クカバキリフの戦い その6
翌日から始まった攻防戦。
その戦いは、公国軍の進撃から始まった。
じわじわと警戒し谷に向かう公国軍。
それはパーヴロヴナ大尉の予定通りの動きであり、最初こそ思惑通りに進んでいたが、すぐに入って来た報告に舌打ちをすることになる。
「なんて野郎だ……」
報告を聞いたパーヴロヴナ大尉は、視線を地図に向ける。
その視線の先には、伏兵と狙撃の部隊を配置していた場所があった。
まさかこんなに早く対応してくるとは……。
伏兵と狙撃を配置して翻弄していたものの、すぐに対応されてしまい、苦戦を余儀なくされたからだ。
確かに敵に被害は与えている。
しかし、それは決定的なものではなく、その上時間もあまり稼げていない。
ここまで敵が敏速に対応して動いてくるとは考えていなかった。
それに有利と判断すれば、少々の被害が出たとしてもごり押ししてくる。
実に駆け引きがうまい。
戦況を見る目があると言っていいだろう。
それにそう言うことが出来るという事は、兵力はまだ余裕があるという証拠でもあった。
こっちは、最終ラインの陣が完全に構築できていない為、その作業に人を回しつつ対応しなければならない。
その為、どうしても少ない兵力で被害を出さないようにしつつ時間を稼ぐしかないのである。
「くそっ。前倒ししてやるしかないか」
そう愚痴るとパーヴロヴナ大尉は指示を出す。
「第三、第五小隊を引かせろ。被害が大きくなる恐れがある。その援護は、後方の第八小隊だ。しっかり足止めさせて後退の隙を作れ。そしてその後は、敵をトラップの方に引きずり込め」
「了解しました」
指示を受け、伝令の兵が走り出す。
それには目もくれず、パーヴロヴナ大尉は地図を睨みつける。
恐らく彼の眼には、地図の先に相手の動きを予想しているのだろう。
「それでどうしますか?」
元副官であり、今は部隊隊長となっているフラベルタ・ヘンパーソン中尉が声を掛ける。
「仕方ない。トラップを使って足止めと時間稼ぎを行うしかないだろうな」
「しかし、まだ粘れます」
そう言うヘンパーソン中尉に、パーヴロヴナ大尉は地図から顔を上げて相手の顔を見つつ言う。
「確かに粘れる。だが、被害が大きすぎる。先はまだ長い。ここで消耗するには早すぎる」
その言葉に、ヘンパーソン中尉は黙って頷いた。
納得したような顔をしているが、心の中では苦笑を漏らす。
相変わらずだと……。
パーヴロヴナ大尉は部下を大事にし過ぎる傾向があり、被害が大きくなりそうだと引く事が多いためだ。
確かに、被害を少なくするのは大事だ。
しかし、戦いでもっとも重要な事は、有体に言えばどうやってより効率よく味方を失いつつ敵を倒すかという事になる。
だからこそ、ここぞというところは被害が出ようがやり通す必要性がある場合もあるのだ。
だが、長年付き合ってきたこの上官には、それを実行するという事は今までなかった。
どんな時にも、味方の被害を出来る限り少なくという事が第一であった。
そして、今まではそれでも十分対応できた。
パーヴロヴナ大尉の策と機転によって……。
だが、今回はそうとは言ってられない。
いざとなったら自分が泥をかぶるつもりでやるしかない。
ヘンパーソン中尉はそう決心していた。
なんせ、大尉によって命を救われた部下は多い。
恐らく彼らも似た様に思うだろう。
パーヴロヴナ大尉の為なら命を懸けてもいいと。
そう考えた後、ヘンパーソン中尉は心の中で苦笑した。
もっとも、大尉はそれを嫌うだろうが……。
「手ごわいな……」
後方に回り込む部隊、公国軍第三軍団第二群を指揮するビスクチェート大佐は敵の布陣と対応に驚いていた。
ここまでやるとは……。
こっちの裏を読んで伏兵と狙撃を配置し、うまく立ち回っている。
だが、ならばとすぐに指示を出す。
兵力に余裕はあるし、少々のごり押ししても問題ないと判断したからだ。
「いいか、敵の側面を一気に叩け。まずは敵の正面戦力を削り動きを止めさせろ。それに合わせて第三小隊と第四小隊を迂回。敵の伏兵のいる場所を徹底的に潰せ」
「はっ」
その命令を受け、彼の副官は直ぐに伝令に指示を出す。
