スカンジナバトル海戦 その1
その部屋は中央に大きめのテーブルと十脚程度の椅子があるだけの殺風景な部屋で、壁にはいくつかの黒板が掲げられている。
そしてその部屋の中で一人の女性が椅子に座っており、残りの十五人の男性は立ったまま帝国領の地図をテーブルに広げて各自それぞれの姿勢で思考に至っていた。
また、壁の黒板には所狭しといろんなことが書き釣られており、テーブルに広げられた地図にはいろんな色に塗り分けられた駒が並び、都市の名前の所には旗が立てられ、まるで戦争ゲームのボードのようであった。
「やはり、シスタニンバを攻略できなかったのは大きいですな……」
そう発言したのは、公国の最高責任者であるノンナ・エザヴェータ・ショウメリアの腹心であり、軍事部門統括を行っている公国防衛隊長官ビルスキーア・タラーソヴィチ・フョードルである。
その発言に、軍関係者の顔が曇る。
彼らにしてみれば、予定外の事であったのだろう。
もっとも、予定外の事は起こりうるのが当たり前で、戦争なんてものは予定通りに進むことの方が珍しいのだ。
なんせ、相手があってできる事なのだから……。
「そうね。そうなると防衛ラインを後方のラインバルネまで下げなければならなくなるか……」
椅子に座っている女性。
ノンナ・エザヴェータ・ショウメリアは困ったような顔で地図を見ている。
その様子に慌てて頭を下げて謝罪をする男性がいた。
「本当に申し訳ありません」
そう言ったのは第三軍団を任され、シスタニンバ攻略を行ったカセンドルキッチ・リグベッタ中将である。
彼に取ってみれば、そう言って頭を下げるしか方法はない。
その謝罪を受け、ノンナは苦笑を浮かべる。
なんせ、失敗原因の一部に関わっているのだから。
だから返す言葉は慰めるような言葉となる。
「気にしないでよいとは言わんが、今回の件は不問だ。予想外の事が起こりすぎだからな」
確かにその通りであった。
予想以上の速さでの帝国軍の進撃とシスタニンバのあっけない陥落。
そして、帝国との期間限定とはいえ急に決まった休戦。
全てが第三軍団に凶となってしまった。
その反面、首都攻略の第一軍団は、帝国の邪魔も入らず首都攻略を推し進めることが出来るのだが……。
ともかく、空気を変える為だろう。
ビルスキーア長官はゴホンと咳をした後、口を開いた。
「ともかくとしてだ。今回、ここに各軍団、及び軍関係者に集まってもらったのは、今後の作戦の確認の為である。現在、帝国との休戦がある為、南下は行えない。我々は、首都攻略と中央部の把握、そして、来るべき帝国軍との決戦の為の準備をしっかりやっておく必要がある」
その言葉にそれぞれが頷く。
それを確認し、指揮棒を使って地図の部分部分を指しつつ、ビルスキーア長官は言葉を続けた。
「第一軍団、第二軍団は当初の予定通りだ。そして第三軍団は、ラインバルネの防衛ラインの構築を出来る限り早く進めてくれ」
その命令を受け、それぞれの軍団の指揮官は敬礼し返事を返す。
「「「はっ」」」
特にリグベッタ中将としては、作戦失敗の汚名を返上したい思いが強いのだろう。
声が他の二人よりも大きく、気合の入ったものなっていた。
それをノンナは楽し気に、そして頼もし気に見ている。
だが、それだけの為だけに、今回集められたとは思っていないのだろう。
誰もが次の言葉を待っている様子であった。
それを受け、ノンナは苦笑し、ビルスキーア長官に視線を送る。
その視線を受け、ビルスキーア長官も苦笑した後、全員の顔を見回して口を開いた。
「でだ、休戦が終了した後は帝国との決戦が始まる訳だが、今回、我々はかなり有利と言っていいだろう。なんせ、休戦終了の合図をこちらの都合で出来るからな」
帝国との交渉で、『休戦終了は首都攻略宣言が発せられた一週間後』、要は公国が首都を攻略し、宣言しなければ解除とはならないのである。
つまり、さっさと首都を攻略し、中央を押さえ、帝国がまだ準備できないうちに宣言するのが可能という事だ。
それがわかっているのだろう。
