日誌 第二日目 その1
「おはようございます、長官」
優しく揺すられ、耳元で声が響く。
目を開くと僕を覗き込む東郷大尉の顔。
ぼけた頭に一気に血液が回ったかのように状況把握を開始し、僕は目を見開いて起き上がった。
「あっ、あっ…」
そして周りを見渡す。
自分の部屋だ。
そして、布団の中に僕はいた。
「おはようございます」
再度声をかけるとニコリと微笑んで軍服姿の東郷大尉が頭を下げる。
「あ、ああ、おはよう…」
それだけ言って昨日の事を思い出そうとする。
「えっと…昨日は宴会があって…」
無意識のうちに口にしてたのだろう。
「はい。宴会でかなりお酒をめしあがっておられました」
そうそう。そうなんだよ…。
でも途中で記憶が…。
そんな僕の思考がわかったのだろうか。
東郷大尉は苦笑して言う。
「言い忘れてましたが、参謀本部長の新見大佐はうわばみです。彼に付き合っても大抵途中でみんな寝ちゃうかダウンですね」
その言葉で、忘れかけていた記憶が少し戻ってくる。
そうそう。
いい飲みっぷりですねとか言いながら新見大佐にガンガンお酒注がれていたような気がする。
「一応、声はかけたのですが…」
東郷大尉のその言葉に、何度か「それくらいにしておかれたほうが…」と遠慮気味に声をかけてきたのを思い出す。
「確かに…大尉の言うとおりだった…。以後注意するよ…」
頭を抱えて素直に謝る。
しかし、その後どうなったんだろうか…。
「えっと聞き難いんだけど、その後どうなったの?」
「見方大尉に運んでもらってこっちに戻ってきました」
「ああ、大変だったんだね。ごめん…」
そこまで言って気がついた。
「ところで、僕、何で寝巻き着ているのかな?」
すーっと汗が背中を濡らす。
まさか…。
「はいっ。そのままでは服がしわになると思いましたので、私が着替えを行いました」
実にきっぱりと後ろめたい事はないにもないという態度で言い切られてしまう。
「あ…そう。ありがとうね」
ここで、頬を赤らめたり、もじもじしたりすれば変な空気になったかもしれないが、まるでいつもどおりの作業をやりました的な態度と言葉にぼくは苦笑してお礼を言うしかなかった。
もっとも、心の中では少し残念だという気はしたのだが…。
うーーん。
きりりとした女性が頬を赤らめて、恥じらいながら言ってくれるのはなかなかいいもんだと思うんだがなぁ。
言われた事ないけどさ…。
そんな事を考えていると、すーっとコーヒーが差し出される。
「あ、ありがとう…」
布団でコーヒーという組み合わせはなんか間抜けだなと思いつつもいただく事にする。
「それで…昨日のお話の続きなんですが…」
コーヒーをすすりながら記憶を何とか思い出そうとする。
なんか話したっけ?
「私と見方大尉はどのお部屋をお借りしたらよろしいでしょうか?」
口に含んだコーヒーを噴出しそうになった。
それを何とか飲み込み、聞き返す。
「えっと…どういうことだったかな…」
「はい。一応、連絡と護衛がこっちでも必要ではと言うことで、私と見方大尉がこちらに滞在するという事に…」
そこまで言われて、昨日そんな事を話していたような記憶が蘇る。
確か…かなり酔ってて、その件は任したとか言った記憶が…。
ああっ、昨日に戻れるならそんな事を言った自分をぶん殴ってやりたいと思う。
しかし、そういうことは出来ないわけで…。
「えっと…やっぱりさ、必要かな?」
恐る恐る聞いてみる。
するとぐいっと顔を近づけて大尉が力説を始めた。
「長官は自分が今どれだけ大事な身体かわかっておられません。それにマシガナ地区代表になられたのを忘れられたのですかっ!!」
あ…そんなこともあったよなぁ…。
思わず遠くを見てしまう。
あれはなんかさ…なし崩し的なもので…とは言えない訳で…。
「わ、わかったよ。部屋を用意するよ」
大尉の剣幕に負けて承知するしかなかった。
「それじゃ、下の台所で待っててよ。着替えていくからさ」
「はい。お待ちしております」
機嫌のいい声で大尉が返事をして、思い出したかのように部屋にかけられた服を指差した。
「あの軍服をお使いください」
指の指した先には、黒い日本海軍の軍服と軍帽が用意してあった。
「おかしくないかな?」
僕がそう言って服のすそを引っ張ったり手を動かしたりしているのを実にうれしそうに東郷大尉は見ている。
そして、その隣には見方大尉が頷いていたりする。
おかしくないということらしい。
「見方大尉、昨日は申し訳なかった」
言い忘れていた事を思い出し、そう声をかける。
「いえ。大丈夫ですよ。ただ、護衛として一言よろしいでしょうか?」
「ああ。いいけど…」
「長官は、無防備すぎます。もう少しご注意ください」
ああ、やっぱりそうですか。
東郷大尉にも似たような事言われたんだよなぁ。
そんなに無防備だろうか?
まぁ、こっちは平和ボケしている日本だからな。
そんなになってしまうというかそんな風に見えるのも仕方ないのかもしれない。
「ああ、気をつけるよ」
そう言って僕は言葉を続ける。
「それと先に二人の部屋を案内するよ」
二人の要望を聞いて、まずは見方大尉の部屋として考えている玄関の傍の階段の近くの八畳間の和室に案内する。
見方大尉は、部屋の外や入口、廊下や近くの部屋の状態を確認したあと「ありがとうございます」と頭を下げた。
どうやら合格のようだ。
「それで次は東郷大尉の部屋だが…」
「二階がいいです」
「いや、それはだな…」
「二階がいいです」
「いや、さすがに…」
「絶対、二階がいいです」
どうやら、それは譲る気はないらしい。
見方大尉の方を見ると、彼は苦笑して軽く両手を上げて開いた。
つまりは、諦めろというジェスチャーのようだ。
仕方ない…。
僕が折れるしかないのか…。
僕の方が偉いのに…。
なんか情けない気持ちになったが、ここで時間を潰してしまう訳にはいかず二階の階段近くの十畳ほどの洋室をあてがう事にした。
「ここでいいよね?」
なんか奥さんにこれ買ってもいいよねってねだるような感じの聞き方になってしまったが、部屋を見た彼女は満足したようだ。
「はいっ、ありがとうございます」
「よかったよ…。それと布団やベッド、それに家具なんかは後で買いに行こうと思う。その時は付き合ってくれ」
僕の言葉に二人は驚いた表情になった。
「い、いえ。それはこっちで…」
「長官にそんなことはさせられません」
あたふたしてそういう二人を見て言い切る。
「こっちの世界の事は、僕の指示に従ってくれないかな?向うの世界とは規則も習慣も違う部分はあるからね」
そう言った後、僕はニタリと笑って言葉を続ける。
「もし駄目なら、ここでの居住はなしとする」
その言葉に二人はしぶしぶ従ってくれる。
僕としては、これから色々お世話になるのだ。
少しぐらいはお返ししたいと思うし、すこしでもいい環境を提供したいと思っている。
だから、僕のわがままに付き合って欲しい。
「さて、後は朝食をとりつつ、今日の予定を確認したいと思うんだが、どうかな?」
「「はいっ。了解しました」」
二人はそう返事をして敬礼する。
それを見て僕も無意識のうちに敬礼を返していた。