エンガハンモル会談 その3
アデリナの言葉を噛みしめる様にビルスキーア長官は俯いていたが、それでも意を決したのだろう。
ゆっくりと顔を上げた。
その顔に浮かぶのは揺らがぬ決意である。
その表情からは、どんな言葉でも引かないという思いがひしひしと感じられた。
それはそれほどまでにノンナに忠義を尽くすという事だ。
「陛下、陛下はノンナ様が言われる以上の大きな器をお持ちのようだ。今までの会話で心配はなくなりました。貴方ならこの国を、国民をお任せできます。きっと、陛下はこの混乱した祖国をまとめ上げるでしょう。それはとんでもなく大変で、苦労の連続になります。だからこそ、そんな時に陛下の足を引っ張りたくないのです」
その決意の表情と言葉に、真剣なアデリナの表情が崩れた。
困ったなという表情になってため息を漏らすと、アデリナは後ろにいる副官のゴリツィン大佐の方に視線を向ける。
「うーん。駄目だったか……」
そのアデリナの言葉にゴリツィン大佐も頷きつつ言う。
「駄目でしたな」
さっきまでの雰囲気が嘘のようなあっさりとした対応。
それは、これで引き留められるか微妙だなと最初からわかっていたかのようであった。
その温度差は余りにも開いており、何が起こったのか幕僚達は唖然とするだけだ。
もちろん、当人のビルスキーア長官も何があったのか把握できないでいた。
そんな唖然とする周りをちらりと見た後、くすりと笑ってアデリナは視線をビルスキーア長官に向ける。
「失礼。別にだますつもりはなかった。ただ、貴官を死なすには惜しいと思ってな。それにだ。部下として欲しかったのは事実だ。貴官のような部下がいれば、少しは楽になるかと思ってな」
そう言ってアデリナはカラカラと笑う。
そして、周りの者達も気が付く。
今までの事がビルスキーア長官を死なせることを残念に思うアデリナの芝居であったことを。
そして、幕僚達はしてやられたという表情になったが、それは悪戯に引っ掛かったかのようなバツの悪いものであった。
だが、それらからは憎しみも怒りもなく、親しみが感じられる。
だから、それらの様子を見て、ビルスキーア長官は微笑む。
「陛下、やはり私の席は、陛下の側にはないようです。私は私の道を進ませていただきたい」
「そうか……」
アデリナはそう言ったが、すぐに言葉を続ける。
真剣な表情で。
「確かに、そなたの意思を尊重したい。だから私からは何も言うことはない。だがな、それでも納得できない御仁がいてな。その者を納得させてほしいのだ」
「どなたでしょう?」
そう言いつつ、ビルスキーア長官は室内を見渡し、最後に川見大佐に視線を向けた。
視線を受けて川見大佐は自分じゃないぞと軽くジェスチャーで返す。
そんな様子を見た後、アデリナは指を鳴らした。
ゆっくりとドアが開き、一人の人物が入室してくる。
入ってきた人物、それはダーリア・ユーリエヴッチ・ドロウであった。
ビルスキーア長官の長年付き合っていた法律家の恋人であり、結婚式は上げていないも、ほとんど結婚しているのと変わらない生活を共に送った仲でもあった。
それゆえに、今回の騒動に巻き込まれてはいけないと思い、フソウ連合に亡命させていたはずであった。
「ど、どういうことですかっ?!」
ビルスキーア長官は驚き立ち上がると川見大佐に詰め寄る勢いで言う。
そんなビルスキーア長官に対して川見大佐は飄々とした態度を崩さないままだ。
その様子に苛立ったビルスキーア長官は川見大佐に詰め寄ろうと一歩足を出した時、ダーリアの口から言葉が発せられた。
「私が頼みました」
その言葉にビルスキーア長官の動きが止まった。
視線が川見大佐からダーリアに移る。
その視線に入るのは意を決したダーリアの表情。
そこには全てを知っているという意思が感じられた。
「ダーリア……。なんで……」
そんな言葉がビルスキーア長官の口から洩れたが、その言葉をダーリアは吹き飛ばすかのような勢いで言う。
「酷いではありませんか。何も言わずにやろうとするなんて。それになんでですって?!」
すーっとダーリアの顔に怒気が混じり始める。
「決まっています。貴方の側にいる為です。辛いあなたを支える為です。それ以外にないでしょう。それとも、それ以外の理由がいりますか?」
その言葉に、ビルスキーア長官は何も言えない。
「それに、私の未来は私が決めます。貴方の思いはうれしいですけど、それは私の意思を無視しています。そんなやさしさいりません。私はお互いに支え合える関係が欲しいの。今までもそうだったじゃない。そしてこれからもそうでありたいの」
一気にそこまで言われ、ビルスキーア長官は黙ってうなだれている。
