積み重なるモノ
会議を終えて執務室に戻ってきたリラクベンタ提督を待っていたのは、「勝手に待たせていただいております」という言葉と、ソファに座って自分で用意したのか紅茶を優雅に楽しんでいる一人の男性であった。
男の名は、ピェール・パシェッタ。
元共和国の魔術師であり、今は支援してくれる組織の連絡係だ。
ある意味、いけ好かないやつではあるが、転移魔術の使い手で、かなりの能力者であることは間違いない。
ピェールは紅茶のカップをテーブルに戻すとにこやかに、そうあまりにも偽善すぎるほどの友好的な絵笑みを浮かべて言う。
「どうやらうまくいったようですな」
その言葉を聞きながらドアの鍵を閉めると、リラクベンタ提督は軍服の襟元を緩め、深い息を吐き出した。
そしてぎらりとピェールを睨みつける。
「誰に言っている!私にかかればこの程度の事、簡単なことだ」
その言葉に、ピエールはますます微笑む。
「流石ですな。さすがは一時期は王国の軍の片翼を握っていた方ですな」
その言葉にリラクベンタ提督の表情がますます険しいものになる。
だが、異論は唱えない。
それは事実だったからだ。
一時期、間違いなく彼は王国海軍のナンバー2であった。
しかし、内部の派閥争いに敗れ、サネホーンに亡命してきたのだ。
「ちっ」
リラクベンタ提督が舌打ちするが、それを気にした様子も見せず、テーブルに置いたカップを再度手に取って口に運ぶ。
その優雅な仕草は、ますますリラクベンタ提督をイライラさせたが、ここでいざこざを起こすわけにはいかず、別の話題を口にした。
「これでいいんだな?」
「ええ。お陰様で。これでフソウ連合は王国や共和国に戦力を回せなくなります。また、今回の作戦がうまくいけば、サネホーン内部でのあなたの権力は益々強くなるでしょう。その上、フソウ連合に勝ったという事は、間違いなく世界を震撼させるでしょうな」
つまり、権力、名誉が手に入ると暗に言っているのだ。
その言葉の美酒は、とてつもなく甘い。
香りだけでも酔いつぶれそうだ。
実際、権力や名誉といった美酒の香りで踊らされて自滅していた者は数知れず。
だが、誰もが思うのだ。
あいつらとは違う。
おれはうまくやると。
そして、リラクベンタ提督もそんな考えの一人である。
「もちろんだ。それはわかっている。それで私は約束を果たした。そちらは……」
「勿論です。資金の援助と秘密裏に教国、連盟との連絡を付ける手はずを進めましょう」
「ああ、頼むぞ。うまくいけば……」
そこで言うのを止めたものの、リラクベンタ提督の頭の中で言葉が続く。
『サネホーン内部での発言力は益々大きくなる』と。
元々海賊を生業としていたが、今やサネホーンの第一産業は、貿易である。
かなりの数の商人や会社を使い、表向きは連盟が、裏はサネホーンが世界の流通を押さえてきた。
しかし、連盟の航路閉鎖、商会や会社の解体と国営化などによってその多くが失われてしまった。
その結果、今のサネホーンは経済的にジリ貧となってしまっていたのである。
だが、教国と連盟と連絡を付け、折り合いを付ければ、それにより回復するだろう。
その為の布石として連絡を付ける手はずは必要であった。
別に表立って色々しなくてもいい。
秘密裏に協定さえ結べればいいのだ。
そうすれば、今の体制をひっくり返す事も可能か……。
思わず笑みが漏れそうになったが慌てて口元を引き締める。
「ともかくだ。我々は約束を果たした。あとは君らが実行してくれる番という事だ。わかっているな?」
「勿論ですとも」
ピェールは飲み終えた紅茶のカップをテーブルに置くと微笑んだ。
「我々は約束は守ります。では、私はこれで失礼しますよ」
そう言うとピエールは指を鳴らす。
ゆっくりと色が薄くなっていくように透明感が増していき、ピエールの姿が消える。
それはまるで風景に溶け込んでいくかのようだった。
その様子を見送った後、完全にいなくなったことを確認し、リラクベンタ提督は苦虫を潰したような渋い顔で吐き捨てるかのように言う。