各軍団の指揮官の表情がより真剣なものなった。
そして、そんな様子を頼もしげに見ながらノンナは口を開いた。
「我々がかなり有利だという事はわかっていると思う。だが、私はここでもう一つ手を打ちたいと思っている」
その言葉に、その場にいたほとんどの者が驚いた表情になった。
唯一表情が変わらなかったのは、ビルスキーア長官のみだ。
彼は事前に話を聞いていたのである。
皆の表情を確かめつつ、ノンナは言葉を続けた。
「休戦終了と同時に、帝国の軍事拠点の主港を奇襲攻撃し、敵海上戦力と関係施設の殲滅を行いたいと思う」
その言葉を聞き、初めて聞いた誰もがごくりと息を飲み込む。
確かに、休戦解除の実施が可能な我々が打てる最良の手だと思えたのである。
海上戦力さえ叩き潰してしまえば、中央部で敵の戦力を引きつけつつ、後方に上陸し敵の背後を突くことも可能だ。
それに鉄道網が崩壊している今、海上輸送が遮断されるというのはかなり痛手だ。
現状、互角か押され気味である帝国との戦いで、その作戦の成功は、かなり公国有利の状況を作り出すだろう。
「流石ですな」
あっけらかんとした軽い口調でそう言ったのは、公国艦隊司令のサルペドート・リンカーヘル中将である。
ビルスキーア長官の部下の一人で、ビルスキーアが軍全体の統括になったため、海軍の艦隊部門を任された人物だ。
艦隊指揮の能力はそれほど高くないものの、艦船や艦隊の維持運営に関してはかなりの腕を持っている為、抜擢された。
普通ならその大役を任せられるのではと思ってしまうだろうが、自分があくまでも戦力の維持運営だけを任せられているという事がわかっている為かその作戦を指揮するとは思っていないらしい。
その言葉に、ビルスキーア長官とノンナは互いに少し困ったような顔になった。
要は自分の価値をよく理解しているのも少し困ったなという感じだ。
それで気が付いたのだろう。
幕僚の一人が口を挟む。
「で、その作戦を指揮されるのはどなたなのですか?」
その言葉が火付けとなり、海軍関係者はそれぞれ顔を見合わせる。
確かにこの作戦は、帝国との決着をつける為に重要な作戦で失敗が許されない責任重大なものであり、それと同時に名誉なことでもある。
それ故に、誰もが尻込みしてしまうのだろう。
私がとは誰も言い出せないでいた。
そんな様子に、ノンナは苦笑しつつ口を開く。
「今回の作戦は私自らが行う」
「しかし、ノンナ様自身が危険に身を晒すなど……」
反対意見がすぐに出たが、それをノンナは笑い飛ばす。
「危険はどこにいてもある。それが高いか低いかだけだ。それにだ。私はビスマルクにて指揮を執る。あのビスマルクでだ。わかるな?」
ビスマルクは、今まで艦橋に命中弾を喰らった事はない。
あの王国艦隊との圧倒的な数の差の戦いでさえもだ。
そして、同型艦であるテルビッツも、王国との戦いだけでなくフソウ連合との戦いでも艦橋に命中弾を受けたことがないのだ
その事実に、反対を表明した者も黙るしかない。
確かに、安全だ。
それを納得させられてしまう。
「反対意見はないようだな。私が、ビスマルクに乗って指揮を執る。そして……」
ぎらりとノンナの目に殺気が籠り、表情が氷のように熱を感じさせない無表情なる。
その様子から、ゆらりとノンナの背後に黒いオーラが揺らいだように錯覚した者もいただろう。
誰もが黙り込み、口の中にたまった唾を飲み込む。
そんな周りの反応とは関係なく、ノンナはニタリと笑みを浮かべて言葉を続ける。
「アデリナの今のお気に入りを潰してあの女の息の根を止めてやる」
その言葉に、その場にいた者達は背筋を震わせ、冷たい汗を浮かべた。
そして、再確認するのである。
アデリナとノンナがどれだけ憎みあっているのかという事を。
だが、それは互いの絆の深さ、愛情の強さを示している。
なぜなら、愛と憎しみを紙一重であるからだ。
そして、二人の関係に決着をつけるべくノンナは動く。
こうして、後に帝国と公国の最大の海戦として後世に伝えられる『スカンジナバトル海戦』へと続くのである。




