憑依の障害
最初こそ一部小競り合いがあったものの、帝国と公国の直接的な戦闘は一気に収まった。
ただ、今回の休戦とクカバキリフの戦いによって、当初の予定は両国とも大きく変わってしまったのは間違いないだろう。
その結果、帝国は首都攻略を諦め、公国は南部攻略をあきらめるしかなかった。
特に公国の大きな誤算だったのは、シスタニンバ攻略が失敗した事だろう。
ここを押さえれば、東部地区と西部地区の合流をかなり牽制出来る上に、いざ休戦が無効になった場合には最前線の拠点として機能する重要拠点となっただろう。
だが、クカバキリフの戦いという誤算が計画を大きく狂わせた。
公国軍第三軍団が到着した時、シスタニンバは東部から進軍してきたプリチャフルニア率いる帝国義勇軍によって先に占領されてしまっていたからである。
プリチャフルニア・ストランドフ・リターデン。
元連邦のナンバー2であり、連邦を立ち上げたイヴァン・ラッドント・クラーキンの右腕と言われた男だが、イヴァンとの確執によって一時は政治から引いたものの、今度は帝国側として頭角を現し、今や東部地区を掌握してその勢力を中央へと広げようと動いている。
その軍勢はかなりのもので、さらに休戦協定の為、シスタニンバに掲げられる帝国旗を見せつけられ悔しい思いをしつつ公国軍第三軍団は引き返すしか手はなかったのである。
こうして表立った帝国と公国の直接的な戦いは鳴りを潜めたものの、それとは対照的に激しさを増したものがある。
それは、裏の戦い。
諜報戦である。
少しでも優位に立とうとどの勢力もかなり活発に動いており、その中でも特にプリチャフルニアが加わった帝国はかなりの優勢であった。
それはそうだろう。
プリチャフルニアを慕う部下は多く、そう言った部下ほど連邦のやり方に嫌気がさしており、彼が帝国に鞍替えしたという事もあって協力的であったからだ。
その為、最初こそ有利であった公国も、今や帝国の力の前に押される形になり、流れが大きく変わりつつあるのではないかと感じさせるほどであった。
そして帝国と公国が鎬を削る中、一方的に劣勢なのは連邦である。
それはある意味仕方ないのかもしれない。
今の連邦は、ほとんどの者が失望して見限っているか、自己の私利私欲の為に動いているかのどっちかであった。
そして見限った者達は、公国よりもかっての仲間を受け入れている帝国、プリチャフルニアを頼るのである。
実際、シスタニンバもその流れでほとんど抵抗もなく帝国に降服したのであった。
だが、この地で諜報戦を繰り広げているのは、この三つの勢力だけではない。
他にもいくつかの組織が動いており、その中でも最大の勢力なのは、帝国元宰相グリゴリー・エフィモヴィチ・ラチスールプ公爵の私的諜報機関である。
彼らは、今やラチスールプ公爵の意思が憑依したヤロスラーフ・ベントン・ランハンドーフの元、彼の計画をより円滑に進める為、独自に動いていた。
その為、公国、帝国、連邦の諜報とは距離を置き、計画に関与しない場合は我関せずを貫いていたが、そんな彼らもただ一つだけ例外の組織がある。
その組織の名は『リペンタカラーナ』。
元々はドクトルト教を秘密裏に帝国に普及させようとしていた組織であったが、当初のその目的は薄れ、今や老師と呼ばれる人物の旧帝国領の諜報組織となり果てていた。
その重要な構成員を捉えたという報告が来たのは二日前。
そして、その結果報告が今ヤロスラーフの元に届けられた。
「ほう……。全て終わったか」
ヤロスラーフはそう呟くと報告書をに目を通す。
その様子を見ながら、報告者は口を開いた。
「恐らく、得られる情報は出し尽くしたと思われます」
「ふむ。フルコースだったかね?」
「はい。フルコースでした。中々しぶとかったですね」
フルコース。
それは諜報部では、苦痛や恐怖だけでなく、暗示や薬などあらゆる手段をを使ってという意味である。
その為、フルコースをしたという事は、された側は廃人同然になってしまう事を意味していた。
「十分な代価は取れたかな?」
「はい。我々の掌握しきれていなかった拠点が三つと構成員数名が判りました」
その報告にうんざりした表情を浮かべつつヤロスラーフは口を開く。
「また沸いたか……。潰せ」
「勿論でございます。他国の忌々しい連中に洗脳された馬鹿共に祖国が引っ掻き回されるのは許しがたき行為ですから」
その言葉に、ヤロスラーフはやっと目を細めて笑みを浮かべた。
「その通りだ。宗教という精神的麻薬じみたものを使って我々の祖国を蝕む連中は叩き潰すに限る。以前のようにな……」
その言葉に、報告者が気になったのだろう。
恐る恐るではあるが聞き返す。
「失礼ですが、以前とは?」
