索敵
「とんでもねぇ、数だな……」
斜め下方に広がる百隻以上になるであろう大艦隊を目にし、伊ー21搭載の零式小型水上機のパイロット奥三郎兵曹長はため息を吐き出した。
フソウ連合の基準で言えば、中型の巡洋艦や小型の駆逐艦程度の大きさのものが多いが、それでもその数による威圧は見ているものを圧倒させるのに十分であった。
「すごいですね……」
後部座席に座っている相木道夫二等兵曹も思わずそう口にし、茫然と見ている。
そんな部下に奥兵曹長は気が付くと苦笑した。
「写真を出来る限り取れ。それと大体でいいから数の把握だ。サネホーンの情報は喉から手が出るほど欲しいからな」
「了解しました。撮って撮って撮りまくりますよ。でも、話だと連中も電探の技術はあると聞きましたが、我々が飛んでいるの気が付いていないんですかねぇ……」
その言葉に、奥兵曹長は吐き捨てる様に返答する。
「気が付いているさ。現に艦隊の艦船のいくつかは、ほれ、派手に電探らしきアンテナを張り巡らしているのがいるじゃねぇか。あれだけやって映ってねぇわけねぇんだよ。だからよ、舐められてんだよ、俺達は。くそったれめ」
しかし、後部座席に座っている相木二等兵曹としては、舐められるのは確かにイラっとしたものの、死ぬよりはマシだと思っているのでそれほど腹が立たない。
だから、「いいじゃないですか。それで生き残れるんですから」と返事をして写真を撮っていく。
新しく支給された望遠レンズ付きの写真機は、かなりの高性能で、実に使い勝手がいい。
今度、フィルムに余裕があったら、この辺りの風景を撮っていいか許可貰うか。
そんな事を考えていると、被写体の艦隊の艦船に変化が見られ、声を上げる。
「兵曹長、水上機母艦らしき艦船に動きありです。どうやら、連中、水上機を飛ばすみたいです」
「なにっ?!」
その言葉に、奥兵曹長は相木二等兵曹の指さす方に視線を送る。
確かに指さす先には、中型の艦船の後部に載せられている水上機の乗ったカタパルトがゆっくりと動いているのが見えた。
「不味いぞ……」
奥兵曹長は、慌てて機体を上昇させる。
いくら相手が水上機だとしても、零式小型水上機は戦闘機ではなく小型の偵察機だ。
もし、空中戦となったらどうすべきか……。
二式大艇が来るまで監視という命令を受けてはいるが、出来る限り戦闘は回避せよとも言われている。
ならば、一旦離脱するか?それとも……。
迷っていたがともかく上昇し、戦闘、離脱どちらともとれるようにしておくか。
そう判断したのである。
そんな間にも、サネホーンの水上機母艦からは三機の水上機がカタパルトによって打ち出された。
しかし、奥兵曹長の警戒をよそに、三機は上昇することなく、零式小型水上機に見向きもせずに別の方向へと飛び去って行く。
その様子に、相木二等兵曹長は驚きの声を上げる。
「どういうことです、あれ……」
いつでも戦えるように、後部に搭載されている7.7ミリ機銃の準備をしていたのだからなおさらなのだろう。
だが、そんな声に反応せず、三機の水上機の向かう先をじっと見ていた奥兵曹長だが、すぐに気が付き命令を下す。
「急いで、伊-21に通信だ。『敵索敵機三機そちらに向かう。直ぐに姿を隠せ。我々は任務の引継ぎを行い次第、予定の合流地点に向かう』以上だ」
その命令を受けて、相木二等兵曹は慌てて無線機にかじりつく。
いくら海に潜れる潜水艦とはいえ、フソウ連合の近海とは違い、この辺りの海の透明度は高い上に、上から見れば結構簡単に発見されてしまう可能性が高いためだ。
無線通信で言われた内容を二回送った後、相木二等兵曹は心配そうな声で言う。
「大丈夫ですよね?」
「ああ。大丈夫だ。多分だけどな……」
そう答えた後、高度を下げ始める。
「さぁ、任務の続きだ」
その言葉に、相木二等兵曹は頷き、写真機の準備をする。
今の我々にできる事は、任務の遂行と母艦の無事を祈る事だけだ。
そう二人は自分に言い聞かせていた。
三機の索敵機から無線で報告が入る。
その報告を今か今かと待っていたのだろう。
フラッセ提督はわくわくしているという感情を隠さずに「どうだ、いたか?」と聞いてくる。
そして、そのまま海図に視線を落とすとニタリと笑った。
その様子から、『まずは手始めに、景気づけにそいつらを撃沈してやる』と意気込んでいるのが丸わかりだ。
だからだろうか。
報告をする副官は困ったような表情になっていた。
「そ、それが……」
その様子に、怪訝そうな聞き返すフラッセ提督。
「なんだ?」
「はぁ……。実に言いにくいのですが、報告では敵母艦らしき艦船は発見できないと……」
その報告に、フラッセ提督は大声を上げる。
「そんな馬鹿なっ。あの大きさの偵察機ならば、それほど航続距離は長くないはず。それにこの辺りには島らしい島はないんだぞ」
確かにこの先にあるハントーノンナ島ならば可能性があるだろうが、すでに結構な時間、上空に偵察機が張り付いているという事を考えれば無理だ。
では、どこからあの偵察機は来たというのか。
イライラした表情で海図を見ているフラッセ提督に、まさか虚偽の報告をするわけにもいかず副官はますます困った表情になる。
