対立、そしてその先に
狩場の仲間たちへの無線連絡も終え、監視活動を終了した潜水艦N-077は帰路に就く準備を始めていた。
魚雷は全く使っていなかったが、監視活動を任務としている為、それは問題ではない。
それ以外の問題、燃料と食料の備蓄が三割を切ったからだ。
何が起こるかわからない潜水艦の活動では、三割を切った場合は帰還を認めている為である。
恐らく代わりの潜水艦は来ているだろうが、連絡を取り合う事は出来ない。
唯一出せるのは、獲物が狩場に入る時のみだ。
誰もがやっと陸に戻れる。
友人や家族に会えるという気持ちで安堵しほっとしていた時にそれは起こった。
「副長を拘束してください」
そう艦長に詰め寄ったのは、機関長とその部下二人であった。
その剣幕と予想もしなかった事に艦長は唖然とした。
それは仕方ない事なのかもしれない。
余りにも突然の事であり、機関長は普段は何も言わず黙々と仕事をこなすタイプであったが故に驚くしかなかったのである。
勿論、隣にいた副長も唖然としていたが、すぐに不機嫌そうな顔になる。
なんせ自分に対しての問題だからだ。
「ふむ。しかしだ。罪もないのに拘束などできん。どういう罪で機関長は訴えているのだね?」
なんとか我に返って艦長はそう聞き返す。
彼としても機関長は副長の次に信をおいている人物であり、実質、艦内ではナンバー3に位置する人物であるからだ。
だから、せっかく帰還だというのにナンバー2とナンバー3のトラブルは避けたいという気持ちが強かった。
だからこそ、頭ごなしでの拒否はせず、話を聞く気になったのだろう。
それにここで理由を聞いて決断は後ですればよい。
そんな考えもあったかもしれない。
ともかくだ。
この決断が最悪の結果を生む。
「彼は、連盟海軍に相応しくない売国奴だからだ」
「売国奴だと?」
黙って聞いていた副長が怒り、そう叫ぶと掴みかかろうとした。
彼にしてみれば言いがかりをつけられ、喧嘩を売られていると思ったのだろう。
実際、彼は連盟の為に志願し、戦ってきたのだ。
人一倍愛国心は強い。
それ故にそう感じたのである。
「抑えないか」
慌てて副官と機関長の間に艦長は入り込みそう言うと指令室にいた数名が副長をなだめる様に抑える。
その様子を鼻で笑い機関長はニタリと笑みを漏らす。
「図星を喰らって本性を現したな」
その言葉に、今度は艦長が厳しく言う。
「機関長、それはどういう意味で言っているのかね?彼は素晴らしい愛国心の持ち主だと思うのだが、それを否定して売国奴呼ばわりされれば、誰だった怒りに震えると思うがね」
そう言って機関長を睨みつける。
彼にとっては、機関長は無用な争いを引き起こす火種にしか思えなかったのである。
そして、それは当たるのだ。
嫌な時ほど、人の勘は当たる。
なぜか……。
しかし、そんな艦長の態度と言葉に機関長は怯まない。
まるで何かに憑りつかれているかのように。
或いは、まるで自分が権力に逆らい戦う闘士のように。
そして副長を指さしつつ言う。
「彼は総統閣下を貶め、批判した。それは国家反逆罪に匹敵する。しかし、今は作戦中である。よって副長の拘束のみで済まそうと思って提案したのだ」
段々と物言いが偉そうなものなっていく。
もしかしたらこれが本性なのかもしれん。
ふと艦長はそう感じた。
まるでこれで隠す必要もなくなったと言わんばかりに。
機関長の言葉に、副長の顔が強張る。
まさか、こんな身近に今の政権の支持者がいるとは思いもしなかったからだ。
基本、潜水艦乗りのほとんどは、反政権に近い思考のものばかりと思っていたからだ。
実際、政府寄りの発言はほとんど聞かず、ここまでの支持者はいないと踏んでいたのである。
それ故に、自分の言葉でここまで大事になってしまうとはと責任を感じたのだろう。
