後始末 その3
秘密裏に連絡された第一軍団のリスカ・ハーデンバルク・フチュチュリス大将の呼びかけに集まったのは、各軍団の司令官と陸軍本部付きの関係者であった。
勿論、参加していない陸軍関係者もいたが、一部の海軍関係者も参加していた。
だが、その数は微々たるもので、海軍は海軍でまとまっていると言えるだろう。
つまり、今や公国は今まで燻っていた陸軍と海軍という二つの派閥による敵対が本格的に表面化したという事になる。
もっとも、中央を押さえているのは公国防衛隊長官のビルスキーア・タラーソヴィチ・フョードル上級大将と海軍である以上、表立って色々動くにはまだ力不足である。
だか、このままではこちらが不利になるばかりであり、いつまでたっても主導権が取れないと判断して裏切りそうにない面子を中心に呼びかけたのだ。
旧帝国に『一人で悩むことほど無駄なことはない』という言葉がある。
一人で考え込み、無駄なことに注入して何事も進まない様を示す言葉だが、それを実践したと言える。
もっとも、多くの意見は活路を見出すこともあるが、余りにも多数の意見がある為に迷走もしやすいのだが、それは考えていないようだった。
人という生き物は、自分本位であり、ほとんどの者はこうあるべきだという思い込みによって足元をすくわれてしまうのである。
「私は、こうした方がいいと思うのですよ」
すでに何回かはわからない次々と出る意見という名の自己中心の主張は、公国の為ではなく、自分の権力を維持し、増大させるものばかりであった。
ええいっ、どいつもこいつも好き勝手言いよって。
フチュチュリス大将は腸の煮えくりかえるような思いをしつつも、それでも表面上はにこやかな顔を維持し続けている。
それは、これらの面子の力を借りなければ、フョードル上級大将に対抗できないと考えているからだ。
また、首都攻略の際にティムール・フェーリクソヴィチ・フリストフォールシュカによって引き起こされた連邦解体宣言の失態も大きかった。
そして、他の連中もそれがあるから故にフチュチュリス大将は自分らを無下に出来ないという事がわかっているのだ。
だからこそ、ここまで好き勝手言えるのである。
なんせ、言っておいてうまくいけば思い通りになる可能性があるのだから、言っておいて損はしない。
人という欲望が強い生き物は、それが原因で自滅する事もあるが、より自身を発展させてきたという経緯があるのだから、致し方ないと言ったところだろう。
だが、そんな事はフチュチュリス大将には関係ない。
それどころかこのままでは自分の地位も危うい。
そんな危機感が芽生えるほどであった。
だが、それでも今は我慢しなくては。
そんな思いを感じ取ったのだろう。
まわりは益々好き勝手言い始める。
まさに堂々めぐりになりつつあった。
もっとも、よりヒートアップしながらだが……。
その熱くなった思いがいい方向に向けばいいのだが、こう言う場合、そうなる事はほとんどない。
そんな中始まるのは上げ足取りである。
そして、矛先はここに来ていない者達にまで及んだ。
「なんだ、軍司令部のあの男は来ていないのか?」
嘲笑うかのような声でそんな言葉が辺りに響く。
軍司令部のあの男。
ジョージ・リアンナ・モンパダニア中将の事である。
海軍出身ではあるが、上位である自分を差し置いて一気に昇進して総司令官になったフョードル上級大将に対して恨みを持つ人物だ。
その結果、我々陸軍派にはいろいろ手を回してくれる協力者でもある。
実際、彼が手を回してくれたおかげで陸軍側としてはかなり立ち回りで助かったこともある。
確かに、裏切り者という事だからあまりいい気持ちはしないし、変な肩を持つつもりもない。
だが、今は同志として動いてくれているのだ。
そんな感じで言わなくてもいいのではと思ってしまう。
しかし、そんな思いを踏みにじるかのように別の人物からも嘲笑う笑い声と言葉が続いた。
