『海狼の狩り』作戦 その6
「敵の動きはどうだ?」
ノルンナ大尉は上を向きつつ集音機担当の兵の肩を軽く叩きつつ声をかける。
そうしなければ集中して音を聞いている兵が気が付かない為だ。
その言葉に兵はちらりとノルンナ大尉の方を見て上を見上げる。
「間違いなく近づいてます。スクリュー音が聞こえ始めました」
つまり、それだけ接近してきているという事なのだろう。
それを聞き、ノルンナ大尉は操舵手の方に視線を向けた。
「そうか。微速前進。相手に近づくぞ」
その命令に、操舵手が確認を兼ねて「微速前進っ」と口にしつつ艦体を動かし始める。
ゆらりっ。
船が動き始めたのに合わせて艦内が少し揺れる。
元々水中速力は高くないので微速前進といいつつも、それほど速力が出る訳ではない。
ほんの数ノット程度だ。
だが、動くことで相手の裏をかく事は出来る。
まさかこっちから接近してきているとは思わないだろう。
副長がすーっと近づいてくるとノルンナ大尉に囁くように聞く。
「どうされるので?」
その言葉は意味深な響きがあり、何度も実戦を共にしただけあってただの位置変えのために動いているとは思わなかったようだ。
だから、ノルンナ大尉はニタリと笑う。
「お前の思っている通りだよ」
その言葉に、副長は苦笑した。
「ですか……」
「そうだ」
そう答え、ノルンナ大尉は集音機担当の兵の肩を軽く叩く。
「どうだ?」
「ますます近づいてます」
「変な動きはないか?」
「今の所は……」
そう返事が返ってきてノルンナ大尉は思い出したかのように聞き返す。
「そういや、例の高い音はまだ続いているのか?」
「はい。まだ続いています。ある程度の間隔で鳴らされていますね。恐らくですが、定期的に鳴っているようです」
その返事に、ノルンナ大尉は考え込む。
今まで戦った王国の艦艇では高い音を定期的に鳴らしつつなんてことはなかった。
と、いう事は、フソウ連合独自のものだという事だ。
なぜ鳴らす必要があるのか。
何かの合図か?
なら、その合図をなぜこんな水中に響くように鳴らしているのか?
そして気がつく。
そうか。
もし合図ならば、敵味方の識別に使っているのではないか。
そうか。つまりフソウ連合も潜水艦を保有しており、敵味方の識別の為に、定期的に鳴らしているという事なのかもしれないな。
そう考えつく。
ふむ。我々が保有していて、相手が保有していないとは考えにくいからな。
特に、飛行機という他の国が保有していない兵器を持っている以上、そう考えるのが妥当かもしれん。
だから、すぐに潜水艦の潜望鏡を発見し攻撃してきたのだろう。
なんせ、今の所、潜った潜水艦に致命的なダメージを与える兵器は魚雷くらいしかなく、その魚雷も、深度という概念が加わり当てようと思ったら水上艦を狙う以上に難しくなっている。
つまり、深く潜った潜水艦に手出しは出せないという事だ。
だからこそ、飛行機を使った浮上している潜水艦への奇襲や潜望鏡発見と同時に砲撃を行うという手で攻撃してきたのだろう。
だが、接近を知ってしまった以上、それらの手は使えない。
つまり、こちらはただ深く潜っていればいいだけだ。
このままそれでやり過ごせる。
勿論、電池や空気の問題もあり、長時間は厳しいものの、それでも相手の根負けを誘うには十分すぎる。
それに相手はこちらがどれだけ潜っていられるかの性能を知らない。
だからこそ焦りも生まれるだろう。
そう考え、ノルンナ大尉はニタリと笑う。
だからこそ、位置を変え、最初のすれ違いの後、後ろに浮上して魚雷攻撃を仕掛ける。
そう考えたのである。
そして、副長もその考えを理解していたのであった。
「魚雷発射の準備急げ」
副長の命令に、指揮所にいた乗組員達が顔を見合わせた後、ニタリと笑う。
うちの艦長はやる気だよ。
その表情からは、そんな彼らの考えが見えた。
「魚雷発射準備ーっ」
「いいかっ。敵が通過した後、向きを変えつつ後ろに回り込む」
「了解しましたっ。お任せください」
ノルンナ大尉の言葉に操舵手が右手を軽く上げて答える。
「よし。では狩りを始めるぞ」
「「「はっ」」」
準備が整い、誰もが上を見上げつつ黙って待つ。
それは気配を殺して獲物を待つかのようだ。
シュルショュルシュルっ。
水を引っ掻き回すかのような音が聞こえてくる。
間違いなく敵艦は今、真上にいた。
誰もが息を止め、額には汗が浮かんでいる。
それは艦内が暑いのもあるが、それ以上に緊張によるものだろう。
「敵艦、本艦を通過しました」
「よしっ。ゆっくりと回頭だ。相手の後ろにつく。艦を浮上させろ。相手に気取られないようにな」
N-003はゆっくりと浮上しつつ回頭を始めた。
その動きはゆっくりと静かで、まるで獲物を狙う肉食獣のようだ。
だが、潜望鏡深度に行く前に集音機担当の兵が慌てて声を上げる。
「本艦の前方の海面に何か落ちました」
「なんだと?攻撃か?」
「いえ。砲撃の類ではありません。なにか海面に落ちたといった感じで、今落ちたものか沈んでいきます」
「なんだ……」
ノルンナ大尉は一瞬考えこんだものの、すぐに副官の「艦長っ」という声で我に返った。
「ああ。わかっている。潜望鏡深度までいったら潜望鏡を……」
ノルンナ大尉がそこまで言った時だった。
ボフッ。
何か鈍い音が二つ響き、不意に艦が下から大きく持ち上げられた。
