分岐点 その8
トラッヒの緊急招集をうけ、潜水艦隊指令のカール・ガイザー・ガルディオラ提督はラウンランカ海軍基地から総統府へ向かっていた。
本来ならあの開戦を意思表示した会議の後、今後の事を考えて潜水艦隊司令部のあるリハマンセト・バルハマに向かうのだが、首都郊外にある自分の派閥の部隊が駐屯するラウンランカ海軍基地に理由を付けて滞在していた。
もちろん、公になっている理由はあくまでもダミーでしかない。
本当の理由は、開戦前にラッテンコウ大佐がトラッヒ暗殺に動いた際の後始末を頼まれたからである。
だから、緊急招集がかかった時点で嫌な予感しかしていない。
それに、今日は一部のものしか知らないが、確かトラッヒの後ろ盾であるランセルバーグ家との食事会のはずだ。
以前の連盟を牛耳っていた大商人の内、唯一存続している商会であり、世界最大の商会と言っていい規模を誇っている。
もっとも、当主はかなりの年配で、今や寝たきりであり、いつ亡くなってもおかしくないと聞く。
だが、そういうことがあるとしても、その財力と影響力は計り知れない。
そんな大切な後ろ盾との食事会だ。
それをキャンセルしてまで緊急招集するというのだ。
いい予兆ではないことは確かであった。
もしかして、ラッテンコウ大佐が失敗したのか?
そうも考えたが、その考えは恐らく間違っていると判断し、理由の候補からすぐに外す。
理由は簡単だ。
もしそんな事が起これば、この程度では済まない。
成功したとしても、失敗したとしても、これ以上の混乱と騒ぎにはなるはずだ。
緊急招集ぐらいで収まるはずもない。
まぁ、緊急招集も物騒ではあるが、そんな比ではない。
それに、トラッヒに何かあれば親衛隊や赤シャツ団が表立って動くだろう。
しかし、その様子はなかった。
あくまでも、前回の会議に関係にのあるものを中心に呼ばれているという感じだ。
では、理由は何なんだ?
そこまで思考した時、車が止まった。
「提督、到着いたしました」
前席に乗っていた副官がそう言いつつ先に降りると後席のドアを開けた。
「わかった」
そう言ってガルディオラ提督は車から降りると、すぐに案内の者が駆け寄ってくる。
「ガルディオラ提督ですね」
始めて見る顔だが、恐らく階級章の隅に白帯が入っており、トラッヒ直属の部下だという事がわかる。
「ああ。緊急招集をうけた」
「聞いております。こちらへどうぞ」
総統府内はかなりドタバタしている。
まるで開戦前夜といったところか。
ふと、まだ植民地派遣の洋上艦船の艦隊を率いていた時を思い出す。
あの時は、主要港の海賊の襲撃の方を受け、慌てて艦隊を率いて向かったな。
そんな事を思いつつ、まさかなと思考を止める。
まさか、最悪の事態に進んでいるのではないか。
そう考えてしまったからだ。
まだ開戦までには、10日近くある。
それまでの間に、事態は変わる。
そう信じる為に……。
ガルディオラ提督が案内されたのは第七会議室であった。
そこには恐らくいろいろ考えてしまったのだろう。
そこにいる者達のほとんどが、不安な様子の表情だった。
まぁ、そうなるのも仕方ない。
トラッヒはヒステリー持ちであり、何か気にくわない事があれば吊るしあげられる。
その不安は、何も悪いことをしていなくても警察の車が後ろにずっとついてこられる不安に近いものだ。
そんな中でも特に引き攣った表情をしているのは外交部の者達であった。
それから察するに、今回の緊急招集は、外交部絡みではないかと想像出来てしまう。
国内ではなく、国外、それも緊急招集がかかるほどの大案件。
そうなると範囲は狭められる。
するとどうしても、さっき思いついた事が頭を過る。
だが、すぐに打ち消した。
いや、必死に打ち消したかったと言っていいのかもしれない。
どう考えても不安要素が大きくなるばかりなのだ。
そして、数名が入室し、全員集まったのだろう。
ドアが開かれ、トラッヒが姿を現した。
その後ろには、トラッヒの腰ぎんちゃくであるルキセンドルフ中将が続く。
イライラした表情のトラッヒに比べ、ルキセンドルフ中将はどちらかと言うとニヤニヤといった感じの笑みを押さえているかのように見える。
全員が立ち上がり、トラッヒに敬礼して向かい入れる。
「諸君、よく集まってくれた」
そう言って皆を座る様にジェスチャーをしつつトラッヒは全員の前に立った。
その様子は、イラついてはいるものの必死に抑え込んでいる様子で、額の血管がぴくぴくと動く様は、噴火寸前の火山のようである。
それは他の者達もわかったのだろう。
誰もが息を忘れて置物の様に固まり、シーンと静まり返っている。
全員のその様子を見て、トラッヒは口を開く。
「諸君、よく集まってくれた」
トラッヒは、淡々とそう言うと、今回の招集をかけた理由を説明した。
王国と共和国が共同で声明を発表し、連盟を強く非難しているという事を。
まぁ、すでに航路封鎖に近い政策で悪化していた関係だったが、潜水艦を使った通商破壊工作がバレたらしい。
その件について、こっちに質問が来るかとも思ったが、それはなかった。
まぁ、いつかはバレると思っていたし、それの為の対策もある程度用意はしていた。
しかし、まさかスルーされるとは思わなかった。
いや、それ以上に怒りの炎に油を注ぐことがあったのだ。
それ故にスルーされた。
それは、今以上に連盟に対して圧力をかけてきたのだ。
しかも今回は、経済だけでなく武力を含めてである。
それは戦いも辞さないという風に捉えれるが、ガルディオラ提督はそうとらなかった。
