公国海軍本部の一室にて
公国防衛隊長官のビルスキーア・タラーソヴィッチ・フョードル上級大将との面談は、ホテル滞在が始まって三日後、公国海軍本部の一室で行われた。
内装は質素で飾り気はなく、テーブルと椅子があるのみだが、重要会議を行うために用意された部屋なのだろう。
一目見ただけでかなりの防音対策が厳重に行われているのがわかったし、三島特務大尉は川見大佐にぼそりと告げる。
「ここ、厳重な結界が張ってあるわ」
魔術探知に秀でている彼女にしてみれば、巧妙に隠してあったとしても一発でわかってしまう。
「そうか」
川見大佐はそう短く返したが、それだけで十分だった。
ただの商人相手にしては、厳重すぎる。
どうやらそれらの事から、こっちの身分はバレているのは明白だろう。
なんせ、リットミン商会の代表取締であるポランドの直の面談依頼なのだ。
いくらリットミン商会の重要取引先の商人だと言っても、直に公国に来る必要はない。
なんせ、公国の取引は、フソウ連合政府からリットミン商会に一任されているのだ。
だから、その間にフソウ連合の商人とて入り込む隙間はない。
そういった事も考えれば、商人ではなく、政府関係者とバレても仕方ないという事だ。
まぁ、そっちの方が話が進むから問題ないな。
川見大佐はそう思考を走らせつつ、室内を観察する。
それは彼の習慣だった。
何かあった時にすぐに動けるようにという。
その様子に気が付いたのだろう。
三島特務大尉も何気ない様子を装いながらも、その目は鋭い。
恐らく、結界の構造や解除の方法でも考えているのだろう。
その表情からそう判断し、川見大佐は心の中でクスリと笑った。
たくましくなったな。
配属された時はどうなるかと思ったが、今や信頼できる仲間であり、公私共にするパートナーとなっているのだから。
わからんものだな、人生という奴は……。
結婚する事も、女性を側に置く事さえ数年前は考えていなかったというのに。
そんな事を考えているとノックがされ声が掛けられた。
どうやらお相手が来たようだ。
思考を切り替え、ドアに視線を向けると、まず護衛らしき人物二人が入って来てその後一人の男性が入って来た。
この男か……。
軍服や対応からそう判断すると川見大佐、三島特務大尉は立ち上がり頭を下げる。
あくまでも人の目がある為、商人という仮面はまだ外さない。
「今回は、私達の願いを聞き入れてくださり、ありがとうございます」
その言葉に、ビルスキーア長官は苦笑し、返事を返す。
「いや、ポランド殿の紹介というのにお待たせしてしまった。申し訳ない」
「いえ、こちらこそ無理を言いまして」
互いに頭を下げた後、自己紹介をする。
もっとも、まだ護衛が室内にいる以上、商人としてだ。
そして、互いに挨拶が終わるとビルスキーア長官は護衛を下がらせる。
その命令に護衛がかなり躊躇しており、それがここ最近何かあったことを示していた。
やっと護衛が出て、部屋の中は、ビルスキーア長官と川見大佐、三島特務大尉の三人となった。
「これできちんと明かせますな」
そう言ってビルスキーア長官は苦笑する。
隠そうとしてはいるものの、その顔には疲労がたまっているのが見え隠れしている。
だが、それに気か付かない振りをしつつ、川見大佐は本当の自己紹介をした。
「私は、フソウ連合海軍本部付の川見悟大佐であります。こちらは部下の三島特務大尉」
その言葉に、ビルスキーア長官はやはりと言った顔をした。
「そろそろ来ると思っていました。ノンナ様の予想通りに……。」
そして、苦笑した顔を引き締めると言葉を続ける。
「それで、フソウ連合の方がなぜ私と面談を望まれたのでしょう?」
その言葉、態度には身構えるような意思を感じた。
だが、その態度や言葉から、この人物が謀略には向いていない事、そして何某らのトラブルか何かを抱えており疲労しきっていることを川見大佐は見抜いていた。
