教国の中枢では……
教国の首都に当たる都市の中央にある大神殿、その一室に多くの者が集められていた。
教皇が体調不良により表に出る事が無くなり、今やベンタカント枢機卿が教皇の意を伝える役割を担っており、今日も教皇の意を伝える為に集められたのである。
もっとも、誰も彼もではない。
あくまで中枢に近い者達ばかりであったが、派閥によっては呼ばれなかった者達もいた。
つまり、枢機卿の言葉に異を唱えない賛成派、或いは中立派のみ呼ばれたのだが、反対派のほとんどは理由を付けて閉職や首都から遠い地域に飛ばされていたため、今や中枢に残っているのは数名だけであったから、問題なしという形をとっていた。
それに今回は荒れるのは間違いない。
だから、場が荒れる要因は少ない方が良い。
そう考えつつ、枢機卿は会議室内を見回した。
席はほぼ埋まっており、ほとんどの者が集まっているようであった。
時間にもなった以上、さっさと済ます方がいいだろう。
そう考えた枢機卿は、警備の者達にドアに鍵をかける様に指示を出す。
ガチャリという鍵のかかる音が響き、ざわついていた場が静かになった。
鍵をかけたという事は、機密保持が必要な話であるという事だ。
それがわかっているだけに、誰もが気を引き締めている。
静まり返る中、枢機卿は軽く咳払いをして、会議を開く為の挨拶を口にした。
それはある程度長いものであり、いつも通りの展開であったが、誰もが早く本題に入って欲しいという気持ちになっていた。
枢機卿の態度や口調から、とんでもないことを知らせられると誰もが感じていたからである。
そして、お決まりの挨拶が終わった後、枢機卿は全員を見回して本題に入った。
「今回急遽集まっていただいたのは、教皇の意思を伝える為であります。彼は、今後、連盟とサネホーンに対して秘密裏に支援を行うという事を決定されました」
その言葉が終わると同時に、会議室は大きなざわめきに支配された。
確かに教国は、その歴史の中で色々な国や勢力を裏で表で支援してきた。
しかし、それには明確な理由があった。
ドクトルト教。
教国の国教であり、世界にその教えを広めていき、人々を救済する。
それが理由であり、教国の大義名分であった。
それは絶対的なものであった。
それ故に他国はその支援に関してあまり口出しできなかった。
いや、口出しする事はタブーと思っていたのだ。
しかし、それは違っていた。
人々は今までの歴史の中でそう思い込まされていただけだったのである。
そして、そんなタブーの意識をぶっ壊すことが起こった。
前教皇の余りにも野心的な行動がそれを崩壊させたのだ。
そして、その結果、今まで長い年月をかけて作り上げてきたイメージや思い込みは全てぶっ壊された。
それ以降、教国は大義名分を大事にすることで、何とかその事がなかったことにしたがった。
そうでなければ、今までの様に動けなかったからだ。
しかし、一度壊れたモノを元に戻すのは、長い年月と努力が必要だった。
教皇もそれがわかっているはずであった。
なのに、今回、宗教的に敵対する連盟(商売の神を進行しているものが多い為、宗教的には相いれない部分が大きい)と海賊とならず者たちの集まりだと思われているサネホーンを支援するという事を決めたのである。
教国の大義名分とは大きくかけ離れている上に、余りにも今までと矛盾している決定だけに疑問と異論が起こるのは当たり前であった。
実際、枢機卿もそう思っていた。
しかし、枢機卿は現実を知っている。
すでに教皇は暗殺され、教国の実権は元教皇である老師に握られていることに。
そして、自分も今や老師の手駒として動くしか選択肢がない事に。
ため息を深々と吐き出す。
そんな枢機卿をちらりと見た後、一人の大司祭が口を開き聞いてくる。
「今回は余りにも問題があるのではないでしょうか」
その言葉に、何人かが同意を示す。
それを聞き、大司祭は言葉を続けた。
「大義名分を持たねばならない。それが重要ではないのですか?まあ、譲渡して連盟は良しとしましょう。少数ながらもドクトルト教信者もいますし、教会もある。だが、サネホーンはどうです?あの勢力にドクトルト教の教会はありますか?私は聞いたこともないのですが、誰か聞いてことがありますか?」
その問いに誰も答えない。
