きっかけ
薄暗い部屋の中、ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎。
その乏しい唯一の光源の中、いつものごとくワインを飲みつつ老師は報告を受けていた。
だが、ここ最近はイライラした雰囲気が強い報告会が続いていたが、今日はいつもと違って雰囲気が落ち着いている。
それは先ほどまでされていた連盟がついに動き、王国艦隊に敗れたものの、その数少ない主力艦隊の戦力を削り、共和国艦隊の戦いには完勝し、ついに共和国本土に侵攻したという報告があった為である。
老師にしてみれば、王国は神敵であるフソウ連合の盟友であり、共和国もその片棒を担ぐ許せない相手であったため、今回の勝利には久々にご満悦であった。
そんな中、次の報告が始まった。
サネホーンが動くという報告である。
「間違いあるまいな?」
老師の言葉に、報告者が強く頷く。
「すでに艦隊の一部は動き始めております」
「ふむ。それで動きとしてはどうするつもりなのかね、彼らは?」
老師にとって、サネホーンは捨て駒でしかない。
精々うまく使って、潰せばいいとしか考えていないのだから。
もっとも、現時点では、使える有能な手駒ゆえに使い続けているのである。
神敵であるフソウ連合が潰れれば、次の矛先はサネホーンに向くだろう。
そんな先の事さえも感じられるのだ。
その意志が言葉から見え隠れしている。
そんな問いに報告者が淡々と答える。
報告者にとっても、サネホーンは老師の思考と同じ程度としか思っていないのだ。
だから、淡々と報告する事になる。
そこには、感情が入り込むことはない。
「はっ。以前、共和国の軍師アランが使った多方向からの侵攻を考えているようです。実際、それを展開できる戦力をサネホーンは保有しています。それに、共和国や王国の支援に艦隊を派遣したという報告やアルンカス王国などに派遣する艦隊戦力もあります。その結果、かなりの戦力がバラバラとなっていると予測されます。どうやら、これを好機と見たようです」
その報告に、老師がニタリと笑みを漏らし、白い髭が揺れる。
「つまり、本国に奇襲をかけると?」
「はい。どうやらそのようです。さすがに戦艦での攻撃は厳しいと考えたのでしょう。空母による首都攻撃を考えているようです」
その言葉に、老師は目を細める。
今まで絶対的に安心していたはずの場所が、攻撃され、被害が出る。
それは規模としては大したことではないにしても、平和に生活していた者達にとっては、とてつもない衝撃だろう。
それが初めてならばなおさらだ。
そして、それが原因となり民衆は大きく揺れる。
表面上は、そうではないかもしれないが、安全という立場に楔を打ち込まれるのだ。
その楔は大きい。
それは、今までしっかりと固まっていた国としての方針を揺るがすほどに。
実に楽しみではないか。
老師はそう考え、楽しげに笑った。
「良いぞ、良いぞ。実に良い」
そして、そんな老師に声をかけるものがいた。
マローン・リジベルトである。
「老師、それで私から提案がございます」
その言葉に、楽しげな老師の笑いが止まった。
じろり。
そんな擬音が聞こえるかのような視線が向けられる。
その視線に、ゾクリと背筋を震わせたが、マローンは臆することなく言葉を続けた。
「折角ですから、秘密裏に例の艦隊をサネホーンと同時に動かしてみてはどうでしょうか?」
その言葉に、老師は呟くように言う。
「例と言うと……」
「はい。あの艦艇を中心に編成した老師の為の艦隊です」
「しかし、その艦数は十隻にも満たない数ではないか」
その老師の言葉に、マローンは頷く。
「確かに現状、召喚した艦艇を含め八隻程度ですが、召喚した艦艇は間違いなく比類なき強さを誇っています。それにそれに随伴する艦艇も、秘密裏に建造されたとはいえ、かなりの優れもの。十分な戦力になるかと」
その言葉に、老師は迷っているようだった。
確かに報告は聞いた。
召喚された艦艇は、フソウ連合がまだ保有していない兵器をメインとして装備しており、恐らくフソウ連合の兵器を凌駕するものだという事は。
だが、召喚はタダではない。
実際の生贄の人間こそサネホーンの人間で費用はかかっていないが、それ以外の資材関係はかなり使った。
それを考えれば、温存したいという気持ちもあるし、何より自分に忠誠を尽くす艦隊というのは、今まで老師が手に入れたことのない戦力である。
温存しておきたい。
そんな気持ちもあった。
「しかしだ。もし失われたとすればどうする」
そんな老師の言葉に、マローンは笑った。
不謹慎だと誰もが思ったが、マローンはそれでも笑った。
いくら機嫌が極上にいいと言っても流石に不機嫌そうに老師が睨みつける。
「これは失礼しました。ですが、あれはあくまでも実験で召喚したものです。その力をはっきりと把握し、今後の召喚に反映させるべきではないかと思うのです」
その言葉に、老師は少し考えこむ。
確かにその通りかもしれん。
実際、カタログスペックでは優秀でも、実戦では役に立たないでは許されない。
それが自分だけの艦隊戦力であり、今後の事を考えれば考慮しなければならない事だろう。
「確かに。いう通りかもしれん」
呟くようにそう言うと、老師はマローンに命じる。
「わかった。お前の言う通りだ。よってお前の意見を取り入れよう」
その言葉に、マローンは頭を下げる。
「はっ。ありがとうございます」
「ふむ。ただ、あくまでもサネホーンには秘密に動くのじゃぞ」
その言葉に、マローンは強く頷く。
「勿論でございます。そして、より強い力を老師様に……」
その言葉に、老師はカラカラと笑う。
心底楽し気に。
それは今まで見た事もないほどに上機嫌な様子であった。
そして、そんなやり取りを他の報告者は、唖然として見ていた。
まさかという思いが強かったためだ。
ああ、こいつは死んだな。
誰もがそう思ったのだ。
しかし結果は、逆であった。
今まで老師に一番信頼されていたのは、卿と呼ばれた男だけだった。
だが、今は違うのかもしれない。
誰もがそう思った。
そう思わせるのに十分すぎる出来事であった。
そして、その余波は大き広がっていく。
他の報告者には嫉妬を、そして、マローン自身には優越感を生み出すほどに。
そして、それは直ぐに肥大化していく。
人の欲というものは、とてつもなく貪欲で、それ故に抑えきれるものは少数だ。
その制御が出来なかった者は、後に思い知る事となる。
自分の不甲斐なさと後悔を。
今の出来事は、そのきっかけになったのである。




