決着 その1
予想外の展開はあったものの、全ては問題なく進んでいる。
ノンナはそう確信していた。
実際、この状況での逆転は難しいだろう。
だから、勝ったと確信したのだが、それでも何か心の片隅で違和感を感じる。
だが、すぐにそれを否定する。
勝利の興奮の為にそう感じるのだと。
実際、苦難の道のりだった。
両親を失い、彼女は苦難と苦痛の道を進んできた。
両親の敵を討ち、ショウメリア家の復興。
全てが重い重いものだった。
だが、それが当たり前だと思っていた。
だからこそ、感情を押し殺した。
そうしなければ挫けそうだったから。
そうしなければ生き残れなかったから。
そして、復讐を、家の復興を第一に考えて行動した。
だから、こうなった。
その結果、ショウメリア家の復興は成功し、今、両親の仇であるフセヴォロドヴィチ家の象徴たるアデリナを追い詰めている。
全てはこれで成すはずだった。
そして終わるはずだった。
だが、そこで考える。
この選択肢を選ばなければどうなっていたのかと……。
そんな思考をノンナは頭の中から追い出す。
こんな事を考えるから、違和感を感じるのだ。
きちんと全てを終わらせよう。
それで全て終わり、そして始まるのだ。
そして苦笑を浮かべた。
もし、私に何かあった時はという事を考えて、いろいろ手を打ってはいたが無駄になったなと。
戻ったら、用意していたものは全て破棄して笑い話にしておこう。
そうしょう。それがいい。
そう思考した時だった。
今まで順調に進んでいたビスマルクが何かに引っ掛かったように速力を落とす。
がくんっ。
恐らく機関室でトラブルがあったのか?
そう思ったものの、再び速力が上がり始める。
なんだ?
心の片隅に追いやっていた違和感が首をもたげてくる。
今までこんなことあったか?
嫌な予感が頭の中に広がっていき、それを証明する事が起こった。
どんっという爆発音と共に激しい衝撃が辺りに広がっていく。
その衝撃は、今までに感じた事のないほどのもので、ノンナは椅子から振り落とされる。
それはノンナだけではない。
艦橋にいる者のほとんどは床に叩きつけられるが、それでも何人か必死に椅子やテーブルにしがみ付いて運よく投げ出されないでいた。
そしてそれだけでは終わらない。
ギリギリギリっ。
金属が軋むような音が悲鳴のように響き、天井にあったものが次々と降り注ぐ。
その大きさは大小さまざまだが、危険な事には変わりはない。
小さな破片でも、ナイフのように簡単に肉体に傷をつけるし、大きなものになると人間など簡単につぶれてしまう。
つまり、死んでおかしくない状況という事だ。
だが、そんな事ではなく、別の事がノンナの思考を一色に染め上げていた。
それは『なぜ?』という疑問だった。
ビスマルクは、他の艦艇とは違い、特に艦魂の強い艦だとアデリナは言っていた。
だからこそ、ビスマルクは他の艦と違い人に全てを任せるだけではなく干渉してくる。
砲撃が当たり易いように微調整したり、艦の速力が微妙に変化したりと些細なことではあるが……。
それは決して普通の人なら感じない事だが、それでも何度も続くと気か付く。
そして言うのだ。
この艦は幸運艦だと。
だが、アデリナは否定する。
艦にも魂があり、その魂は時には干渉してくる。
もちろん、強さは大きく関わってくるがその中でもビスマルクの魂の力は途轍もなく強い。
恐らく、帝国一だという。
そして、ビスマルクは、アデリナとノンナを気に入り、私達に傷を負わせないと言っていたではないか。
最初は戯言と思っていた。
だが、戦って分かった。
アデリナのいう事は正しいのだと。
ビスマルクは誇りを持つ艦なのだ。
そして、そのためには、彼は騎士のように忠実であるはずだった。
だからこそ、こんなことになるとは思っていなかった。
なぜなら、ビスマルクに比べ、他は格下ばかりだからだ。
格下相手にビスマルクが負けるとは思っていない。
なぜなら、今までの戦いでビスマルクはその誓いを守り、勝利をもたらしてきたから。
彼女らを守ってきたから。
しかし、今、その誓いを破られた。
そこでノンナの思考が途切れる。
痛みで一瞬意識が飛んだ。
