崩れ逝くもの
「行ってらっしゃいませ。皆様のご武運をお祈りしております」
準備を終えて会談場所の島へ移動するため、降ろされたカッターに向かうリンダ達にそう声がかけられる。
重戦艦ムンタカ・ヘクラバの艦長であるモンスチーナ提督だ。
笑顔に浮かべてそう言われているのに、リンダは一瞬変な気持ちになった。
ご武運も何もほぼ今日の会談で、条約締結は間違いないという時点で言う言葉ではないと思ったからだ。
もしかして実は皮肉で、うまくいかずひっかり返るのを期待しているのだろうか。
そんな事さえ考えてしまう。
だが、せっかく言ってくれたのだ。
気に食わない相手で引っ掛かる言葉だが、返事を返さないのも大人げない。
そう思って、リンダは営業スマイルの微笑みを浮かべて短く返す。
「ええ。ありがとう」
その言葉に、モンスチーナ提督は何がおかしかったのか、くっくっくっと笑ってしまう。
何よ、あれ……。
失礼な人ね。
絶対、戻ったら文句言ってやる。
さすがに今文句を言ったら時間に遅れる可能性もあるし、交渉事で時間に遅れるというのはやってはいけない事だと思っている以上、そう選択するしかない。
本当にいけ好かない男よね。
青島大尉とは本当に大違いよね。
そんなことを思いつつ、リンダはカッターに移る。
それがモンスチーナ提督との最後の会話になるとは思わずに……。
艦から離れ、島に向かうカッターを見ながらモンスチーナ提督は今まで必死になって抑えていたものを開放した。
その結果、紳士的な笑みが、下卑たものへと変わる。
「ふふふ。無事に生き残れたらいいですな……」
そんな提督に、副官が近寄り敬礼する。
「準備整っております」
その言葉に、頷きつつモンスチーナ提督は口を開く。
「いいか。二時間後だ。それで全ては大きく変わる」
「はっ。では、目標は最初の予定通りに……」
「ああ。フソウ連合の増援が来るまで、すべてを終わらせるぞ」
その言葉に、副官はニタリと笑った。
「ええ。もちろんですとも。来る途中で別れた艦艇もすでに準備は整っていると無線が届きました」
「そうか」
その言葉に満足そうな表情を浮かべると、腕を組んで再び視線を副官からカッターの方に向けた。
すでにカッターは海岸にたどり着こうとしている。
「全ては無駄になるとはいえ、精々頑張りたまえ」
それはリンダ達に向けて放たれた言葉であったが、その言葉には残酷なまでの負の感情が含まれていた。
会合時間前にリンダ達が会議室に入ると、フソウ連合のいつものメンツがすでにそろっていた。
「やぁ、ミス・エンターブラ。元気そうで何よりだよ」
そう気さくに声をかけるのはフソウ連合の交渉団団長で今回のサネホーンとの交渉の責任者でもある青島勝大尉だ。
二週間毎とはいえ、結構な回数顔を突き詰めて会談しているのだ。
仕事以外の事を話す機会も多くなっていく。
つまり、互いに相手の事もある程度わかってくるという事だ。
だからだろうか。
自然と気軽な挨拶が出来るぐらいにはなっている。
もっとも、その先に進むのが交渉が絡む関係もあり、リンダとしては難易度がかなり高くなってしまっていると考えている。
だから、交渉が終われば、少しぐらい羽を伸ばすついでに、出来れば青島大尉との関係も進めれば……。
なんてことを考えてしまっていた。
「ええ。大尉も」
そう言いつつリンダは窓から見える空を見て言葉を続けた。
「しかし、いい天気ですね。まるで今日のよき日を祝福しているみたいじゃありませんか」
青島大尉も同じように窓の外に視線を移すと微笑む。
「確かに……。いい天気だ。日向は暑いだろうが、森の中とかは結構涼しいらしいし、少しぐらい散歩したくなってくるよ」
その言葉にリンダはピクリと反応する。
今がチャンスかもしれない。
そう判断しすると恐る恐るといった感じでリンダは口を開く。
「そうですね。それで、えっとですね……。今回調印が終われば、この島での交渉は終わりですよね?」
「ああ。多分そうなるな。条約では、互いの国に大使館を作って人材を派遣するってなっているからな」
