膨らみ続けるモノ
「サネホーンの使者だと?」
情報部親衛隊最高責任者であるヒラック・ランガーペイソン大佐の報告に、今や連盟を牛耳る独裁者、トラッヒ・アンベンダードは怪訝そうな表情をして聞き返す。
「はい。サネホーンの特使という事です」
そう答えるランガーペイソン大佐だが、どちらかと言うとトラッヒと同じく半信半疑なのだろう。
言葉の端々に信じられないというニュアンスが滲み出ていた。
もっとも、事実である以上、報告しなければという思いにも感じられる。
「ふむ。そうか……」
そう言葉を返し、トラッヒは考え込む。
ほんの数日前に教国からの使者と秘密裏に会談を行い、協力関係を約束したばかりである。
もちろん、こちらも信じられない事であったが、裏を取った結果間違いないと判った。
元々価値観が大きく違う両国は、よくて中立、普通は敵対に近いという関係がほとんどだ。
協力、支援なんて言葉は縁遠いといっていいだろう。
だが、それでも表立って敵対しないのは、商売の為にスルーしているといったところが大きいし、何より教国は、自国である程度大きな船団を有している。
宗教を傘に、世界中に植民地を作ってきたのだ。
まだ、摂取するために自国以外を植民地にしていく王国や、共和国の方が好意が持てる。
本音を隠していかにも正義という面をしながら暴利をむさぼってきた教国にトラッヒは嫌悪さえ抱いていた。
その教国に比べれば、サネホーンはまだトラッヒの個人的には直接的な分好意が持てると言った方が良かったが、それでも進んで手を組む相手ではない。
なんせ、相手は国とどこも認識していない海賊と勢力争いに負けた負け犬共が中心となって形になった勢力であったからだ。
それに、最近でこそ被害は減ったが、以前は連盟の商船や船団はかなりの被害を受けたことが何度もあり、連盟という国としてはまさに敵と呼ぶにふさわしい連中であった。
だから、すぐに思いついたのは、会う必要はないという事であった。
だが、トラッヒがそれを口にする前に、脇に控えていた情報部統括のルキセンドルフ・ゼラニッツ少将が声をあげる。
「総統、吉報ですな」
その言葉に、自分の考えを言うタイミングを逃したトラッヒは不機嫌そうな表情をして聞き返した。
「何がだね?私にとっては、そうは思えないのだがね」
その言葉には、横から口を出すなという意思が棘の様にまとわりついていたが、ゼラニッツ少将はまだトラッヒの怒りの沸点までいっていないとわかっているのか、その言葉を聞きながら口を開く。
「間違いなく吉報でございます、総統」
その自信のある言葉に、トラッヒは少し興味がわいたのだろう。
「ふむ。君の考えを聞こうじゃないか」
そう言うと手を組んでランガーペイソン大佐に向いていた視線をゼラニッツ少将に向けた。
その強い視線に一瞬躊躇したゼラニッツ少将だったが、すぐに笑みを浮かべると説明を始めた。
「恐らくですが、サネホーンは我々と手を組みたいという打診を送ってきたのではないかと思われます」
「なぜ、そう思うかね?」
「サネホーンは、今、フソウ連合と事を構えています。実際、この前の戦いでは、かなりの手酷い苦汁を舐めさせられたとも聞いております。その上、我々が航路を閉鎖し、独自の船団を持つ者以外は、物資の移動もままならない有様。それはサネホーンとて同じでしょう。サネホーンの息がかかっている商会もかなりあり、それらは主に船を持っていません。なんせ、サネホーンの船とわかれば撃沈されても文句は言えますまい。なんせ、海賊はその場で処断してもよいという国際規定もまだ有効ですからな」
「なるほど。つまりだ。今のサネホーンは、経済でも軍事的にもジリ貧というところか?」
トラッヒの言葉に、ゼラニッツ少将は頷く。
「恐らくは……。実際に物資の動きが鈍くなったとたん、サネホーンの息のかかった商会も動きが鈍化し、業績が悪化しております。その影響は、サネホーン本国にも大きく影響していると思われます」
「しかしだ、貴官の言う通りだとしても、経済はともかくサネホーンの軍事力はかなりのものだと聞くぞ。それを考えれば……」
だが、その言葉にゼラニッツ少将は笑った。
「総統、膨大な軍を維持するには、多くの人材と資材、それに資金が必要となります。人材はともかく、経済が滞れば、資材と資金を確保するのは難しくなるのではないでしょうか?」
そう言われ、トラッヒは苦笑した。
それを見据えて、航路閉鎖を実行したことを思い出したのである。
「ふむふむ。確かにな。その通りだ」
トラッヒは機嫌よく笑い返しながらそう答える。
その笑いに、少しほっとした表情をしたものの、ゼラニッツ少将は言葉を続けた。
「それに時期はまだはっきりしていませんがサネホーンが間もなく大攻勢をかけるという話も噂になっております」
「なるほど。その為のか……」
「はい。敵の敵は味方と申します。それに、別に表立って協力体制を誇示する必要はありませんし」
「その通りだ。お互いがわかっていれば、まわりに知らせる必要などないな」
そう言ったものの、すぐに笑みを引っ込めるとトラッヒは聞き返す。
「確かに、今回サネホーンがこちらと手を結びたいという考えで動いているのは理解した。だが、それはあくまでもサネホーンの利だ。我々にどんな利があるのかね?」
