間三等兵曹は時間を確認すると、機体から折りたたんでいる防水布を取り出して機体の国籍マークの上に広げて乗せていく。
元々は、潜水艦内に搭載する際に使う保護用のものであるが、遠くから見てすぐにフソウ連合の機体として発見されない事、国籍マークが見えないとサネホーンの機体と誤認してくれるかもしれないという程度の効果を期待してのものだ。
まぁ、気休めだが、無いよりはいいだろう。
そう話し合って広げて隠しておく事にしたのである。
無事に帰ってきたくださいよ。
赤間三等兵曹はそう願いつつ、作業の手を止めると街の方に視線を向けるのであった。




