苦渋の決断
「それはどういうことだ?」
グラーフが驚きの声を上げる。
ここはサネホーンの海軍本部にあるグラーフの執務室だ。
そこには、彼以外にも四人の男の姿があった。
そしてグラーフは目の前に立っている人物、リラクベンタ提督の報告に思わず声を上げてしまったのである。
だが、リラクベンタ提督はその言葉を無表情で受け止めると淡々と返答する。
それはまるで感情を押し殺しているかのように見えた。
「だから、我々はフソウ連合に騙されていたのです」
「しかし、あと少しで交渉はうまくまとまろうとしていたのだぞ」
「ですが、フソウ連合は、それを話し合いではなく、暴力によってひっくり返しました」
その言葉に、グラーフは黙り込む。
彼の側には、サネホーンの重鎮であるルイジアーナとベータの二人の姿もあったが、二人もそれぞれの表情で聞いていた。
ルイジアーナは怪訝そうな表情であり、ベータは唖然とした感じだ。
ただ二人共違う表情であったが、信じられないという事だけは共通していた。
黙り込んでしまったグラーフに代わってルイジアーナが聞き返す。
「間違いないのだな?」
その問いに、リラクベンタ提督は迷いなく即答した。
「はっ。間違いございません、ルイジアーナ様」
「そうか……」
それだけ発するとルイジアーナも黙り込む。
沈黙する三人をリラクベンタ提督は神妙な表情で見てはいたが、心の中ではその様子を嘲り笑っていた。
こいつらのこんな顔が見られるとはな……。
だがこのままでは話が進まん。
リラクベンタ提督としては、その様子をもう少し堪能してもよかったが、ここは駄目出しをすることにした。
下手にいろいろ考えられても困るからだ。
「我々はフソウ連合に騙されたのです。彼らの謀略と攻撃でモンスチーナ提督の艦隊は装甲巡洋艦一隻を除き撃沈されてしまいました」
そこまで淡々と言った後、感情を露にするかのように荒々しく言葉を吐き出す。
「モンスチーナは……戦死したのです。彼は……フソウ連合によって殺されたも同然です」
その言葉には、怒りと悲しみに満ち満ちており、リラクベンタ提督にとってそれは本心であった。
だからだろうか。
感情を抑えて報告していたものの、我慢できずに感情が爆発したように見えたのだろう。
ルイジアーナが震える声で聴いてくる。
「そう言えば、モンスチーナ提督は、君の友人であったな」
「はい。親友でした。私が背中を任せてもいいと思うほどの戦友でした」
その言葉に嘘はない。
それ程の友であるからこそ、リラクベンタ提督は今回の事を任せたのだ。
彼ならうまくやると思い……。
しかし、現実は、敵との戦いに敗れ戦死してしまった。
後悔が頭をよぎる。
もし死ぬとわかっていたら、別の人物を派遣しただろう。
だが、今更どうしょうもない。
なら、彼が死と引き換えに達成した目的をよりうまく使うべきだ。
無駄死にとはさせない。
それが供養にもなる。
リラクベンタ提督はそう判断し、言葉を続ける。
「連中は、最初からひっくり返す気だったのです。でなければ、モンスチーナの艦隊がほぼ全滅とかありえません」
そう言い切って、後ろをリラクベンタ提督は振り返る。
彼の後ろには一人の男がいた。
あの戦いで唯一生き残った装甲巡洋艦ヒザメ・リハトの艦長である。
恐らく、先の戦いで負傷したのだろう。
血の滲んでいる包帯を頭と左手に巻き、左手を首から伸びた布で釣っている。
実に痛々しい姿であった。
そんな彼が、リラクベンタ提督の横に並ぶと口を開いた。
「敵は我々以上の艦隊を用意させていたのです。モンスチーナ提督も警戒をされていたのですが、敵の別動隊が後方から不意を突いて攻撃してきたのです。被害を受けつつも我々も奮戦したのですが、数の差と不意を突かれたことによって力及ばず……」
その言葉は真剣な表情によって発せられていたが、事前に兵達から調書をとっていたため、この艦長が話を盛っている事をリラクベンタ提督は直ぐに気が付いた。
恐らく、責任を逃れる為という事もあるだろうし、自分達の勇猛果敢さをアピールしたいのもあるといったところか。
リラクベンタ提督はそんなことを思いつつ、神妙な表情は崩さずに黙って話を聞いている。
どうやら、熱が入ってきたのだろう。
艦長の話は、実に事細かに戦いの様子を話し始めていたが、リラクベンタ提督は好きなようにさせることにした。
折角本人が言われもしないのにこっちの都合がいい話を盛ってくれているのだ。
ここは黙って聞いていればよい。
そう判断したのである。
