エリザベート・バトリア・リンカーホーク伯爵令嬢
アッシュとエリザベートが大使館から戻ってきて、アッシュの執務室に行くと、そこにはアッシュ派と言われるアッシュの仲間たちが二人の帰りを待っていた。
「首尾はどうだった?」
代表してミッキーがそう声をかけると、アッシュはニタリと笑った。
「ああ。手ごたえはあった」
そうは言ったものの、すぐに笑いは苦笑となって言葉を続ける。
「もっとも、まだ中身は確認していないかな」
その言葉に、集まった仲間たちからブーイングのような声が上がるが、それを楽し気に聞きつつアッシュは口を開く。
「しかしだ。あのサダミチがここまで厳重にしてまで渡した情報だ。かなりのものだと思うがね」
その言葉に、ブーイングに入らなかったミッキーが賛同の声を上げる。
「ああ。確かに。それは言えるな」
その言葉で、ブーイングは収まる。
二人がそう言うのなら……という雰囲気が辺りに広まったためだ。
そんな様子を入り口近くで見ていたエリザベートだったが、「すみません」とアッシュに声をかける。
「えっと、どうしたんだ?」
アッシュが慌ててそう聞いてくる。
その表情からは、エリザベートの事をすっかり忘れていたという感じが滲み出でいた。
まぁ、それは仕方ないか。
エリザベートは心の中で苦笑したものの、それを表面には出さず疲れたような表情をして見せる。
「いえ、少し疲れたので自分の部屋で休ませてもらってもいいでしょうか?」
軍人ではないが、貴族であり、アッシュの秘書官みたいなことをしている為、エリザベートにも一応軍属扱いで部屋も用意されていた。
エリザベートの疲れた様子に、アッシュは少し驚いたものの、少し心配そうな顔になって口を開く。
「ああ。少し休んでくるといい。それと……」
アッシュの顔に笑みが浮かぶ。
「助かったよ。ありがとう」
その素直で思いの籠った感謝の言葉に、エリザベートは少し動揺した様子を見せたものの、すぐにいつものすました表情になる。
「いえ。私が言い出したことですから」
そう言うと頭を下げて部屋を退室していく。
まぁ、知識を得ることに喜びを感じている彼女だから機密事項に興味はあったが、それを求めるにはまだ信頼が足りないと判断して自ら引き下がったのだ。
そして退室して進行方向に視線を向けるとこっちに向かって二段式のカートを押してくる一人の男が目に入った。
軍服は来ていない。
確か二週間前にこの建物に配属になったスティーグ・ペンダミンという人物で、確か軍属ではあるが給仕や荷物を運んだりといった感じの雑用を仕事としている民間人だ。
王国の場合、王族や貴族が軍人になっている場合も多いため、彼らの世話をする為に使用人とかが軍の建物の中にいたりすることもある。
実際、エリザベートも軍人ではないが、一時的な軍属扱いになっているし、部屋で待っている彼女の侍女も一応軍属扱いになっていた。
近づいてくるカートに道を譲りながらカートを覗き見るとカートの上にはティカップとポットがいくつも載せられており、二段目には軽食としてサンドイッチみたいなものまで用意されている。
この先には殿下の部屋しかない為、今から殿下の部屋に運ぶのだろう。
だが、ふと気が付く。
誰かこれらを頼んだのだろうかと……。
殿下の部屋で、殿下がいないときに、彼らだけで勝手に紅茶や軽食を頼むことはほとんどない。
それに、自分が退室してすぐに頼んだにしては用意が早すぎるし、何よりどう考えてもタイミングが良すぎる。
今頃、部屋では機密事項の書類にまずアッシュが目を通し、それから彼の判断で情報の共有化が行われているはずだ。
そんな中、わざわざもっていくというのは……。
そう言う事か……。
どうやら、殿下がフソウ連合の大使館に行ったのは何のためか確認したがっている連中がいるという事ね。
ため息を吐き出すと、エリザベートは口を開いた。
「あら、誰か頼んだのかしら?」
エリザベートの言葉に、ベンダミンはビクンと反応して慌てた様に口を開く。
「い、いえ。いつも頼まれるので今日は早めにご用意したのです」
「あらそう。それは気が付くわね」
エリザベートはそう言うとニコリと微笑んだ。
「でもあなたも忙しいでしょう?」
「い、いえ私は……」
「私、暇なのよね。だから代わりに持っていってあげるわ」
あくまでも善意でというニュアンスと、親切そうな笑顔をセットで完備してエリザベートはそう言う。
「し、しかし……」
「それとも何か必ずあなたが行かないと駄目なことがあるのかしら?」
少し怪訝そうな表情でそう言うと、ペンダミンは慌てて首を横に振った。
「いえ。そんな事はありません。しかし、お嬢様に代わりにしていただくというのは……」
焦りがその言葉と態度から滲み出ていた。
だが、そんなことに気が付かないといった感じでエリザベートは楽しげに微笑む。
