帝国首都クラーンロ デンクロン宮殿にて
白系の色でまとめられた冷たい印象の廊下を歩く。
コツコツと靴の底が当たる音か響き、その音がますます気分を下げていくようだ。
まさにこの城の主に相応しい建物だな。
帝国東方方面海軍司令長官のアレクセイ・イワン・ロドルリス大将はそう思いながらただ歩く。
そして両手開きの扉の前にたどり着いた。
その扉の脇には、皇帝直属の親衛隊の派手な軍服に身を包んだ兵士が警備しており、扉の前で止まるように槍を構える。
ご苦労な事だ。
その様子を見ながら、前時代的で無駄だなとアレクセイは思う。
どうせ警備するなら、槍や剣ではなく銃を持たせるべきだろう。
それになんだ、この兵士の頼りなさは…。
服で着飾っている分、その下にある彼らの肉体の貧弱さを想像し情けなくなる。
こんなお人形の兵隊よりも、我々は格下扱いされている。
それがとても悔しいと同時に情けないと思う。
いろいろあったものの、アレクセイとしては帝国海軍に三十二年も席を置き、方面軍としてではあるが、そこの最高司令官までに上り詰めたのだ。
帝国海軍に愛着もあるし、より海軍の地位向上を願っている。
だが、今の皇帝はあまりにも海軍を蔑ろにしすぎる。
おかげで海軍の士気はかなり低い。
どうにかせねば…。
何度も上申したものの、結局それは直属親衛隊と言う癌によって握りつぶされた。
それを思い出して苦々しい気持ちになるが、それをここにいる兵士にぶちまけても意味がない。
落ち着かせるために息を吸って吐き出す。
「帝国東方方面海軍司令長官のロドルリス大将である。皇帝陛下にお目通りをお願いしたい…」
「しばらくお待ちくださいませ…」
礼儀作法には長けているのだろう。
優雅なしぐさで敬礼し、右側の兵士が右の壁に空いてある穴に顔を近づけてなにやら話している。
どうやら穴の向こうにも兵士がいて、どうやらそいつがここの警備主任のようだ。
穴に話しかけていた兵士がこちらに顔を向けて敬礼し口を開く。
「中に確認いたしますので、しばらくお待ちください」
「…わかった…」
そう答えつつも、相変わらずであきれ返る。
なんて無駄な事を…。
もし、緊急事態のときはどうするのだろうか。
そんな事を思いつつ待つ事にした。
左側の窓から見える景色をぼんやりと眺める。
そして五分ほど待っただろうか。
右側の兵士が声をかけてきた。
「お待たせいたしました。皇帝陛下がお会いになられるそうです」
「あい、わかった。案内を頼む」
「はっ…」
右側の扉が開き、兵士の案内で中に入る。
そして、入った部屋のさらに二つ部屋の先に皇帝は長椅子に寄りかかるようにして座って待っていた。
カルル・レオニード・フセヴォロドヴィチ皇帝陛下。
白銀の髪とルビーのような色合いの瞳を持つ二十代後半の男性で、もし痩せていたら美男子の部類に入る顔の作りだ。
しかし、元がよくても長年の暴飲暴食、それに肉欲にまみれた生活を続けた為、肉と脂肪にまみれ、元がよかっただけに余計に醜くなってしまっている。
そして、その醜さに服装が拍車をかける。
きちんと着飾ったらかなり豪華な服なのだろうが、みっともなく着崩しており、所々には汚れがある。
多分、今テーブルに広がっている料理や酒がこぼれてできた汚れだろう。
これがわが皇帝かと思うと眩暈がするが、それを抑えつつアレクセイは最敬礼して口を開く。
「失礼します。皇帝陛下。私は帝国東方方面海軍司令長官のロドルリス大将であります」
「ああ、挨拶や紹介はいいから、さっさと用件だけ言ってよ」
とろんとした目でこっちを見て、興味ないといった表情で告げられるその言葉に、なんかどうでもいいかと思ってしまいそうになる。
「はっ。未開地区のフソウ連合と言う名の国に侵入した部隊との連絡が途絶えました。また、連絡のために結界内に侵入した艦からは、敵国の海軍と思われる艦が警戒しているのを発見し撤退したとの報告がありました」
そこまで言った瞬間だった。
だんっ。
テーブルが激しく叩かれ、テーブルの料理の入った皿や酒の入ったグラスが揺れる。
「撤退しただとぉ…」
ゆらりと皇帝は立ち上がるとまるで喧嘩を売るかのように顔を近づける。
酒臭い息で気分が悪くなりそうだったが、アレクセイはなんとか湧き上がりかけたものを飲み込む。
「は、はっ。結界外に撤退しました」
ずいっと首元が掴まれ引き上げられる。
因縁をつけようとする街のチンピラと代わりない行動だとアレクセイは思う。
「なら、何で力で叩き潰さない?喧嘩を売られてるんだろうがっ。帝国に逆らうものはどうなるか、見せ付けろや」
「はっ。それは皇帝陛下のご命令としてでしょうか?」
「もちろんだっ。そんな事もわからないのかっ、この大馬鹿やろうがっ…」