淡々とそう聞き返すトラッヒだが、口元は普段と変わらないものの目が笑っている。
どういった答えが出てくるか楽しんでいるというのが丸わかりだ。
ゼラニッツ少将もそれはわかったものの、余計なことを言って火種を巻く必要はないと判断して淡々と答えることにした。
「まず、フソウ連合に牽制が出来るのが大きいですな。合衆国や帝国が自国内の混乱で外に目が向いていない中、今、王国や共和国の支援ではあの国が大きな役割をしています。また、航路の安全の国際組織イムサにも影響力がありますし、ルル・イファン人民共和国の後ろ盾にもなっています。しかし、サネホーンが動けばそれらの活動も抑える必要があるでしょう。なんせ、本国の危機ですからな」
「ふむ。その通りだ。実際、潜水艦の活躍は素晴らしいが、ここ最近被害が増えだしたのは、フソウ連合の新兵器と支援のせいだとも聞いている。それを牽制出来ると?」
「ええ。そうすれば、我々がより有利に事を運べることは間違いございません。それに時間をかけ、王国や共和国が疲弊していく間に、我々は軍備をより強化することが出来ます」
「ふむふむ。確かにな。商船改造の特務巡洋艦により軍備はより充実したが、王国や共和国を押さえつける為の戦力はいくらあってもいいからな」
その言葉に、ゼラニッツ少将はニタリと笑みを浮かべる。
「ええ、我らが海を支配し、そして世界を支配するのです」
その言葉は実に甘美で素晴らしい響きであった。
だが、それを楽しみながらもトラッヒは意地悪そうに笑みを浮かべる。
「確かに素晴らしい。それで王国と共和国を潰したとしても、他の国はどうするのだ?特に支援協力を約束している教国や恐らく手を結ぶことになるサネホーンはどうすればいいかね?」
「別に気にする必要性はありません。なんせ、教国は今まで敵国といってもいい関係でした。ただ、利用できるから利用するという事だけです。いざとなったら潰せばいい。すでにあの国は無理をやりすぎて、植民地だけでなく、本国内部にも亀裂が入っているという情報も手にしておりますので、王国や共和国を下した我々としてはどっしりと腰を据えて潰すか自滅か選択して実行すればいいのです」
「神の怒りにあうのではないか?」
「それはドクトルト教の恒例の脅し文句ですな。もっとも、それは今やヒステリックな女が喚き散らしているのと代わりございません」
連盟は以前からドクトルト教徒は元々少ない上に、前法皇がしでかしたことで連盟だけでなく世界的にドクトルト教に畏敬の念を払う者達は一気に減っている。
それ故に出た言葉であった。
「うはははは。その通りだな。まさにその通りだ」
トラッヒは上機嫌に笑ったが、すぐに笑うのを止めると口を開いた。
「それで、サネホーンはどうするのかね?」
「サネホーンですか?精々フソウ連合との戦いで疲弊すればいいのですよ。いくら強大な戦力を誇っていようが、フソウ連合との戦いで無傷という訳にはいきますまい。実際、総力戦となった場合、間違いなく戦力は半減以下になっているでしょう。そこへ、再度経済制裁です。そうすればサネホーンは窮地に陥るでしょうね」
「しかしだ。それでは約束が違うと言ってくるのは間違いないぞ」
そのトラッヒの言葉にゼラニッツ少将は鼻で笑った。
「言わせておけばいいのです。我々には関係ない。それに、相手は国ではありません。所詮は、海賊と敗残兵の集まった勢力です。約束を律儀に守る義理も責任も必要性はないと思いますが?」
その答えに、トラッヒはますます楽し気に笑う。
「いやはや、その通りだ、少将。君の言う通りだ」
そして、ひとしきり笑った後、視線をじっと二人の会話を聞いていたランガーペイソン大佐に向ける。
「そう言う事だ。大佐」
そう言われ、ランガーペイソン大佐は怪訝そうな顔で聞き返す。
「えっと……」
「使者と会うという事だ。準備したまえ」
「は、はっ。直ちに」
そう言うと敬礼してランガーペイソン大佐は準備の為退室していった。
それを見送った後、トラッヒはゼラニッツ少将に視線を向けて言う。
「すぐにサネホーンが言ってきそうなことをまとめておいてくれ。あと、最も良い対応策もな」
「はっ。了解しました」
ゼラニッツ少将は敬礼すると退室しょうと踵を返す。
その後姿に、トラッヒは声をかけた。
「少将、期待しているぞ」
その言葉にゼラニッツ少将は立ち止まると再度敬礼をする。
「勿論であります。総統の為、身を粉にして……」
そこまで言った時にトラッヒが困ったような表情で言葉を遮る。
「いや、言わなくていい。わかり切っている事だからな。ただ、結果だけを示せ。それだけだ。わかったかね、少将」
その言葉に、ゼラニッツ少将は驚きの表情になったが、すぐに気を引き締める。
「はっ。ありがとうございます」
そして、退室していく。
その後姿を楽しげに見ていたトラッヒは直ぐに視線を扉から壁に向けた。
そこには世界地図が貼られており、それを見て笑いが漏れる。
「ふふふふふっ。そうか、世界か。確かに出来なくもないか……」
そう言いつつも、トラッヒの笑みには自信に溢れていた。
絶対に出来る。
自分は世界を統一できる。
そう言う自信が……。
こうしてトラッヒはますます野望を膨らませていく。
だが、それは限度を超えて膨らみ続ける風船のようでもあったが、本人はそれに気が付いていなかった。




