亡命の受け入れ
「アリシア様、帝国のアデリナ・エルク・フセヴォロドヴィチ皇帝陛下より連絡が届いております」
山積みの書類の間から顔出したアリシアは怪訝そうな顔をした。
「何よ、まだ何かくれってんじゃないでしょうね。いくら今後のことを考えてといっても限度があるわよ」
「どうやら違うようでございますよ」
そう言うと執事は紙の挟まったボードを手渡す。
仕方ないなといった感じの表情でそれを受け取って目を通したアリシアはため息を吐き出した。
「何よ、人二人の亡命受け入れをお願いしたいって……、うちは避難所じゃないんだけどな。フソウ連合に頼めばいいじゃない。あそこに難民が流れてるんでしょ?」
「ええ。東部地方の民が流れ込んだようでございますな。もっとも民の流れは今のところ落ち着き、フソウ連合もうまく対応しているようでございます」
「まぁ、難民が流れ込むと一気に治安が悪くなるからねぇ」
難民にもいろいろあるが、今回の帝国難民の場合は大抵はもっていた財産のほとんどを失っている経済難民が多い。
その結果、何も持たない言葉さえ知らないその地の法も何も知らない人々が流れ着いた先で早々うまくいくはずもなく、難民が生きていくためにやる事は、物乞いか、強奪となる。
また、民族の違い、言葉の違い、文化の違いなどあらゆることが衝突の原因となる。
要は、難民はきちんと対応しないと争いしか生まないのだ。
その点、フソウ連合はうまくやっているようだ。
難民を事前に海で確保。
そのまま、開拓できる無人島などで管理を行っているらしい。
勿論、最低限の生活保障を出すが、その代わりに島の開墾を任せたりして将来的には、その島で生活できるような形にして、その間に文化や法律、習慣などを互いに理解して少しずつすり合わせていく形にしているという事だ。
なるほどねぇ……。
確かにそれなら大きな衝突も生まれにくいし、時間はかかるものの難民対策としてはうまくいく確率は桁違いに高いだろう。
その報告を思い出したのだ。
しかし、その後に記録されている二人の名前で何かが引っ掛かった。
ダーリア・ユーリエヴッチ・ドロウはいいんだけど、もう一人……。
「ビルスキーア・タラーソヴィチ・フョードルって……」
思わず口に漏れる。
それを聞き、執事が言葉を補足する。
「同姓同名でなければですが、公国の軍最高司令官ですな」
沈黙がしばし場を包む。
思考が追い付いていないのだ。
まさかという思いがとてつもなく強い為でもある。
しかし、どういった事も終わりはある。
アリシアの思考がやっと追いついたのである。
漫画やアニメなら「ちーん」という効果音が響いたかもしれない。
そしてアリシアの最初に発した言葉、それは「嘘でしょーっ?!」であった。
まぁ、無理もないのかもしれない。
ビルスキーア長官と言えば、公国の軍事部門のトップのノンナの腹心中の腹心と言われた人物であり、公国だけでなく、帝国、連邦の軍務に詳しい人物であるからだ。
そんな人物が共和国に亡命するという事は、旧帝国領内の軍事戦力の情報を公開するようなものである。
その為、国外流失させてはならない、下手したら殺してでも阻止しなければならない重要人物筆頭と言っていいだろう。
そんな人物を共和国に亡命させる。
信じられない事であり、普通はあり得ない。
だが、アリシアは直ぐに思考を切り替えた。
そんな人物をどうして共和国に亡命させるのか。
帝国領の軍事戦力を知られても、それでもなお亡命させる利点とは何なのか。
先ほど送った薬やワクチンの貸しを返す為?
或いは今後の事を考えての共和国とのツテを強くするため?
それともスパイとして?