しかし、全身に痛み、それも激痛と言ってもいいレベルの痛みが走り続けている為だろう。
意識が飛んだとしてもすぐに痛みで意識が戻る。
だが、それは生きている証だ。
歯を食いしばって耐える。
悲鳴など上げるものか。
半分意地になっているのかもしれない。
今まで必死になって感情を隠してきたから。
だが、そんなノンナと違い、艦橋のあちこちから悲鳴や痛みを訴える叫びが響く。
まだはっきりしない意識を奮い立たせ、顔を上げて周りを見回すと現状が理解できた。
艦橋は降り注いだ破片によって半分以上が埋まっていた。
正確に言うと上の階層を支えることが出来なくてぐしゃりと半分近く潰れてしまっているという有様だ。
それに天井の一部からは、空が見えた。
つまり、それ以上の上層部は吹き飛ばされたか、へし折れたか……。
どちらになしてもかなりの被害だ。
恐らく、指揮、索敵、そう言った機能は全滅に近い。
手足は無事でも、頭を潰されたようなものだ。
手だけで、足だけで何が出来るというのだろう。
つまり、もうビスマルクは戦えないという事。
そして、被害から、当たったのは大口径の砲弾だと推測する。
そうでなければ、ここまで被害は大きくならない。
くっ。もう少しというところで……。
ともかく現状を正確に把握し、戦わなければ……。
勝利はあとすこしというところなのだ。
ビスマルクが駄目でも、公国にはまだ戦力がある。
あと、一息、あと一息で全てが、今まで私を縛り付けていた問題全てが片付くのだ。
ノンナは自分を奮い立たせて何とか起き上がろうとした。
しかし、身体には力が入らず、手は何やらぬるりとした液体で濡れているため滑る。
まさかオイルか何かか?
もしそれなら不味い。
ちょっとした火花で燃え上がる恐れがある。
ずるりと手を動かし、手にまとわりつく液体に視線を向ける。
真っ赤だった。
いや、赤というより鮮やかな紅色と言った方がいいだろうか。
手だけではない。
腕や服、至る所がまるで花のようにその色が染められていた。
なんだ?
まさか……。
液体の出どころを探す。
そしてそれは簡単に見つかった。
それはノンナの足から出ていた。
いや、正確に言うと足だったものだ。
今は瓦礫によって潰され、ただの肉片へと化している。
そこから液体が出ていた。
そう、その紅き液体は、ノンナの血であった。
そうか。だからさっきから立ち上がろうとして立ち上がれなかったのか……。
今まであった身体の存在が無くなって、頭がそれを把握しきれていないのだ。
そう言えば、痛みが……。
そう少しずつ痛みが消えていく。
それはつまり……。
そして手から力が抜ける。
血はゆっくりと周りに広がっていく。
その中心で赤く染まりつつノンナは理解した。
そうか、これはプライド捨ててでもビスマルクが望んだ結果だったのかと。
ノンナの呟きを聞いたビスマルクは選択したのだ。
どちらが大切かを……。
「ちぇっ。そんなにあの女の方がいいの?」
それは呟き。
微か過ぎて誰も耳に入らない言葉。
だが、恐らくビスマルクは聞いている。
だから、呟いたのだ。
聞かせるために……。
しかし、その言葉には恨みも憎しみもない。
ただすっきりしたという清々しさがあった。
もうこれで終わりに出来るという思いが。
自然と笑みが漏れる。
もう痛みはほとんど感じなくなった。
ただ、解放感だけが思考を占めていく。
「精々あの女にかわいがってもらいなさいな、ビスマルク」
そう呟くと意識が解けていくかのように止まっていく。
だが、そんな中、一人の人物の姿が脳裏に浮かんだ。
少し困ったようなはにかんだ微笑みを浮かべる男性。
微かに残る父親の面影ではない。
ポランド・リットーミン。
フソウ連合の代理として公国との取引を一手に担う商人だ。
そう。ただのビジネスとしての関係である。
なのにどうして彼の姿が脳裏に浮かんだのか。
そして、やっと理解した。
私は、彼に恋していたのだと。
「また会いたかったな……ポランド……さ……ま……」
それが、かって銀の副官として力を発揮し、その後は公国を立ち上げ、帝国領の三分の一を統括した人物、ノンナ・エザヴェータ・ショウメリアの最後に残した言葉だった。