一瞬、怪訝そうな表情をしたものの、まぁいいと思ったのだろう。
ヤロスラーフは口を開いた。
「お前もハンドブルガナ革命未遂事件は知っておろう?」
「はい。確か、ハンドブルガナ領で起こった帝国を倒すための革命未遂事件と聞いております」
「そう。それを実行し裏で操ったのが連中よ」
その言葉に、報告者は驚いた表情になる。
一般的には、帝国の政治に不満を抱く民衆が立ち上がった革命未遂という事になっている。
しかし、今の話の流れからすれば、実際はドクトルト教を使った洗脳による帝国の乗っ取りという事になる。
だが、よく考えてみれば、当時のドクトルト教の法皇が宗教による世界統一という目標を掲げ、世界各地で似たようなことを繰り返していたという歴史がある。
帝国で起こったのもそんな騒ぎの一つという事だ。
しかし、そんな余りにも教えと違う事を命じる法皇について行けず、反対したものもいた。
代表主として有名なのは王国のドクトルト教を統べる大司教であり、彼は当時の教国の法皇の命令を拒否し、王国国王と取引をすることで宗教と政治の分離を切り分けることに同意したのである。
それどころか、声を高らかに叫んだのだ。
命令は、宗教とは関係ないものであり、法皇の独断であると。
その結果、王国のドクトルト教は異端として破門されたものの、そのおかげか、世界各国の関係者も拒否する者が続出。
また、各国の上層部も動き圧力をかけられたことで、教国では初めてとなる死亡以外での法皇交代が行われたのであった。
そして、その際、帝国は国内の宗教を弾圧し、叩き潰したのである。
その結果、今の帝国では他国に比べて宗教の力はそれほど大きいものではなくなっていた。
だが、それでも完全にとはいかず、政治が乱れ生活が苦しくなると人は何かにすがりたくなってしまうのが世の常だ。
その為、裏で少しずつ信者は増え続けていたのである。
「あの連中の行動さえなければ、あの時はまだマシな動きが出来たというのに、あの糞爺めがっ」
昔を思い出したせいか当時の怒りがぶり返したのだろうか。
ヤロスラーフのその言葉は強い怒気が含まれていた。
その剣幕に圧されつつ、報告者が追加の燃料を投下する。
「実は……」
その後に続くのは、リペンタカラーナによって実行準備が進められていた計画についてであった。
その数は大小合わせると実に二十近い。
不機嫌そうな顔でそれを聞いていたヤロスラーフだったが、帝国皇帝アデリナ・エルク・フセヴォロドヴィチや公国のノンナ・エザヴェータ・ショウメリアの暗殺計画まで出てきたとき、再度怒りが爆発した。
「私としてはだ。ただ黙って個人で神を信じるのは勝手だ。だがな、他人を巻き込む以上、その責任は取ってもらわなければならない」
淡々とそこまで言って、一呼吸置いた後、怒鳴りつけるかのように叫ぶ。
「いいかっ、潰せ。絶対に潰せ。一人残らず潰せ。それも簡単に殺すな。連中に宗教というありもしないものに縋り付く虚しさを教え込んでやれ」
その余りにも強い怒気に、報告者は圧倒されて思わず一歩後ずさったが、慌てて同意を示す。
そうしなければ、自分にも火の粉が飛び込んできそうであったからだ。
「り、了解いたしました」
「いいか。一人残らずだぞ。連中に教えこめ。帝国に手を出すことの恐ろしさを……」
「は、はっ。必ず」
報告者は慌ててそう返答すると退室していった。
その様子に目もくれず、ヤロスラーフはふーと息を吐き出すと、椅子に背もたれる。
その表情は穏やかで、さっきまでの激しい感情が嘘のようであった。
そう言えば、この身体の持ち主は、ハンドブルガナ革命未遂事件で大切な身内を失ってしまっている。
ならば、今沸き上がったのは、この身体の怒りなのだろうか。
そう思考し、ヤロスラーフは、いや元帝国宰相グリゴリー・エフィモヴィチ・ラチスールプ公爵の意思は苦笑する。
それは禁呪の本に書かれていた事を思い出したからであった。
憑依した場合、肉体の持つ経験や刻まれた記憶に左右されてしまう場合がある。
それはより深く印象的なものほど強く……。
なるほど、これが憑依による障害か。
だが、それでもなさねばならぬ。
魔法と科学が両立しているフソウ連合というまさに理想的な国家が存在するのだ。
帝国がそうなれないという事はないはずだ。
確かに魔法ギルドは崩壊したものの、まだ立て直せる。
それに国を背負える新しい人材は次々と頭角を現しつつある。
それに一度古い体制が崩壊した事によって、よりやり易くなったと言えるだろう。
ならば目指そうではないか。
長年の夢であった魔術師が迫害されず、魔法と科学が共存する理想国家を……。
ヤロスラーフはそう思考をまとめると気分を切り替え、積まれている書類に手を伸ばしたのであった。




