反逆者達…… その3
ミハエル・ラクバラは、その日まではただの別に特別でもなければどこにでもいる善良で熱心な模範的な信者の一人であった。
その日も相談会があるという事で参加する事に決め、教会に向かっていた。
ただ普段と違っていたのは、その日は唯一の親友とも呼べる友人に捕まり、向かうのが遅くなった事であった。
完全に遅刻だなぁ。
もう始まってる頃か……。
そう思ったものの、最近の相談会は今の上のやり方に対する愚痴をただ垂れ流す場になりつつあるという事で、彼自身が求める方向から大きくずれてしまっている。
それ故に、どうしても気分が乗らずに歩くスピードは鈍るのだ。
急がなければという焦る気持ちもあるのだが、それと同じように、いやそれ以上にそんな愚痴の言い合いにしかなっていない相談会に参加する事で何か変わるのだろうかという思いが強いのである。
はあ……。
ため息が漏れた。
だが、それでもいかないという選択肢はなかった。
どうのこうの言いながらも彼は熱心な信者であり、スカラントル・ヘルバンナ・リベンダーラ司祭の人柄に惚れ込んでいたからだ。
薄暗い夜道を進んでいくと、後ろの方からなにやら数台のトラックが向かってきているのに気が付いた。
撥ねられたらたまらない。
最近は荒っぽい運転のものも多く、ほんの数日前も跳ねられそうになったいたからなおさらだ。
慌てて道の横の草むらに入る。
ミハエルの横を数台の黒く塗られたトラックと一台の黒塗りの高級車が通り過ぎていく。
なんか変な組み合わせだな。
それにこの先は何もないぞ。
街道でもなければ、他の村や町に繋がっている道でもない。
この先にあるのは、精々教会か、漁師や炭焼きの男達が住む掘っ立て小屋くらいだ。
そんな事を思いつつ、草むらから通り過ぎるのを見送った後、草むらから出ると先を進む。
そして、まもなく教会という距離に近づいた時だった。
彼は耳にする。
普段ならほとんど耳にしない音を……。
その衝撃的な音に足が止まった。
その衝撃的な音。
それは銃撃と人々の悲鳴だ。
かなりの距離がある為、街までは聞こえないだろう。
だが、まもなく教会という距離にいた彼の耳にははっきりと聞こえたのだ。
足が止まり、背筋がゾクリとする。
それは恐怖だ。
だが、それ以上に強いものが止めていた彼の足を進めさせた。
草むらに入ると腰を沈めて隠れる様に教会に近づいていく。
彼を動かしたもの。
それは好奇心だ。
いったい何があったんだ?
その思考が恐怖を乗り越えたのである。
いや、もしかしたら怖いもの見たさと言った方が正しいのかもしれない。
ともかく、ゆっくりと隠れるようにして教会に近づく。
すると教会の前には先ほど通り過ぎた数台のトラックと高級車が止められており、数人の兵士らしき者達がいるのが目に入った。
兵士達は大きく二つに分けられており、見張りとなにやらトラックに物を運び込んでいる者がいるようであった。
荒々しく放り投げるようにトラックに積み込まれていく様子に、ミハエルは嫌な予感がした。
しかし、ここで引き返すという選択を彼はしなかった。
ごくり。
口の中にたまった唾を飲み込むとより慎重に近づいていく。
すでに夜の帳は完全に落ち、青みじみた月明かりが場を照らしていた。
そして彼は目にする。
トラックに積み込まれている物の正体を。
それは人の形をしていた。
人形か?
一瞬そう思ったが、すぐにその認識は間違っている事に気が付いた。
月明かりの中でもわかったのだ。
それは人形ではなく人であり、それが無残にも殺された者達であるという事も。
なぜなら、その多くが損傷が激しい上に、全員ではなかったが、月明かりの中でもよく知った顔がいくつかあった為である。
ミハエルはごくりと唾を飲み込む。
嘘だ。
思わず無意識のうちにそう叫ぼうとしたものの、それを何とか彼は飲み込む。
只々その光景を見ている事しかできなかった。
それはそうかもしれない。
知り合いが無残な死体となり、それを荒々しく扱われていたからだ。
そこにはドクトルト教の教えの一つである人の尊厳や相手への思いやりなど微塵もなかった。
ただ信じられない光景に、彼は恐怖し、怒り、そして茫然とするしかなかったのである。
どうやら作業が終わったのだろう。
作業していた兵士二人がこちらに使づいてくる。
見つかったのか?
