立て直し
スカンジナバトル海戦で公国艦隊の侵攻を食い止めた帝国側ではあったが、参加艦艇の実に六割近くを失い、さらに無傷の艦艇はほぼないという有様であり、勝利と呼ぶには被害が大きすぎた。
特に数少ない貴重な戦力である装甲艦リュッツオウ、アドミラル・グラーフ・シュペーを失ったのは大きかった。
ビスマルクという化け物相手という事を考えれば善戦した方ではあったが、それでも敵の大型戦艦三隻は被害を受けたとはいえ健在であり、反対に味方の戦力は大きく削られてしまった。
そう言う図式である。
つまり、次の戦いではより不利で追い詰められた戦いになるという事が予想された。
唯一の救いは、敵旗艦ビスマルクに与えた被害がかなり大きなことだけである。
次の戦いでも、間違いなくビスマルクは参戦するだろう。
そうなると修理が終わらなければ、敵は大きく動かないはずだ。
それに大型艦以外の損害もかなり上がっているはずで、それらの戦力回復にも時間がかかるだろう。
つまり、どちらにしても動く為には、帝国も公国も時間がかかるという事だ。
ならばどうするか。
陸での戦いを有利に進めるしかない。
そして、今の所、帝国の陸軍はうまくやっていた。
元連邦の有能な人材や軍勢を吸収し、うまく活用した結果であった。
当面はじわじわと浸透するような戦いが続くはずだ。
その間に艦隊再編をどうするか……。
アデリナがそんな事を考えていると副官のゴリツィン大佐が声を掛けてくる。
「閣下、そろそろ時間です」
「そうか。ならばすぐに向かおう」
彼女らが向かったのは、海軍省の建物の前にある広場だ。
そこにはスカンジナバトル海戦に参加した多くの将兵が整列していた。
その中には所々包帯を巻いていたりしている人達もいた。
本来ならば参加する必要はないと言われたものの、それでも彼らは参加を希望したのだ。
その場に集まった多くの者は申し訳なさそうな表情で下を向いていた。
彼らは皇帝陛下に忠誠を誓い、必勝を望んでいたのである。
しかし、その結果は、勝利と発表されたものの余りにも不甲斐ない内容であった。
自分らにもう少し力があれば……。
それは悔しさと不甲斐なさ。
だからこそ、皇帝陛下の叱咤を受けるとわかっていても参加したのである。
だが、皆の前に立ったアデリナは深々と頭を下げた。
「皆よくやってくれた」
その言葉と共に感謝を示す行動に、叱咤されると思い込んでいた多くの者はどよめき驚くしかなかった。
彼女の今までの噂では、敗北にはかなり厳しい態度を示すことが知られていたからである。
だが、現実は大きく違っていた。
今までノンナがやってきたことを自分が実際にやり、体験する事で彼女は大きく変わった。
ただ、美しさと勇猛果敢さ、華やかさを持つものの、常に人を見下し、頭を下げる事を知らない。
そう言った今までのアデリナとは大きく変わったと言っていいだろう。
だかららこそ、頭を下げ感謝の言葉を口にしたのだ。
「今回の戦いは完全な勝利とはいかなかったが、皆の力添えのおかげで、あのビスマルクを退け、公国の侵攻を止めることが出来た。これはとても大きい。皆の奮戦と忠義、そして大切な仲間の死によってこの勝利を手にしたこと、私は忘れない」
そう言ってアデリナは言葉を止め、哀悼の意を示す為に目を閉じ黙祷する。
それに倣い参加した者も黙祷した。
そしてどれくらいの沈黙が流れたのだろう。
ほんの数分だとは思うものの、その時間は途轍もなく長く感じられた。
そして、アデリナはゆっくりと目を開いて黙祷を止めると、その場に集まった者達を見回した。
その視線は、優しさに満ち溢れていた。
もし、彼女と長い間一緒にいたものは信じられなかっただろう。
彼女がそんな視線をするなんて……。
だが、アデリナは全員を見渡すと、口を開く。
「皆、死んでいった仲間の為にありがとう。だが、戦いはこれで終わりではない」
その言葉に、黙祷していた者達は目を開けてアデリナに視線を移す。
その視線は途轍もない強さを持っていた。
それは意志の力。
忠義の力だ。
「我々は、戦わねばならない。連邦が倒れたからと言って平穏なものになったわけではない。今だ旧帝国領は混乱のままだ。そして、我々はそれを何とかしなければならない。これから多くの仲間を失う事になろうとも。それは、皆の親しき人々の生活を守るためだ。皆の家族の生活を守る。その為に我々は戦い続けなければならない」