「しかし、発見できないのは事実であります」
その言葉がきっかけとなったのだろう。
フラッセ提督は癇癪を起すと、壁を蹴りつける。
結構派手な音が鳴り響き、艦橋にいた乗組員全員が首をすくめた。
「くそったれめ。索敵に行った連中、何をしてやがる。のんびりと観光気分で飛んでるんじゃねぇだろうな」
そう怒鳴り散らすと、副官に命令を下す。
「いいかっ。よりしっかり探せと伝えろ。いいなっ」
「は、はっ。了解しました」
副官が慌てて通信兵の方に駆け寄る。
副官を悲哀の籠った目で見ていた通信兵だったが、駆け寄ってきた副官から慌てて視線を逸らす。
とばっちりを喰らいたくない。
それがよくわかる行動だった。
だが、副官は提督と違って部下に対して当たり散らすといった事はしない人物だったので、何も言わずにただ命令のみを伝える。
そして、フラッセ提督はそれでもイライラが収まらないのだろう。
「索敵に行った連中、もし発見できなかったら、徹底的にシゴキ倒してやるからな」
そんな事をぶつぶつと言い始める。
なんて理不尽な事を言っているんだ、この人は……。
索敵に出たパイロットたちに同情すると同時に、自分の中にある上官の評価を修正する。
確かに、軍人としてはまずまずの上官ではあるが、人としては三流だな……。
そう副官は判断したものの、何も言わずに通信兵に命令を伝えた後は提督の後ろに控えた。
他人に同情する分にはいいが、下手なことを言って巻き込まれてとばっちりを食いたくない。
そんな思いがそう行動させたのであった。
そんな副官には目を向けず、ただただ親の敵と言わんばかりに海図を睨みつけるフラッセ提督。
だが、少し怒りが収まってきたのだろう。
「くそっ。出鼻をくじかれる形にはなっちまったが仕方ねぇ……」
そう呟くと思考を切り替えたのだろう。
「このイライラは、敵の外洋艦隊に思いっきりぶつけてやる」
そう言うと、やっと椅子に座ってふーと息を大きく吐き出したのであった。
アルンカス王国アンパカドル・ベースの第十一索敵部隊所属の二式大艇と任務の引継ぎを行った伊-21搭載の零式小型水上機は合流地点へと向かう。
陽は大きく傾き、辺りを真っ赤に染めている。
本当ならもっと早く引き継ぐ予定ではあったが、当初引き継ぐ予定だった二式大艇にトラブルが発生し、予定よりかなり時間がずれてしまっている。
途中、着水して燃料節約をしたものの、それでもかなり燃料を消費してしまい、合流地点から余り離れたところには行ける余裕はないほどであった。
「到着が遅れるのは伝えてあるんだろうな?」
「はっ。発信しておきましたが、返答はありませんでした……」
その言葉を聞きつつ、奥兵曹長は思考をめぐらす。
潜航していたのか、或いは相手に無線傍受をされて存在をはっきり認識されるのを恐れたのか、或いは……。
嫌な予想が頭をちらつき、それを少し頭を振って追い出す。
まもなく合流地点だが、艦影は見えない。
光の加減か、或いは暗くなったためだろうか。
もしかしたら両方のせいかもしれない。
昼間あれだけ透明度の高い海も、赤く染まって海中はあまりよく見えない有様だ。
「まさか……」
相木二等兵曹が思わずそう口にする。
だが、すかさず奥兵曹長が言い返した。
「馬鹿野郎っ。そんな事は思ってても口にするな」
それは自分も考えていた事であった。
だからこそ、つい口からそんな言葉が出てしまったのだ。
それに気が付き、相木二等兵が慌てて口を開く。
「す、すんません」
沈黙がコックピットを包み込む。
二人はただ無言で合流地点周辺を飛んでいたが、さすがにそろそろ燃料がやばいという事で、着水して待つこととなった。
ゆっくりと速力を落とし、高度を下げていく。
そして、フロートを海面で滑らせるかのような感じて着水する。
ググッ。
勢いが殺され、シートベルトが身体に食い込み、機体が揺れる。
しかし、それは直ぐに収まり、零式小型水上機は円を描くかのように白波を立てつつ海面を滑っていく。
徐々に速力は落ち、零式小型水上機は動きを止めた。
穏やかながらも波があるのだろう。
停止した零式小型水上機が少し揺れている。
奥兵曹長はふうと息を吐き出す。
「さて、後は待つだけだが……」
「ええ……」
心配そうな相木二等兵曹の声が続き、後には辺りには穏やかな波の音だけが響く。
陽はもう半分以上が沈み、夜の帳が幕を下ろし始める。
やばいな……。
夜になれば、回収が困難になる。
そう、奥兵曹長が思った時だった。
離れた場所の海面が膨れ上がったかのように波立ち、それを突き破るかのように黒い塊が現れた。
そして、黒っぽい灰色で塗られた艦橋には白い色で『伊-21』と書かれている。
「兵曹長っ、伊-21ですっ」
相木二等兵曹が喜びの声を上げた。
「ああ。見りゃわかっるてよ。しかし、心配かけやがって……」
「本当ですよ」
そう相木二等兵曹が不満気味にいった後、二人は声を出して笑う。
それは無事任務を終えた安堵と母艦に戻ってこれたという緊張の緩みがもたらした笑いであった。




