とある一室にて……
あるのはテーブルと二脚の椅子だけという飾り気のない質素な薄暗い部屋の中、二人の男が話をしている。
他には誰もいないのだが、用心の為だろうか。
かなりの小声であり、暗がりの為に口の動きは読みづらい。
一人は三十代の男性で、その顔つきから強い正義感が感じられる。
かなりイライラしているのか眉が先ほどからピクピクと動いていた。
そしてもう一人は初老と言ってもいい年で白髪の目立つ男性だ。
元々は穏やかな顔の作りだが、今は深く皺が刻まれ、苦悶の表情のように見える。
また、二人共独特の服を着ており、ほとんどの者がその服はドクトルト教の司祭の服だと気が付くだろう。
「しかし、ここ最近の法皇様はおかしくないですか?」
そう切り出したのは、若い男性の方だ。
その激しい感情の籠った物言いに、初老の男が慌ててたしなめる。
「落ち着きたまえ、ターントク」
しかし、そうは言っても怒りが収まらないのだろう。
ターントクは声こそ小さいが、イライラの籠った声で再度同じことを言う。
さすがにたしなめても駄目かと思ったのだろう。
初老の男性、リーンダートは困ったような表情で口を開く。
「今の法皇様はあの男とは違うぞ。それはわかっておろう」
あの男……。
今の法皇の前に法皇であった男。
ドクトルト教の教えを捻じ曲げ、世界に不協和音を広げ、世界中を敵に回しかけて教国を追い込んだ大罪人。
そしてそんな男を追い詰め、追放したのが今の法皇であった。
彼は、前法皇の尻拭いに追われてかなり苦労したと聞く。
そんな男が、以前の法皇のようなことをしたがるだろうか。
失敗すれば、自分が追い詰められ追放されるのだ。
そんな現実を知っていれば、行うはずはないと思ってしまう。
だからこそ、そう言われてターントクは黙り込む。
それに、今や彼の手柄となっている今まで推し進めてきて世界的な流れとなった『奴隷制度廃止』と『薬物撲滅運動』は、現法皇の全面的な支持を受けて成し遂げたと言っていい。
それが前の法皇によってもたらされた反動によって必衰するしかなかったドクトルト教の起死回生の一手として利用されたのは面白くなかったが、それでも支持がなければ成し遂げられなかったのも事実なのだ。
だから、口を閉じるしかない。
しかし、それでも言いたいのだろう。
遠慮がちではあるがタークトクの口が開く。
「しかし、師匠はおかしいと思わないのですか?」
確かにリーンダート自身も今の法皇の動きはおかしいと思ってはいたのだ。
以前とはまるっきり違う方向に進んでいる。
そんな感覚さえ感じてしまうほどに。
まるで以前のような……。
慌ててリーンダートは頭に浮かんだ考えを否定する。
そんなはずはないと。
だが、それでも、無理であった。
だからだろうか。
つい「確かに……」と言葉が漏れる。
それで勢いがついたのか、ターントクが聞き返す。
「大体、強引なまでの寄付金を求めるというのはいかがなものかと思います。それに異を唱えた者達への対応も……」
その言葉に、リーンダートの表情が曇る。
寄付金であるはずが出せない者には信仰心が足りない背教者と言い放ちレッテルを張り付ける。
やっているのはそれだけだが、ドクトル教の教えが絶対のこの国では、ある意味死刑宣告に近い。
背教者には何をしてもいい。
そう言った教えを信じている者も多いのだ。
その上、自分達は支払ったのに、あの者達は支払わなかったという不満がそれに油を注ぐ。
確かにその場では何も起こらないだろう。
だが、その後は地獄だ。
ネチネチといたぶられる様な日々が続くのである。
そして、それは生活の苦しい信者の不平の解消の矛先となっていく。
実際、多くの貧しき者達が周りの圧力に負け自分で死を選び、またそれ以上の者達がいたぶられて死んでいった。
それこそ、上の人間が協力を拒み、反対したセットンカルンペ地区とアンハルナトナ地区の二つの地区を中心とした地域以外は、それが普通に行われていた。
そして、それは教国の植民地でも実施された。
多くの者は無理やり改宗させられたものばかりで、信仰心があるはずもなく、ここでは暴力が横行し、虐殺手前までいったところもある。
まさに地獄絵図と言っていい光景が繰り広げられていたのだ。
それはリーンダートも知っている。
だから、彼は法皇に現状を訴えようとして動いたのだ。
だが、法皇との面会は今だに叶ってはいない。