「我々は果敢に戦いました。しかし、残念なことに、我々は劣勢であり、我が艦も被弾しました。機関に被害が及び、隊列から遅れ始めると提督は我々に『無理はするな。撤退せよ』と命令されたのです。私は艦隊ごと撤退しましょうと進言したのですが『砲撃されたとはいえ、もしかしたら島の方に生き残りがいるかもしれない。彼女らを見捨てることは出来ん』と返答されました。提督は、敵を打ち払い、島の同胞たちの捜索をしたかったに違いありません。それが絶望的な結果であったとしても……。その言葉に感激し、私としてもまだ戦えると思ったのですが、現実は残酷です。速力の衰えた我が艦ではいかんせん足を引っ張りかねないと判断し、命令に従い撤退しました。私が最後に見たのは、奮戦し、戦い続ける僚艦たちの姿のみでした」
そこまで話すと艦長はぐっと拳を握り締めて身体を震わせ俯く。
実にいい演技だ。
これくらいできるなら、退役後も俳優としても生きていけるだろうよ。
心の中で苦笑しつつリラクベンタ提督はそう思ったが、艦長の演技がわざとらしいと感じたのだろう。
黙って話を聞いていた三人のうち、ただ一人だけ怪訝そうな顔をしていたグラーフは、目を細めつつ口を開く。
「ふむ。大変だったな。だが、それは真実なのか?」
その言葉に、艦長は動揺したのか、驚いた表情で聞き返す。
「えっ、それはどういう事でしょうか?」
「つまりだ。君の話は辻褄が合わない部分かあるように感じてね。だから、失礼ながら聞いたのだよ」
どうやら、他の二人と違い、グラーフはこの艦長の話を信じていなのだ。
ある程度は真実が入ってはいると思っているようだが、信じ切ってはいないといったところだろう。
さすがは長い間、サネホーンを取りまとめてきたと言うべきか。
私が同じ立場でも同じように不信を感じて聞き返したことだろう。
リラクベンタ提督は内心感心したものの、このままではボロが出ても困る。
折角いい雰囲気なのだ。
このままの流れで一気に押し通してしまうか。
そう判断し口を開いた。
「確かに少し辻褄が合わないところがあると私も判断しましたが、戦場の、それも不意を突かれた混乱もありますからな。しかし、それでもはっきりしていることはあります。フソウ連合によって火蓋は切られ、すでに我々の多くの同胞の血が流れた事です。これだけは間違いありません」
そこまで一気に言い切った後、残念そうな表情を浮かべつつ言葉を続ける。
「もう、今更後戻りはできないのです。それこそ時を戻さない限り……。私も友を失いました。恐らく、我々の多くのものが同じように怒りと悲しみに震えている事でしょう。この落とし前をつけなければ、誰も納得しないでしょう」
その言葉に、グラーフは黙り込む。
リラクベンタ提督の言葉に含まれる怒りや悲しみは本心のものであり、艦長のように誇張もしなければ淡々としたものであったが説得力が違っていた。
それはそうかもしれない。
フソウ連合に対しての怒りと憎しみは本当のものなのだから……。
場が静まり返り、沈黙の帳が辺りに降り立つ。
これで決まりだな。
リラクベンタ提督はそう判断したが、しかし、それでもグラーフは沈黙を破り言葉を発した。
「だが、それでも……全面的な戦いになってしまうのは、何とかしたいのだよ……」
グラーフの言葉は悲痛なものであったが、余りにも弱々しくこの流れを押し返す力はなかった。
そんなグラーフにルイジアーナは怒りに震えながら口を開く。
「グラーフの気持ちもわかる。全面的な戦いになれば、より多くの者達が傷つくのは間違いない。しかしだ……」
そこで言葉を一旦区切った後、グラーフを説得するかのように優しい口調で言葉を続けた。
「私は提督の言い分はもっともだと思うのだ。相手から吹っ掛けられて殴られたのに、笑いつつ握手を求めるのはおかしくないかとね。やられたらやり返す。そっちの方がしっくりこないか?」
その言葉にリラクベンタ提督は内心ニヤリと笑う。
『この単細胞め』と心の中で嘲りながら……。
だが、これで益々流れは変えにくくなったな。
だが、ここで止めをしておくか。
そう判断し、言葉を発した。
「それに、この国を建国した方も言われていたじゃありませんか。『覆水盆に返らず』と。まさに今がその時ではありませんか?」
その言葉に、遂にグラーフも折れた。
「わかった。フソウ連合との交渉は打ち切る。直ぐに戦いの準備を進め、フソウ連合が今後どう動くかの予想をまとめておいてくれ」
その言葉の端々には苦渋の色が滲み出ていた。
グラーフにしてみれば、フッテンがやりかけていた事を放棄することになるのは避けたかったのだ。
だが、もうこの流れは変えられない。
済まない……。
フッテンの心の中で詫びながら発した言葉であった。
だが、言葉は言葉だ。
発した以上、もう元には戻せない。
こうしてリラクベンタ提督の思惑通り、サネホーンはフソウ連合との戦いに完全に舵を切ったのであった。