「くそったれ、ただの連絡係の犬の癖しゃがって」
そして、テーブルに乗っていた紅茶のカップやポットをテーブルから薙ぎ払うように叩き落す。
派手な音を立てて落ちたものが割れていく。
リラクベンタ提督のイライラと傷つけられた名誉の代償として。
「只今戻りました」
装甲巡洋艦ゲルバルトの艦長室。
そこにピェールは転移すると頭を下げてそう口にした。
そして、その突然現れたピェールに驚くことなく、報告に上がったピェールをちらりと横で見たものの、書類整理の手を止めることなくディスクに座っていた人物が口を開く。
「うまくいったのか?」
その人物は、老師から卿と呼ばれるいくつもの顔を持つ人物であり、そのうちの顔の一つ、サネホーンの装甲巡洋艦ゲルバルトの艦長ムルハンム・レンカーザ大佐である。
その言葉に、ピェールは実に嬉しそうに答えた。
「はい。当初の計画通りです」
「そうか……」
そう返事をしたものの、大佐はそうなって当たり前といった様子だった。
なんせ今回の計画を手回しをして準備をしたのは大佐だったからだ。
ただ、本当ならその計画の日程はまだ先のはずであったが、前回の老師への報告で日程を押し上げなければならなくなったうえに、召喚の為の手配で手が回らなくなってしまって、仕方なく計画の方をピェールに任せたのである。
別に共和国内部の切り崩し工作がうまくいっていなかったピェールを救う為ではない。
忙しすぎてリラクベンタ提督と連絡を直接取れなくなってしまった為に、転移魔術の使い手であるピェールを使おうという事になっただけであった。
だが、ピェールとしては引き抜かれたとでも思ったのだろう。
自分の力を発揮できるとはりきってやっており、それが空回りすぎてしまわないか心配ではあったが、何とかなったようではあった。
丁度区切り良いところまで進んだのだろう。
やっと大佐は顔を上げピェールを見る。
「で、他に何かあるのかね?」
「今後は、彼らの動きの監視と報告でよろしいでしょうか?」
「ああ。それでいいぞ。後は貴殿の好きにしたまえ」
そう言って退室を得流したものの、ピェールは動かなかった。
「まだなにかあるか?」
その問いに、ピェールはしばらく言いにくそうにしていたが、意を決したのか口を開く。
その口から出た言葉は「今の状況をどうおかんがえでしょうか?」という言葉だった。
「どういう意味かね?」
そう聞き返すとピェールは不安そうな顔で呟くように言う。
「私は、確かに老師に助けられました。だからこそ、私はこの命を老師に捧げたいと思っていました。しかし、今の老師はなにか違うのです」
その言葉に、大佐はふーとため息を吐き出す。
「今の言葉、他の誰かに話したか?」
今になって不味いことをくちばしってしまった。
そう思ったのだろう。
その言葉に、ピェールは怯えたように言う。
「い、いえ……」
共和国軍師の手足となって働いていた頃と違い、余りにもうまくいかない現状。
そんな中、久方ぶりの成功によって得られた達成感でポロリと口が滑ったのだろう。
「そんな事は誰にも言うな。決してな」
大佐は短くそう言う。
実際、大佐も同じ思いなのだ。
違和感が強くなっていくばかりなのである。
だからこそ、賛同したいものの、それは許されないと思っていた。
だから釘を刺すような言葉が出る。
「貴公は、老師に拾われたのだろう?ならば、どう思っていようが構わんが、それを表に出さずにその恩を返せ。それだけだ」
その言葉を聞き、ピェールは黙って頷く。
今回は黙っておく。
暗にそう言っているのだ。
ピェールは深々と頭を下げた。
その表情は見えない。
だが、それでもわかったことが一つある。
他の仲間同様に、私だけでなく、多くの者が今の老師に違和感を感じていると。
やはり、少し考えるべきなのかもしれん。
大佐は、ピェールを退室させた後、艦窓から見える海原に視線をやりつつそんな事を考えたのであった。