すーっと顔色が変わる。
それを見て機関長は勝利を確信したのだろう。
ニタリと下卑た笑みを浮かべた。
その笑みを見つつ艦長は思う。
醜いなと。
そしてどうするかを考える。
出来ればこういった政治や思想の争いには関わりたくなかったのだが……。
だが、今回の件、どちらの方を持ったとしても不満は残るし、その不満は間違いなく自分に向けられる。
それは勘弁だ。
平穏に軍務だけに専念させてくれ。
そう思うも、もう後の祭りである。
そして彼の出した結論は、基地に戻ってからきちんと対話を行い対応するという悪手であった。
「ど、どういうことですか?」
震える声で機関長がそう聞き返す。
「だから言っただろう。この問題は無事基地に帰ってから双方の話を聞き、決断すると」
その言葉に、機関長はかみついた。
「私が正しいのはわかっているというのに、なぜ先延ばしにするのですかっ」
その瞳に宿る怒りの炎を激しく燃やして機関長は叫ぶ。
「こんなことがあるかっ。売国奴を処罰できないとはっ」
そして、機関長の表情が変わった。
そこには、もう以前の機関長はいない。
まるで怒りに支配された狂人のようであった。
「そうかっ。そうだったのかっ。艦長、あんたもグルかっ。あんたも売国奴でやつを庇っているんだな。そうだ。そうに違いないっ」
機関長はそう叫び、興奮して震える指で艦長と副長を指さす。
彼にとって今や艦長は信頼できる上司ではなく、敬愛する総統閣下の敵となったのだ。
「やはりなっ。やはり、潜水艦乗りの連中は、売国奴ばかりだったな。いいだろう。お前ら全員、売国奴として報告してやる。全員、独房に送ってやる。楽しみに待ってろ」
そこまで言われ、艦長の顔色が変わった。
もう何を言っても無駄だと判断したのである。
艦長は静かに、そして力強い言葉で命じる。
「すぐに機関長を拘束だ」
司令部にいた数名が機関長を取り押さえようと動く。
しかし、それを察したのだろう。
機関長は隠し持っていた拳銃を取り出すと躊躇なく発砲した。
狭い艦内で拳銃の発射音が響く。
一発、二発と……。
しかし、妨害されたためか、弾は目標に命中せず跳弾して艦内を跳ね、幾つかの火花が散り、甲高い着弾の音が響く。
そして、二発目の弾の着弾の音で終わりだった。
三発目を打つ前に機関長とその取り巻きであった二人は取り押さえられ、拳銃は没収されたからだ。
拘束され、床に押さえつけられた三人を見た後、回収された拳銃に目を落としつつ艦長は口を開く。
「皆、大丈夫かっ」
彼の手にある拳銃は小型のもので、グリップには党員の証である党章が彫られている。
これは陸に戻ってからが事だぞ。
そんな事を思考していると、艦長の声に誰もが無事を答える。
どうやら今ので怪我した者はいないようだ。
それで少しほっとしたのか、自然と艦長の口から深い吐息が漏れる。
そんな艦長に、副長が神妙な表情で頭を下げつつ言う。
「申し訳ありません、艦長」
その言葉に、艦長は苦笑し、言葉を言い返そうとした。
しかし、それは罵声で妨げられる。
「これで勝ったと思うなよ。お前ら全員、縛り首だっ。絶対に、絶対だっ」
それは機関長の言葉だった。
その言葉に、艦長は眉を顰め、命令を追加する。
「無駄口が出ないようにして、艦首の魚雷発射室にでも放り込んでおけ」
乗組員達は艦内で発砲までした相手を仲間とは思わないのだろう。
荒々しい扱いで三人を艦首の方に引き立てていく。
その様子をみてひと段落した後、艦長は口を開いた。
「今後は、口に気を付けてくれ」
「はい。それで、彼らの処分は?」
気になったのか副長がそう聞いてくる。
その言葉に、艦長は安心させるように言う。
「艦内で発砲なんてしたんだ。どんな理由であれ、軍事裁判は免れんさ」
そうして深く息を吐き出して時計を確認する。