それどころか、中央の役職から外される始末だった。
だからこそ、弟子を巻き込みたくないと思っているのだが、弟子であるターントクはそう思っていないらしい。
ため息を吐き出すとリーンダートは念を押すような口調で言う。
「私が動いても法皇との面会はおろか、役職まで外される事態なのだ。自重してくれ。今は時ではない」
「ですが……」
焦ったように言うターントク。
正義感の強い彼にとって、信じている教えを悪用しているように感じるのだろう。
だからこそ、許せない、改善しなくてはと……。
その気持ちは痛いほどわかる故に、言葉が出る。
「言ったであろう。今はだ。今動いても意味がない。我々は余りにも弱すぎる……」
「ならば、いつなんですか?」
そう聞かれ、リーンダートはどう言えば弟子を抑えられるか考える。
どうせ自重しろといってもこの様子では無理だろう。
ならば……。
そう考えて口を開く。
「力なき正義は、正義にあらず。それはただの文句でしかない」
その言葉に、ターントクはムッとした顔になった。
彼はこの言葉が大嫌いである。
正義は正義ではないか。
若いころはそう思ってきた。
しかし、年を取れは道理が見えてくる。
だが、それでも彼の理想とは違う形であり、嫌いな事には変わりはない。
それが判っているのだろう。
リーンダートは苦笑する。
「そう嫌な顔をするでない。たが、それが道理とはわかっていよう?」
「ええ。残念ながら……」
「なら、今は力を蓄える時だ。君にセットンカルンペ地区とアンハルナトナ地区の二つの地区を中心とした地域に行ってもらい、彼らの意見をまとめ上げて欲しい。今やあの地域は、中央と強く反発しており、無視されてしまった状態だ。だが、その動きに同調しようと考えている者達も多いと思う。だから、まずはこの二つの地区の意見をまとめ、同調しようと考えている者を味方に付けよう。そうすれば、さすがの法皇様もどうしょうもなくなるだろう」
そう言われ、ターントクは考え込む。
確かに理にかなっていると感じたからだ。
だが、あることが引っ掛かり、口を開いた。
「しかし、近々何やら大きな発表があると聞きましたが、お側にいなくても大丈夫でしょうか?」
その心配そうな声に、リーンダートはカラカラと笑う。
「なに、大丈夫だ。それにまさか以前のような愚行はしないはずだ、あの法皇様なら……」
以前の愚行。
それは当時の法皇が宗教の力を使って、各国の政治介入を信者に命じたのである。
その結果、世界は大混乱を引き起こし、ドクトルト教に対する反発を引き起こした。
実際、それを恐れた王国のドクトルト教最高司祭であるミッカトム最高司祭は指示を受けてすぐに王国国王と面談を行い、政治に関与しないと約束し、本国とは別の流派として独立すると宣言。
それ以降、王国のドクトルト教は、本国のドクトルト教から破門され、異教扱いになっている。
また世界各国の政府も規制を始め弾圧の動きさえあった為に、当時、反法皇派であった現法皇が責任問題を追及し前任者を追放して何とかその場を収めたのである。
そんな経緯がある以上、似たようなことはしないだろうと考えられる。
だが、それでも不安をぬぐえないのは、ここ最近の異常な動きであった。
だからこそ、ターントクも中央に残る師匠を心配しているのだろう。
「それにだ。何かあったら療養という言い訳を使って離れるつもりでおる」
そう言った後、ターントクにうらやましそうな視線を向けた。
「それにだ。これからは君のような若い者たちの時代だ。ロートルは精々その準備をして道を譲らなければな」
そう言って笑うリーンダート。
「そんな事は……、それに師匠なら……」
思わずターントクの口からそんな言葉か漏れる。
だが、そんな言葉をリーンダートは笑い飛ばす。
そして口を開いた。
「さすがにそろそろ疲れてきたのだよ。権力というのは麻薬と同じだ。いつかは依存するようになってしまうだろう。だからな、そうならない前に離れたいのだよ。それとお主も十分注意しておくように」
そう言うとリーンダートは立ち上がる。
これで終わりだという事なのだろう。
「わかりました。十分注意いたします。師匠も……」
「ああ。お主が活躍する様を見ないうちは死ねぬからな」
そう言い切ると笑いつつリーンダートは退室していく。
それをターントクはただ頭を下げて送ったのであった。