資料によれば、公国実質ナンバー2であり、かなりの戦略家で切れ者という話であったが、実際に目の前にいるのは疲れ切った男性という印象があまりにも強いのだ。
何かに怯え、疲労しきった中間管理職と表現したらわかりやすいかもしれない。
予想とは大きく違ったな。
だが、それを言えばうちの長官も似たようなものか。
第一印象は、どこにでもいるただの青年という感じだった。
だが、そんな見た目とは裏腹に、その大胆さと繊細さ、そして用心深さに驚かされた。
そして、その才能は軍事のみならず、今や政治や外交においても発揮され、今やフソウ連合にはなくてはならない人物と言えた。
だから、見かけに騙されるなと気を引き締める。
「その問いに問いで返すのは失礼とは思いますが、敢えて言わせていただきたい」
そう一旦言って間を取る。
その言葉に、ビルスキーア長官はぴくりと眉を動かしたものの黙っており、それは続きを話してくれという意思表示であった。
それを確認し、川見大佐は言葉を発した。
「公国はこれから何をするのですか?」
その問いに、ビルスキーア長官は表情を硬くしたまま口を開く。
「どういう意味でしょうか?」
「フソウ連合としては、今回の公国の動きに不審を持っております。我々としては公国と事を構えるつもりはありません。ですが、トラブルに巻き込まれたくはない。ですからそちらの今後の方針を知っておきたいという事です」
強い口調で川見大佐はそう言う。
その言葉と態度に、ビルスキーア長官はしばらく難しそうな顔で押し黙っていたが、いきなり笑い出した。
その急な変化に川面大佐も三島特務大尉も驚くしかない。
なにがあったんだ?
気でも狂ったのか?
そう考えてもおかしくないほどの突飛容姿もない変化だったからだ。
唖然とした二人に気が付きビルスキーア長官は笑いつつも謝罪をする。
「申し訳ない。余りにもノンナ様の予想通りの展開に……」
要は、ノンナは事前にフソウ連合からこういった使者が来てこう聞かれるだろうと予想していたという事だ。
そして、ビルスキーア長官はひとしきり笑った後、表情を引き締めて聞き返す。
「それで、フソウ連合としてはどこまで知っておられるのですか?」
その探るような問いに、川見大佐はブレる事のない直球を叩きつける。
「ノンナ・エザヴェータ・ショウメリア様に何かあったのではありませんか?」
「ほほう……。何かとは?」
ぴくりとビルスキーア長官の眉が反応した。
「すでに亡くなられているとか……」
余りにも不敬ではあるが、ここでは下手な言い方をしてもはぐらかされると判断したのだろう。
川見大佐は躊躇なく言う。
その言葉に、ビルスキーア長官は否定の言葉を口にしょうとしたが、すぐにその口は閉じられる。
そして再び開いた口は別の言葉を発していた。
「なぜそう思われたのですかな?」
「今の公国の動き、そして徹底なまでにノンナ様に関しての情報管理、そして何より……」
そこでいったん言葉を切って川見大佐は苦笑しつつ言葉を続けた。
「長官、貴方は嘘を吐くのは止めた方が良い。貴方は元々こういった事には向いていませんし、何より嘘が下手すぎますよ」
その言葉に、ビルスキーア長官はきょとんとした顔をした後、苦笑を浮かべた。
「そう見えますか?」
自覚があるのか、困ったような表情だ。
だから、川見大佐も頷きつつ肯定する。
その言葉に、益々困ったような顔をした後、腹を決めたのだろう。
表情を引きしめた。
その表情には強い意志と決意を感じさせる。
「流石はフソウ連合ですね。そこまで予想しておられるとは……。ノンナ様もそこまでは言い切っていなかった。指示では誤魔化せとあったが、それはどうも通用しなさそうですな。予想外ではありますが、ここはきちんと話すべきですな。ですが、秘密厳守でお願いしたい」
「勿論です。フソウ連合としても公国が混乱するのは望みません」
その言葉にビルスキーア長官は苦笑する。
帝国にも支援しているくせにと。
