報告と召喚
「老師、連盟に潜伏中のキルメラ・ラキハーン様から報告が来ております」
室内に入って秘書官がボードをもってそう老師に声を掛ける。
「報告か……」
老師はそう呟くように言うとテーブルに広げられた地図から秘書官の方に視線を向けた。
地図は、この世界の世界地図と言うべきものであり、その地図には旗やら駒やらが並べられ、まるでウォーゲームのようである。
いや、老師にしてみれば、似たようなものなのかもしれなかった。
ただ、それが架空か現実かの違いはあるが。
実際、そこには各国のある程度の戦力が、実際の配備に合わせて展開していたのだ。
それはまるで世界の動きを見渡せる神の視線のごとき優越感を見ている者にあたえていた。
それ故に秘書官が入ってきても老師の視線は地図に釘付けであったのだ。
だが、報告、それも今もっとも注意すべきいつくかあるうちの一つである連盟のものならば聞かなければならない。
そう思って秘書官に視線を向けたのである。
「ふむ。聞こうかのぅ」
その言葉に、秘書官はもっていたボードに視線を落とす。
そして、淡々と報告を始めた。
「はっ。連盟がついに動くとのことです。それも二~三日のうちに宣戦布告を行い、奇襲作戦を仕掛ける算段のようです」
「ほほう……。しかし、連中、サネホーンが動いてからではなかったか?」
その問いに対して、報告書を確認しつつ秘書官は答える。
「どうやら、例の王国と共和国の共同声明がトラッヒ総統の怒りを買ったようです。かなり怒り心頭で、当初のサネホーンとの同時に作戦実施をかなり前倒しで行うようです」
「ふむ。あの男も気が短い事よ。いや、これは宣戦布告する好機と見たのかもしれんな。だが、これでこちらの目論見はより確実になるか。ふむふむ。我々にとっても好機だ」
そう言うと老師はふぉっふぉっふぉっと楽しげに笑う。
当初、サネホーンが敗北すれば、連盟は戦うという選択肢を保留するかもしれないという恐れがあった。
いくらいろいろ手を回したとしても、何があるかはわからないのが現実だ。
その心配がずっとあった。
だが、これでサネホーンがうまくいかなくても連盟は間違いなく戦いの渦に巻き込まれてくれる。
それがよりはっきりしたのだ。
楽しくて仕方ないのだろう。
だが、すぐに笑いは止まって聞き返す。
「だが、準備は間に合っておるのか?」
怒りに任せて準備不足で戦っては、勝てるものも勝てなくなる。
それを心配したのだ。
「はっ。一部遅れはあるようですが、それでも十分作戦実施には支障はないと判断されたようです」
「ふむ。それならばよい。トラッヒ(あやつ)のやり方を見せてもらおうとするかの」
そう言った後、老師は地図に視線を落とすと、命令を下す。
「ならば、教国にも伝えよ。『時期が早まった。連盟の支援の準備を急がせろ』とな」
「はっ。すぐにでも」
そう言って秘書官は退室しようと踵を返すが、それより先に老師が口を開く。
「そうそう。それとだ。ストラレンジとフラスレンジの二人に伝えよ」
そう言われ、秘書官は身体の向きを老師の方に戻す。
「それで、二人にはそれぞれどのような指示を?」
「ふむ。ストラレンジには合衆国で、フラスレンジには帝国で一騒動起こしておけとな」
その言葉に、秘書官は怪訝そうな顔をした。
そして、恐る恐るではあるが聞き返す。
「老師、お言葉ですが、合衆国も帝国も今の状況では手は出してこないと思われますが……」
「ふむ。確かに。だがな、絶対という言葉はないぞ。予想外の動きで計画はズレてしまう恐れがある。それを少なくするためには、参加する駒は少ない方がよい。それにだ。今また一騒動あったとすれば、益々両国の動きは、国外から国内に向くであろうしな」
「確かにおっしゃる通りですな。さすがは老師ですな」
感心したようにそう言うと秘書官は聞き返した。
「それで騒ぎはどういったものがよろしいでしょうか?」
そう言われ、老師は少し考えこむ。
だが、すぐに苦笑して口を開いた。
「そうさのう、足さえつかなければ、それぞれに任せると伝えておけ。精々鎮火しにくいものにしておけと伝えてな」
「はっ。了解いたしました」
そして、秘書官は恭しく頭を下げて退室していく。
もっとも、老師はそんな秘書官には目もくれず、視線を再び地図に戻した。
「ふむ。時期が早まったという事は……」
そう呟きつつ駒や旗を動かしていく。
「ふむふむ。いいぞ、良いぞ」
駒を動かしつつ、老師の口角が吊り上がり、髭が震える。
笑っているのだ。
だが、その笑いは温和なものではなく、どこかしら狂気を感じさせるものであった。
そして、予想される動きに合わせて駒や旗を動かした後、老師は満足げに手を広げて天を仰ぐ。
「ふはははは。神よ、間もなくですぞ。間もなく、貴方の与えてくれた試練が遂行されます。神敵であるフソウ連合の崩壊とナベシマという男の首、そして、貴方様の教えをより世界に広げ、この世界の唯一の神として君臨できるようになるのは間もなくでございます。ああ、神よ、さぁ、ごらんあれ。貴方の最も信仰心熱い我が道が示す先をっ!!」
その言葉は、とてつもなく強い自己陶酔に満ち、その瞳には狂気の色が光っていた。
だが、そこにはそれに気が付く者はいない。
いや、いたとしても誰も止められなかっただろう。
こうして、世界は戦火の渦に巻き込まれていく。
そして、老師が神に狂気の報告をしていた頃、サネホーンのとある街が消滅した。
その街は、ケンタメリアという港町。
サネホーンの中でも規模としてはそれほど大きな町ではなかったが、それでも漁業と輸送の拠点の一つということで当時は一万人近い人が生活していた。
だが、その日、街は無くなった。
もっとも、消滅したと言っても街自体が無くなったわけではない。
建物が立ち並び街はある。
物も何もなくなっていない。
ただ、そこに住んでいた住民が皆死んでしまったのだ。
誰もがあっけなく息絶えていた。
そして、それらの人々には共通するものがあった。
それは、誰もが苦しんだ様子もなく、無表情であるという事。
まるで糸が切れた人形のようであった。
そして、それと引き換えにするようにその港町の沖合に一隻の船が新たに浮かんでいた。
灰色に塗り上げられた奇妙な形の軍艦。
巨大な艦橋や煙突、そして艦橋に寄り添うように立っている幾つもの横や前に広がったマストには網のようなものが広げられ、樽のようなものが甲板に並んでいる。
しかし、その反面、砲塔と呼ばれるものは少ししかなかった。
今までのものとは違う全く異質といってもいい形。
多分、見た者はそう感じだろう。
もっとも、街の住民は全て息絶えていたからそれを見ていた者はほぼ皆無であったが……。
そして、その軍艦に港町から出たボートが向かい、その軍艦は動き出す。
迷いなく……。
導かれるように……。
こうして、港町ケンタメリアとその周辺は、全く人気のない無人の地と変貌したのであった。