「あの男は日和見を決め込んでいるのではないのかね?」
「ああ、裏切り者らしくな」
そのやり取りで下卑た笑いがまた沸き起こる。
そして、この場に集まった実に半数近くがその言葉で笑っているのだ。
しかしだ。
この事があの男の耳に入ったらどう思うだろうか。
あの男の利用価値はまだ途轍もなく高く、貴重な人材と言えるだろう。
そんな人物がこんな自分への言葉を聞き、どう思うか。
それは明白だ。
だから自然とフチュチュリス大将の口が開いた。
「モンパダニア中将は、今回の件で参加出来ないのは仕方ないかと。なんせ、軍司令部直属ともなると動きが制限されてしまいますからな」
軍司令部直属という部分を強調して言うものの、そう言った意味が判っていないものも多いのだろう。
それでも見下した笑いを浮かべる者は多い。
勘弁してくれ。
思わずそう思ってしまう。
確かにモンパダニア中将はあまり好きではないものの、味方になるべき人物をこき下ろして得になることなどないというのに。
だが、そんなフチュチュリス大将の心配をよそに、彼へ言いたいことがあるだろう。
「しかしだ。それでもだねぇ……」
そんな言葉が出てきたが、その言葉の続きをフチュチュリス大将は言わせなかった。
「彼は、フョードル上級大将、それに海軍の動きを知る為には必要な男です。お気持ちはわかりますが、もし彼が今のこの状態を知ったらどうすると思いますか?そして、この発言の数々に対して行動を起こした場合、その責任を誰が取るのでしょうかね」
すっぱりと言い切る言葉。
その言葉に誰もが黙り込んだ。
イライラとしたフチュチュリス大将の怒気を感じたのだろうか。
或いは流石に自分達が油のかかった枯れ木の側で火遊びをしていると自覚したのだろうか。
ともかく、やっと静かになった部屋を見渡すとフチュチュリス大将は言葉を続けた。
「時間はあまりないのです。さっさと今後をどうしていくか話し合いを続けていきましょう」
その言葉に誰もが黙って頷いたのであった。
愚痴や悪意のある言葉遊びをする暇などないと。
だが、話し合いは進まなかった。
それでもそれぞれが自分の都合がいいような話をして協調性がほとんど見られないのだから。
まさに、『船頭多くて船山に上がる』と言ったところだろうか。
決して彼らは無能ではない。
だが、すでにノンナの死によって公国内の反乱分子となりそうな連中の粛正に動いているフョードル上級大将に比べて、現状の把握が出来ていない事と、私利私欲が強すぎるのが原因となっていた。
あと、彼らを引っ張るリーダーシップに優れた人物がいなかった事も大きかった。
話し合いの発起人であるフチュチュリス大将にしても、ただ今回の事を契機に海軍主体の今の軍の状況をひっくり返す為だけに立ち上がったのであり、別に先のビジョンがある訳ではない。
周りの者達もほとんどそんな感じなのだろう。
結局、建設的な意見は何一つも出ないまま、この秘密の話し合いは時間だけが過ぎていくのであった。
デカリカナ・リベンソ・ハイミッター大尉は、この会合を冷めた目で見ている。
この会合を『馬鹿な大人たちの火遊びの相談』或いは『口だけ達者な連中が好き勝手にほざくだけの無駄な時間』と彼は評価していた。
その証拠に、すでに三時間近く経つというのに何一つ決まっていないのだ。
呆れて物が言えないとはこの事だろう。
だが、大尉自身もわざわざ口を突っ込むつもりはなかった。
個人的にこんなくだらない事に巻き込まれたくなかったのだ。
どう考えても先はない。
そう思うしかないこの会合に、未来など託す気が起こるはずもない。
それでも我慢してここにいるのは、上官の命令だからである。
直属の部下としては、同行を命じられてしまって、時間の無駄だと思うので行きませんと素直に考えを表明して拒否する事は難しいのだ。
あ、やっぱり断ればよかったか。