そして指示を出した後、ビスクチェート大佐に視線を戻すと彼はニタリと笑った。
その笑みが目に入ったのだろう。
ビスクチェート大佐が口を開く。
「何かおかしいかな?」
「いえ。指示は納得できるものです」
「なら……」
そう言われ、副官は少し申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「いや、すごく嬉しそうだなと……」
「嬉しそう?」
「ええ。先ほどから大佐は笑みを浮かべつつ指示を出されています」
慌ててビスクチェート大佐は自分の顔に手をやる。
そして気が付いた。
確かに微かではあるが口角が上がっている。
それにこの高揚感は……。
「確かに君の言う通りだな。どうも私は喜んでいるらしい」
苦笑してそう言うと、困ったなという感じで自分の顎を右手て撫でる。
「それほどまでの相手ですか?」
「ああ。今までの中では一番と言っていいだろうな」
そう言うとビスクチェート大佐は地図に視線を向ける。
「勝てそうですか?」
その問いかけに、ビスクチェート大佐はニタリと微笑んだ。
「ああ、勝てるとも。確かに兵の練度は向こうが上だ。その上、連絡が隅々までいきわたっているのだろう。実に動きが早い。しかしだ……」
そう言った後、地図から、副官に顔を向けた。
「兵力はこちらの方がはるかに上だ。その上、敵さん被害を恐れている傾向がある」
「被害を恐れているのはいい事では?」
「確かに重要だが、それを優先すれば勝てる戦いも勝てなくなることが多い。ここぞという時には強気が必要なのだ。それが被害を出すことになったとしても……」
非情な言葉だが、副官は非難せず納得したように首を縦に振る。
勝利は絶対なのだ。
敗北や引き分けでは意味がない。
そう、勝たなければ戦った意味がないのである。
戦う以上、勝つことは必須なのだ。
「だから、我々が最終的には勝つだろうな」
そうは言ったものの、そこにギラギラした勝利への渇望は見られない。
だからだろうか。その後に少し困ったような顔をするとビスクチェート大佐は言葉を続けた。
「もっとも、個人的には、敵の指揮官に好感を持ってしまったがね」
やっぱりか……。
副官も苦笑を浮かべる。
彼は大佐の態度からそれを感じていたのだろう。
「もし、互いに生き残れたら、酒でも飲んで話でもしてみたい相手だよ」
だが、それはあくまでも願望だ。
今は敵同士であり、互いに譲れないものがある。
それ故にぶつかっているのだ。
「だが、それとこれとは別だ。気を引き締めてかかるぞ」
それは大佐が自分自身に言い聞かせるような言葉であった。
戦いは、昼過ぎには大きく態勢が変わっていた。
昼前までは公国軍を翻弄していた帝国軍ではあったが、その後はジリジリと押され、後退を余儀なくされており、すでに谷での戦いは終わろうとしていた。
当初の予定では、あと二、三日はもたせたかったパーヴロヴナ大尉ではあったが、敵の思った以上の兵力と自軍の動きにうまく対応した公国軍の切り返しによって、ここのでの戦いの継続は被害が大きくなると判断したのである。
そして、用意していたトラップで、勢いづいて進撃してくる公国軍を足止めして被害を出させようとする策を実行する。
しかし、そうはうまくいかなかった。
公国軍は勢いに乗って追撃は行わず、予定していたトラップには引っ掛からなかったのである。
その為、初日の戦いは双方大きな被害は出でいない。
それはパーヴロヴナ大尉としては計算外であり、用意したトラップも不発に終わり、被害を与えきれず、その上時間稼ぎに失敗したのはかなり大きい失態と言わざるを得ない。
その確実に歩を進めていく公国軍の動きに、パーヴロヴナ大尉曰く『まるで真綿で首を絞められているかのようだ』という表現は正しいのかもしれない。
それは、裏を返せば、ビスクチェート大佐がパーヴロヴナ大尉を警戒して取らせている動きであったが、パーヴロヴナ大尉としてはありがたくもない事であった。
こうして、被害だけ見れば公国軍の方が若干多いものの、ほぼ痛み分け、帝国軍は時間稼ぎに失敗したという形で初日の戦いは幕を閉じたのであった。