そこまで一気に言うと、アデリナはふうと息を吐き出した。
言うのを躊躇する。
そんな感じだ。
恐らく今までの自信家で何も知らないアデリナなら口にしない言葉だろう。
「私は、まだ未熟だ」
その言葉に、集まった人々はざわつく。
だが、それに気が付かない振りをしてアデリナは言葉を続けた。
「今回の戦いも、私がビスマルクの力を過小評価した為にここまで被害が大きくなった。もう少しうまくやっておけば……。ここに戻ってからもそんな事を考えてしまう。だが、過去はもう戻れない。ならばやる事は一つだ。失敗を糧として、次に生かす事だ。だから次はうまくやってみせる」
いつの間にか、会場のざわつきは収まっていた。
シーンと静まり返った中、アデリナの言葉だけが響く。
「だから、皆にはまた力を貸してほしい。私の為、帝国の為ではなくてもいい。ただ皆の家族や親しき者達を守る為でいい。それを実現するために、皆の力を貸してほしいのだ。頼む」
その言葉が終わると、どこからともかく声が上がった。
「皇帝陛下万歳、帝国万歳っ」
その言葉がきっかけとなった。
次々とコールが巻き起こり、それは大きな音の渦となった。
その渦を受け、アデリナは嬉しそうに微笑む。
「皆、ありがとう」
そう言ったアデリナの目は潤んでおり、先ほどまで頭の中を占めていた今後の事を一時的には忘れるほどに兵達の歓喜の声に打ち震え感動していた。
そんなアデリナに釣られたのだろうか。
アデリナの周りで整列している高官たちも感動に震えていたが、そんな中、満足そうな笑みを密かに浮かべる者が一人いた。
情報局のサチタバンナ中佐である。
戻ってきてすぐに戦いに参加した将兵達に感謝を伝えたいという余りにも急なアデリナの今回の件を取り仕切った人物である。
彼は今回の件をうまく活用すべきだと判断し、あらゆる手を使った。
まずは、事前に陛下が今回の戦いにおいて憤慨しているという情報を流したのである。
それは、今回の話す内容を知っているが故に行ったのだ。
叱咤されると思っていたのに、褒められ頼りにしていると言われれば、兵達はより感動して士気は上がると踏んだのである。
また、それを煽る為の扇動する準備も忘れていない。
事前に今回の内容を知らせていた者を兵士達の中に紛れ込ませていたのだ。
なぜそんな事をするのか。
人という生き物は、周りに流されやすい生き物だ。
それは個性を出そうとすれば周りから浮き上がり、孤立する恐れが高い。
基本的に、人は群れることで安心し、孤立する事を恐れる傾向が強いのだ。
勿論、例外はあるだろう。
だが、それは限られた一部のみ。
周りの雰囲気に飲まれてといった事はよくある事だ。
それ故に、うまく扇動されれば相乗効果を引き出してより効果が増すと考えたのである。
また、音響もかなり考慮されていた。
より音が広がり反響するように機材は配置されていたし、スピーカをいくつも使い、アデリナの声を隅々まで聞こえるようにしている。
もちろん、そうなると会場以外にも響くのだが、それはそれで良しと判断された。
その話の内容が、戦いに参加した者だけでなく帝国を支える者達が聞いても十分効果があると判断したのである。
こうしていくつもの下準備が短時間のうちに用意され、今回の出来事は最上級の演出によってより大きな効果を発揮したのであった。
「お疲れさまでした、陛下。素晴らしい演説でした」
執務室に戻ってくるなりゴリツィン大佐の口から出た言葉に、アデリナは苦笑した。
「ああ。私も言っている本人なのに、周りの反応でジーンときたぞ」
「それは、お互いに感覚を共有したという事なのでしょうな」
その発言に少し困ったような照れくさそうな表情でアデリナは髪の端をいじった。
「そうなってくれればいいとは思っているわよ」
そしてすぐにデスクの上に積み上げられた書類の山を見て眉を顰めてため息を吐き出した。
「もっとも、あれを見なきゃと言ったところだけどね」
現実は、とてつもなく過酷だ。
夢も希望も吹き飛ばす事さえある。
それをアデリナは今痛感していた。
だが、そんなアデリナの言葉に、ゴリツィン大佐が笑う。
「何をおっしゃるのですか。今までだってたいして変わらなかったではないですか」
そう言われ、アデリナは苦笑した。
確かにそうだ。
ノンナがいなくなり、今までノンナがやってきた事が一気に自分に覆いかぶさるように迫った時に比べれば、まだまだかもしれないな。