「そうですよね……。ですから……大尉さえよければですが、調印が終わった後、少し周りの森を探索しませんか?」
そのリンダの予想外の言葉に、フソウ連合関係者だけでなく、リチカーラル少尉や護衛の二人も慌てる。
まさかそんな提案があるとは思っていなかったからだ。
青島大尉も少し驚いた表情になったものの、満更でもない表情で微笑みを浮かべる。
「交渉抜きでならお付き合いしましょう」
その言葉に、リンダは即答した。
「もちろんです」
その言葉に、リチカーラル少尉は苦笑を浮かべ、護衛の二人は困ったような顔になっている。
彼らにしてみれば、ああ、やっぱりといったところだろう。
その様子に気が付いたのだろう。
青島大尉は笑いつつ口を開いた。
「せっかくですから、皆さんで行きましょう。条約調印、そして今までの苦労が報われたという記念に」
その言葉に、リンダは心の中で舌打ちしたが、笑顔で頷く。
「大尉もこう言ってくださることだし、みんなで行きましょう」
その言葉に、フソウ関係者は苦笑し、リチカーラル少尉は満足そうに頷いたのであった。
そんな普通の会談ではありえないような始まり方をしたものの、条件の確認が双方で終わるとすぐに調印という流れになった。
別にリンダが急がせたわけではない。
前回の段階でほぼ決まってしまっており、最終確認を本国で行う段階で前回は終了したのだ。
それを考えれば、ただ調印するためだけに今日ここに来たといってもいいかもしれない。
代表者であり、責任者でもある二人の前に調印する用紙が一枚ずつ用意される。
その用紙には、前回までに話し合った条約の内容と条件がそれぞれの言葉で事細かに書かれており、それぞれ確認が済むと自国の記入欄にサインを入れる。
そして、互いの用紙を交換し、同じように内容を確認し、そしてサインを記入した。
つまり、これで条約は締結という事になる。
その場にいたすべての人々がほっとした表情を浮かべていた。
掛かった期間が長い分、それぞれに思い入れがあるのだろう。
リンダと青島大尉が互いに握手を交わしたのを皮切りに、互いの関係者が握手を交わす。
こうして、フソウ連合とサネホーンは最初の一歩を踏み出したのである。
「建物の入り口で待っていてください。少し準備をしてきます」
リンダにそう言われて、フソウ関係者だけでなくリチカーラル少尉や護衛の二人ものんびりと日陰で待っていた。
ついつい気になったのだろう。
青島大尉がリチカーラル少尉に近づいて聞いてくる。
「何の準備ですか?」
その言葉に、リンダの行動が予想出来ていたのだろう。
リチカーカル少尉は苦笑を浮かべる。
「わかりますよ……すぐに……」
その態度と言葉に、?マークが似合いそうな表情を浮かべる青島大尉。
彼女が自分に好意を寄せているのは薄々わかってはいた。
だが、さすがに何をしでかすのかはわからない。
そして、五分後、入り口の扉が開き、リンダが姿を現した。
もちろん、新調した水着である。
鮮やかな赤色のビキニタイプだ。
もっとも、現在のものに比べれば肌色部分は少ないし、上着かわりに薄着の服を羽織ってはいるものの、それでも彼女のグラマラスな体形がはっきりとわかるだけに十分刺激的だ。
「あ……」
青島大尉だけでなく、フソウ連合関係者も唖然とし、そしてその水着姿に釘付けになった。
だが、それは仕方ない事なのかもしれない。
フソウ連合の女性は水着にしてもこんな肌の露出が高いものは着ないし、それに何より体形が違いすぎた。
圧倒的な違い、それは比べる方がかわいそうという奴である。
「さすが……すごいとは思ってたけど……」
フソウ連合の関係者の一人がうなるようにそう言ってちらりと青島大尉の方を見る。
こんな美人に好意を寄せられるって、うらやましいなぁ。
視線はそう語っていた。
多分、皆、多かれ少なかれそう思っただろう。
そして、そんな視線に気が付かないほど、青島大尉は混乱していた。
そんな大尉の反応が楽しかったのだろう。
リンダは大尉の前に来ると胸を強調するかのように胸を突き出しポーズをとる。
「ふふっ。アオシマ、どう?」
