スカンジナバトル海戦 その6
一気に流れが変わった。
その場にいたら、誰もがそう言っただろう。
それほどまでに互いに均衡していた力が崩れたのだ。
切っ掛けは、間違いなくノンナの味方の被害を顧みない戦いを選択した事であり、そして何よりビスマルクの性能であった。
装甲艦リュッツオウが轟沈し、ビスマルクの砲撃が重巡洋艦プリンツ・オイゲンに集中しだす。
その雨のように降り注ぐ砲弾をかわし、反撃を返すプリンツ・オイゲン。
しかし、すでに敵味方がごちゃごちゃとなってしまっている混戦状態、それも味方に当たることをいとわないビスマルクの砲撃に徐々に追い詰められていく。
「くそっ。陛下を狙ってやがるっ」
装甲艦アドミラル・シェーア艦長が忌々しそうに呟くと接近してくるビスマルクを睨みつける。
「させん。そうはさせんぞ」
そう呟くと叫ぶ。
「連中に我々の意地を見せつける時だ。陛下によって拾われた命、ここで使わないでいつ使うかっ。野郎どもっ、覚悟はいいかっ」
その言葉に、艦橋のあちこちから声が上がる。
「はっ。任せてください艦長」
「おっしゃる通りです。我らが意地を見せつけてやりましょう」
「陛下の為、この命惜しくありません」
誰もが皆アデリナの為に命を惜しまない。
その決意にアドミラル・シェーア艦長は、ニタリと笑みを漏らす。
「よくいった。さすが、俺の自慢の部下達だ。では、行くぞ。目標ビスマルク。ありったけの弾をぶち込め。我らは、陛下の盾として、鉾として忠義を尽くそうぞ」
「「「おおおーっ」」」
そしてその言葉に応えるかのように、アドミラル・シェーアの主砲がビスマルクに向けて火を噴く。
その砲撃によってビスマルクの周りにいくつもの水柱が立つが避ける素振りもしないで突き進んでくる。
「舐めやがって」
吐き捨てる様にアドミラル・シェーア艦長が呟くが、それは他の乗組員も同じなのだろう。
睨みつける様にビスマルクを見るものが多い。
「怯むな。続けろっ。そして、近づけっ。近づけばどんな装甲であったとしても貫けないことはないっ」
アドミラル・シェア艦長の叫び。
「了解しましたっ。全速前進っ」
「よしっ。ぶつけても構わん。奴らに我々を舐めた事を後悔させてやれっ」
「はっ」
目の前で僚艦が轟沈したというのに、その後ろに続く艦は怯むどころか砲撃より激しく放ち速力を上げこちらに向かってくる。
その様は、まさに主を守らんとする騎士のようであった。
だが、それでも恐らくどうにもならないだろう。
ノンナはそんな事を思いつつ呟く。
「あら、いい部下を持っているわね。あの女にはもったいないわ」
有望なものは声を掛け事前にある程度引き抜いていたはずだった。
しかし、恐らく声を掛けていなかった中にも逸材は残っていたのだろう。
だが、惜しいとは思わない。
ここまでアデリナに忠誠を誓う者達だ。
そうそう私になびくとも思えないか。
今やアデリナの用意した罠は嚙み切られようとしており、完全に流れは公国側だった。
それ故に表情にも余裕があった。
「でも、勇猛果敢でもどうしょうもない事があるのよ」
そう言った後、ニタリと笑った。
「艦の性能の差はね」
実際に戦って分かったのだ。
装甲艦がビスマルクの脅威になりえないことに。
確かに速力はビスマルクよりも早いかもしれないし、火力はこの世界の規格で言うと重戦艦以上だろう。
だが、それは蓋を返せば、火力と装甲ではビスマルクに到底かなわないという事だ。
真正面での打ち合いであれば余程の事がない限り負ける事はない。
実際、すでに敵は三隻中二隻の装甲艦を失っている。
それが全てを示していた。
そして、それは正しかった。
必死になったとしても、ビスマルクは揺るがない。
恐らく、フソウ連合から王国に譲渡された大型戦艦ぐらいでなければ互角の戦いにはならないだろう。
そして、後ろの大型戦艦の三隻。
それもたかが知れている。
さっきから必死なまでに砲撃しているものの、なんせシャルンホルスト、グナイゼナウの二隻で十分対応できてしまっている事から、シャルンホルストよりも下とみるべきか。
ふふふっ。
自然とノンナの口から笑みが漏れる。
さぁ、アデリナ、覚悟なさい。
ここがあなたの死に場所よ。
ノンナは勝利を確信し、口を開く。
「さぁ、一気に片を付けましょう。目標、敵旗艦。必ず沈めなさい。それにより全てを終わらせるわ」
その言葉に、艦橋内のスタッフから歓声が上がる。
勝利。
この戦いに勝ては、帝国は大きく崩れる。
そうなれば統一もあっという間だろう。
内戦は終わる。
その思いゆえに、安堵ゆえに声が出たのだある。
そして、それに合わせるかのようにビスマルクが震える様に揺れた。
それは、微かな揺れ。
ほんの少しの揺れ。
