別れ……
N-003の乗組員の隊舎のある一室、隊長室では不穏な空気に包まれていた。
「それはどういう事ですか?」
そう言って副官に詰め寄ったのはクリストフである。
普段の彼を知っているなら驚いたことだろう。
副長を兄のように慕い、常にニコニコしている男という印象が強いからだ。
しかし、今の彼は、兄のように慕っている副長を恨み辛みの相手を見る様ににらみ続けている。
そんな険悪な雰囲気に、その場にいるN-003の責任者であるノルンナ大尉は黙ってディスクに座って見ているし、一緒に呼ばれた機関長も唖然とした表情になっていた。
「君には艦を降りてもらう」
「それはクビという事でしょうか?」
「ああ、そう言うことになる」
冷たい副長の言葉に、機関長が慌てて横から口を出す。
「そ、そりゃ、この前はあんな事になりましたが、こいつは腕のいい機関員です。それなのに……クビとはあんまりじゃありませんか。もう一度、考慮してやってもらえませんか?」
必死になってそう言う機関長をちらりと副官は見た後、ゆっくりと首を横に振った。
「そ、そんな……」
絶句する機関長。
彼としても手塩に育ててきた部下を失いたくはない気持ちで一杯なのだろう。
それに拍車をかける様にクリストフも口を開く。
「確かにあの時は、自分のミスです。ですが、今度は大丈夫です。汚名を返上する機会をください。今以上に、艦の為に役立てる存在になります」
その必死さから、彼がどれだけ今の仕事に誇りを持ち、皆とともにありたいという気持ちが強いのがわかる。
そして、それ以上に周りから見て分かるのは、兄である副長に幻滅されたままでは終われないという強い意志だった。
それは、副長もひしひしと感じたのだろう。
クリストフの真剣な視線を真正面から受け止めている。
だが、その表情は崩れない。
ただ、黙って冷たい目線をクリストフに向けているだけだ。
そしてゆっくりと口を開く。
「しかし、あれはあってはならない事だ。君の軽率な行動が皆を危険に晒したんだぞ」
「今度は大丈夫です。本当に大丈夫です」
必死にそういうクリストフ。
だが、それでも片方の眉がピクリと動いたものの、それ以上副長の表情は崩れない。
そして、ただ淡々と確認するかのように聞いてくる。
「本当か?」
「本当です。絶対です。あの時は偶々ですが次は大丈夫ですから」
だが、その必死の叫びに副長は冷たく言い放つ。
「それを誰が証明してくれる?ああいった事があれば、他の仲間に被害が及ぶ。副長としては、それはうやむやに出来ないことだ」
淡々と言われる正論に、クリストフは黙り込む。
今でこそ、皆、気にするなとか慰めてはくれる。
しかし、それは生き残れたからだ。
全員が、無事に……。
しかし、もし死者が出ていたらどうだろうか。
慰めは、罵倒と責める言葉になっていたかもしれない。
また、潜水艦という軍艦の場合は、他の軍艦と違い、一人の軽率な行動が艦の運命を決定づけることが多いのも事実である。
つまり、信頼というバロメーターがなければやっていけない部分は多いのだ。
そして、そうなった時に起こることは、決してクリストフにとっても仲間にとってもいい事ではないだろう。
だからこそ、副長は心を鬼にしてでも言う。
そこには情があるからこそ、情を切り捨てて対応しょうとする姿があった。
「駄目だ。君には艦を降りてもらう」
だが、それでもクリストフは折れなかった。
そして彼をここまで頑固にさせている思いが口に出る。
「自分は、貴方の下で共に戦いたいのです」
その必死な思いの籠った言葉。
だが、副長はそれでも揺るがなかった。
心を殺して口を開く。
「もうこれは、決まった事だ。荷物をまとめておくように」
そう言うと副長はノルンナ大尉に敬礼すると退室していった。
その後姿を唖然として見送った後、下を向き、涙するクリストフ。
それを慰めるかのように肩を叩く機関長。
ノルンナ大尉はため息を吐き出した。
あの馬鹿、もう少し優しい言いようがあっただろうに……。
余りにも親しいが故に、周りの者達に贔屓と思われないように必死にやっている不器用な副官に彼は心の中で苦笑した。
そして立ち上がるとクリストフに声を掛ける。
「副長を恨むなよ」
「わかっています。ですが、自分は……」
泣きながらの言葉。
無念な思いが滲み出ており、それはクリストフの思いの強さが推し量れると言うものだ。
ふー。
息を吐き出すとノルンナ大尉はデスクに置いていた一枚の紙を差し出した。
「辞令だ」
その言葉に、クリストフは涙に濡れた顔を上げる。
その顔に浮かぶのは、驚きの表情だ。
「クビ……。除隊じゃないのですか?」
「おいおい。副長は言っていただろうが、艦を降りろと……」
基本的に、こういったトラブルがあった場合、問題ありという事で今までの連盟軍では強制的に除隊になることがほとんどだった。