それは裏を返せば、サネホーンには教国が承認するような教会はない、或いはあったとしても王国の様に異端者であるという事だ。
「それに、連盟を支援するという事は、王国、共和国を敵にまわす恐れが高い。王国はともかく、共和国には多くのドクトルト教信者と教会があります。彼らを敵とするのですか?それこそ、王国の時の様に敵にまわしてしまうだけではありませんか?」
その言葉に、同意するものの声が増していく。
それらの声をある程度聞いた後、枢機卿はふーと息を吐き出して答える。
「確かにその通りだと思う。しかしだ、これは教皇様が決めた事。神の意思である。それを蔑ろにするつもりか?神罰が下るかもしれんぞ」
神罰だ、なんだとは言ってみても、要は指示に従わねばロクな目に合わないぞという脅しであった。
さっきまでいろいろな意見を言ってきた者達は慌てて口を閉じる。
彼らは知っているのだ。
ここ最近に起こった出来事を……。
異論を唱えていた者達は、思いもしないような事故や不幸に見舞われていること。
そして、最近結成された教皇直轄の騎士団が異端審問を繰り返していることを。
黙り込む彼らを見て枢機卿は哀れむような表情になったが、すぐに何もなかったような表情になると深く息を吐き出した後、口を開いた。
「これは、教皇様の指示だ。それ以上でも、それ以下でもない。わかったかね?」
その口調は諦めの色が濃く出ていた。
それで全てを悟ったのだろう。
ほとんどの者は、反対意見を口にすることなく、やるせない表情で頷く。
その様子を見た後、枢機卿は宣言するように言う。
「では、我々はこれより秘密裏に連盟とサネホーンの支援を行う為、使者を両方に送る事とする」
その言葉に、誰もが顔を見合わせる。
それは使者にされるのではという恐れだ。
彼らにとって、両方とも行きたいと思える場所ではない。
それをわかっているのだろう。
「使者は、こちらで用意する」
その言葉に、露骨にほっとした表情をする者もいたが、多分表情に出さなくてもその場にいた者達は誰も同じ心境だろう。
そして、枢機卿は、会議を終わらせる宣言をする。
その際に、この事は内密にという事を付け加えていたが、誰もがドアの鍵を閉められていた時点で内密にしておかなければならない内容だと判ったし、内容を考えても大っぴらに言える事ではなかった。
間違いなく、国民は納得できない内容だったからだ。
こうして、会議は終わる。
最も会議と言っても、話し合う事はほとんどなかった。
決められたことを伝えただけだ。
だが、それでも会議という名目で行われた憂鬱な時間は終わったのだ。
誰もがそそくさと立ち上がる。
そんな中、一人だけ考え込み、座り込んでいる者がいたが、誰も気にしていなかった。
今はさっさとこの場を去りたいという気持ちが優先していたからである。
だから、その男がぼそりと呟いた言葉を誰も聞かなかった。
「やはり、知らせるべきだな」
その言葉は、誰の耳にも入らず、会議室の静寂の中に飲み込まれていったのであった。
四日後、リンダート大司祭の元に手紙が届けられる。
直接使者が持ってきた手紙は特殊な家紋のような蝋印が押されており、それを見た瞬間リンダート大司祭の表情が強張った。
しかし、それでも意を決したのか、ペーパーナイフで手紙を開いて中身に目を通す。
そして何回か目を通すとため息を吐き出した。
そして、手紙に火をつけると燃やし始める。
それを手紙を持ってきた使者は黙って見ている。
手紙が燃え尽きるのを確認すると、灰を崩してリンダート大司祭は、使者に構わず手紙を書き始める。
そして蝋印で封をすると使者に手渡した。
そして口を開く。
「用心するように伝えたまえ。それと私はしばらく姿を隠すともな」
「はい。お伝えいたします」
手紙を受け取ると、シャツの中側にある特別なポケットに手紙を入れて、使者はそう答える。
そして、一礼すると部屋を退室していく。
それを見送った後、リンダート大司祭は呼び鈴を鳴らした。
「すぐにターントクを呼んできてくれ」
そう言った後、リンダート大司祭は深くため息を吐き出した。
そして呟く。
「当たって欲しくない事ばかり当たるのは、私の徳のなさかもしれんな」
その呟きは、彼のやるせない思いと嘆きのようであった。