そこまで思考して、スパイはあり得ないかと選択肢から消す。
情報通りなら、そんな情報戦に長けた人物と言うより生粋の軍人という事らしいから、それが正しければスパイなんてのは無理だろう。
ふむ。
それ以外にも理由はあるだろう。
ただ、どんな利点があるのかは今の情報だけでは計り知れないが、いきなりとてつもない大札を帝国の女帝は切ってきたのだ。
アデリナという人物はなかなか思い切りのいい人物とアリシアは判断した。
嫌いじゃないわ、こういう人。
アリシアは、アデリナに好意を持つ。
それにビルスキーア長官が情報通りの人物なら、こちらとしてもありがたかった。
アリシアの周りには軍務に長けた人材が不足していたからである。
確かに父親が長く政治家として動いていたため、軍にもそれなりに知り合いや親しかった者達はいる。
だが、そう言った人物も、アリシアが女性という事もあり、軽視し距離を置く者も少なくなかったのである。
「ほんと、何が男女平等よ。文言だけは御大層なんだから」
思わずアリシアの口から愚痴が漏れた。
大体、肉体的、思考的に男女は違いがあるのだ。
それを平等なんて言うからおかしなことになるのだ。
区別は必要であり、それは差別ではない。
それがわかっていない人間が多すぎるのである。
その割には、昔の慣習を引きずっている。
それも区別ではなく差別的なものをだ。
「本当にこの国は矛盾してるわ」
平等と自由の国。
共和国のうたい文句である。
だが、それはただの見せかけでしかないのだ。
政治家になってからというもの、そんな愚痴に近い言葉が良く漏れるようになった。
そのせいだろうか。
執事は黙って聞いていない振りをする。
流石ね、その様子に心の中で苦笑すると同時に思考を切り替える。
今の時点では愚痴っても何も変わらないか……。
どちらにしても、今は、この件をどうにかしないとね。
そして結論を出す。
「いいわ。受け入れ準備を進めてください。それと帝国領の情報収集をより密にさせて。恐らくこれは大きく帝国が動く前触れだからね」
「はい。了解いたしました」
そう言うと執事は頭を下げる。
「それと、潜水艦に対しての対策の方は?」
「はい。フソウ連合から資材と技術者、指導者が到着して進めております。また、飛行隊の要請もフソウ連合の大使館に打診しておりますが、こちらは返事待ちという事です」
その言葉に、アリシアは苦笑する。
困ったような鍋島長官の顔が浮かんだのだ。
「まぁ、早いにこしたことはないけど、言い出しっぺの王国を差し置いてというのは虫が良すぎるからね。まぁ、急かさず返事を待ちましょうか」
「それがよろしいかと。聞けばサネホーンの方も動きが活発化しているという情報もありますから、フソウ連合としても戦力の分散は抑えたいかと……」
その言葉に、アリシアはため息を吐き出す。
「合衆国は、クーデターは防がれたとはいえ、国内は混乱して立て直し中。帝国の内乱もなんとか落ち着きつつあるとはいえ、ある程度の状態に戻るには数年、或いは十数年かかる状況。それでいて、本当にあっちこっちで火種が爆発寸前って……。まるで誰かが火をつけて回っているみたいよね」
その言葉に、執事はピクリと眉を動かした。
「お嬢様……」
「その可能性が高いと思ってるわ。そして恐らくそういった事をやっている人物、或いは勢力がいると警戒しておいて」
「了解しました」
そう返事をして頭を下げると執事は退室していった。
それを見送った後、アリシアは両手を上げて大きく伸びをする。
「ふぁぁーっ」
そして、事務処理で固まっていた身体をほぐしつつ窓に視線を向けた。
曇りがかった雨が降りそうな天気が目に入る。
まるでこれからの世界の動き体現するかのような天気ね。
天気予報では、大雨だといっていた。
ふう……。
口から息を吐き出して考える。
その大雨の、嵐の中でもどう立ち回れば共和国が濡れずに済むかと……。
だが、すぐに苦笑した。
濡れずに済むわけがない。
恐らく、巻き込まれるだろう。
いや、もう巻き込まれているといっていい。
ならば、少しでも理に適った動きをしなければ……。
そう考えをまとめるとデスクの書類の山に目を向ける。
まずはこいつを処理しないとね。
そして中断していた書類業務を再開するのであった。
そして、アリシアの予想は大きく当たる。
それも悪い方に……。
それから二週間後、ビルスキーア長官の亡命を受け入れ、対潜任務の艦船が形なりにも戦力として動き始めた矢先、世界の流れを変える出来事が共和国で起こるのである。