これは、軍を掌握する商人達が、軍人達に言う事を聞かせるために行ってきたことが大きい。
自分達の言う事を聞かない軍人は、難癖をつけて、問題ありと高らかに公表し、除隊させるのだ。
商人が絶対的な地位にある連盟において、軍人は商人になれないものがなる誰でもできる職業と考えられており、そんな仕事でも問題があって除隊させられるという事は、何をやっても問題がある半端者とみなされる風潮が強かった。
クリストフの父親は小さなときに事故で亡くなっており、彼は母親の手で育てられた。
そして、息子の為に必死になって働く母に、彼は絶対に母を悲しませたくないと思うようになった。
だからこそ、彼は必死になって勉強し、士官学校に合格した。
そして、出会ったのだ。
目標となる人物を……。
それが副官であった。
だが、今回の事で目標としてあこがれていた副官には見限られ、母親は悲しみ、世間一般からも半端者として蔑まれる。
だから、強制除隊だけは何とか避けたかった。
だからこそ、必死でここまで言ったのである。
しかし、確かに副長は艦を降りろとは言ったが、除隊とは一言も言わなかった。
「いいか。今回の件は、大変なミスだ。艦の全員を危険に晒したんだからな」
その言葉に、クリストフはうなだれる。
そんなクリストフにノルンナ大尉は苦笑を浮かべて言葉を続けた。
「しかしだ。それは潜水艦乗りとしての適性が足りなかっただけであり、君自身が半端者という訳ではない。君の努力を、君の貢献を、我々は知っている。だからこそ、副官は私に言ったのだ。なんとか穏便な形で転属させられませんかと……」
「え?」
「あいつから言い出したんだよ。『このまま艦に残しても、何かトラブルになる可能性はある。それに、いくらあいつでもこのまま後ろめたいままでは駄目だ。ならば……』ってね」
茫然した表情で、見返すクリストフにノルンナ大尉は笑顔を浮かべる。
機関長が、「よかったじゃねぇか」と言いつつ肩を叩く。
それをただ受け入れるだけのクリストフ。
「いいか。これはあいつに言うなよ。口止めされているからな」
ノルンナ大尉は苦笑しつつそう言うと辞令を押し付ける様に手渡す。
クリストフの視線が、ノルンナ大尉から辞令に向けられる。
「補給艦ノルストフォロスの機関員……として……」
「ああ、ノルストフォロスはわが潜水艦隊の補給の一端を担う特務補給艦だ。確かに潜水艦のように戦う訳ではない。だが、我々を支えてくれる存在でもあり、彼らなしでは我々は戦えない。縁の下の力持ちにはなるが、それで我々を支えてくれないか?」
その言葉に、涙に濡れた顔が決心と嬉しさに染められていく。
「は、はいっ。こんな自分でよければ、皆さんを支えていきたいと思います」
「よし。よく言った。これであいつも喜ぶだろうさ」
ノルンナ大尉はそう言うと、もう一枚の紙を出す。
「これは?」
「休暇届だ。ノルストフォロスがここに戻ってくるまで三日ある。荷物をまとめたやつはこっちで先方に送っておくから、それまでは母親の顔でも見てゆっくりと身体と心を癒しておけ」
「ありがとうございます」
クリストフは涙を流しつつ何とかそう言うと退室していった。
それを見送った後、機関長がノルンナ大尉に言う。
「すみません」
「何、気にするな。それよりも代わりは何とかなりそうか?」
「はい。その辺は何とかこっちでします」
機関長はそう言うとニタリと笑った。
決して見栄えのいい笑みではなかったが、海の男としての風格がそこにはある。
「恐らく、今度新造される艦艇を回されるだろう。しばらくは、試運転やら調整に時間がかかるだろう。その間に……」
「了解しました」
そう言った後、機関長は表情を引き締めて小声で聞く。
「しかし、フソウ連合の艦艇に対しての対策やらなんやら何とかなるんですかい?」
その言葉に、ノルンナ大尉は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべて言う。
「わからん。何やら色々研究は進んでいるらしいが、いきなり段階を上げて実戦でも使えるとなるというのは難しいだろうな」
機関長の顔も不機嫌そうな顔になる。
「当面は、劣勢のままってことですかね?」
「いいや、大劣勢だ」
その言葉に、機関長は苦笑を浮かべる。
「それは困りましたな」
「だがやるしかあるまい?」
「確かに」
そう言った後、機関長は苦笑交じりに言葉を続ける。
「出来る限りは必死でやらせてもらいますぜ」
「ああ。頼むよ」
そう言うと、ノルンナ大尉はデスクに向かって歩き出す。
そして、「では……」と言って機関長もドアに向かう。
どちらものんびりとしている暇はない。
新造艦が回されるまでは、それはそれで別の仕事が彼らを待っているのだから……。