彼は半年前ほど前にその才能を買われて今の上官に昇級とセットで引き抜かれたのである。
失敗したなぁ……。
そんな事を思いつつ、ぼーっとして会合のあまりにも酷い有様に心の中でため息と苦笑を繰り返していたが、すーっと彼に近づく人物がいた。
「大尉、こちらを……」
どうやら伝令の兵らしい。
それを受け取りさっと目を通す。
そして、上官の側によって囁く。
「すみません、部隊の方で何かトラブルがあったようなので先に戻ってもよろしいでしょうか?」
「なに?どうした?」
「どうも、大人しくしていた旧連邦の残党の動きが活発化しているとのことで……」
その言葉に少し考えた後、上官は頷いた。
「わかった。大尉に任せる。私もこの会議が終わったらすぐに戻ろう」
「いえ、私だけで十分対処できると思います」
そう言った後、ハイミッター大尉はより声を潜めて言葉を続けた。
「色々今後の準備も必要でしょう?」
その言葉に、上官は頷く。
「確かにな。当面は貴官に任せるとしょう」
「はっ」
敬礼するとハイミッター大尉はそそくさとその場を後にした。
そして出迎えの車両で待っていた人物の顔を見て笑みを浮かべた。
「貴官の仕業か、リットネル・クランチ・ファザーソン少尉」
「はっ。自分の仕業であります、大尉」
そう言ってお道化るファザーソン少尉。
その様子にやれやれといった顔をしたものの、ハイミッター大尉はすぐにニタリと笑うとトントンと肩を叩いた。
「よくやってくれた。助かったよ」
その言葉に、ファザーソン少尉もニタリと笑う。
「そうでしようとも。なんせ、こうなる事はわかっていましたから」
そういうと二人は笑う。
移動中の車内である為、周りを気兼ねせずに。
だが、すぐにファザーソン少尉は表情を引き締める。
「公爵家の私兵が動いています」
公爵家の私兵、つまり公国軍近衛隊の事である。
彼らは、国に仕える軍と違い、公爵家に仕える。
それ故に、軍関係者からは裏で私兵と呼ばれているのだ。
「急だな」
「ええ。私も驚きました。まさかと思いましたし……」
そう言いつつちらりと車窓から外を見る。
まるで行き違いのようにトラックが何台も通る。
それも軍用のものだ。
車体に部隊表記はされていない。
ただ、Sという文字と数字だけが表記されているのみだ。
「おい……。まさか……」
「そのまさかです。間に合ってよかった」
その言葉に、すーっとハイミッター大尉の顔色から血の気が引く。
「その情報はどこからだ?」
少し躊躇したものの、ファザーソン少尉は口を開いた。
「他言無用です」
そう言った後、ただ一言呟く。
「モンパダニア中将からです」
「それって……」
「以前から中将は陸軍内部に探りを入れていたそうです。そして、今回、膿を出し切ると……」
そう言われ、ハイミッター大尉は身体から力が抜けた。
「そういうことか……」
そして呟きつつ理解する。
つまり、モンパダニア中将がこっち側についたというのは嘘で、海軍と近衛隊で旧陸軍の膿を出し切り、軍を完全に統一化するつもりなのだと。
そして、自分がその枠から外れたという事は、恐らくだが今の上層部を挿げ替える為の次の頭としてだろうとも。
つまり、今からは海軍主体の軍編成に無言で協力しろと脅迫に近い感じで言われているようなものである。
もっとも、ハイミッター大尉としては、今の上層部に嫌悪と違和感、それに不満しかなかったからそれはそれで構わないとも思う。
だが、一つ疑問がわく。
なぜこんなに急に進められているのだ?
どうせなら、統一まで扱き使った後にやればいいではないか。
陸軍の上層部の無能さを引き合いに出して……。
なのに、なぜ?
だがそこで思考を止める。
今は自分の今後を考えねばと。
ともかく助かったのだ。
やれることをしっかりやるしかないか。
そう思考を切り替えると、モンパダニア中将と連絡を取ることを決意したのであった。




