生か死か その6
爆雷が作りだす水柱が周囲に海水の雨を降らせる。
それを離れた場所で双眼鏡で確認しつつルンバルグ大尉は口を開く。
「今度はどうだ?」
しかし、爆雷以外の爆発が起こる事もなく、海面にも変化もない。
「残念ながら……」
隣で同じように確認していた副長がそう答える。
「くそっ、手ごわいじゃないか」
「しかし、今のは連中もかなり肝を冷やしたのではないでしょうか?」
「だといいんだが……。ともかくだ。ここで沈めるぞ。敵潜水艦の位置確認急げ」
まだ水中がかき乱されている為か、報告が上がってこない。
しかし、それでも落ち着いたのだろう。
探信音が放たれた。
しかし、その反響を聞いていたソナー員が怪訝そうな表情を浮かべる。
「敵潜水艦確認できず。再度打ちます」
そう報告し、再度探信音を放った。
しかし、それでも表情は変わらない。
「敵潜水艦、確認できません」
その報告に、ルンバルグ大尉は思わずといった感じで聞き返す。
「どういうことだ?」
その問いにソナー員は困惑した表情を隠さずに答える。
「水中聴音機に敵艦影発見できず。敵艦、消えました……」
「消えただと?!」
思わずそう聞き返した後、自艦の水中聴音機の故障と思ったのだろう。
ルンバルグ大尉はすぐに確認するため新たな指示を出す。
「急いで他の艦にも連絡を入れて確認させろ」
そう命じた後、信じられんといった感じの表情で呟いた。
「おいおい。そんな馬鹿なことがあるか……」
故障ならそれはそれでいい。
だが、故障でなかったら……。
そんな思いが口から洩れたのである。
副長も信じられないといった顔で横で黙っている。
そんな中、遼艦から報告が入った。
「『こちらも敵潜水艦を確認出来ず』だそうです」
「機械の故障の可能性は?」
「ありません。正常に動いています」
ならば……。
「消えただと?」
とても沈めたとは思えない。
なぜなら、海面にそれらしい痕跡が出ていないためだ。
爆雷以外の爆発、油や水泡など潜水艦が撃沈した場合、なにがしらの痕跡が出てくる。
しかし、もしかしたら痕跡が出てないだけで撃沈したのだろうか。
いや、それはありえない。
それにもし見失っただけで生き残っていた場合、油断している所に反撃を喰らう可能性がある。
撃沈確認も出来ず、確実に目視で戦果を確認できない以上、撃沈したと考えるのは軽率だ。
だが、見失ってしまった以上、どうすればいいのだろうか。
ここに残って探索を続けるのか。
或いは離脱するのか。
確かに訓練の帰路という事を考えれば、このまま離脱してもいいだろう。
だが、どうしても戦果が欲しい。
最新鋭の艦船を任されているという自負がその思いを強くしている。
それ故に迷ってしまうのだ。
だが、そんなルンバルグ大尉の思考を中断させる報告が入った。
「オムストラリクより、微かですが北北西に進むスクリュー音を確認したと報告が来ました」
「それだっ」
思わずそんな言葉がルンバルグ大尉の口から出た。
「しかし、爆雷の中、ずっと移動していたという事でしょうか?」
隣で副長がそう言うも他に敵艦影が発見できない以上、それしか考えられない。
水中ではバッテリーでしか走行出来ない潜水艦にとって、むやみな移動は電気を消費するだけでなく、敵に存在を知られるという欠点がある。
それ故に水中での走行は最小限というのがセオリーだ。
なのに、爆雷攻撃されている間も走行していたというのは確かにおかしい。
しかし、探信音でフェイントをかけられ、焦って離脱を急いだのかもしれない。
そう考えをまとめると、ルンバルグ大尉は命令を下す。
「そうとしか考えられん。僚艦に連絡。スクリュー音を追撃するぞ」
「了解しました」
こうして囮のスクリュー音に曳かれるようにイムサの艦隊は海域を離れていくのであった。
「どうやら騙せたようです。敵艦艇、海域から離れていきます」
その報告に、副長はふーと息を吐き出した。
「念のために、もう少しこのままの状況を維持するぞ」
その命令に航海長が聞き返す。
「目安としては、どれくらいを考えておいでですか?」
「少なくとも一時間は……な」
「了解しました」