その様子は、アデリナに説得されていた時以上に深刻そうだった。
沈黙が辺りを包み込む。
誰もが言葉を発する事は出来ないでいた。
ほとんどの幕僚達は何が起こっているのかわからなかったし、何か言ってしまえばとんでもないことになるのではという雰囲気であったからだ。
ほんの数分間だけではあったが、沈黙が痛い。
流石にその沈黙に耐え切れなかったのか、或いはしびれを切らしたのかアデリナが口を挟む。
「ふむ。まぁ、そこでだ。私から妥協案を出したい」
ビルスキーア長官とダーリアの視線がアデリナに向く。
その視線を受けてアデリナはニヤリを笑みを漏らした。
「実はな、共和国のアリシア代表がな、軍務に詳しい人材を探しているようなのだ。共和国もいろいろ内情はあって内部からは難しいらしい。そこでだ。貴官、やってみないか?」
いきなりの話にビルスキーア長官は思わず聞き返す。
「私が、共和国にですか?」
「ああ。人材が流失するのは残念だがな」
「しかし、なぜ私が……」
そう聞かれてアデリナは得意そうに言う。
「これが一番、誰もが納得できる解決策だと思っているのでな。まず、彼女の希望通り、一緒にいることが出来るだろう。それにな、これはこの国の為だが、共和国には借りがある。それを少しでも返し、繋がりを強めたいのだ。これから国を立て直すには諸外国の力添えが必要だからな」
その言葉の中で気になったのだろう。
ビルスキーア長官が聞き返す。
「借りですか?」
「ああ、まだ戒厳令で知られていないが、南部でラゼンカ風邪が発生してな。その対応の為にワクチンと薬を共和国に頼ったのだ」
ラゼンカ風邪。
その言葉に、ビルスキーア長官の表情が引きつった。
それで慌ててアデリナが言う。
「今はワクチンと薬が届いて対応している。恐らく、もう少しかかるだろうが何とかなるだろう」
「そうですか……」
ほっとしたような表情をして強張った身体の筋肉が緩み、椅子に身を任せるビルスキーア長官。
その態度からも、彼がこの国を、この国の民をいかに大切に思っているかが見て取れた。
「それにだ。私としても貴官には生きていて欲しい。そして、私が、この国がどうなっていくのかを国の外から見届けてくれないか」
その言葉の後、皆の視線がビルスキーア長官に集まる。
そして、ぽつりと口から言葉が漏れた。
「ノンナ様、貴方の元に行くのは少し遅れそうです」
その言葉が漏れた瞬間、ダーリアがビルスキーア長官の側に来て聞く。
「これからもあなたを支えていていい?」
その問いに、ビルスキーア長官は微笑んで返す。
「ああ、ありがとう。そして、私も君を支えていたい」
そのやり取りが全てを物語っていた。
そんな二人を見てアデリナがゴリツィン大佐に囁くように言う。
「ふむ。夕食は盛大なパーティでも開くかな」
アデリナの言葉に、ゴリツィン大佐が苦笑した。
「折角なのです。二人っきりででささやかにという事にしておいては?」
その言葉と、二人の様子を再度見てアデリナは苦笑する。
「そうだな。パーティは後日という事にしておくか」
こうして、ランユーヤ会談は終わる。
そして、翌日、世界中に向けて、公国が帝国に全てを譲渡し帰順する事が発表された。
勿論、その報は、帝国、公国、旧連邦にも知らされる。
そして、その報と同時に、公国内では準備されていた通り、モンパダニア中将を中心にした部隊と公爵の私兵であり近衛隊によって反対勢力の動きを一気に沈めていく。
しかし、その規模は予想よりもはるかに少ないものであった。
実際、反乱を起こしかけたものの、部下や兵がその命令を受けても動かずにそのまま呆気なく捕まったという者も多かったのである。
一部の上層部以外は、同じ国の者同士血で血を洗う争いに嫌気がさしており、また市民の大半も戦争の継続を望んでいなかったためであった。
こうして、あっけないほど公国は帝国に帰順し、南部もワクチンや薬の手配に尽力したアデリナを君主に相応しいと認め帝国を受け入れる。
残ったのは旧連邦でも反旗を翻している連中だけだが、それらの勢力は軍としての機能を維持できている連中はほとんどなく、順に帝国と公国の混成軍によって潰されていった。
こうして、公国が帝国に帰順したという宣言から一ヶ月後、旧帝国は、新帝国皇帝アデリナ・エルク・フセヴォロドヴィチによって完全に統一されたのである。
だが、続いた内乱で国土は荒れ、今までの悪政と内乱によって国民は疲弊してぼろぼろの有様であり、当面の間、帝国は諸外国の支援を受けつつ立て直しを図ることになる。
その道は険しく、長い道のりとなろう。
だが、それでもなお、進まねばならない。
アデリナは、世界に帝国統一を宣言して思う。
ノンナの思いを引き継ぐためにも……。