すでに18時を過ぎている。
ならばそろそろ浮上したとしても問題ないか。
そう判断し、艦長は浮上の命令を下す。
艦内の空気の入れ替えだけではない。
浮上し、重い空気を切り替えようというのである。
誰もが不安そうな落ち込んだ顔をしているのだ。
なんせ、彼らの耳には機関長の言葉が残っているからだ。
『お前ら全員、縛り首だっ』
縛り首。
それは船乗りにとって最悪の処刑だ。
普通は海賊だけに行われる処刑で、それを軍人に行うという事は、屈辱であり、その惨めさは軍人としての誇りも人としての尊厳さえ打ち砕く。
よって船乗りにとって誰もが恐れる処刑であった。
それを口に出したのだ。
迷信深い人が多い船乗りにとって、それは余りにもいい気持ちはしない。
それをなんとか吹き飛ばしたかった。
やっと帰れるのだから。
だが、そんな艦長の命令は実行されることはなかった。
乗組員の一人が真っ青な顔で報告する。
「ポ、ポンプが……」
「なんだどうしたのだ?」
「ポンプが動きません……」
その言葉に誰もが押し黙る。
「本当か?」
艦長がただそう聞く。
「は、はいっ。ポンプが動かず、排水が……」
そして艦長は気が付く。
さっきの艦内での発砲。
あれが原因だと。
「糞ったれ、あの疫病神めっ」
そう吐き捨てると艦長は命令を下す。
「急げっ。艦はこのまま停止してバッテリーを温存。すぐに原因を探せ」
「はっ」
機能復活の為、乗組員達が慌てて動き回る。
そして、言葉を続ける。
「それと修理関係者以外のものは静かに物音を立てずに落ち着いていろ。息は浅くゆっくりだ」
修理にどれだけかかるかわからない以上、出来る限りの消耗は抑えたい。
そんな思考が読み取れる。
だからだろうか。乗組員達は落ち着いて指示に従う。
彼らにとって生きる術は他にないのだから。
そんな中、修理関係者はテキパキと機能チェックをしていく。
そして、すぐに原因が分かった。
ポンプ関係の電気部品に破損が見つかったのだ。
「修理できそうか?」
艦長の言葉に、修理関係者の責任者は難しそうな顔をする。
それはかなり厳しいという事を示していた。
「すまんが、何とかしてくれ。皆の命が関わっている」
その言葉に、修理関係者の責任者は「了解しました。何とかしてみます」と返事をするのが精一杯だ。
だが、その顔を見れば諦めた訳ではない事が伺える。
やってやろうじゃないか。
心の中を染めていく諦めと不安を押し殺し、責任者はそう返したのだ。
こうして、修理を開始した。
乗組員たち全員の生きたいう願いが込められて。
だが、人の思いだけで全てが思い通りになる事は絶対にないし、不利が簡単に覆ることはない。
神は残酷なのだ。
人の祈りや思いは貪欲に求める癖に、見返りは返さないことがほとんどなのである。
いや、本当はまったく返すことはなかったのかもしれない。
運よく起こった奇跡。
それは神の慈悲ではなく、当事者が努力を重ねた結果、偶々そうなっただけなのかもしれないのだから。
そして、今回、余りにも当たり前のように人々の祈りや努力は実らず、神は乗組員達の祈りと思い、そして断末の絶望を得て満足してしまったのであった。
八十二時間後、生きる者がいなくなった死の船はゆっくりと動いていく。
海の流れに従って当たり前のように。
ただただ、鉄の塊がゆっくりと……。
それはゆったりとした動き。
だが、確実な動きであった。
こうして、潜水艦N-077は自らの活動を止めた。
だが、連盟の潜水艦部隊の本部が完全に艦を失ったと知るのは、完全に連絡が取れなくなってしまって二週間後の事だった。
そして、彼らは判断する。
狩場の潜水艦共々沈められたのだと……。
だが、彼らはそれは大きな間違いであったことを後に知ることになる。
それも予想しない形で……。