だが、それはまるでノンナの言葉を否定するかのような感じであったが、だが、ノンナを含め誰もそれに気が付かなかった。
後方から回り込んでいた帝国追撃艦隊は主力艦隊が次々と沈められていく様を見て焦っていた。
予想以上のビスマルクの強さに焦っていたと言っていいだろう。
だが、彼らの前には、シャルンホルストとグナイゼナウが立ち塞がる。
二隻は針路方向を変え、追撃艦隊に腹を見せるような体制になる。
それはつまり、ここからは行かせないという意思表示であり、全主砲を敵に向ける為であった。
数は確かに二隻ではあるが、スペックは間違いなく相手の方が上だ。
だが、それでも追撃艦隊は恐れることなく立ち向かう。
何としても突破し、ビスマルクを止める為に。
しかし、突破は難しいと判断したのだろう。
相手の艦隊に合わせて平行になる様に針路をとる。
つまり、腹を見せあいの砲撃戦だ。
次々と放たれる砲弾の雨。
火力は間違いなく公国側の方が有利だった。
しかし、防御力は間違いなく帝国側が有利である。
なぜなら、シャルンホルストもグナイゼナウも巡洋戦艦だからだ。
しかし、反対に帝国側のケーニッヒ級は、古いとはいえ戦艦である。
ましてや、その装甲の厚さ、防御力はかなりのものであった。
そして、こういった殴り合いのような砲撃戦の場合、装甲の厚さ、防御力が重要になる。
その結果、じわじわと帝国側が公国側を圧し始める。
だが、それは帝国にとって負けと同じだ。
確かに有利ではあるが、ビスマルクを止められねば意味がないからである。
こうして舞台は整い始める。
アデリナとノンナの決着の舞台が。
アデリナは必死になって抵抗し、なんとか勝とうと足掻いてはいたが、それさえもノンナにとっては愉快でしかない。
なぜなら、彼女は勝利を確信していたから。
「さぁ、終わりよ、アデリナ。覚悟しなさい」
ノンナは笑った。
楽しくて仕方ないと……。
「リュッツオウ轟沈っ。なお、ビスマルクは速力を上げ、こちらに向かってきます」
ゴリツィン大佐がそう報告し、アデリナはぎりっと歯を噛みしめる。
用意していた勝てると思っていた罠は完全に嚙み千切られたと言っていいだろう。
それもたった一隻。
ビスマルク一隻に……。
艦の周りいくつもの水柱が立ち、艦を大きく揺らす。
その揺れによって立って指揮をしていたアデリナの身体が揺れた。
慌ててゴリツィン大佐が彼女を支えたが、それでもアデリナは視線を動かさない。
視線の先にあるのはビスマルクだ。
「ノンナぁぁぁぁぁっ」
睨みつけ、叫ぶ。
しかし、それで形勢が逆転するはずもない。
完全に押されてしまっており、ほとんど勝てるはずもない状況だ。
だが、それでもアデリナは足掻く。
かっての自分なら、さっさと逃げだしだろう。
勝てない戦にこれ以上どうすればいいのかと。
だが、彼女はわかっていた。
この戦いが正念場だと。
勝てないと思っても、足掻き、少しでも勝利になるよう突き進まなければならないと……。
だが、ゴリツィン大佐は違っていた。
ここで負けるわけにはいかない。
恐らくこの戦いの敗北は、勢いづいた帝国の力を大きくそぎ落とすだろう。
下手すると一気に劣勢になってしまう恐れすらある。
だからこそ……。
それはわかっていた。
だが、それでもなお、アデリナには生きていてほしいと思ってしまったのだ。
だから思わず口から言葉がこぼれた。
「陛下、ここまでです。離脱を……」
そんなゴリツィン大佐の言葉に、アデリナは苦笑した。
「今更方向転換しても遅いわ。それに、ほら……」
そういって周りを見回すと、残り少ない帝国艦艇が次々と先を争うように前に出ようとしていた。
「まだあきらめていないわ、誰もね。だから私も諦めない」
その言葉には悲痛な思いが籠っている。
自分を支えてくれた者達。
彼らが命を顧みず、勝利を引き込もうとしているのだ。
そんな中、一人逃げれるはずもないし、何より自分が主君と望んだ人物はそんなことが出来る人物ではない。
それを再度思い出したのだ。
だからすぐに言葉が出た。
「失礼しました。陛下」
失言を詫びる言葉。
だが、アデリナは笑った。
「構わんよ、貴官が私を大切に思って言った言葉だ。失言ではない」
そう言うと、視線をゴリツィン大佐から前方に向けて表情を引き締める。
「ぶつけるつもりで接近しなさい。超近距離ならばビスマルクの装甲をぶち破れるかもしれない」
「了解しました」
ゴリツィン大佐がそう言って敬礼し微笑むと、艦橋の他のスタッフからも同意の声が上がった。
それらの声を聞き、ゴリツィン大佐がニタリと笑う。
「陛下、我々もお供いたします」
その言葉を聞き、アデリナは一瞬天を仰いだ。
彼女の眼には、本当なら鉄の天井が見えていたはずだが、周りから見ればそれ以外のものが見えているようであった。