「私、こう見えても紅茶煎れるのはうまいの。殿下もよくほめてくださるわ。だからね」
あくまでも殿下に婚約者がいいところを見せたがっている。
そんな風に言ってみる。
すると、迷うような表情をしたものの、これ以上は失礼だと思ったのだろう。
ペンダミンが折れた。
「わかりました。ではお願いいたします」
そう言いつつ、カートをエリザベートに渡す。
その際、ちらりと彼の視線がカートの砂糖やミルクの入っている引き出しの部分に動いた。
ふーん。そこか……。
エリザベートは心の中で目を細めてニヤリと笑う。
しかし、表面はうれしそうな笑顔で礼を言った。
「ありがとう。殿下にもあなたの事はきちんと伝えておくわ」
「あ、ありがとうございます」
そう言うとペンダミンはおどおどとした態度で来た道を戻っていく。
それを見送った後、エリザベートはため息を吐き出すと、ペンダミンの送った視線の場所に左手をかざした。
チリチリと肌を刺すような痛みが走る。
それは左手の小指にはめている指輪からであった。
指輪はエリザベートの実家であるリンカーホーク家の印が彫られている。
「ふーん。やっぱりここか……」
エリザベートはそう呟くと引き出しを引き出してその下の裏に手をやった。
バチっ。
そんな音が聞こえたかと思うと、エリザベートの手には所々黒焦げになった札があった。
その札を見下ろしてエリザベートは呟く。
「諜報の魔術か……。術式からして帝国系ってとこかな。だけどどこの連中か知らないけど、舐めた真似してくれるじゃないの」
くしゃりと札をエリザベートは握りつぶす。
そして札をポケットにしまい込むとアッシュの部屋に戻っていく。
勿論、カートを押しつつ、そしてそれ以外に怪しいところはないか確認する。
そして、問題がない事を確認するとドアを叩き、驚いているアッシュ達に微笑みながら紅茶の準備をするのであった。
アッシュの部屋で紅茶の準備を終えて、エリザベートは自室に戻ってきた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
エリザベート専属の侍女であるペリーヌ・リッチンカードは恭しく頭を下げて主人に敬意を示す。
その様子を白けた様子で見た後、エリザベートはソファに移動するとどっかりと座り込んだ。
「別に人の目がないんだから、そんなにかしこまらなくてもいいわよ」
その言葉に、ペリーヌの表情が澄ましたものから、ニタニタの笑みを浮かべたものに変わる。
「あらあら、ご機嫌斜めね。何かあったのかしら?」
その言葉に応えるかのようにエリザベートはポケットに入れていた焦げた札を出してひらひらとさせる。
それを見て、ペリーヌは苦笑する。
「ふう、飽きないわねぇ。それで何枚目かしら?」
「十二枚目よ」
ぶっきらぼうにエリザベートはそう言うと札をテーブルの上に載せた。
「いい加減、無駄だと気が付かないのかしら」
エリザベートはため息を吐き出しそう言葉を続ける。
「まぁ、殿下は上がごっそりといなくなっていきなり注目されたからね。連中もいろいろ用意してなかったんでしょうよ。で、誰?」
「軍属のペンダミンって男よ。恐らく金で頼まれたってところでしょうね」
「わかりました。上に連絡して調べさせましょう」
「まぁ、無駄だと思うけどね」
エリザベートの言葉に、ペリーヌは苦笑する。
だが、それでもわずかな手掛かりを得られるチャンスかもしれない以上、やるしかない。
それはエリザベートもわかってはいるのだ。
だが、それでも今まで尻尾を掴めないでいる。
愚痴の一つも言いたくなったのだろう。
基本、諜報戦は派手な場合はほとんどない。
ほんの些細なことの繰り返した。
そして、基本表ざたになることはほとんどないだろう。
そんな事を思いつつ、父親から譲られた指輪を見る。
『これからはお前の方が必要だろう。王族の周りにはいろいろあるからな』
父にそう言われて手渡されたものだ。
破魔の指輪。
代々当主となるものに注がれてきた指輪。
魔法というものは、術式がある意味、今でいう電気回路に近い。
だから、その回路の一部を狂わせれば、術式は無効となる。
魔力を感じ、術式を狂わせる効果を持つ指輪だ。
まだ、魔法が力をふるっていた時に作られ、魔術による諜報や謀略からリンカーホーク家を守った指輪とされている。
それをじっと見つめながら思う。
魔術師の痕跡はまだまだ王国に残っており、それを使う者も絶えないのだと……。
王国において魔術師と呼ばれる者はほとんどいない。
いたとしても元魔術師の家系であり、魔法は使えない。
それにほとんどの魔術師と呼ばれていた家系は合衆国に移り住んだ。
だが、以前使われた魔術を発動する道具は数多く残されていたし、まだ魔術師がいると推測される他国からの流入もある。