これは警告だ。
それ故に、まだ引き返せると思えた。
勿論、その場合、連盟は途轍もないペナルティは喰らうだろう。
だが、戦争になった場合、それ以上のものを失うのは間違いない。
しかし、トラッヒはそうとらなかった。
彼は、自分の政策がすべて正しく、他者が間違っているととったのだ。
そして、潜水艦という存在と一気に増えた軍事力。
それらが、王国や共和国など恐れる相手ではないと評価してしまっていた。
だからこそ、サネホーンがフソウ連合に仕掛けるのに合わせて、王国、共和国に奇襲を仕掛けるという作戦を実施するとしたのである。
そして、今回、そんな格下と見下した相手から、脅されたと思ってしまった。
怒り狂ってもおかしくないだろう。
いや、怒り狂っていたのだ。
それ故に、彼は言い切った。
「よって、天の鉄槌作戦を前倒しにて実行する」
天の鉄槌作戦。
以前の会議で決定した共和国と王国に宣戦布告後、すぐに奇襲を仕掛け大打撃を与える作戦の正式名称である。
その言葉に、その場にいた全員が驚きの声をあげる。
確かに作戦の為に準備は進められている。
だが、前倒しして出来る余裕はない。
ガルディオラ提督はそう判断していた。
確かに先行する潜水艦隊は、準備もほとんど終わったと言ってもいい。
だが、洋上艦隊の方は、まだまだ平均して、八~七割程度といったところだろうか。
つまり、それ以下の準備しかできていない艦船もあるという事なのだ。
だからこそ、ガルディオラ提督は慌てて異を唱える。
それは間違いなくトラッヒの不興を買う行為ではあったが、それでも言わずにおれなかったのだ。
「お待ちください、閣下。確かに圧力をかけられたのはわかります。しかし、それだからこそすぐにというのは余りにも単直過ぎます」
だが、その言葉に反応したのは、洋上艦隊司令のマクダ・ヤン・モーラ提督であった。
「しかしだ。準備もそこそこ終わっているのに何を躊躇する必要がある。時間がかかれば相手に有利に働くばかりだぞ」
その言葉は挑発する口調であった。
モーラ提督にすれば、せっかく洋上艦隊の晴れ舞台を邪魔するようにしか感じられなかった為にそういう感情が籠ってしまったのだが、それがイライラしているガルディオラ提督の精神を逆なでした。
ガルディオラ提督としては、出来る限り開戦時期を遅め、トラッヒの暗殺の時間を稼ぎたい気持ちが強く焦っていた。
戦争を起こす前にどうにかしたい。
被害が少ないうちに何とかしなければ。
その思いが強かった故にである。
「しかしだ。それならばなおさらだ。今回の作戦は何としても成功させなければならない。その為には十分すぎる準備が必要だ。貴官もわかっていよう。準備は、平均して七~八割といったのは貴官だぞ。その意味を!」
そう言われ、モーラ提督は悔しそうに黙り込む。
彼とてわかってはいるのだ。
準備にバラつきがあるという事は。
しかし、それでも時間がかかれば不利になる。
それに、敵もまさかすぐに戦いにはなるまい。
そう思い込んでいるはずだ。
その隙を付けは、より作戦は成功する。
そう言う算段があった為である。
それはガルディオラ提督もわかっていた。
だが、彼は戦いを起こしたくなかった。
戦争の流れを止めたかった。
それ故にここで何としても時間を稼ぐ。
それが根本にある以上、頷くわけにはいかなかった。
「ですから、ここは最初の計画通り、サネホーンの動きに同調して……」
しかし、ガルディオラ提督の言葉はさえぎられた。
「しかしだ、ガルディオラ提督。今がまさに好機だというのは間違っていまい?」
そう言ったのは、トラッヒである。
その目は鋭く、まるで相手の心を探るかのようであった。
その鋭い視線に、ガルディオラ提督は思わず後ずさりしたくなったが、それでも踏みとどまって視線をそらさない。
「閣下。私が言いたいのは、準備不足で動いても不利にしかならないという事です。この戦いは、決して負けられない戦いのはずです。それに我々が先に動けば、サネホーンに利用されることになりかねません。どうか検討し直していただけないでしょうか?」
会議室内が静まり返る。
その思い沈黙はどれだけ続いただろうか。
時間にすればほんの数分、或いは一分に満ちない時間だったのかもしれない。
だが、その思い空気は、まるで永劫の時間のように感じられた。
しかし、そんな時が続くはずもない。
「確かに貴公が言うことももっともだ」
そう言ったのは、トラッヒである。
「それでは……」
しかし、ガルディオラ提督の言葉はさえぎられた。
「しかしだ。まさに好機という事は間違いない。よって三日後に作戦を実施する」
トラッヒの宣言するような言葉に、その場にいたほとんどの者が歓声を上げた。
それを受けつつ、トラッヒは言葉を続ける。
「モーラ提督は艦隊の準備を急がせよ。この一戦、祖国の命運がかかっていると伝えてな」
「はっ。了解いたしました」
そしてそのやり取りをただ黙ってガルディオラ提督は見ていた。
止められなかった。
その無念の思いを心に秘め、表面上は感情を殺して淡々と……。
そして、決意するのである。
何としても、より少ない被害で戦争を終わらせねばと。
こうして、遂に連盟は戦争を開始する。
それは、あくまでも連盟対王国、共和国の戦いであったが、それを火種に、世界中に戦火は広がっていく事になる。
そして、この世界で初めての世界中の国と植民地を巻き込んだ世界大戦へと続いていくのであった。




