天の鉄槌(ナテロ デ カルス)作戦 その1
九月三日。
その日は、いつもと同じ一日になりそうな日であった。
確かに、世界のどこかで争いがあり、決して平和ではないものの、その争いに関係のないほとんどの人間は自分が争いに巻き込まれるとは思ってもいなかったはずだった。
しかし、その日の夕方、連盟から発せられた声明が、そんな一日ではない事を示す事になったのである。
その声明は、電波を通じ、世界中に向けられたが、普段のトラッヒの演説とは全く逆で、ダラダラと長く意味がない言葉の繰り返しと行ったり来たりする話の内容の為に要点がつかみにくいものであった。
その為、最初こそ真剣に聞いていた者達の大半はくだらない事を言っていると判断し、聞くのを止め、そして残った半分も興味がそがれたのか聞き流すようにして聞いてしまっていた。
そして、残った者も仕方なくといった感じて聞いているという感じで、一人、また一人と聞いている者が少なくなっていく中で、それでもまだ残って聞いている者達は段々と違和感を覚え始める。
実は遠回しに、そして要点がわかりにくいように敢えて言っているのではないかと思え始めたのである。
だが、その頃には大半の者は興味を失い、真剣にきいている者は、まるで篩をかけるかのようにわずかな者達しか残っていない。
そして、そんな中、遂にトラッヒは牙をむき出したのである。
彼はついに王国、共和国の名前を出し、非難し始める。
その内容は、王国と共和国があらぬ罪で連盟を貶めようとしている事、そして軍事圧力をかけている事であり、その方法は余りにも卑怯で、下品なやり方だというものであった。
そして、トラッヒはその話の後に言葉を続けた。
『我々は、非道で卑怯な共和国と王国に対して徹底的に抵抗する。それは経済だけではなく武力をもってである。我々は、正義を貫く。よって、我々は王国、共和国に対して宣戦を布告するものである。なお、この布告は、九月四日から発揮する』と。
その声明に、王国、共和国の両国海軍は一時期混乱しかけたものの、スパイによってもたらされている情報より連盟海軍の艦隊は大きく動いていないという事から、慌てる必要はないと判断され、また時間もすでに夜になろうという時間帯故に、明日以降、連盟海軍の動きを見て検討するという事で解散となったのであった。
また、政治家の一部には、今回の共同声明が連盟を追い詰め過ぎたのではないかという事を言う議員も現れ、明日以降、政治の場でも両国は大荒れになると予想されたのである。
深夜、間もなく日が変わろうとしている時間帯、穏やかな海ではあったが、星明りだけが辺りを照らすどちらかと言うと薄暗い夜に共和国のリッテンラッセ軍港の沖合に小さな影が5つあった。
それは長さこそは装甲巡洋艦と同じ程度ではあったが、幅はよりも細くてすらりとしており、カジキや海洋魚を連想させるスマートさだ。
もっとも、その艦艇の中央辺りには、小さいながらも艦橋らしきものがあり、その後ろには、何やらいくつもの細長いものが取り付けられている。
「艦長、間もなく日が変わります」
他の乗組員と一緒に艦橋に出て双眼鏡で周りを警戒している艦長に、副長が時計を確認しつつ言う。
「ああ、わかった。ラジオはどうか?」
双眼鏡で警戒しつつそう聞き、視線を動かして目標の方に向ける。
夜中ではあったが軍港には作業しているためか所々に明かりがつき、警戒の為にいくつもの探照灯が海面を照らしてはいるものの、それは散漫であり、とても警戒しているとは言えないほどであった。
その余りにもお粗末さに、艦長は苦笑を浮かべる。
そんな中、副長が艦内から来た報告を伝えた。
「日付が変わってすぐに来ました。『神の鉄槌』です」
神の鉄槌。
その歌は、連盟で有名な歌劇で歌われる歌で、激しく荒々しい戦の神を称える歌である。
その為、深夜にラジオで流すには余りにも場違いなものであったが、それはこれから起こる事を考えれば、相応しいものであると言えた。
「よし。後続する艦に伝えよ。『これより作戦を実施する。我に続け』とな」
艦長はそう言うと艦内に命令を下した。
「これより、我が艦隊は、敵共和国軍港に奇襲攻撃を仕掛ける。各自の奮戦を期待する」
その言葉に、艦内は沸き立った。
それは、外に出ていた者達にも聞こえた。
艦長が苦笑を漏らす。
「静かにさせましようか?」
副長が困ったような顔でそう言ってきたが、艦長は「問題あるまいよ」と言ってますます苦笑するのみであった。
そして、潜水艦はゆっくりと軍港に近づいていく。
それも浮上したままで……。
「ふぁぁぁ。眠いなぁ……」
ペントラソン二等兵は、眠そうに顔で目を擦っていた。
「おいおい。まだ交代時間までかなりあるんだぞ。シャキッとしろよ。見つかったらどやされるぞ」
相棒のケント一等兵が苦笑して言うが、彼も眠そうなのは変わらない。
「心配しなさんな、隊長は間違いなく寝てるよ」
「なんでそんなこと言えるんだ?」
「いやね、酒の差し入れをね」
くっくっくっと笑ってそう言うペントラソン二等兵に、ケント一等兵が呆れ顔になった。
「まさか……」
「ああ、この前勝った分でたっぷり酒を用意しておいたからな」
ペントラソン二等兵は、元々はイカサマが得意なギャンブラーみたいなことで生計を立てており、ギャンブルでうまく金を他の兵士達から巻き上げては、酒を買って上司たちに配り歩いていた。