そういったものに対して、魔術師がいないから傍観して何もしないという訳にはいかない。
身を守る為に対応していかなければならないのだ。
もちろん、そう言った話は聞いていたし、記録にも目を通していた。
しかしだ。
知識と経験は、別物だ。
経験を得られることでわかることもあるのだから。
だが、経験もエリザベートにとっては新しい知識を得る行為でしかない。
彼女にとって本や記録を読み漁ることは娯楽であり、知識を得ることは悦楽であったからだ。
その優先順位は男女の仲よりもはるかに高い。
もっとも、彼女の男女の仲の優先順位ははるかに低く、下手すると一番下といってもいいものであったが……。
そしてそれらのことより、指輪を受け取り、父の話を聞き覚悟はしていた。
しかしである。
「まさか、こんなに必要になるとはねぇ……」
思わずため息が漏れる。
それほどまでに魔術に対してザルなのだ。
ただ、これは王家全部に対してではない。
実際、ほとんどの王族にはそういった事に対しての対応手段を持っているし、対策している。
なのに、殿下の周りだけが異様に低い。
それは、彼の王位継承権が一気に上がったのが問題とエリザベートは見ていた。
それに後ろ盾になる高位の貴族もいない。
貴族はどうこう言いつつ、こういった魔術や諜報に対しての対抗策を持っている。
それも高位になるほど……。
つまり、今までアッシュはそれほどまでに期待されていなかったという事だ。
そんな人物が、今や次期国王。
そして私はその人物の婚約者か……。
本当に人生ってどうなるかわかんないわ。
そんな事を考えていると、ふと、子供の頃の記憶が頭をかすめる。
七、八歳の時だったろうか。
庭で一人の少年と遊んだ時の事を……。
その少年は、エリザベートの今まで会ったことのある年齢の近い男の中でも飛びぬけて気弱でおどおどとした少年であった。
何かに怯えていると言っていいだろう。
周りを気にし過ぎていたような気がする。
だからだろうか。
エリザベートは、その少年の前ではお姉さんぶって言った。
「怯えるっていうのはね、何もやらないからよ。世の中ってのはね、やってみれば実はたいしたことじゃなかったり、怯える必要なんてない事ばかりなんだから。それにどうしても大変だと思ったら私を頼りなさい。守ってあげるから……。」
実際はそんな事はないのだろうし、少年も怯える事で自己防御しているのだろうが、当時のエリザベートはそんな事は考えなかった。
ただ、ただ、少年に対して我慢ならなかった。
やりもしないで怯えることに……。
そして守らなければ……。
そんな思いで出た言葉だった。
ただ、そういう思い以外にも、今考え直してみれば、自分好みの異性にこうして欲しいと思って出た言葉なのかもしれないな。
当時からませてたのね、私……。
そんな事を思いつつ心の中で苦笑いを浮かべる。
そしてふと思う。
そういえば、あの時の少年は元気だろうか。
あれ以降、少年と会ってはいない。
あれから時間が過ぎ、今ではいい青年になっているだろう。
まぁまあ顔の作りは良かったし、そこそこには女性にモテてるだろうな。
そんな事を思いつつ記憶を探っていき、段々とぼやけていた記憶がはっきりしていく。
そして、わかったことがある。
少年の顔つきがある人物と似ていることに……。
そして、少年とある人物の顔が重なる。
そして気か付いた。
少年が、実はアイリッシュ殿下だったのではないかと……。
カーッと顔に熱が籠り、思わず頭を抱え込む。
嘘ーーーーっ。
そんな……。
私、殿下と会ったことあるの?!
主人の異変にペリーヌが気が付き、聞き返す。
「どうかなされましたか?」
「い、いえ何でもないの。気にしないで……」
何とかそう言って顔を上げるエリザベート。
だが、その顔は真っ赤であり、必死に何かを否定するかのような表情だ。
ペリーヌは一瞬何か言いたげな表情になったものの、ぐっと我慢して別の言葉を口にする。
「わかりました。何かありましたらお申し付けください」
そういうとペリーヌは退室していった。
パタンとドアが閉まる音。
それと同時に、再びエリザベートは頭を抱える。
なんで今頃になって思い出したのよ。
そんな事をぶつぶつと呟きながら……。
〇《お知らせ》
お陰様で、『異世界艦隊日誌』も三年目に突入しました。
折角なので、久々に外伝に書いて欲しいキャラクター(艦艇の付喪神も含む)を募集します。
活動報告に募集の報告を上げますので、そちらに書いて欲しいキャラクターや理由なんかを書いていただければ幸いです。
なお、ツイッターでも可です。
人数によっては頂いた全員を書くことはさすがに難しい事になるかもしれませんが、よかったらご参加ください。
お待ちしております。