だが、帝国領の混乱はフソウ連合が望んでいないという事は間違いない。
ならばと判断し、本題に入った。
まず最初に伝えたことは、先の海戦でノンナが死亡した事であった。
その言葉に、川見大佐、三島特務大尉は言葉なくただ頭を軽く下げて黙祷した。
その対応に、ビルスキーア長官は感謝を込めて微笑む。
そして、その後に今後の事について話していく。
もしそのような非常時になった場合、どうするかというノンナ自身が用意した計画がある事。
そして、それを今実施している事を……。
その計画を聞き、二人は驚く。
「それを……、公国を帝国に譲渡するという事を本当にやるおつもりなのですか?」
川見大佐が驚愕の表情でそう聞くと、ビルスキーア長官は初めてしてやったりといった感じの表情をした。
あのフソウ連合の予想外の事をノンナ様はやってくれたと心の中で誇らしげに。
そして頷く。
「ええ、やり遂げて見せますとも。それがノンナ様の望みでしたから」
その言葉には揺れる事のない絶対的な忠誠心があった。
そして惜しいと思う。
この計画を進めれば、間違いなくこの男は死ぬだろうと予想出来て。
恐らく、全員がノンナの計画に賛同ではない。
権力は人を狂わせる。
それも大きくなればなるほどに。
それにここまで忠誠心が高い人物もいないだろう。
ある意味、異常と言ってもいい。
人は、欲によって発展してきた生き物であるのだから。
だから、もしうまくいった時、その反動は間違いなくある。
そしてその矢面に立たされるのは、この男しかいない。
それはたぶん、本人もわかっている。
だがそれでも、主人の為にやろうとしているのだ。
川見大佐は、この男の評価を修正する。
ここまで愚直に忠誠心の強い人物だとは考えていなかったのだ。
そして思う。
こういう男は、嫌いじゃない。
いや、それどころか、かなり好感が持てると言った方がいいだろう。
そして益々願うのだ。
死んでほしくないと……。
だが、それは本人の意志が固いし、何より自分らは今回の計画では部外者である以上、説得は難しい。
ならば、少しでも相手の手伝いをしたい。
その思いが口に出た。
「貴方の意志の強さ、忠誠心に心を打たれました。我々も何か手伝えることがありませんか?」
それは別に恩を売ると言った事や国同士の取り決めとか繋がりとか関係なしに川見大佐自らが望んで口にした言葉だった。
その言葉に、三島特務大尉は一瞬驚いたもののすぐに微笑んだ。
自慢の夫の判断に満足げに。
そしてビルスキーア長官は驚いた表情ではあったが、その川見大佐の言葉に照れたような表情を浮かべて頭を掻いた後、口を開く。
「会ったばかりのあなた方にお願いするのは失礼かもしれませんが、フソウ連合とは縁もあります。私の恋人を貴国に亡命させてはもらえないでしょうか」
「恋人ですか?」
「ええ。ダーリア・ユーリエヴッチ・ドロウ。以前、フソウ連合との講和の際にそちらと面識があるはずです」
そう言われ、川見大佐は頭の中にため込んでいる情報を確認した。
ああ、あの女性か。
そして、即答する。
「わかりました。その方は、フソウ連合が責任をもって保護いたしましょう。実は沖合にフソウ連合の軍艦が待機しております。そちらにお連れしてカルトックス島のフソウ連合の補給基地にて保護いたします」
「なるほど。確かにそこならば安全ですな。実にありがたい。早速連絡いたします。すぐにでもお願いしたい」
「了解しました」
そう返事をした後、川見大佐は言葉を続けた。
「それと、実はこちらから提案があるのですが?」
「提案?」
「ええ。提案です」
予想外の言葉に、ビルスキーア長官は窺うように聞き返す。
話が簡単に進みすぎていることに警戒したのかもしれない。
だが、それを吹き飛ばすかのように川見大佐はニタリと笑う。
「保護と同時にあなたの身辺警護にも参加させていただきたい」
その言葉に、ビルスキーア長官の動きが止まった。
予想外のまさかの提案に……。