深度計の目盛りが一気に跳ね上がり、その振動に艦が大きく揺れてねじれる様な艦が軋む音が響く。
また、その動きと振動に、乗組員達は揺れに対応するため身近なものにしがみ付き、間に合わなかった者は転倒した。
そして、艦内に響くのは悲鳴のような声と勢いよく水が噴き出す音。
「浸水ーっ」
そう響く声に、機材にしがみ付いて難を逃れた副長が叫ぶ。
「応急修理急げっ。それと各部署は現状報告だっ」
そしてノルンナ大尉に近づく。
「大丈夫ですかっ」
ノルンナ大尉は床に転んでおり、頭を打ったのだろう。
額には血がにじんでいる。
「ああ、軽く転んだだけだ」
「ですが血が……」
そう言われてノルンナ大尉は右手を額に当てて確認する。
「どうやら、潜望鏡にでもぶつけたようだな。何、大したことじゃない。それよりも、攻撃中止だ。このまま相手から離れつつ潜水だ。急げっ」
「はっ」
命を発した後、ポケットから少し薄汚れたハンカチを取り出し額に当てる。
恐らく機材に当たって切ったのだろう。
真っ赤な血がハンカチを濡らす。
もっとも、非常灯の赤の為か余り赤くは見えないが……。
だが、すぐに思考を回転させる。
今のは間違いなく海中を攻撃する兵器だった。
つまり、連中は、海中を攻撃する術を持っているという事だ。
たらりと背中に冷たいものが流れる。
そして集音機担当の兵の肩を叩きつつ聞く。
どうやら座っていたためか、椅子にしがみ付き無事のようだ。
ただ、その顔色は恐らく真っ青になっているだろう。
つまり、そうなってしまった音を聞いたという事である。
「耳は大丈夫か?」
「は、はいっ。何とか……」
そう言った後、集音機担当の兵の耳に近づけて聞く。
「何を聞いた?」
その言葉で、何を聞きたいのか分かったのだろう。
ごくりと唾を飲み込み、集音機担当の兵はノルンナ大尉にだけ聞こえる様に小声で言う。
「恐らく、他の艦も同じように攻撃を受け……」
沈黙が一瞬あった後、兵は言葉を続けた。
「その後、ひときわ大きな爆発音がいくつか……」
一際大きな爆発音。
それは、今の攻撃で潜水艦が沈められたという事なのだろう。
ごくりっ。
いつの間にか口の中にたまっていた唾を飲み込みノルンナ大尉は集音機担当の兵に囁くように命令する。
「今のは言うな。いいな?」
それでノルンナ大尉の考えていることが分かったのだろう。
集音機担当の兵はただ深く頷く。
「よし。そのまま周りの状況を確認せよ。いいな?」
「はっ」
そして、N-003は少しずつ移動しつつ深度30まで再び潜る。
その間に、ノルンナ大尉には各部署の状況報告が入ってきた。
「魚雷発射管異常ありません」
「機関部問題ありません。ただ電池の消耗が激しいとの報告が入っています」
機関部の報告に、海図で位置確認をした後、ノルンナ大尉は口を開く。
「そうか。さっきの場所から少しだが離れたし、機関停止だ」
「はっ」
「それで浸水の方は?」
「はっ。何とか止めました。ただ……」
「ただ?」
「艦内ポンプの調子が良くないのと、電池の消耗の兼ね合いがあり……」
そう言われ、ノルンナ大尉は足元を見る。
一センチに満たないものの、床には海水が溜まっている。
「わかった。今はいい」
そう指示し、その後に続く各部署の報告を聞く。
どうやらまだ十分大丈夫のようだ。
それがわかり、ほっとしたものの、前途多難だ。
相手は潜水した艦艇を攻撃できる術があるという事がこれではっきりした。
それに対してこちらは何が出来るだろうか。
打てる手があまりにも少なすぎる。
だがやるしかない。
ノルンナ大尉はそう決断すると副長を手招きで呼ぶ。
副長が何事かと近づくと耳を寄せて口を開く。
「どうやら敵は水中の我々を攻撃する術を持っているようだ」
「ええ。その通りですね。あれを近くで喰らったらヤバいですよ」
「だか、それはわかるが、敵はどうやってこっちの位置を把握しているんだ?」
そう聞かれ、副長は黙り込む。
そして、驚きの表情で思いついたことを言う。
「もしかして、音を探っている?」
その言葉をノルンナ大尉は黙って受け止める。
その表情は真剣だ。
「それしか考えられん」
「ですが、そんなことが可能ですか?自分のスクリュー音が邪魔になるはずですが……」
「どういう技術かはわからん。だが、音が不味いのは恐らく間違っていないと思う。だから、艦内に出来る限り音を出さないように指示を出せ」
「了解しました」
副長はそう言うと指示をする為に動き出す。
その後姿をちらりと見た後、ノルンナ大尉は額を押さえていたハンカチを離す。
どうやら血はある程度止まったのだろう。
額を濡らすのは汗だけのようだ。
傷口に入り込む汗でピリピリとした痛みが生まれる。
さっきまでの位置から少しとはいえ離れた。
王国相手の今までならそれで安心できた。
だが、今は違う。
相手には、こちらの位置を把握する術と攻撃する術を持っているのだ。
なのに、こちらは……。
自然と乾いた笑いが漏れる。
実に不利すぎる賭けではないかと思って。
だが、始めた以上、途中で降りる事は死を意味する。
なら足掻いてやろうじゃないか。
ノルンナ大尉はそう決心すると上を見上げた。
そこには、潜水艦の指揮所の天井があったが、その目はまだはっきりと見た事もないフソウ連合の艦船を睨みつけるかのようであった。