もちろん、勝ち過ぎは恨みを買うのである程度で抑えてはいたが、それでもそこそこ金は手に入っていたのでそんなことが出来たのである。
「お前なぁ……」
「判ってるって。勝ち過ぎないようにちゃんとやってるって」
ペントラソン二等兵は慌ててそう言った。
彼が元ギャンブラーだと知っているのは幼馴染のケント一等兵だけだ。
そして、そんな幼馴染を彼は心配していたのである。
「本当だろうな?」
「ああ。勿論だ。リンチとかされたくないしな」
「ならいいが……」
怪訝そうな顔をしているケント一等兵。
そんな中、何か気が付いたのか、ペントラソン二等兵の表情が変わった。
海面を指さしつつ言う。
「おいっ。こんな時間帯に入港する予定とかあったか?」
暗い海の中、突き進む艦影を発見したのである。
その言葉に、ケント一等兵も慌てて視線を指さす方に向けた。
「聞いてないぞ。それにかなり小型のもののようだが……」
そして二人は顔を合わせて叫ぶ。
「「探照灯だっ」」
二人は慌てて探照灯を動かし、灯を灯す。
ゆっくりと光があふれ出し、海面を照らし出す。
そして、それと同時であった。
幾つもの魚雷らしき発射音が響いたのだ。
「おいおい……。まさか……」
思わずといった声が漏れる。
そして、次々と港に停泊している艦艇に爆発が起こる。
どーんっ。
激しく荒々しい爆発音が続けざまに起こり、燃え上がった炎と爆発によって生まれた光が辺りを照らし出す。
そして、探照灯は、やっと捕らえた。
侵入してきた艦を……。
それは五隻の潜水艦であった。
「よし。どんどん撃てっ。全弾撃ち尽くせっ」
艦長の命を受け、次々と打ち出される魚雷。
その魚雷が次々と共和国の艦船を襲う。
その攻撃で引き起こされた爆発が次々と誘爆を引き起こしていき、あっけないほどに艦艇は沈んでいく。
これが砲撃ならば、まだ耐えただろう。
なんせ、砲撃戦を想定して作られた艦艇ばかりであったから。
だが、魚雷攻撃は予想外であった。
なぜなら、魚雷は元々は余りにも信頼性に欠ける為にどの国にもあまり浸透していない兵器であり、その為、現在主力となっている艦艇は一部を除き喫水線より下に攻撃を喰らうという事を想定していなかった。
それ故に被害は大きかった。
それに時間に合わせ、スパイによって艦艇の位置を知らせる通信が行われており、潜水艦はその位置に向かってただ雷撃を行うだけでよかった。
一隻、また一隻と爆発が起こる度に、艦内で歓声が沸く。
そして副長が報告する。
「艦長っ。次ので残弾ゼロです」
「よしっ。次の雷撃が終わり次第、撤退だ」
そして艦長はニタリと笑った。
「勿論、土産を置いて行くのを忘れるなよ」
「ええ。勿論ですとも」
副長のその声に、甲板に出ていた数名の水兵が艦橋の後ろに固定されている物体に近づいていく。
そして、最後の雷撃が発射され、艦はゆっくりと向きを変える。
戦果を確認するかのように艦長は双眼鏡で港を見つつ聞く。
「味方はどうだ?」
「はっ。他の艦も問題なく済ませたようです」
「よしっ。土産を忘れるな」
その言葉に合わせたかのように、艦の後ろに積まれていたものが次々と海の中に投下されていく。
それを見て、艦長は目を細める。
「ふふふっ。たっぷりと楽しめよ」
そして楽しくて仕方ないといった感じの笑みを浮かべるのであった。
「どうしたっ」
爆発でたたき起こされた重戦艦ストラリーゼの艦長は、乱れた服装のままで甲板に出る。
そこには、港に停泊していたはずの多くの味方の艦艇が、ある艦は沈み、ある艦は燃え上がり、ある艦は傾いていたのである。
「敵の攻撃のようですっ」
慌ててきたのは当直していた士官である。
「敵だと?」
「はっ。どうやら魚雷攻撃のようでした。いくつもの航跡が見えたので……」
その報告に、艦長は甲板を蹴り上げる。
「糞ったれっ。それで本艦の被害は?」
「はっ。我が艦には敵の攻撃は命中しておりません。それと監視所から報告が。敵は潜水艦のようです」
その報告に、艦長の顔が怒気に包まれる。
「潜水艦だと?!」
潜水艦は商船や輸送船を襲うだけではなかったのか。
こんな事をしてくるとは聞いていなかったぞ。
だが、今はそんな事を考えている時ではない。
そう判断すると命令を下す。
「急いで機関を立ち上げろっ。連中に一泡吹かせる」
その命令に、唖然として立ち尽くしていた兵達が我に返る。
「そうだっ。我々に手を出したことを後悔させてやる」
一人の兵士がそう呟くのが引水となって、兵士達が口々に怒りの言葉を口にする。
そして、彼らは動き出す。
味方を攻撃したやつらを逃さないために。
「艦長、機関室からです。間もなく、動けるようになるそうです」
「そうかっ」
早朝に出港するために、炉の準備が出来ていたのが大きかったのだろう。
重戦艦ストラリーゼは味方の敵を討つため動き出す。
しかし、それは新たな悲劇を生むことになった。
錨を上げ、ゆっくりと向きを変えつつ、港の外に出ようとしていた重戦艦ストラリーゼだったが、もう少しで外に出るというところで、艦首が吹き飛んだのだ。
「どういうことだっ」
艦長が叫ぶように言うが、誰も原因がわかるはずもない。
そして、引き起こされた爆発が弾薬庫にまわり、重戦艦ストラリーゼは爆沈した。
それは、連盟海軍潜水艦部隊が残した置き土産、『接触式機雷』が起こしたものであった。