そう言って、皇帝は手を離すとふらふらと長椅子に座り込む。
「いえ。帝国海軍は、皇帝陛下の軍であります。攻め込むには皇帝の命が必要となっておりますので…」
「なら、命令する。今すぐそのフソウとかいう国を滅ぼせ。どんな手段を使ってもいい。帝国に逆らったものがどうなるか見せ付けてやれ」
「了解しました。皇帝陛下の命に従います」
アレクセイはそう言って最敬礼すると彼らの後ろにいる秘書官のほうに視線を送った。
秘書官は頭を下げて机に座ると紙に文章を書いて皇帝の印を押してアレクセイに手渡した。
その紙を受け取り、念のため広げて目を通す。
そこには、フソウ連合という名の下賎な国を滅ぼせ。これは勅命である。と記入してあった。
そして、その下には、そのための権限を帝国東方方面海軍司令長官アレクセイ・イワン・ロドルリス大将に与えるとも書いてあり、皇帝のサインと印がしっかりと押してある。
どうやら皇帝のサインは事前に書かれていたようだ。
きちんと内容を確認すると、アレクセイは再度皇帝の方に身体を向けて最敬礼をして退出した。
そして、そんなアレクセイの行動にもう興味がなくなったのか、外の景色を眺めながら皇帝は飲みかけていたワインを汚く飲み干したのだった。
来た廊下を戻り、ある程度の距離が離れてからアレクセイはため息を吐き出した。
あれが皇帝だと?
以前お会いした時よりも何倍も酷くなってしまっているではないか。
あれでは、ただのチンピラに過ぎない。
我々帝国海軍が忠誠を尽くす対象としては、あまりにも相応しくない…。
何とかしなくては…。
そう思ったときだった。
「これはこれはお久しぶりですな、大将閣下」
そう言って呼び止められた。
この声は…。
ますますいやな気分になったが、無視するわけにはいかずに足を止めて声の方に視線を向ける。
そこには、ニヤニヤした笑みを浮かべた青い貴族の服を着た初老の男が杖を持ち立っていた。
見た感じは、八十とも九十とも見えるし、何気ない表情で五十、六十にも見える。
そんな年齢不詳の禿げた白い髭を生やした怪しい男。
この男こそが今や帝国で皇帝に変わって政務を仕切る宰相の役についているグリゴリー・エフィモヴィチ・ラチスールプ公爵である。
「これはこれは宰相殿。何か御用ですかな?」
「いやいや。以前お会いしたのは、もう五年も前ですからな。懐かしくなってついつい声をかけてしまったのですよ。ふへへへ。ところで首都にはどういったご用件で?」
そう言いつつ、ラチスールプ公爵は右手に持っている紙の筒に視線を送る。
相変わらず目ざといな、この野郎は…。
そう思いつつも、顔に出さずに開いてみせる。
「何、東方の小国を攻め滅ぼせという命を受けただけですよ」
さっと目を通したのだろう。
視線を上に上げつつラチスールプ公爵はニタリと笑う。
「大将閣下にかかれば、このフソウとかいう国もあっという間でしょうな…」
そして、何か引っかかったのだろうか。
口の中で「フソウ、フソウ」と言葉を繰り返している。
「どうされた?」
恐る恐るアレクセイは声をかける。
本音としては、こういう輩は相手にしたくないのだがここで無視していくわけにもいかず、出来ればさっさと終わらせたかったからだ。
その掛け声がきっかけだったのだろうか。
「思い出したぞ」
ラチスールプ公爵は基地外じみた大きな声を上げる。
そして、ずいっとアレクセイに顔を近づけると囁くように言った。
「いいですか。帝国の事を本当に大切に思うのなら、そのフソウ連合と言う国、絶対に滅ぼさなければならぬぞ。絶対にじゃ」
その鬼気迫る表情と言葉に、アレクセイはただ頷く。
「もし、必要なら、わしも出来る限りの事はするぞ。よく覚えておくことじゃ。くけけけけっ」
そう言うとラチスールプ公爵は立ち去っていった。
その後姿を見ながらアレクセイは思う。
貴方のできることといったら、帝国でできない事はないと言うことではないかと…。
なぜなら、アレクセイは知っているのだ。
この帝国の真の支配者はあの老人だと…。
今の皇帝も、あの老人が都合がいいから担いでいるだけだと…。
そしてアレクセイはため息を吐き出した。
帝国の未来のなさに…。
そして、なぜあの老人がフソウ連合という国を滅ぼす事にそこまでこだわるのかがわからなかった。
だが、その事はどうでもいいと頭の隅に追いやる。
今は、ともかく戦争の準備だ。
私はただの軍人でしかない。
それ以外の事は考えるのはあとだ。
それにリーデン鉄道を使っても彼の指揮する基地まで一週間以上かかるのだ。
さっさと首都での用事を済ませて戻らなければ…。
そう頭を切り替えてアレクセイは歩き出だしたのだった。