ミハエルは逃げるべきかと迷ったが、兵士の動きには警戒の色はなく、ただ雑談をしながら茂みに近づいていく。
近づくにつれて、その兵士たちの制服にはいくつもの染みがついているのがわかる。
そう、血の染みだ。
恐怖が増大し、ミハエルの心臓をわしづかみにする。
身体が震えるのを何とか抑え、身を縮こませた。
震える事で見つかってしまうかのように。
ともかく、そんなミハエルとは違い、兵士達は草むらに近づくとズボンのチャックを降ろした。
どうやら用を足す為に茂みに近づいたのだろう。
「しかしよ、なんで俺らなんだよ。見てみろよ、制服にいくつも染みが出来ちまったじゃねえか」
一人がそう言うと、もう一人がうんざりした表情で言い返す。
「馬鹿野郎。お前がカードで負けるからこんなことをする羽目になったんだぞ。お前の相棒であった為に巻き込まれた俺の方が愚痴りたいわ」
「くそっ。それを言うなよ。ぜってぇ、イカサマしてたんだよ、あの野郎は」
そう吐き捨てた後、愚痴り始めた兵士は言葉を続ける。
「俺は死体運びの為に、苦労してハンドバレル聖騎士団に入ったんじゃねぇぞ。人殺しが出来るって聞いたからわざわざ入ったのによ」
「そりゃ、俺もだ、馬鹿野郎」
愚痴を聞いていた兵士は笑ってそう言い返す。
それを聞き、愚痴った兵士も笑った。
そして、空を見上げて言う。
「しかしよぉ、リッペンドウラ大尉もこええよなぁ」
「ああ、まさかあんなに簡単に射殺命令下しちまうんだからよ」
「本当だぜ。こええ、こええ」
だが、そうは言いつつも二人の顔に浮かぶのは悦楽だった。
神の教えの元、好きに人を殺せる。
そこには狂気があった。
その様子から、今回が最初ではない。
それが隠れているミハエルにも判る。
彼らにとって殺人は特別なものではない。
屠殺場で家畜を殺すのと同じ感覚なのだろう。
いや、悦楽を得るために殺すようなものである。
食肉の為に殺すのとはわけが違う。
それよりもはるかに質が悪い。
そしてそれからわかることはただ一つ。
見つかれば即座に殺されるという事だ。
その事実に恐怖が益々大きくなるが、ミハエルは必死に耐える。
だが、耳に入るのは恐怖を増すような話ばかりであった。
それを聞かせ続けられる。
それは永劫の時のように感じられたが、終わりのないものはない。
「今度は、皆殺しの係になりたいよな」
その言葉を言いつつ、二人は用を足すとトラックの方に歩き出す。
善良な信者であるミハエルにとって、恐怖に彩られた拷問のような時間は終わったのだ。
ふーっ。
ミハエルの口から息が吐き出される。
そう、息を止めていた事さえ忘れるほど彼は恐怖していたのである。
そして、すべての処理が終わったのだろう。
兵士達はトラックに、指揮官らしき者は高級車に乗るとその場を離れていく。
ヘッドライトの光が月明かりしかない暗闇の中で煌々と輝く。
その光はとても強い。
しかし、その反面、その強い光は影も強く作り出しているかのようであった。
遠ざかるトラックや車を音を聞きながら、ミハエルの身体から緊張が解けたためか一気に力が抜ける。
ずるりとその場に座り込むと彼は天を仰いだ。
「神よ……」
その口から洩れた言葉にどういう思いが込められていたのだろうか。
生き残れた安堵感か、或いは残酷な現場を見てみぬふりをした罪悪感だろうか。
恐らくミハエル自身もわからないだろう。
ただ、自然と漏れたのだ。
そして、彼は一時間もその場で力なく座り込んだ後、立ち上がった。
足を引きずる様に歩き出す。
その表情に浮かぶのは恐怖、そして信じられないこの事をどうすればいいのかという不安であった。
そして、彼は事実を相談する事にする。
彼の友人に。
ともかく誰かに喋りたかったのだ。
一人で抱え込むには重すぎる状況をどうにかしたくて。
すでに真夜中に近い時間になりつつあったが、それでも家に帰りたくなかった。
一人になりたくなかったのだ。
身内のいない独り身の彼にとって、選択肢はそれしかなかったのである。