薄暗い非常灯の中、N-306の乗組員達は、蒸し暑い中、ただ汗を流し、最低限の動きで、息を浅くしながらうずくまっている。
もちろん、床には浸水した海水と油などが溜まっており、軍服を濡らしたものの、誰もそれを気にしていない。
時折、上を見上げ、そして視線を降ろすといった動きを見せるものの、ただ、黙って時が過ぎるのを待っているのみだ。
その顔に浮かぶ感情は、不安と何とか踏みとどまっているといった悲壮感のみで、薄暗さと汚れから誰もが酷い顔だった。
だが、それでも生きたいという意思が目に宿っている。
遠ざかるスクリュー音以降は、報告がないという事は、敵の艦船は離れたという事なのだろう。
だが、敵には飛行機という兵器がある。
あれは、海中にいる我々には接近を知ることは不可能だ。
それ故にまだ安心できない。
一時間後の浮上が吉と出るか凶と出るか……。
そんな事を思いつつ時間を確認する。
すでに夕食の時間は過ぎたものの、準備するためには電気が必要だし、調理しない食事なら用意できるだろうが、誰も今の状況では喉を通らないだろう。
どうせなら、無事浮上して温かい食事をさせたい。
そんな事を考えていた。
そして、時間はじりじりと過ぎていく。
だが、体感時間は、一時間どころではないだろう。
まるで数時間のように感じる苦痛の時間だ。
だが、それでも終わりはある。
副長は、命じる。
「警戒しつつ浮上する。各員、準備急げ」
その命を受け、今までじっとうずまっていた乗組員達が動き始める。
それと同時にN-306もゆっくりと浮上し始める。
「何か変化があったらすぐに知らせろ」
「はっ」
「間もなく深度50です」
少しずつN-306は海面に浮上していく。
そこに敵がいないことを期待して。
実際、すでにバッテリーは限界になっており、敵がいたとしても再び潜ることは可能でも、身動きは取れないだろう。
ましてや、下手したら再浮上できないかもしれないのだ。
つまり、敵がいた場合、降伏するか、沈められるかの二択しかないのである。
だが、それでも副長はまだ希望があるというスタンスを取らなければならない。
人は、希望があるからこそ足掻き、そして気力を奮い立たせるものだからだ。
「深度20」
その報告に、ベテランの水兵が言う。
「間もなくですね。うまくいっていると思いますか?」
その問いは、不安を紛らわせるために出た言葉だ。
だが、そんな言葉に副長は苦笑した。
「もうすぐ結果がわかるんだ。今更いろいろ言っても始まらんよ」
「確かに……。その通りでしたな」
「深度10」
再び沈黙が辺りを包む。
「深度5」
「4」
「3」
「2」
「海面に到着します」
その言葉と同時に、艦が海水を押しやって浮上する振動と傾きが身体に伝わり、それと同時に海水をかき分ける音が響く。
完全に浮上しきる前に、副長は命令を下す。
「よし。すぐに周辺の警戒に当たれ。それと機関切り替え。艦内の排水を始めろ」
「了解です」
その命を受けるとすぐにハッチが開かれ、水兵が数名飛び出す。
周囲警戒の為だ。
それと同時に、新鮮な空気が艦内に流れ込んでくるのが感じられる。
ふーっ。
大きく息を吐き出して新鮮な空気を吸う。
そして、副長は水兵の後を追うように艦外に出た。
すでに周りは夜の帳が落ち、艦影はない。
満天の星空が空を覆い、月明かりが当たりを照らしている。
それはまるで彼らが生き延びれた事を祝福するかのようであった。
その光景を見て目を細める副長。
「生き残れましたな」
水兵の一人がそう言うと副長は笑って言い返す。
「そうだな」
そして、深呼吸を何度かした後に艦内に戻ってきた副長は、後を航海長に任せるように伝えると意を決した表情で一人の水兵についてくるように言って歩き出す。
その様子を見て航海長が聞いてくる。
「どうされるので?」
「何とか生き延びたからな、けじめをつけてくるだけだ」
その言葉に、何をするのか判ったのだろう。
航海長は短く返事を返す。
「ご武運を」
「ああ……」
そして向かった先は艦長室である。
この艦唯一の個室だ。
軽くノックした後、声を掛ける。
「艦長、失礼します」
返事は返ってこなかったが、ドアを開けると副長は中に入った。