ほんの少し手を伸ばせば触れるような位置にある豊満な胸が作り出す胸の谷間。
それは深くて圧倒的だ。
ごくりっ……。
青島大尉は唾を飲み込んだ後、何とか言葉を口にする。
「すごく……いい……と思う」
胸から視線が外せず、真っ赤になりながらそう言うのが精一杯の青島大尉に、リンダは満足げに頷く。
「うふっ。よかった。じゃあ、探索しましょうか」
「でも……足は……」
思わずそう言いかけて、彼女がサンダルを履いていることに気が付く。
「ふふっ。いざとなったら抱えてくださる?」
「あ、いや、その……」
真っ赤になってしどろもどろの青島大尉に、リンダはいけると踏んだ。
だからだろうか。
彼女の舌が色っぽく自分の唇を舐める。
それはまさに獲物を前にして舌なめずりする猛獣のようだ。
そして胸を押し付ける様に青島大尉の腕に手を回すと引っ張る様に歩き出す。
「さぁ、行きましょうか」
その様子に、フソウ連合関係者は苦笑しながらついていく。
二国間の交渉では互角であったが、男女の交渉では完全に彼女に手玉に取られているなと思いつつ。
なお、ちなみにリチカーラル少尉や護衛の二人は予想出来ていたのか、苦笑を浮かべて歩いてついていく。
森の中は、南国という事もあり日差しは強いが心地よい風が吹いて探索するにはちょうどいい感じだ。
自然の中、のんびりと歩く。
それは実にリラックスした時間を過ごせるだろう。
もっとも、一人だけ例外はいるようだが……。
そんな例外者の手に胸を押し付けつつ歩いていたリンダだがふと気が付く。
それぞれ重要書類等は持って移動するのはわかるのだが、なぜかフソウ連合関係者の荷物が多いことに。
全員が大きめのバックを持っているのだ。
だから気になってリンダは青島大尉に囁くように聞く。
「ねぇ、なんであなたたちの荷物そんなに多いわけ?」
その言葉に、手に当たる胸の感触に真っ赤になりつつも青島大尉は答える。
「あ、ああ。昼食を用意したんだ。もっとも、お弁当だけど……。交渉が終わったら一緒にどうかと思って……」
要は、交渉が終わってすぐ別れるのはどうかと思い、何かきっかけがあれば誘うつもりだったのだろう。
つまりは青島大尉もリンダに対して好意を持っているという証でもあった。
その言葉に、リンダがより胸を押し付けながら嬉しそうに言う。
「つまり……、アオシマも私を誘うつもりだったのね?」
「あ、ああ」
よそを向きつつ短くそう返事をするのは照れているからであろう。
その様子に、リンダの心がぎゅっと締め付けられるような感覚に襲われる。
やだ。すごくかわいいじゃないっ。
かっこいいのに、こんなかわいいなんて……。
完全に私好みじゃないのっ。
そんな熱々の様子に、周りはもう苦笑するしかない。
一緒についてきたものの、これなら付いてこなかった方がよかったかな、なんて思い始める始末であった。
だが、付いて来てしまった以上、今更帰るとも言えず、仕方ないといった感じで一緒に進み、三十分ほど歩いた先に少し広まった場所を発見し、二人に声をかける。
「少し開けた場所があるみたいですね。少し早いですがあそこで昼食としませんか?」
その提案に、青島大尉とリンダは同意する。
青島大尉は助かったという表情で、リンダは残念そうな表情で……。
そんな様子に、提案した者は何とか笑いを押さえるので精一杯であった。
そして、開けた場所で思い思い座ったあと、フソウ関係者がそれぞれに弁当と水筒を配る。
「さすがに真昼間から酒と言うのは不味いと思うので……」
音頭を取ってそう言う側で「私はお酒でもよかったけど……」とブツブツいうリンダに苦笑しつつ、青島大尉は言葉を続けた。
「では、これからのフソウ連合とサネホーンの良き関係が続く事を願いまして……」
「「「「乾杯ーっ」」」
それぞれが水筒のコップ部分にお茶を入れて上に掲げて叫ぶ。
実に和気あいあいとした雰囲気であった。
だが、その雰囲気は一気に消し飛ぶ。
砲弾が飛んでくる風切り音と爆発音によって。
食事を始めた彼らの目に映ったのは、ほんの三十分ほど前までいた会談場所である建物が砲撃によって粉砕された瞬間であった。