そうなことを思いつつ、デスクに向かう。
「午後からは確か会議が入っていたわよね?」
「はい。艦隊再建計画と今後の作戦展開についての会議です」
その言葉に、アデリナは少し困ったような顔をする。
要するに午前中にこの書類の山を何とかしなければならないという事がわかって。
だが、手を抜く事は出来ない。
手を抜くことは簡単だが、その手を抜いたことで生じるアクシデントや不都合をリカバリーする方が何倍も大変だと身をもって知っているからだ。
やってやろうじゃない。
そう決意をするとアデリナはデスクに向かう。
「紅茶でも用意しておいて」
「はっ。了解いたしました」
ゴリツィン大佐は嬉しそうにそう言うと退出していく。
その後姿をちらりと見た後、アデリナは椅子に座ると一番上に載っている書類を取り上げた。
やるべきことをやる為に……。
午後から行われた会議は、大荒れだった。
まず話し合われた艦隊編成についてだが、余りにも多い修理艦艇にドックと修理工の数か足りなさすぎであった。
すぐに艦艇修理を優先的にすべきだという者達と新造艦を作る事で戦力増加を優先すべきという者達、そしてその両者に振り回されてしまうドック関係者という図式が出来上がり、まるで喜劇のような有様であった。
その余りにも酷い有様にアデリナは唖然とし、ドック関係者の代表として来ていた人物に哀れみさえ覚えるほどであった。
だが、それでは時間がかかるばかりだと判断したアデリナは双方の意見を一通り聞いた後、口を開いた。
「それぞれ言いたい事はわかるし、理由もわかる。だが、お互い妥協しあう必要性があるのではないかな」
その言葉に双方黙り込むが、それ以上にドック関係者の代表者の変化が目についた。
とても驚いたような表情になったからだ。
まさかそんな言葉を言われるとは思ってなかった。
そう見えるほどだったのだ。
その表情に、アデリナは内心苦笑した。
まぁ、そう感じるだろうな。
以前の私ならば、どちらも推し進めよとか言いだしそうだしな。
いや、多分言ってただろう。
だが、それをスルーして驚いた表情のドック関係者代表に視線を向ける。
視線を向けられ何か言われると思ったのか、代表者は慌てて表情を取り繕う。
そんな様子を見てみぬふりをしつつアデリナは聞く。
「実際にやる方としての意見はどうだ?」
そう聞かれ、恐る恐るという感じで責任者は口を開く。
「陛下の意向をお教えいただけますか?」
そう聞かれ、アデリナは少し考えた後、口を開く。
「そうだな。私としては、より戦力が早く回復する選択を選んでほしいものだが……」
その言葉に、代表者は頷く。
「では、我々の意見としては、被害が少なく修理に時間がかからないものを優先し、新造艦の計画も同時に進めていくという形でどうでしょうか?」
「ふむ。確かにそれが無難か。しかし、そうなると大型艦は後回しになってしまうが……」
実際、旗艦だった重巡洋艦プリンツ・オイゲンは大破しているし、装甲艦アドミラル・シェーア、戦艦グロッサークルフェルスト、ケーニッヒ、マルググラーの四隻は小破程度ではあるものの大型艦ゆえに修理には時間がかかると予想されていた。
「そこで、陛下にお願いがございます」
改まってそう言われ、アデリナは聞き返す。
「なんだ言ってみよ」
「はっ。フソウ連合の支援を受け入れられないでしょうか?」
その発言に、その場に集まった者達がざわめく。
それはそうだ。
フソウ連合は確かに帝国を支援はしてくれているが、公国にも肩入れしているのは間違いなかったからだ。
だから、そう易々と支援を受けられないだろうという事とフソウ連合経由にて公国に帝国の情報が洩れるのではという懸念があったからである。
だが、そんな周りの状況を気にもせず、アデリナは考え込む。
確かに今の帝国の技術力では、修理に時間がかかる上に、元通りに戻せるとは思えない。
しかし、フソウ連合なら……。
そんな思いがあった。
だから、すぐに決断した。
「わかった。その件は直ぐに手を回そう。だが、うまく交渉できるかどうかはわからない。だから、その場合は……」
「はっ。その際には、別の手を考えましょう」
その言葉に満足したのだろう。
アデリナは頷くとすぐにヤロスラーフ・ベントン・ランハンドーフに連絡をとるように命じたのであった。