ベッドと机、後は棚があるだけの小さな部屋のベッドの上に、ヘタニラ特務少尉が後ろ手を縛られた格好で座っており、副長が入ってくるなり睨みつける。
「何の用だ?」
淡々とした口調でそう言うと目を細めて値踏みするかのようだ。
その中には感情は感じられない。
その視線を真正面で受け止めつつ、副長が口を開く。
「戦闘が終わったので、指揮権をお返しに来ました」
その言葉を聞いてさらに険しくなったヘタニラ特務少尉の表情だったが、しばしの沈黙の後、噴き出す様に笑い出した。
予想外の行動に副長は驚くものの、それでも態度を崩すわけでもなくただ黙ってそれを見ている。
それを見てますます笑うヘタニラ特務少尉であったが、さすがに一頻り笑った後、笑うのを止めると口を開く。
「貴官が責任を持つて本艦を帰港させよ」
そして、皮肉たっぷりに言葉を続けた。
「俺は指揮できる有様ではないようだからな」
その言葉を受け、副長は敬礼する。
「了解しました」
要は、処分は戻ってからだという事だと理解したのだろう。
ますます副長の顔は険しくなった。
ただ、ヘタニラ特務少尉としては、戻ったとしてもいろいろ言うつもりはない。
ただ、転属を希望するつもりだったのだ。
元々適性があるという事とそれで少しでもいい条件を引き出したいという事もあって選択した潜水艦の艦長ではあったが、それは思っていたようなものではなかったという事と自分には務まらないと実感したことが大きかった。
だから、今回の件も問題にするつもりは毛頭ない。
だが、それはそれ、これはこれで、気持ち的にはそんな副官の様子に気分が良くなったのだろう。
ヘタニラ特務少尉はお道化て言った。
「後は、これを外してくれれば文句はないのだがね」
その言葉を受け、共についてきた水兵が拘束を外す。
外された後、拘束されていた手首を何回かさすってヘタニラ特務少尉は二人に退出するように命じる。
その表情には、不満はあったもののもう怒りは含まれていなかった。
「敵潜水艦、完全に見失いました」
その報告にルンバルグ大尉は大きくため息をするとがくりと肩を落とす。
新型の艦艇を任され、訓練でもかなりの手ごたえを感じていただけにダメージがデカいのだろう。
そんなルンバルグ大尉の肩を副官がなだめる様にポンポンと叩いた。
「してやられたな」
「こっちが圧倒的に有利だったのに……」
その言葉には悔しさに満ち満ちている。
確かにその通りだ。
だが、それでもこれは我々にとっていい経験になったはずだ。
副官はそう考え、口を開く。
「相手の方が上手だったのさ。それに終わったことは仕方ない。どちらにしても仕切り直しだ」
「ああ。その通りだな」
「それに、まったく無駄だったとは思わない」
その言葉に、うなだれていたルンバルグ大尉が顔を上げる。
その顔を見た後、副官はニタリと笑みを浮かべた。
「今回の事は、我々にとって大きな経験となった。それにこの戦いで相手も無傷とはいかないだろう。恐らく、修理に戻るに違いない。それは裏を返せば敵の展開している戦力の一部をそぎ落としたことになり、本来なら襲撃されていたかもしれない輸送船団の襲撃を防いだことにもなる。どうだ、無駄じゃないだろう?」
その言葉に、一瞬きょとんとしたルンバルグ大尉だったが、すぐに笑い出した。
そして、副長の言葉に少し楽になったのか、笑いつつ言う。
「君の言う通りだ。まだまだ次はあるという事だな」
「ああ。そう言う事だ」
その言葉に、ルンバルグ大尉は命令を下す。
「よし。艦隊を母港に向けろ。寄港するぞ」
「はっ」
それと少し考えた後、命令を追加する。
「詳しい戦闘記録を作成するようにしておいてくれ。艦隊司令部に報告するぞ。また同じような場面になったときの対応の為にな」
「了解しました。すぐに僚艦にも連絡し、記録をさせましょう」
「ああ、頼むよ」
こうして、ルンバルグ大尉の新型艦艇受理後初の戦いは実質的に負けとなった。
だが、負け戦だからこそ、学べることもあるのだ。
今回の報告は、イムサ本部を通してフソウ連合に知らされた。
そして、その報告書から、敵が囮を使った戦法を使用したと判定。
囮対策のマニュアルが追加で作成されてイムサに提供される流れとなったのである。