天からの啓示を受けたような……。
そして、グッと握りこぶしを強く握り、再び前方に視線を向けた。
その瞳には力に満ち、口には微笑みがあった。
「ありがとう。ふふっ。しかし、心強いものだな」
そうぼそりと言った後、言葉を強く発する。
「では参ろうか。あの女の横っ面に一撃ぶちかましてやる」
「はっ。我らの帝国の意地と誇りを見せつけましょうぞ」
旗艦であるプリンツ・オイゲンを庇うかのように他の艦が次々と前に出る。
だが、その必死なまでの攻撃の中をビスマルクは何事もない様子で突き進む。
確かにビスマルクに当たってはいる。
だが、ほとんどの弾ははじかれるなり、艦上物の一部を破損する程度の被害しか与えていない。
まさに王国との戦いのときのような一方的な蹂躙と言えるほどの一方的な戦いが展開されている。
そして、そんな連中に見向きもせずにビスマルクの主砲は、プリンツ・オイゲンを集中的に狙って放たれていた。
その攻撃を避ける為に激しく動くが故にプリンツ・オイゲンの主砲はビスマルクに掠りもしない。
そして、ついにビスマルクの主砲がプリンツ・オイゲンを捉えた。
砲弾は、艦橋をかすめて艦後部に命中し、機関の一部を破損し後部砲塔を吹き飛ばす。
「いそげーっ。引火させるなっ」
必死な消火作業と後部砲塔の弾薬庫に海水が流し込まれ、誘爆を防ぐことに成功した。
しかし、その代償は大きかった。
機関の一部を失い、速力が大きく低下したのだ。
そして動きの鈍くなった獲物を見逃すはずもない。
次々とビスマルクからの砲撃が、プリンツ・オイゲンの至近距離に落ち水柱を作り出す。
「撃てっ。撃ち返せっ」
その命令に応える様にプリンツ・オイゲンの主砲が火を噴く。
だが、そこまでだった。
艦橋上部をかすめた砲弾が煙突を吹き飛ばし、プリンツ・オイゲンの足を完全に止めたのだ。
かすめた事で艦橋上部の構造物が破壊され、破片が降り注ぐ。
そして、それらの破片は、振動で床に投げ出されたアデリナにも他の者達同様に降り注いだ。
だが、その破片のほとんどは彼女の身体に届かなかった。
ゴリツィン大佐が覆いかぶさるように上にのしかかったのである。
ぽたぽたとゴリツィン大佐の切れた額から血が滴り落ちる。
「大丈夫でしょうか、陛下……」
「ああ、ありがとう。貴官の方は」
「ええ。少し怪我をしたようですが、死ぬ程ではありません」
「そうか……」
そう言った後、アデリナはクスクスと笑った。
その様子にゴリツィン大佐はぎょっとした表情になった。
気が狂ったのか?
一瞬とはいえ、そう思ってしまったのだ。
だが、そんなゴリツィン大佐を楽しげに見た後、アデリナは囁く。
「大丈夫だ。正気だ。だがな……」
そう言った後、意味深な視線をゴリツィン大佐に向けつつ言う。
「男性にこんなふうに押し倒されるというのは初めての経験だなと思ってな」
本当は、倒れた後に覆いかぶさったのだから違うのだが、男性を男性と思っていないアデリナにとっては初めての経験なのだろう。
今まで『艦を愛し、艦に愛される乙女』であったことも大きい。
それ故に、今までこういった経験は皆無だったのだ。
そう言われてゴリツィン大佐は慌てて謝罪の言葉を口にしょうと口を開きかけるが、アデリナは人差し指をゴリツィン大佐の唇に当てて黙らせる。
「初めてだが、これはこれでなかなかいいものだな」
その言葉に我慢できなくなったのだろう。
ゴリツィン大佐が口を開いた。
「へ、陛下、ご冗談は……」
「最後ぐらい、冗談を言ってもいいだろう?」
そう言われ、ゴリツィン大佐も納得した。
今の砲撃で恐らくプリンツ・オイゲンは動けなくなったはずだ。
そうなると、もうただの標的と化すのは目に見えている。
それ故にアデリナは言ったのだと。
だから、ゴリツィン大佐も笑った。
「こんな美しい陛下を押し倒せたのです。あの世で自慢できますな」
「そうか。なら私も覚えておこう」
二人はそう言うと静かに笑った。
完全に後は死を待つのみとなった中で繰り広げられる本気とも茶番ともいえる会話。
それは最後だからこそできたのかもしれない。
しかし、いつまで待っても次の攻撃が来ない。
それどころか、周りに降り注ぐ砲弾も減ってきている。
どういうことだ?
いつまでたっても振り下ろされない死神の鎌にイラつき二人はゆっくりと立ち上がる。
どうやら先に立ち上がった艦橋スタッフが何人もいたが、誰もが声も上げずにただ前方を見ていた。
そして、二人も視線を前方に向ける。
そして知った。
止めを刺さないばかりか、砲撃が減っている訳を。
彼らの目に映ったもの。
そこには艦橋が半分に折れ、煙に包まれているビスマルクの姿であった。




